16 / 91
16.違和感③
しおりを挟む
その場には重い沈黙が降りた。
エリオットは己の手元を視界に入れると、困惑の色を濃くし、更に呼吸を乱れさせた。足は地に縫い付けられたように動かず、口を開いても、荒れた息が見苦しく溢れるばかりで、声にはならない。
ロイドもまた、固まった姿勢のまま動けずにいた。昨日までは想像もしていなかった光景に、頭が回らない。
この場に、エリオットとロイド、そしてパウエルの三人しか居合わせなかったのがせめてもの救いだ。大勢がここに居たら、大きな混乱が起きていた事だろう。
沈黙を破ったのは、ロイドに掛けられた司教パウエルの声だった。
「おぬし……名は確かロイドといったな?」
「……はい」
二人の様子を見て、パウエルは何事があったかを察したのだろう。ロイドの視線の先を同じく見つめている。
「一つ、尋ねるが、……理由に心当たりはあるか?」
その冷静な声音に、ロイドは漸く我に返ったものの、首を横に振るばかりだ。
「……ふむ。陛下には、いや他の者にも、まだ悟られぬ方が良いな。おぬしらとて、理由もわからぬのに、質問攻めにされては敵わんだろう」
「ええ、……その通りです」
低く声を絞り出したロイドは、応えると再びエリオットに視線を向けた。エリオットは今も蒼白な顔を困惑に染めて、立ち尽くしている。
「お前たち二人は少しここに居なさい。他の者は適当に言い繕って先に帰らせよう」
パウエルはそう告げると、高齢である事を感じさせない機敏な動きで馬に跨り、国王や宰相の居る豪奢な馬車へと駆けて行った。
残されたロイドは、未だ平静には程遠いエリオットを、手近な岩場に座らせた。
エリオットは茫然自失の有り様で、声を掛けたところで反応も無い。
ひとまずは剣を鞘に納めねばと、握ったままの聖剣から手を解かせたが、そこでまた眉を顰めた。
──軽い……?
かつてエリオットが戦地で聖剣を得た時、彼以外が手にすると持ち上げられぬほど重くなったそれは、今は普通の剣と大差無い。それが意味するところを考えると、背筋が冷たくなる気がした。
ロイドとて、何故聖剣を手にしたのが自分ではなくエリオットなのかという劣等感や嫉妬が、過去に無かったわけではない。
だが今、こうして自分でも持ち上げられる事に喜びなど無く、言い知れない恐ろしさがあった。
鞘に吸い込まれゆく刀身は、刻まれたアイビーのレリーフすら薄れかけているように見えた。それにも気付かぬふりをして、平静を保つのが精いっぱいだ。
──何が起こった。どうして、こんな……。
そう口に出して問い詰めたくとも、目の前のエリオットの様子からすれば、彼自身も理解が及ばずに困惑しているのは明らかだ。
しばらくすると馬の蹄の音がして、司教パウエルが戻って来た。
「後始末と調査が必要、と言い含めておいた。まぁ、これについても幾らか調査が必要なのは事実だがな」
パウエルは先ほど倒した不死魔獣のなりそこないの遺骸に目をやり、顎に手をかけ思案顔をしている。
「……国王陛下は、何か言っておられましたか?」
「いいや。陛下も、他の者どもも、誰一人、全く気付いてはおらんな。だいぶ距離があったからな。水面の反射光を、聖剣の光だと思い込んでおる様子だったから、そのままにしておいたぞ」
パウエルは顔に皺を濃くして苦笑した。
年の功か、何を問うでも無く状況を察し、地位を活かして取り敢えずはこの場を凌いでくれたパウエルに、ロイドは安堵を覚えつつも縋るような目を向けた。
「パウエル様、お心遣い感謝します。それで、その……何か、ご存じの事はありませんか?」
パウエルは、眉尻を下げ困ったような顔で笑みを返し、静かに首を横に振った。
「……残念だが。何せ聖剣が前回顕現したのは、百十八年前だったか……儂の祖父の代だ。それも、この国ではない。南方の小国だと聞いている。尚悪いことに、こういった類の話はね、吉事以外は秘匿されがちだ。前例を調べるのも一筋縄ではいかんだろうな……」
「そう、ですか……」
項垂れるロイドに、パウエルは憐れみの目を向ける。
しばらく考えこんだ後で、腕を組み息を吐いた。
「……鋼の器が、大いなる加護を納める負荷に耐えきれなくなったか、あるいは加護が剥がれたか。前者であれば、まだ……」
パウエルが呟いた言葉に、ロイドは微かな希望を見出したように顔を上げた。
「ただの推測だ、期待はするな。だが、それを理解した上でなら……。王城の西門の傍に、古くから御用聞きの武器商人が居る。名はゴリアテだ。そこにその剣を持って行って、まずは尋ねてみなさい。奴なら何か手掛かりを知っておるかもしれん」
「はい……!」
光明を見たと言わんばかりのロイドの後ろで、俯き沈黙していたエリオットも漸く顔を上げていた。
すぐさま馬に跨り、急くように王城への帰途につく青年二人の、遠ざかる背を眺めながら、パウエルは長い溜息をついた。
「……儂とて、真に何ひとつわからないわけではないさ。一つだけだが、確信している事もある。だが……」
困惑の渦中のまま、一言も発せずに立ち去ったエリオットの顔を思い浮かべる。
「当の本人が、それにすら自ら気付けぬようであっては、──聖剣は、二度とその手に戻っては来るまい」
パウエルの呟きは誰の耳に届く事も無く、風に溶けた。
エリオットは己の手元を視界に入れると、困惑の色を濃くし、更に呼吸を乱れさせた。足は地に縫い付けられたように動かず、口を開いても、荒れた息が見苦しく溢れるばかりで、声にはならない。
ロイドもまた、固まった姿勢のまま動けずにいた。昨日までは想像もしていなかった光景に、頭が回らない。
この場に、エリオットとロイド、そしてパウエルの三人しか居合わせなかったのがせめてもの救いだ。大勢がここに居たら、大きな混乱が起きていた事だろう。
沈黙を破ったのは、ロイドに掛けられた司教パウエルの声だった。
「おぬし……名は確かロイドといったな?」
「……はい」
二人の様子を見て、パウエルは何事があったかを察したのだろう。ロイドの視線の先を同じく見つめている。
「一つ、尋ねるが、……理由に心当たりはあるか?」
その冷静な声音に、ロイドは漸く我に返ったものの、首を横に振るばかりだ。
「……ふむ。陛下には、いや他の者にも、まだ悟られぬ方が良いな。おぬしらとて、理由もわからぬのに、質問攻めにされては敵わんだろう」
「ええ、……その通りです」
低く声を絞り出したロイドは、応えると再びエリオットに視線を向けた。エリオットは今も蒼白な顔を困惑に染めて、立ち尽くしている。
「お前たち二人は少しここに居なさい。他の者は適当に言い繕って先に帰らせよう」
パウエルはそう告げると、高齢である事を感じさせない機敏な動きで馬に跨り、国王や宰相の居る豪奢な馬車へと駆けて行った。
残されたロイドは、未だ平静には程遠いエリオットを、手近な岩場に座らせた。
エリオットは茫然自失の有り様で、声を掛けたところで反応も無い。
ひとまずは剣を鞘に納めねばと、握ったままの聖剣から手を解かせたが、そこでまた眉を顰めた。
──軽い……?
かつてエリオットが戦地で聖剣を得た時、彼以外が手にすると持ち上げられぬほど重くなったそれは、今は普通の剣と大差無い。それが意味するところを考えると、背筋が冷たくなる気がした。
ロイドとて、何故聖剣を手にしたのが自分ではなくエリオットなのかという劣等感や嫉妬が、過去に無かったわけではない。
だが今、こうして自分でも持ち上げられる事に喜びなど無く、言い知れない恐ろしさがあった。
鞘に吸い込まれゆく刀身は、刻まれたアイビーのレリーフすら薄れかけているように見えた。それにも気付かぬふりをして、平静を保つのが精いっぱいだ。
──何が起こった。どうして、こんな……。
そう口に出して問い詰めたくとも、目の前のエリオットの様子からすれば、彼自身も理解が及ばずに困惑しているのは明らかだ。
しばらくすると馬の蹄の音がして、司教パウエルが戻って来た。
「後始末と調査が必要、と言い含めておいた。まぁ、これについても幾らか調査が必要なのは事実だがな」
パウエルは先ほど倒した不死魔獣のなりそこないの遺骸に目をやり、顎に手をかけ思案顔をしている。
「……国王陛下は、何か言っておられましたか?」
「いいや。陛下も、他の者どもも、誰一人、全く気付いてはおらんな。だいぶ距離があったからな。水面の反射光を、聖剣の光だと思い込んでおる様子だったから、そのままにしておいたぞ」
パウエルは顔に皺を濃くして苦笑した。
年の功か、何を問うでも無く状況を察し、地位を活かして取り敢えずはこの場を凌いでくれたパウエルに、ロイドは安堵を覚えつつも縋るような目を向けた。
「パウエル様、お心遣い感謝します。それで、その……何か、ご存じの事はありませんか?」
パウエルは、眉尻を下げ困ったような顔で笑みを返し、静かに首を横に振った。
「……残念だが。何せ聖剣が前回顕現したのは、百十八年前だったか……儂の祖父の代だ。それも、この国ではない。南方の小国だと聞いている。尚悪いことに、こういった類の話はね、吉事以外は秘匿されがちだ。前例を調べるのも一筋縄ではいかんだろうな……」
「そう、ですか……」
項垂れるロイドに、パウエルは憐れみの目を向ける。
しばらく考えこんだ後で、腕を組み息を吐いた。
「……鋼の器が、大いなる加護を納める負荷に耐えきれなくなったか、あるいは加護が剥がれたか。前者であれば、まだ……」
パウエルが呟いた言葉に、ロイドは微かな希望を見出したように顔を上げた。
「ただの推測だ、期待はするな。だが、それを理解した上でなら……。王城の西門の傍に、古くから御用聞きの武器商人が居る。名はゴリアテだ。そこにその剣を持って行って、まずは尋ねてみなさい。奴なら何か手掛かりを知っておるかもしれん」
「はい……!」
光明を見たと言わんばかりのロイドの後ろで、俯き沈黙していたエリオットも漸く顔を上げていた。
すぐさま馬に跨り、急くように王城への帰途につく青年二人の、遠ざかる背を眺めながら、パウエルは長い溜息をついた。
「……儂とて、真に何ひとつわからないわけではないさ。一つだけだが、確信している事もある。だが……」
困惑の渦中のまま、一言も発せずに立ち去ったエリオットの顔を思い浮かべる。
「当の本人が、それにすら自ら気付けぬようであっては、──聖剣は、二度とその手に戻っては来るまい」
パウエルの呟きは誰の耳に届く事も無く、風に溶けた。
6,655
お気に入りに追加
10,352
あなたにおすすめの小説
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
うーん、別に……
柑橘 橙
恋愛
「婚約者はお忙しいのですね、今日もお一人ですか?」
と、言われても。
「忙しい」「後にしてくれ」って言うのは、むこうなんだけど……
あれ?婚約者、要る?
とりあえず、長編にしてみました。
結末にもやっとされたら、申し訳ありません。
お読みくださっている皆様、ありがとうございます。
誤字を訂正しました。
現在、番外編を掲載しています。
仲良くとのメッセージが多かったので、まずはこのようにしてみました。
後々第二王子が苦労する話も書いてみたいと思います。
☆☆辺境合宿編をはじめました。
ゆっくりゆっくり更新になると思いますが、お読みくださると、嬉しいです。
辺境合宿編は、王子視点が増える予定です。イラっとされたら、申し訳ありません。
☆☆☆誤字脱字をおしえてくださる方、ありがとうございます!
☆☆☆☆感想をくださってありがとうございます。公開したくない感想は、承認不要とお書きください。
よろしくお願いいたします。
王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません
きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」
「正直なところ、不安を感じている」
久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー
激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。
アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。
第2幕、連載開始しました!
お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。
以下、1章のあらすじです。
アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。
表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。
常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。
それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。
サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。
しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。
盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。
アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?
里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます
結城芙由奈
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります>
政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・?
※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
【R18】義弟ディルドで処女喪失したらブチギレた義弟に襲われました
春瀬湖子
恋愛
伯爵令嬢でありながら魔法研究室の研究員として日々魔道具を作っていたフラヴィの集大成。
大きく反り返り、凶悪なサイズと浮き出る血管。全てが想像以上だったその魔道具、名付けて『大好き義弟パトリスの魔道ディルド』を作り上げたフラヴィは、早速その魔道具でうきうきと処女を散らした。
――ことがディルドの大元、義弟のパトリスにバレちゃった!?
「その男のどこがいいんですか」
「どこって……おちんちん、かしら」
(だって貴方のモノだもの)
そんな会話をした晩、フラヴィの寝室へパトリスが夜這いにやってきて――!?
拗らせ義弟と魔道具で義弟のディルドを作って楽しんでいた義姉の両片想いラブコメです。
※他サイト様でも公開しております。
田舎娘をバカにした令嬢の末路
冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。
それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。
――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。
田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。
彼女がいなくなった6年後の話
こん
恋愛
今日は、彼女が死んでから6年目である。
彼女は、しがない男爵令嬢だった。薄い桃色でサラサラの髪、端正な顔にある2つのアーモンド色のキラキラと光る瞳には誰もが惹かれ、それは私も例外では無かった。
彼女の墓の前で、一通り遺書を読んで立ち上がる。
「今日で貴方が死んでから6年が経ったの。遺書に何を書いたか忘れたのかもしれないから、読み上げるわ。悪く思わないで」
何回も読んで覚えてしまった遺書の最後を一息で言う。
「「必ず、貴方に会いに帰るから。1人にしないって約束、私は破らない。」」
突然、私の声と共に知らない誰かの声がした。驚いて声の方を振り向く。そこには、見たことのない男性が立っていた。
※ガールズラブの要素は殆どありませんが、念の為入れています。最終的には男女です!
※なろう様にも掲載
お飾り王妃の愛と献身
石河 翠
恋愛
エスターは、お飾りの王妃だ。初夜どころか結婚式もない、王国存続の生贄のような結婚は、父親である宰相によって調えられた。国王は身分の低い平民に溺れ、公務を放棄している。
けれどエスターは白い結婚を隠しもせずに、王の代わりに執務を続けている。彼女にとって大切なものは国であり、夫の愛情など必要としていなかったのだ。
ところがある日、暗愚だが無害だった国王の独断により、隣国への侵攻が始まる。それをきっかけに国内では革命が起き……。
国のために恋を捨て、人生を捧げてきたヒロインと、王妃を密かに愛し、彼女を手に入れるために国を変えることを決意した一途なヒーローの恋物語。
ハッピーエンドです。
この作品は他サイトにも投稿しております。
表紙絵は写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID:24963620)をお借りしております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる