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35.兄と弟②
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「フローラさん、せっかくだ。少し傍に居てやってくれないか」
「……は、はい。で、ではお邪魔いたします」
ライオネル様の勧めで、お隣に椅子を置かせてもらい眠るギルバートさんの傍に腰を降ろしました。ですが、妙にそわそわしてしまいます。名を呼ばれていた、というのが気になってしまい……夢にまで、お邪魔しているのでしょうか。
心を落ち着かせようと深呼吸していると、ライオネル様がギルバートさんの利き手を、その手に取りました。
「……ギルバートが剣を持てなくなったのは、俺のせいなんだ」
低く穏やかな、けれども悔いるような声でライオネル様は呟き、それから二年前にあった事を話し始めました。
「南部国境付近で、隣国から流れて来た賊が棲みついて暴れていてね。制圧に向かったんだが、途中で折悪しく別方向に魔獣の群れが現れた。我が国はまだ、離れた距離の情報の伝達が遅いからな……その隙を利用されて、嵌められたんだ」
ドルフさんも、わたくしも、部屋に居た聖職者様や傭兵の方々も、黙って話を聞いています。しんと静まった部屋に、ライオネル様の声がぽつりぽつりと紡がれます。
「……俺を庇って、利き腕を負傷したまま魔獣に張り付いて、そのまま行方がわからなくなった。幸い生命力は逞しかったようでな、何とか生き延びていて、七日後にようやく救助は出来たんだが……」
「そのせいで、治癒魔法が遅れたのですね」
聖職者様がそっと補足してくださいました。
治癒魔法は、長く時間が経って歪んだ状態で自然回復してしまった分は、元には戻せないのだそうです。
ライオネル様が苦しそうに頷きます。腕を組み、目を閉じて聞いていたドルフさんが長く息を吐きました。
「こやつの性分だな。今回も、一つ間違えば危なかった……」
それを聞いて、わたくしも膝に置いた手を握り込んでしまいました。あの閃光の直前、赤黒い不死魔獣の波が目前に迫るギルバートさんを見た一瞬、胸に沸いたのは、とても覚えのある痛みでした。結果として無事であったからこそ、今は薄れているもの。
ライオネル様が、ギルバートさんの手を慈しむように撫でて、苦笑いを浮かべます。
「感謝は当然ある。だが本当なら、行き過ぎた自己犠牲は時に周囲を悲しませるのだと、叱ってやりたいが。何せ俺はそれで救われた身だ。迂闊な言葉は、こいつの心を傷つけて損ねてしまう」
そう言って、ギルバートさんの手を元の位置に戻し、息を吐きました。
「誰かを守る為に咄嗟に動けるのは、ギルバートの美徳でもあるからな……だからこそ、その先で自分を守り、生きて帰りたい理由が、一つでも多く増えて欲しい。そう願っていた」
それからライオネル様は、わたくしの方を向いて、どこか嬉しそうに笑みを浮かべました。
「フローラさん、君は──……」
「ライオネル、それこそ迂闊じゃ。先走っては異母弟に嫌われるぞ」
「む、……そうだな、すまない」
言いかけた言葉をドルフさんに遮られて、ライオネル様は焦った顔をして頭を掻いています。何を言われようとしたのか気になって、こちらも少しそわそわしてしまいます。
それからドルフさんは、わたくしの方に何やら目配せしてきました。
「フローラちゃん、ライオネルに話しておくか? 無理はせんでいいが、後回しにするよりは……」
ドルフさんの言葉に、鍛冶職人の村でギルバートさんが語っていた話を思い出して、小さく息を飲んでしまいました。
──責任を、感じていらっしゃるのだと。言うべきかしら。でも、もう終わった事……。
わずか十日あまり前の、近くて遠い記憶。皆さんと過ごすうちにもう随分と遠くに押しやられてしまって、今更言葉にするのも気が引けます。
だけど後からどこかで耳に入るよりも、今打ち明けてしまった方が、互いに憂いが無くなるような、そんな気がします。
この場には聖職者様や傭兵さん達も居ますが、いずれどこかかから耳に入るのであれば同じ事。
「わたくしは十日ほど前まで、英雄とされる方の、妻の立場に居りました。今はもう、違いますが……」
「君が……」
ライオネル様は目を見開き驚かれた後で、勢いよく頭を下げてしまいました。
「貴女には、ずっと謝罪したいと思っていた」
「いえ、もう、それはいいのです……もう全て、終わった事ですから」
頭を下げさせている事に少し焦ってしまいますが、こればかりはもう変えようのない事実です。
「……俺は、あいつが妻帯者である事を知っていて、見て見ぬふりをした。戦況を優先し、結果として貴女の名誉も心も、傷つけた責の一旦は俺にもある」
まっすぐに自責とその謝罪の言葉を口にされるライオネル様に、何と答えたものか。
「……いや、これ以上の謝罪は俺の自己満足になってしまうな。貴女の心を余計に傷つける……」
「いいえ、お心遣いをありがとうございます。どうかお気になさらないでください。……こうして気に掛けていただけただけで、充分です」
それからわたくしは努めて笑みを作りました。
「あの人は、嘘を吐くのが不得手でしたから。その口から言葉にされた時点で、もう、全てが終わっていた事です」
遠くに行ってしまったと、そう思っていた記憶は、それでも消えて無くなるわけでもないのでしょう。少しだけ言葉が震えてしまいました。膝の上で握った手も。
そのままぎゅっと震える手を握りしめていたら、すぐそばにあった毛布が跳ね上がって、ギルバートさんが急に起き上がって、わたくしの手に手を重ねるように握りました。
突然の出来事に、部屋に居た全員の視線がギルバートさんに向かいます。
「……ギルバート、おぬし、起きておったのか?」
「あっ、えっと、その、だな……」
ギルバートさんは、わたくしと目を合わせた後で、口を開いたり閉じたりしています。それからわたくしの後ろに居るライオネル様に視線を合わせると、慌てたように手を離して毛布を被ってしまいました。
「ギルバート、今更寝たふりをしても、もう遅いぞ……」
ライオネル様が笑いながら声を掛けますが、ギルバートさんは毛布を被ったままベッドで丸くなっています。なんだか少しぷるぷると震えているようです。
ギルバートさんの行動は何とも不思議でしたが、お陰で強張っていたものが解けたような、そんな気がします。
「……は、はい。で、ではお邪魔いたします」
ライオネル様の勧めで、お隣に椅子を置かせてもらい眠るギルバートさんの傍に腰を降ろしました。ですが、妙にそわそわしてしまいます。名を呼ばれていた、というのが気になってしまい……夢にまで、お邪魔しているのでしょうか。
心を落ち着かせようと深呼吸していると、ライオネル様がギルバートさんの利き手を、その手に取りました。
「……ギルバートが剣を持てなくなったのは、俺のせいなんだ」
低く穏やかな、けれども悔いるような声でライオネル様は呟き、それから二年前にあった事を話し始めました。
「南部国境付近で、隣国から流れて来た賊が棲みついて暴れていてね。制圧に向かったんだが、途中で折悪しく別方向に魔獣の群れが現れた。我が国はまだ、離れた距離の情報の伝達が遅いからな……その隙を利用されて、嵌められたんだ」
ドルフさんも、わたくしも、部屋に居た聖職者様や傭兵の方々も、黙って話を聞いています。しんと静まった部屋に、ライオネル様の声がぽつりぽつりと紡がれます。
「……俺を庇って、利き腕を負傷したまま魔獣に張り付いて、そのまま行方がわからなくなった。幸い生命力は逞しかったようでな、何とか生き延びていて、七日後にようやく救助は出来たんだが……」
「そのせいで、治癒魔法が遅れたのですね」
聖職者様がそっと補足してくださいました。
治癒魔法は、長く時間が経って歪んだ状態で自然回復してしまった分は、元には戻せないのだそうです。
ライオネル様が苦しそうに頷きます。腕を組み、目を閉じて聞いていたドルフさんが長く息を吐きました。
「こやつの性分だな。今回も、一つ間違えば危なかった……」
それを聞いて、わたくしも膝に置いた手を握り込んでしまいました。あの閃光の直前、赤黒い不死魔獣の波が目前に迫るギルバートさんを見た一瞬、胸に沸いたのは、とても覚えのある痛みでした。結果として無事であったからこそ、今は薄れているもの。
ライオネル様が、ギルバートさんの手を慈しむように撫でて、苦笑いを浮かべます。
「感謝は当然ある。だが本当なら、行き過ぎた自己犠牲は時に周囲を悲しませるのだと、叱ってやりたいが。何せ俺はそれで救われた身だ。迂闊な言葉は、こいつの心を傷つけて損ねてしまう」
そう言って、ギルバートさんの手を元の位置に戻し、息を吐きました。
「誰かを守る為に咄嗟に動けるのは、ギルバートの美徳でもあるからな……だからこそ、その先で自分を守り、生きて帰りたい理由が、一つでも多く増えて欲しい。そう願っていた」
それからライオネル様は、わたくしの方を向いて、どこか嬉しそうに笑みを浮かべました。
「フローラさん、君は──……」
「ライオネル、それこそ迂闊じゃ。先走っては異母弟に嫌われるぞ」
「む、……そうだな、すまない」
言いかけた言葉をドルフさんに遮られて、ライオネル様は焦った顔をして頭を掻いています。何を言われようとしたのか気になって、こちらも少しそわそわしてしまいます。
それからドルフさんは、わたくしの方に何やら目配せしてきました。
「フローラちゃん、ライオネルに話しておくか? 無理はせんでいいが、後回しにするよりは……」
ドルフさんの言葉に、鍛冶職人の村でギルバートさんが語っていた話を思い出して、小さく息を飲んでしまいました。
──責任を、感じていらっしゃるのだと。言うべきかしら。でも、もう終わった事……。
わずか十日あまり前の、近くて遠い記憶。皆さんと過ごすうちにもう随分と遠くに押しやられてしまって、今更言葉にするのも気が引けます。
だけど後からどこかで耳に入るよりも、今打ち明けてしまった方が、互いに憂いが無くなるような、そんな気がします。
この場には聖職者様や傭兵さん達も居ますが、いずれどこかかから耳に入るのであれば同じ事。
「わたくしは十日ほど前まで、英雄とされる方の、妻の立場に居りました。今はもう、違いますが……」
「君が……」
ライオネル様は目を見開き驚かれた後で、勢いよく頭を下げてしまいました。
「貴女には、ずっと謝罪したいと思っていた」
「いえ、もう、それはいいのです……もう全て、終わった事ですから」
頭を下げさせている事に少し焦ってしまいますが、こればかりはもう変えようのない事実です。
「……俺は、あいつが妻帯者である事を知っていて、見て見ぬふりをした。戦況を優先し、結果として貴女の名誉も心も、傷つけた責の一旦は俺にもある」
まっすぐに自責とその謝罪の言葉を口にされるライオネル様に、何と答えたものか。
「……いや、これ以上の謝罪は俺の自己満足になってしまうな。貴女の心を余計に傷つける……」
「いいえ、お心遣いをありがとうございます。どうかお気になさらないでください。……こうして気に掛けていただけただけで、充分です」
それからわたくしは努めて笑みを作りました。
「あの人は、嘘を吐くのが不得手でしたから。その口から言葉にされた時点で、もう、全てが終わっていた事です」
遠くに行ってしまったと、そう思っていた記憶は、それでも消えて無くなるわけでもないのでしょう。少しだけ言葉が震えてしまいました。膝の上で握った手も。
そのままぎゅっと震える手を握りしめていたら、すぐそばにあった毛布が跳ね上がって、ギルバートさんが急に起き上がって、わたくしの手に手を重ねるように握りました。
突然の出来事に、部屋に居た全員の視線がギルバートさんに向かいます。
「……ギルバート、おぬし、起きておったのか?」
「あっ、えっと、その、だな……」
ギルバートさんは、わたくしと目を合わせた後で、口を開いたり閉じたりしています。それからわたくしの後ろに居るライオネル様に視線を合わせると、慌てたように手を離して毛布を被ってしまいました。
「ギルバート、今更寝たふりをしても、もう遅いぞ……」
ライオネル様が笑いながら声を掛けますが、ギルバートさんは毛布を被ったままベッドで丸くなっています。なんだか少しぷるぷると震えているようです。
ギルバートさんの行動は何とも不思議でしたが、お陰で強張っていたものが解けたような、そんな気がします。
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