上 下
77 / 91

76.交錯するもの②

しおりを挟む
 エリオットは浅く息を繰り返しながら、視界の先の光景を凝視していた。

 アリーナの中を走ってくる奇怪な馬車の屋根には、確かに一瞬だがフローラの姿が見えた気がした。しかしその馬車は、不死アンデッドスライムに押し上げられたのだろう、突然盛り上がった床板に弾き飛ばされるように横転した。

 奥歯を噛み締め、両の手を爪が食い込む程に握りしめる。不死アンデッドの粘液に一度全身を飲まれたせいなのか、上半身以外は弛緩したように力が入らない。まがい物の剣すらもう溶けてしまって、戦う術も無い。
 そうして今さらになってフローラの身を案じる自分を、責めたてる己の声が頭の中に渦巻く。

 ──フローラを、突き放したのは、捨てたのは、俺自身じゃないか……。

 かつて彼女に向けて口にした言葉が、心のうちにあった己の醜い言葉が、思考が、次々とまるで呪いのように繰り返し浮かんでは消える。そうして延々と突き付けられる過去の自分の姿は、醜悪そのものだ。

 離縁状を突き付けて、面倒事は片付いたなどと放言して、気にも留めていなかったのは。
 彼女が王都から消えたと聞いて、その旅路を案じる事さえしていなかったのは。

 馬車の位置までは距離があり、障害物に遮られて、何が起こっているのか正確な判別はつかない。
 焦りを覚えるのに身体が動かないのは、本当に不死アンデッドスライムの粘液だけが原因なのか。醜悪な自分を直視出来ずに、後悔が心を雁字搦めにして、だから動く事も出来ないだけではないか。そんな自分を責める己の声が鳴りやまない。

 やがて例の馬車の周辺から淡い光が広がった。しばらくすると横転していた馬車は再び体勢を整えて、こちらに向かって来る。



「良かった、無事みたいだな。ベレスフォルドの騎士達も居る。きっと、助けに来てくれたんだろうな……」

 安堵したように息を吐いてケビンが呟く。それからケビンは、何故ここに来たのかをエリオットに語る。
 古い友人としての義理と、王太子アレクシスにも頼まれたのだ、と彼は言った。

 先ほど微かに聞こえて来たディラン・アグレアス・ジエメルドの言葉からすれば、あの男に利用されたのだと聞かされても、それを疑う余地など無い。過ちと嘘を重ねた先で、自分は愚かな道化に成り下がったのだ。
 俯いて、自己嫌悪で湧き上がる吐き気を噛み殺して堪えた。

「殿下は、お前に例えどんな罪があっても、それでもお前が一年間、国の為に最前線で戦った事実は消えないから、だから死なせるなって。まぁ、お前が今、死んだ方がましだと思ってたとしても、俺が死なせねぇけどな」

 ケビンは遠くを見たままそう言った。



 壁を背にエリオットの身体を支えながら、黙って話を聞いていたロイドが、息を飲む気配がした。

「あれは……聖剣か……?」

 顔を上げれば、こちらに向かって来る集団の、先頭を走るベレスフォルドの騎士達が手にする剣は、どれも淡く光っている。馬車を引いている屈強な、しかし一見すれば破落戸ごろつきのようにも見える男達が手にする棍棒さえも、同じく光っていた。

 エリオットは、惨めにも嗚咽を漏らしそうな己を自覚して顔を歪めた。

 失くしたもの、取り戻したかったもの、偽ってしまったもの、囚われていたもの。あるいは自分が歪んでしまった原因、あるいは、かつて自分の手にあった奇跡。
 聖剣を手にした事で、自分が醜く歪んでしまった自覚は既にある。けれども聖剣が現れなければ、自分はあの森の中で惨たらしく死んでいたのだ。
 今の自分が置かれている絶望と、ほんの少し前まで確かにあった渇望と、再び自分たちを救う希望とが交じり合って、感情をかき乱す。

 聖職者がこちらに向かって結界を張るのが見えて、両脇に居たケビンとロイドが安堵の息を吐いた。

 馬車と騎士の集団はそのままその結界に飛び込んで来る。天窓からこちらを見ていたのは、やはりフローラだった。一瞬だけ目が合って、安堵したように薄く笑んでいた。だがその笑みは、苦しみを堪えるような痛ましさが混じっている。
 そんな顔をさせてしまったのは自分で、それでもフローラは、あのような扱いをした自分の身さえ案じていたのだと思うと胸が痛む。彼女はそういう人だ。どうしてそれを忘れていられたのか。罪悪感は再び降り積もって、余計に胸は軋む。

 馬車が近くで止まると、真っ先に飛び出して来たのはケビンの恋人のチェルシーだった。

「ケビン……!!」
「チェルシー!? なんでここに……!?」

 抱き合う二人の後方に、見知らぬ老人達が居る。怪我人が居るようで、聖職者が手当てを始めていた。そしてその奥には、フローラが立っている。

 立ち上がって、今すぐに過去の全てを謝罪すべきだ。そう思ったが、動けず、声も出ない。

 フローラは何故か青々としたアイビーの蔦の葉を身に纏い、そして彼女自身が淡く光っているようにも見えた。それはもう一つの、エリオットが目を背けていた真実を象徴しているかのようだった。

 本当は、もう随分と前から、きっと自分は気付いていたのだと思う。
 あの刃のこぼれた剣を見た時から。あの剣を贈られた時の事を思い出した時から。少しずつ、確実に思考の奥底にあったはずだ。

 ──自分の大きな過ちを、直視出来ずに、俺は……。偽りに、逃げたんだ。

 自覚すればするほどに、後悔は大きくなるばかりだ。
 結局言葉を交わす間も無く、周囲は騒がしくなった。結界の外でベレスフォルドの騎士達と、先ほどの破落戸ごろつきのような男達──どうやら傭兵らしい、彼らが不死アンデッドスライムと戦っているようだった。

 人垣の先から、まばゆい光が動くのが見えた。

「なんだ、あれは……、戦斧か……? しかし、あの光は……」

 ロイドが立ち上がって呟いたまま、それ以上の言葉を失っている。ケビンも立ち尽くして目を見開いていた。

 治癒に来た聖職者に手を借りて立ち上がれば、結界の外の光景がはっきりと視えた。
 見知らぬ男が、光を宿す戦斧を手に戦っている。斧刃を小さく雷が跳ねて、一撃で広範囲を滅しているのが見て取れる。その凄まじさに圧倒されて肌が粟立つ。

 かつて北部の戦場にあった頃、エリオットが手にしていた往時の聖剣さえ、あれ程の光を纏ってなど居なかった。






しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

うーん、別に……

柑橘 橙
恋愛
「婚約者はお忙しいのですね、今日もお一人ですか?」  と、言われても。  「忙しい」「後にしてくれ」って言うのは、むこうなんだけど……  あれ?婚約者、要る?  とりあえず、長編にしてみました。  結末にもやっとされたら、申し訳ありません。  お読みくださっている皆様、ありがとうございます。 誤字を訂正しました。 現在、番外編を掲載しています。 仲良くとのメッセージが多かったので、まずはこのようにしてみました。 後々第二王子が苦労する話も書いてみたいと思います。 ☆☆辺境合宿編をはじめました。  ゆっくりゆっくり更新になると思いますが、お読みくださると、嬉しいです。  辺境合宿編は、王子視点が増える予定です。イラっとされたら、申し訳ありません。 ☆☆☆誤字脱字をおしえてくださる方、ありがとうございます! ☆☆☆☆感想をくださってありがとうございます。公開したくない感想は、承認不要とお書きください。  よろしくお願いいたします。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈 
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

田舎娘をバカにした令嬢の末路

冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。 それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。 ――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。 田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

お飾り王妃の愛と献身

石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。 けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。 ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。 国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。 ハッピーエンドです。 この作品は他サイトにも投稿しております。 表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。

彼女がいなくなった6年後の話

こん
恋愛
今日は、彼女が死んでから6年目である。 彼女は、しがない男爵令嬢だった。薄い桃色でサラサラの髪、端正な顔にある2つのアーモンド色のキラキラと光る瞳には誰もが惹かれ、それは私も例外では無かった。 彼女の墓の前で、一通り遺書を読んで立ち上がる。 「今日で貴方が死んでから6年が経ったの。遺書に何を書いたか忘れたのかもしれないから、読み上げるわ。悪く思わないで」 何回も読んで覚えてしまった遺書の最後を一息で言う。 「「必ず、貴方に会いに帰るから。1人にしないって約束、私は破らない。」」 突然、私の声と共に知らない誰かの声がした。驚いて声の方を振り向く。そこには、見たことのない男性が立っていた。 ※ガールズラブの要素は殆どありませんが、念の為入れています。最終的には男女です! ※なろう様にも掲載

処理中です...