上 下
1 / 91

1.別れの朝①

しおりを挟む


「フローラ、すまない……」

 戦地から帰還したばかりの夫エリオットは、生還の喜びを分かつ間もなく、まるで苦いものでも吐き出すような表情と声音で切り出しました。

 彼の後ろには、共に戦地を駆けたというエリオットの部下達数名と、それからそのまた後ろに、可憐な容姿の女性が立っております。

 騎士の正装に身を包んだ部下の方々は、夫の背後から、みな一様に笑みを消した真顔でこちらを見てます。

 ──まるで、睨まれているように錯覚してしまうのは、気の迷いでしょうか。




 騎士団に下級騎士として所属するエリオットに、王国北部を襲った不死魔獣アンデッドの討伐出征命令が下ったのは、予定していた結婚式の1週間ほど前でした。

 北部では住む家を追われた方や、死傷者も大勢でており、王都にも不安が広がる中で、とても結婚式など出来るような時勢で無かった事も事実です。

 教会で二人、神父のみが立ち会う最低限の式で済ませ、大切な任務に向かう夫を送り出しました。


 それからの毎日は、持てる金銭の多くはなるべく義援金として教会に納め、できる限り質素に過ごしながら、夫の無事を女神様に祈る日々でした。


 わたくしは南部農村地帯の貧しいながらも慎ましく暮らす子爵領の生まれで、領主を勤めるカディラ子爵の姪にあたります。
 伯父の計らいで勉学の為に王都にやって来て三年、同じく南部出身で、準男爵家の次男であったエリオットとは、王立学園で出会いました。

 出会った頃のエリオットは容姿は整っておりましたが落ち着いていて派手さもなく、努力家で生真面目な、都会のどこか浮ついた空気にも飲まれることの無い、実直な男性でした。

 慎ましくも穏やかな交際を経て、彼が騎士として身を立てた頃に求婚を受けました。

 わたくしは子爵家の縁者とはいえ平民でしたので、学園の卒業後は王都で針子をしておりました。
 結婚式の日を楽しみに、貯めた給金で布を買い、晴れの日に身を飾るウェディングドレスを縫っておりました。

 王国北部に大量の不死魔獣アンデッドが押し寄せたと騒ぎになったのは、そんな日々のさなかでした。

 ──それから、夫が無事に生還するまでの、一年と八ヶ月。


「フローラ、聞いているのか?」

 どこか咎めるような硬い声に顔をあげれば、眉間に皺を寄せて、出会ってから出征なさるまではついぞ見た事の無い険しい表情をしたエリオットと目が合います。

「……はい」

 声が震えないように、努めて一言返すのが精一杯。
 室内に気まずい沈黙が降りたあとで、エリオットの後ろに立っていた部下の方が一歩前に進み出ました。

「エリオット副団長、よければ俺が説得しましょうか」

 そう──、出征時は下級騎士だったエリオットは、アンデッド討伐の渦中で、その剣に女神の加護を受け聖剣と成し、聖騎士の称号を与えられ、出征の最中さなかにわずか一年たらずで王国騎士団の副団長となりました。

 伝え聞くところによれば、エリオットが聖騎士となって以降の前線での活躍は凄まじかったそうで、今では国の英雄と呼ばれております。

「……いや、ここは俺が」

 前に出た部下を押し留めて首を横に振ると、エリオットは再びこちらに向き、この家に来た時から手にしていた巻物をテーブルに起きました。

 見間違えでなければ、封蝋は王家のものです。

 それからエリオットは無言のまま封をとき、目の前に書面を広げてみせます。

「見ての通り、王命でもある。……だが、同時にこれは俺の偽らざる本心でもある」

 堪えても滲む涙を悟られないように、わたくしは俯いたまま、無言で目の前にある紙面を凝視しました。

 置かれた紙は2枚。エリオットの署名が既に入った離縁状と、国王の御名御璽の入った勅旨ちょくし

『手続き上の離縁ののち、遡ってフローラ・カディラとの婚姻事実そのものを無効とし、聖騎士エリオット・ウォルフ・トリスと聖女エミリーの婚姻を認めるものとする』

 ──教会で一度は女神様に誓いを立てた以上は、手続きとして離縁状が必要なのでしょう。その上でさらに遡って無かった事に、なんて、国王陛下も無慈悲でいらっしゃる。

 文面を読みながら、どこか他人事のような感想が頭を過ぎります。わたくしは、まだこれが現実だと受け入れられていないのかもしれません。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

さようなら、わたくしの騎士様

夜桜
恋愛
騎士様からの突然の『さようなら』(婚約破棄)に辺境伯令嬢クリスは微笑んだ。 その時を待っていたのだ。 クリスは知っていた。 騎士ローウェルは裏切ると。 だから逆に『さようなら』を言い渡した。倍返しで。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

うーん、別に……

柑橘 橙
恋愛
「婚約者はお忙しいのですね、今日もお一人ですか?」  と、言われても。  「忙しい」「後にしてくれ」って言うのは、むこうなんだけど……  あれ?婚約者、要る?  とりあえず、長編にしてみました。  結末にもやっとされたら、申し訳ありません。  お読みくださっている皆様、ありがとうございます。 誤字を訂正しました。 現在、番外編を掲載しています。 仲良くとのメッセージが多かったので、まずはこのようにしてみました。 後々第二王子が苦労する話も書いてみたいと思います。 ☆☆辺境合宿編をはじめました。  ゆっくりゆっくり更新になると思いますが、お読みくださると、嬉しいです。  辺境合宿編は、王子視点が増える予定です。イラっとされたら、申し訳ありません。 ☆☆☆誤字脱字をおしえてくださる方、ありがとうございます! ☆☆☆☆感想をくださってありがとうございます。公開したくない感想は、承認不要とお書きください。  よろしくお願いいたします。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

里帰りをしていたら離婚届が送られてきたので今から様子を見に行ってきます

結城芙由奈 
恋愛
<離婚届?納得いかないので今から内密に帰ります> 政略結婚で2年もの間「白い結婚」を続ける最中、妹の出産祝いで里帰りしていると突然届いた離婚届。あまりに理不尽で到底受け入れられないので内緒で帰ってみた結果・・・? ※「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています

田舎娘をバカにした令嬢の末路

冬吹せいら
恋愛
オーロラ・レンジ―は、小国の産まれでありながらも、名門バッテンデン学園に、首席で合格した。 それを不快に思った、令嬢のディアナ・カルホーンは、オーロラが試験官を買収したと嘘をつく。 ――あんな田舎娘に、私が負けるわけないじゃない。 田舎娘をバカにした令嬢の末路は……。

彼女がいなくなった6年後の話

こん
恋愛
今日は、彼女が死んでから6年目である。 彼女は、しがない男爵令嬢だった。薄い桃色でサラサラの髪、端正な顔にある2つのアーモンド色のキラキラと光る瞳には誰もが惹かれ、それは私も例外では無かった。 彼女の墓の前で、一通り遺書を読んで立ち上がる。 「今日で貴方が死んでから6年が経ったの。遺書に何を書いたか忘れたのかもしれないから、読み上げるわ。悪く思わないで」 何回も読んで覚えてしまった遺書の最後を一息で言う。 「「必ず、貴方に会いに帰るから。1人にしないって約束、私は破らない。」」 突然、私の声と共に知らない誰かの声がした。驚いて声の方を振り向く。そこには、見たことのない男性が立っていた。 ※ガールズラブの要素は殆どありませんが、念の為入れています。最終的には男女です! ※なろう様にも掲載

処理中です...