44 / 91
44.蝕むもの
しおりを挟む
エリオット達は騎士団の詰め所で会議に出席していた。
数日前にライオネル・オリアス・ヴィニアデルの王国騎士団長退任と、ディラン・アグレアス・ジエメルドの後継就任が告示され、初めこそ団内の困惑が大きかったが今は落ち着きを取り戻している。
ジエメルド公爵家が、古くから騎士団員達への積極的な後援をしていたのも功を奏したようだ。貴族家の生まれであっても嫡子でない者が多く居て、北の誇り高き騎士団を持つ公爵家から直々に目に掛けて貰った事に、恩義を感じている騎士は殊の外多い。
王国北部ではやはり、ウレリ川沿岸に単発的な不死魔獣の目撃情報が上がって来ていた。
「聖騎士にばかり武勲を与えていては、騎士団全体の士気が偏ってしまいますので。こんな時こそ、なかなか日の目を見ない他の騎士達にも栄誉を与える良い機会だと、私は考えているのですよ」
アグレアス伯がそう口にすれば、その場に居た宰相も騎士達も納得している。見知った顔の上級騎士達は自身の活躍の場とあって高揚していた。
会議を終えて、エリオットとロイドは共に王城の部屋に戻った。エリオットは現在の名目上は副団長という立場だが、アグレアス伯から疲れを取り英気を養えと労いを受け、当面は表に出ないで済むように計らわれた。
「まったく、あの方の能弁は流石だな。マーカスもリチャードも、見せ場だと張り切っていたぞ……。まぁ単体の不死魔獣討伐なら、彼らで不足はないのは事実だしな」
ロイドの軽口に、エリオットは肩の力を抜いて頷く。
「これで少しは、先の事をどうするか、考える時間が持てるだろう。……ところで、彼女には聖剣の事を話したのか?」
「いいや、まだだ……。俺が器を欠いたがために聖剣が損なわれたなどと、祈ってくれたエミリーを前にしては、どうしても、言い出せなくて……」
詰まらない見栄だと頭でわかっていても、喪失したものが持つ価値のあまりの大きさに、それを言葉にするには恐ろしく勇気が必要だった。果たして器を取り戻せるのかも曖昧なままでは、打ち明けられない程に。
「そうか……。最近の彼女は、毎日聖堂に籠って熱心に祈っていると聞いたからな。てっきりお前が打ち明けたのかと」
「エミリーはよく気が付くからな。何かを察してくれたのかもしれない。……彼女は、戦場でもそうだったろう」
そう答えると、エリオットは肩の力を抜いて緩く笑みを零す。
脳裏にあるのは、エリオットが負ったどんな小さな傷でもすぐに気が付いて、真っ先に駆けて来て、眩しい笑みと共に治癒と浄化をしてくれる戦場でのエミリーだ。
「はは……惚気か。聖騎士が特別だっただけだろうに……」
ロイドの呟きは小さく消えた。
「結婚式まであとひと月半だったか。それまで彼女に憂いは与えたくないという気持ちは、まぁ……理解できない事も無い。女性にとっては特別な事だろう? お前は二度目で、慣れたものかもしれないが」
軽い口調で、それこそ親しい仲の他愛ない放談のつもりで、ロイドはそれを口にしたのだろう。しかしエリオットは、上手く笑って頷く事が出来なかった。
──二度目の……? いいや、一度目なんて、そんなものは…………無かった。
言葉には出来なかった。急に酷い罪悪感が湧いて来たからだ。
遠い記憶に蓋をして、忘れて去っていた事が、脳裏に次々と浮かんでは消える。
あれは仕方が無かった。急な出征命令で、時間が無かった。
あの時は、諦めるしか無かった。
生きて無事に戻ったら、などと。
そんな約束は、果たされないまま、消えてしまった。
ドレスを縫っていた。仕事を終えた後に、遅くまで。
袖を通す事も無いまま、あのドレスはどうしたのか。
頭に浮かぶ記憶と言葉に、抗うように頭を振った。それは己の栄光と引き換えに捨てたもの、もう終わってしまった事なのだと、心のうちで繰り返してみても、せり上がる吐き気は、忘れていた自分自身への嫌悪にも似ていた。
栄光に酔いしれるうちに遠ざけてしまったものは、二度と元には戻らない。
王城の、与えられた部屋の隅にあるクロゼットを一瞥し、すぐに目を逸らして俯いた。そこには、刃の毀れたあの剣が、布に包まれて仕舞い込まれている。
それを直視して正気でいる事が、出来なかったからだ。
数日前にライオネル・オリアス・ヴィニアデルの王国騎士団長退任と、ディラン・アグレアス・ジエメルドの後継就任が告示され、初めこそ団内の困惑が大きかったが今は落ち着きを取り戻している。
ジエメルド公爵家が、古くから騎士団員達への積極的な後援をしていたのも功を奏したようだ。貴族家の生まれであっても嫡子でない者が多く居て、北の誇り高き騎士団を持つ公爵家から直々に目に掛けて貰った事に、恩義を感じている騎士は殊の外多い。
王国北部ではやはり、ウレリ川沿岸に単発的な不死魔獣の目撃情報が上がって来ていた。
「聖騎士にばかり武勲を与えていては、騎士団全体の士気が偏ってしまいますので。こんな時こそ、なかなか日の目を見ない他の騎士達にも栄誉を与える良い機会だと、私は考えているのですよ」
アグレアス伯がそう口にすれば、その場に居た宰相も騎士達も納得している。見知った顔の上級騎士達は自身の活躍の場とあって高揚していた。
会議を終えて、エリオットとロイドは共に王城の部屋に戻った。エリオットは現在の名目上は副団長という立場だが、アグレアス伯から疲れを取り英気を養えと労いを受け、当面は表に出ないで済むように計らわれた。
「まったく、あの方の能弁は流石だな。マーカスもリチャードも、見せ場だと張り切っていたぞ……。まぁ単体の不死魔獣討伐なら、彼らで不足はないのは事実だしな」
ロイドの軽口に、エリオットは肩の力を抜いて頷く。
「これで少しは、先の事をどうするか、考える時間が持てるだろう。……ところで、彼女には聖剣の事を話したのか?」
「いいや、まだだ……。俺が器を欠いたがために聖剣が損なわれたなどと、祈ってくれたエミリーを前にしては、どうしても、言い出せなくて……」
詰まらない見栄だと頭でわかっていても、喪失したものが持つ価値のあまりの大きさに、それを言葉にするには恐ろしく勇気が必要だった。果たして器を取り戻せるのかも曖昧なままでは、打ち明けられない程に。
「そうか……。最近の彼女は、毎日聖堂に籠って熱心に祈っていると聞いたからな。てっきりお前が打ち明けたのかと」
「エミリーはよく気が付くからな。何かを察してくれたのかもしれない。……彼女は、戦場でもそうだったろう」
そう答えると、エリオットは肩の力を抜いて緩く笑みを零す。
脳裏にあるのは、エリオットが負ったどんな小さな傷でもすぐに気が付いて、真っ先に駆けて来て、眩しい笑みと共に治癒と浄化をしてくれる戦場でのエミリーだ。
「はは……惚気か。聖騎士が特別だっただけだろうに……」
ロイドの呟きは小さく消えた。
「結婚式まであとひと月半だったか。それまで彼女に憂いは与えたくないという気持ちは、まぁ……理解できない事も無い。女性にとっては特別な事だろう? お前は二度目で、慣れたものかもしれないが」
軽い口調で、それこそ親しい仲の他愛ない放談のつもりで、ロイドはそれを口にしたのだろう。しかしエリオットは、上手く笑って頷く事が出来なかった。
──二度目の……? いいや、一度目なんて、そんなものは…………無かった。
言葉には出来なかった。急に酷い罪悪感が湧いて来たからだ。
遠い記憶に蓋をして、忘れて去っていた事が、脳裏に次々と浮かんでは消える。
あれは仕方が無かった。急な出征命令で、時間が無かった。
あの時は、諦めるしか無かった。
生きて無事に戻ったら、などと。
そんな約束は、果たされないまま、消えてしまった。
ドレスを縫っていた。仕事を終えた後に、遅くまで。
袖を通す事も無いまま、あのドレスはどうしたのか。
頭に浮かぶ記憶と言葉に、抗うように頭を振った。それは己の栄光と引き換えに捨てたもの、もう終わってしまった事なのだと、心のうちで繰り返してみても、せり上がる吐き気は、忘れていた自分自身への嫌悪にも似ていた。
栄光に酔いしれるうちに遠ざけてしまったものは、二度と元には戻らない。
王城の、与えられた部屋の隅にあるクロゼットを一瞥し、すぐに目を逸らして俯いた。そこには、刃の毀れたあの剣が、布に包まれて仕舞い込まれている。
それを直視して正気でいる事が、出来なかったからだ。
4,967
お気に入りに追加
10,352
あなたにおすすめの小説
どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします
文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。
夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。
エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。
「ゲルハルトさま、愛しています」
ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。
「エレーヌ、俺はあなたが憎い」
エレーヌは凍り付いた。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
6年後に戦地から帰ってきた夫が連れてきたのは妻という女だった
白雲八鈴
恋愛
私はウォルス侯爵家に15歳の時に嫁ぎ婚姻後、直ぐに夫は魔王討伐隊に出兵しました。6年後、戦地から夫が帰って来ました、妻という女を連れて。
もういいですか。私はただ好きな物を作って生きていいですか。この国になんて出ていってやる。
ただ、皆に喜ばれる物を作って生きたいと願う女性がその才能に目を付けられ周りに翻弄されていく。彼女は自由に物を作れる道を歩むことが出来るのでしょうか。
番外編
謎の少女強襲編
彼女が作り出した物は意外な形で人々を苦しめていた事を知り、彼女は再び帝国の地を踏むこととなる。
私が成した事への清算に行きましょう。
炎国への旅路編
望んでいた炎国への旅行に行く事が出来ない日々を送っていたが、色々な人々の手を借りながら炎国のにたどり着くも、そこにも帝国の影が・・・。
え?なんで私に誰も教えてくれなかったの?そこ大事ー!
*本編は完結済みです。
*誤字脱字は程々にあります。
*なろう様にも投稿させていただいております。
お飾り王妃の愛と献身
石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。
けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。
ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。
国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
うーん、別に……
柑橘 橙
恋愛
「婚約者はお忙しいのですね、今日もお一人ですか?」
と、言われても。
「忙しい」「後にしてくれ」って言うのは、むこうなんだけど……
あれ?婚約者、要る?
とりあえず、長編にしてみました。
結末にもやっとされたら、申し訳ありません。
お読みくださっている皆様、ありがとうございます。
誤字を訂正しました。
現在、番外編を掲載しています。
仲良くとのメッセージが多かったので、まずはこのようにしてみました。
後々第二王子が苦労する話も書いてみたいと思います。
☆☆辺境合宿編をはじめました。
ゆっくりゆっくり更新になると思いますが、お読みくださると、嬉しいです。
辺境合宿編は、王子視点が増える予定です。イラっとされたら、申し訳ありません。
☆☆☆誤字脱字をおしえてくださる方、ありがとうございます!
☆☆☆☆感想をくださってありがとうございます。公開したくない感想は、承認不要とお書きください。
よろしくお願いいたします。
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる