うしかい座とスピカ

凛音@りんね

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ホワイトデー

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「ユーリ、だっこして」

 エマは華奢な腕をめいっぱい伸ばし、ユーリに抱っこをせがむ。
 彼は命令に従い、無邪気に笑うエマを優しく抱き上げた。

「ユーリっていいにおいがするからわたし、すきよ」
「ありがとうございます」

 自立型機械ロボットであるユーリから、花のように人々を魅了する香りはしない。
 どこまでも人工的で無機質な匂いは、彼を保護する者として慕うエマにとってたまらなく落ち着くものだった。

「きょうのおやつはなぁに?」
「本日はチョコレートでございます」
「やったぁ!」

 人類が宇宙へ進出して久しい現代で、チョコレートは滅多に食べることができない高級品。
 これにはカカオベルトのデリケートな問題が絡んでいた。

 チョコレートはエマの大好物。
 気軽におやつとして口にできるのは、統治者であるワーグナー家の令嬢だからこその特権とも言える。

 ユーリは掛け時計を見た。
 時刻は午後三時五分前。

「お嬢様。おやつをご用意いたしますので、降りてお待ちいただけますか?」
「いやよ!」

 エマはよく癇癪を起こす。
 ユーリはこのまま抱っこをしていた方が良いと即座に判断して、一階にあるキッチンへと向かった。

「きゃはははっ!」

 階段を降りると、ユーリに抱っこされたエマは楽しそうにはしゃぐ。
 人間の子どもは本当にコロコロと機嫌が変わり、どう対処すべきかの選択肢が増えるのだった。

 ユーリは直射日光と高温多湿を避けて保存された缶からチョコレートを取り出し、白い小皿に並べてゆく。

「わぁ、とってもきれい!」
「こちらは旦那様からお嬢様へと承っております」
「おとうさまとおかあさまはいつかえってくるの?」
「来月の中頃にご帰宅なさる予定です」

 一年のほとんどを両親と離れて暮らすエマ。
 まだまだ甘えたい年頃だ。
 寂しくないわけがない。
 以前、テディベアを贈られた際にありったけの感情を爆発させていた。

『またおとうさまのいうことをきかなきゃいけないなんていや! わたしはおそとにいきたいの!』
『……わたし、さみしかったの。おとうさまもおかあさまも、わたしのことをきらいになったんじゃないかって』

 あれから両親に対する憤りは顔を覗かせていなかったが、恋しいことに変わりはないだろう。
 ユーリの金属とシリコンで作られた胸元にぎゅっと抱きつき、願うように言った。

「ユーリはずっとそばにいてね」
「――はい」

 いつか別れが来る時を、ユーリは知っている。
 明確な日時も。
 しかし今、正直に伝える必要はない。
 自身が再生リサイクルされるのは、何年も先の話なのだから。

 ユーリが思考の模倣をしている隙に、お転婆なエマは繊細に彩られたチョコレートを一つ掴むと口に運んだ。
 途端に表情がぱあっと明るくなる。

「おいしい! ほら、ユーリもたべてみて」
「ありがとうございます。ですが――」

 差し出されたチョコレートを前に、ユーリはほんの少しだけ逡巡する。
 エマはユーリが食事をとらなくても稼働するのを、まだ理解していない。
 だから彼は食べるふりをしてみせた。
 チョコレートを手のひらに隠し持ったまま、こちらを見下ろすエマに微笑みかける。

「とても甘くて美味しいですね」
「でしょう?」

 なぜか誇らしげなエマ。
 その様子を観察していたユーリは、ある事柄を引き出した。
 かつて三月十四日は『ホワイトデー』とされ、二月十四日の『バレンタインデー』にチョコレートをもらった男性が、女性にお菓子や花束などのお返しをする特別な日だった。

 そう、今日は三月十四日。
 ユーリはエマにある提案をした。

「お嬢様、このあと庭園を散策なさいませんか?」
「?」

 急な言葉に、エマは小鳥のように首を傾げた。
 その仕草にユーリは愛おしい、とされる感情を真似る。

 庭園に植えられた木々や色とりどりの花々も、ユーリが全て完璧に手入れをしていた。
 小さな主人のために何本か花を摘む行為は、決して咎められないはずだ。

「お嬢様のお好きな花はどちらでございますか?」
「わたし、チューリップがすきよ」
「かしこまりました」

 おそらくエマは覚えていないだろうが昨年の今頃、庭園の花壇から赤いチューリップを一輪、摘み取ってユーリに渡した。
 あの日に感じた、あたたかな気持ちの正体を彼はまだ理解できていない。

『あなたへのおくりもの』
『はなしをきいてたら、ユーリにわたさなきゃっておもったの』

(お嬢様、わたしは――)

 どうして人間は、大切な人に贈り物をするのか。
 受け取った誰もが、嬉しそうな態度を取るのか。

 それらを知るために、赤いチューリップの花束をエマに贈ろう。
 たとえ幼いエマの記憶に残らないとしても、ユーリ自身のが喜びを感じている事実を噛み締めた。

「どうしたの、ユーリ?」
「――いえ。さあ、チョコレートを召し上がりましょう」

 命の芽吹く春はすぐそこまで訪れている。
 柔らかな午後の日差しが、二人に降り注ぐ。

 ユーリは潰さないよう握っていたチョコレートを別の小皿に載せると、エマとの未来《ストーリー》を構築し始めた。
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