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66.観覧討伐③
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エリオットと上級騎士達は、突然目の前に現れたそれに理解が及ばずに混乱を極めていた。
それでも積み上げてきた鍛錬と、魔獣との戦いを切り抜けてきた勘も働いて、即座に後退し防御姿勢を取れたのは幸いだっただろうか。
「これは、一体……っ」
「気を付けてください! どうやらこれも不死魔獣のようです……!」
すぐ傍に居た聖職者が結界を展開しながら警戒を促した。
それを聞いて上級騎士達は慌てたように予備の聖水で剣を清めている。
エリオットは、目を見開いて立ち尽くしていた。
──不死魔獣? これが……? さっきのあれで終わりじゃ無かったのか?
事前に団長であるディラン・アグレアス伯爵から聞かされていた内容には、こんな物の話はひとつも無かった。
──聖剣も無しに、これとどうやって戦えと……。
心臓は嫌な音を立て、背筋が冷えていく。
「……エリオット、お前も今のうちに聖水を」
横から周囲を気にするように抑えられたロイドの声がした。肩を叩かれ我に返り、聖剣の模造剣をすぐさま聖水で清める。
急な出来事に、皆あの化け物に気を取られ、エリオットの些細な行動など気にも掛けていないのは、果たして幸いなのだろうか。指先が酷く震えた。
模造剣は魔術師の魔法で淡く光らせているだけの、見た目だけ似せた、ただの剣でしか無い。
ふいに岩壁が崩れるような大きな音がした。音の方角に目をやれば、赤黒い巨大な触手にも似たものが、貴賓席の一角を叩き壊していた。
「まずいぞ、あちらには陛下も居る。迎撃体勢を取れ!」
上級騎士の誰かが叫ぶ声がして、周囲が動き始める。しかし、誰もが戸惑いに満ちて動きには迷いがある。
「迎撃って、どうする? これ、どこが頭なんだ?」
「これって、竜型の大型不死魔獣か……? ここからじゃ頭がよく見えない……」
仲間達の戸惑いの声が聞こえる。
あの触手じみたものの本体がこの目の前に突き出している大型の不死魔獣ならば、頭さえ落としてしまえば討伐は出来る。しかし見た事も無い姿をした存在に、不安ばかり広がった。
「ひとまず、貴賓席からこちらに引き付けましょう!」
上級騎士マーカスが、そう叫ぶと数名の騎士と共に回り込んで威嚇攻撃を試みた。
しかし、勢い良く斬りつけたマーカスの剣の刃先が、直後に白く煙を吐いたかと思えば、ぼろりと崩れた。
「え……っ!?」
「どうした!? 何が起こった!?」
「こ、これ、竜型不死魔獣じゃありません! 何だこれ……粘性魔菌か……?」
斬られた部分がどろりと溶けだす様と、マーカスの剣の有様に、騎士達は更に動揺の色を濃くした。
「マーカス、お前、その剣……。もしかしてこれ、鉄食いじゃないか……?」
マーカスの剣は、刀身が赤茶色にぼろぼろになって半分欠けている。鉄食いスライムは文字通り、鉄を腐食させそれを餌とする粘性魔菌の事だ。粘液自体は人間に大きな害は無いが、その性質から、騎士が相手にしてどうにかなるものでも無い。
「じゃあこれって、不死化した鉄食いスライムの塊って事ですか……!? そ、そんなもの、一体どうやって倒すんだ……」
マーカス達は青ざめた顔をして、巨大なそれを見上げた。
もぞりと表面が波打つように動いたかと思えば、鉄食いの不死スライムの形作る巨大な柱が、傾きをこちら側に変えた。
「……来るぞ!」
どう対処していいのかもわからないまま、騎士達は剣を構える。
ぐらりと足元がまた揺れたかと思えば、近くの床が崩れて一回り小さな塊が床下から伸びて来た。もはや、応戦というよりも、その場の誰もが身を守る為に剣を構えているのと変わらない。
ミミズのような形をした巨大な塊がぐにゃりと形を歪めて、エリオットや上級騎士達の居る場に迫ってくる。
頭上のその光景の向こう、高台になっている貴賓席に、心配そうに顔を覗かせるエミリーの姿が見えた。その後ろには国王と宰相、高位貴族や富裕層の観客まで誰もが固唾を飲んでこちらを見ている。視界の外にいる民衆も、今きっと誰もがこちらを見ているだのろう。
そもそも、騎士がどうにかして戦える相手では到底ない。剣を抜かずに後退して距離を稼ぐべきだと頭の中では思考しても、長く剣を握って来た身体に染み付いた癖のようなものなのか、身を守る為に構えてしまったのだ。
「エリオット……!!」
誰かが名を呼ぶ声が響いた。身を案ずる色の中に、しかしどこか期待も混じる声だ。
赤黒い、鉄食いの不死スライムの塊は、分裂するように細く枝分かれして、エリオット目掛けてその一端を振り下ろす。無意識に身体が動いて、剣で斬り弾いて、その軌道を変えようとした。
その結果起こる事など、わかっていたはずなのに。
ジュッと熱した鉄に水を掛けたような音がして、魔術で淡く光る、聖剣を模した模造剣から白く煙が上がる。
振りぬいたその剣は、蝕まれるように赤茶に色を変え、その刃はぼろぼろと脆く崩れて行った。
──ああ、もう……、何もかも、終わりだ。
絶望したような叫び声が聞こえた気がした。自分のもののようにすら思える。
大勢の目の前で、喪失は、最悪な形で露呈したのだ。
不死スライムの塊は、何かを破壊するわけでもなく、突如溶けるように形を失くし、水のようにどぶりと辺り一帯の全てを飲み込んだ。粘性の液体に囚われて、思うように動く事が出来ない。
顔を動かす事も出来ないが、辛うじて呼吸は出来た。視界の先には貴賓席が見えて、恐怖と絶望に顔を歪めて何か叫んでいるエミリーが見える。その隣に、上機嫌で笑っているアグレアス伯爵が居た。
声は聞こえないほどに距離があるはずなのに、耳障りな程声を上げて笑っているのが理解できた。
──結局、俺は、最後まで間違えたのか。
身動きも取れないまま真っ暗な絶望の底に落ちて行く。いや、そもそも随分と前から、這い上がる事も出来ないような深い穴の底に居たのではないか。愚かにも嘘で塗り固めて、気付かないふりをしていただけだ。
それでも積み上げてきた鍛錬と、魔獣との戦いを切り抜けてきた勘も働いて、即座に後退し防御姿勢を取れたのは幸いだっただろうか。
「これは、一体……っ」
「気を付けてください! どうやらこれも不死魔獣のようです……!」
すぐ傍に居た聖職者が結界を展開しながら警戒を促した。
それを聞いて上級騎士達は慌てたように予備の聖水で剣を清めている。
エリオットは、目を見開いて立ち尽くしていた。
──不死魔獣? これが……? さっきのあれで終わりじゃ無かったのか?
事前に団長であるディラン・アグレアス伯爵から聞かされていた内容には、こんな物の話はひとつも無かった。
──聖剣も無しに、これとどうやって戦えと……。
心臓は嫌な音を立て、背筋が冷えていく。
「……エリオット、お前も今のうちに聖水を」
横から周囲を気にするように抑えられたロイドの声がした。肩を叩かれ我に返り、聖剣の模造剣をすぐさま聖水で清める。
急な出来事に、皆あの化け物に気を取られ、エリオットの些細な行動など気にも掛けていないのは、果たして幸いなのだろうか。指先が酷く震えた。
模造剣は魔術師の魔法で淡く光らせているだけの、見た目だけ似せた、ただの剣でしか無い。
ふいに岩壁が崩れるような大きな音がした。音の方角に目をやれば、赤黒い巨大な触手にも似たものが、貴賓席の一角を叩き壊していた。
「まずいぞ、あちらには陛下も居る。迎撃体勢を取れ!」
上級騎士の誰かが叫ぶ声がして、周囲が動き始める。しかし、誰もが戸惑いに満ちて動きには迷いがある。
「迎撃って、どうする? これ、どこが頭なんだ?」
「これって、竜型の大型不死魔獣か……? ここからじゃ頭がよく見えない……」
仲間達の戸惑いの声が聞こえる。
あの触手じみたものの本体がこの目の前に突き出している大型の不死魔獣ならば、頭さえ落としてしまえば討伐は出来る。しかし見た事も無い姿をした存在に、不安ばかり広がった。
「ひとまず、貴賓席からこちらに引き付けましょう!」
上級騎士マーカスが、そう叫ぶと数名の騎士と共に回り込んで威嚇攻撃を試みた。
しかし、勢い良く斬りつけたマーカスの剣の刃先が、直後に白く煙を吐いたかと思えば、ぼろりと崩れた。
「え……っ!?」
「どうした!? 何が起こった!?」
「こ、これ、竜型不死魔獣じゃありません! 何だこれ……粘性魔菌か……?」
斬られた部分がどろりと溶けだす様と、マーカスの剣の有様に、騎士達は更に動揺の色を濃くした。
「マーカス、お前、その剣……。もしかしてこれ、鉄食いじゃないか……?」
マーカスの剣は、刀身が赤茶色にぼろぼろになって半分欠けている。鉄食いスライムは文字通り、鉄を腐食させそれを餌とする粘性魔菌の事だ。粘液自体は人間に大きな害は無いが、その性質から、騎士が相手にしてどうにかなるものでも無い。
「じゃあこれって、不死化した鉄食いスライムの塊って事ですか……!? そ、そんなもの、一体どうやって倒すんだ……」
マーカス達は青ざめた顔をして、巨大なそれを見上げた。
もぞりと表面が波打つように動いたかと思えば、鉄食いの不死スライムの形作る巨大な柱が、傾きをこちら側に変えた。
「……来るぞ!」
どう対処していいのかもわからないまま、騎士達は剣を構える。
ぐらりと足元がまた揺れたかと思えば、近くの床が崩れて一回り小さな塊が床下から伸びて来た。もはや、応戦というよりも、その場の誰もが身を守る為に剣を構えているのと変わらない。
ミミズのような形をした巨大な塊がぐにゃりと形を歪めて、エリオットや上級騎士達の居る場に迫ってくる。
頭上のその光景の向こう、高台になっている貴賓席に、心配そうに顔を覗かせるエミリーの姿が見えた。その後ろには国王と宰相、高位貴族や富裕層の観客まで誰もが固唾を飲んでこちらを見ている。視界の外にいる民衆も、今きっと誰もがこちらを見ているだのろう。
そもそも、騎士がどうにかして戦える相手では到底ない。剣を抜かずに後退して距離を稼ぐべきだと頭の中では思考しても、長く剣を握って来た身体に染み付いた癖のようなものなのか、身を守る為に構えてしまったのだ。
「エリオット……!!」
誰かが名を呼ぶ声が響いた。身を案ずる色の中に、しかしどこか期待も混じる声だ。
赤黒い、鉄食いの不死スライムの塊は、分裂するように細く枝分かれして、エリオット目掛けてその一端を振り下ろす。無意識に身体が動いて、剣で斬り弾いて、その軌道を変えようとした。
その結果起こる事など、わかっていたはずなのに。
ジュッと熱した鉄に水を掛けたような音がして、魔術で淡く光る、聖剣を模した模造剣から白く煙が上がる。
振りぬいたその剣は、蝕まれるように赤茶に色を変え、その刃はぼろぼろと脆く崩れて行った。
──ああ、もう……、何もかも、終わりだ。
絶望したような叫び声が聞こえた気がした。自分のもののようにすら思える。
大勢の目の前で、喪失は、最悪な形で露呈したのだ。
不死スライムの塊は、何かを破壊するわけでもなく、突如溶けるように形を失くし、水のようにどぶりと辺り一帯の全てを飲み込んだ。粘性の液体に囚われて、思うように動く事が出来ない。
顔を動かす事も出来ないが、辛うじて呼吸は出来た。視界の先には貴賓席が見えて、恐怖と絶望に顔を歪めて何か叫んでいるエミリーが見える。その隣に、上機嫌で笑っているアグレアス伯爵が居た。
声は聞こえないほどに距離があるはずなのに、耳障りな程声を上げて笑っているのが理解できた。
──結局、俺は、最後まで間違えたのか。
身動きも取れないまま真っ暗な絶望の底に落ちて行く。いや、そもそも随分と前から、這い上がる事も出来ないような深い穴の底に居たのではないか。愚かにも嘘で塗り固めて、気付かないふりをしていただけだ。
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