9 / 32
第一章
009:花違い
しおりを挟む【Side:????】
リディアという少女がニューヨークから引っ越して来たのは約10ヶ月前。本人は母親の都合で何が何だかよく分からぬまま飛行機に乗り、気付けば日本での生活が始まっていた。
自分の知らない言語を話す異国。日本では英語が通用しない。英語は『世界共通語』ではなかったのだろうか。
リディアは日本の小学校に初めて行った時、思わず頭を抱えた。教員でさえ一部を除き真面に英語が話せないのだ。幸いクラスメートはリディアを温かく迎えてくれた。中には何が面白いのか積極的に親しく声を掛けてくれる者までいた。だが如何せん、言葉の意味が全く分からない。当然、学校の授業では初っ端から躓いてしまった。
リディアは小学校に行くのを止め、先ずは独学で日本語の勉強を始めることにした。
ある日、リディアは母親から精子バンクを利用して妊娠してきた事を知らされた。母親は元々明朗快活な人物であったが、リディアは再び事前の相談もなく母親の行動に振り回されることになった。
男が少ない此の地球では、どこの家も『母子家庭』が一般的だ。しかし、その分だけ親子関係や姉妹関係は非常に強い繋がりがある。だからこそ、本来であれば例え未成年の娘であっても、リディアに何かしら相談があって然るべきなのだが、母親は相変わらず何の相談もなく思ったら吉日、即断即決してしまう困った人だった。
そして、母親のお腹が大きくなった妊娠後期に入った頃、いよいよ病院に入院する時がやってきた。
訪れた総合病院は非常に大きな医療施設で人も多い。リディアは病院内を移動する間、母親を守るようにして傍を歩いた。
フロントに到着して、さぁ入院手続きをしようとすると又もや英語を話せる人間がいない。スタッフからは『私たちは英語を上手く話せません。英語が話せる者が来るまで、そちらの椅子に掛けて暫くお待ち下さい』と発音のおかしな英語でリディアたちは説明を受けるのだった。
母親は笑顔で一切苦に感じてないようであったが、リディアは苛立ちを募らせていく。言われた通りにフロント前の椅子に座って待つこと1時間半。相変わらず待てど暮らせど声を掛けてくる気配のない病院スタッフ。
長い間待ち過ぎてリディアはお手洗いに行きたくなった。しかし、場所が分からない。近くを歩くナースがいたので、リディアは彼女に声を掛けることにした。
「すぅいま~せん、少し、よろしいでゴゥ座いますか?」
(意:すいません、少々よろしいでしょうか)
「ん? どうかしたのかなぁ?」
リディアはお手洗いに行きたい時、日本語では『お花を摘みに行きたいのですが……』と話すことを勉強して覚えていた。
「わたぁ~しぃ、おぅ花トゥー、みに行きたいデぇスが、ドゥこ行けヴぁよろしい? 案内する頂きたぁい、ゴゥ座いますか?」
(意:私はトイレに行きたいのですが、どこに行けばよいのか案内して頂けますでしょうか?)
「えっと、………お花、トゥー、ミニ?」
「おぅ花トゥー、みに行きたいデぇス。案内よろしい?」
(意:トイレに行きたいです。案内してくれませんか?)
「あ~、お花 “ to ”見に行きたい。……うんうん、分かったわ、こっちよ。プリーズ、カム、ウィズ、ミィ」
こうしてリディアは拙いながらにも頑張って日本語を話した結果、ナースは彼女が行きたい場所を理解して案内してくれた。
ただ、いざ現地へ着いてみると其処はトイレではなく……………『院内庭園』だった。
ナースはリディアの言葉を『花が見られる場所へ案内して頂けますか』と解釈していたのだ。
現地に到着したリディアはこんな所でお尻を出してトイレなんかできるかと激昂しそうになったが、必死に感情の暴走を抑え込む。
独学であった自分の下手な日本語が、単に相手に伝わっていなかっただけ。ナースには問題も悪意も無いことくらい、リディアも理解している。
もう仕方なく簡単な英語でゆっくりと言葉を紡いで「Where is the restroom?」と尋ねてみた。
するとナースは「休憩室、………えっと何で?」と疑問を口にして首を右に傾げた。
リディアは言葉の意味が伝わっていないことを察し、「Where is the bathroom?」と言い回しを変えてみたが、ナースは「次は浴室?」と呟いて首を左に傾げた。
リディアの表情が引き攣ってくる。心の中で『我慢』という魔法の呪文を唱えるが次の言いまわしを尋ねた時、感情の高ぶりが我慢できなくなった。
「Where is the lavatory?」
「えっと………ソーリーどういう意味かな?」
「Why don't you just get it ッ!?」
リディアは遂に大きな声で出してしまった。日本に来て早々、彼女たち日本人が英語を超苦手としているのは知っていたが、母国では小さな子どもでさえ知っている言葉がこの地では通じない。今は言葉を理解してくれない状況にこれ以上耐えられそうにない。なんせ、こうしている間にも下腹部の限界はドンドン近付いてきているのだ。
そんな時、何故か宇宙服を着た女性らしき人物が英語で『どうしたの?』と声を掛けて来た。英語で状況を説明するがこの女性も英語が苦手らしい。一体全体、この国はどうなっているんだ。リディアは英語やら拙い日本語を混ぜて滅茶苦茶に必死に話すが全然伝わらない。
そろそろ漏らす限界に達する寸前となって来た。そんな時、漸く待ちに待ったリディアの救世主が現れてくれた。
「こんにちは可愛いお嬢さん、まだ大丈夫かな? 少し離れた所でも話が聞こえたけど、お手洗いに行きたいんだよね?」
リディアは目を見開いて今自分に声を掛けてくれた人物を見つめる。驚きで頭が真っ白になった。そして、上手く言えない感情が込み上げて、次第に胸がほっこりと温かくなる。
その人物の英語はこれまでリディアが日本にいる間に度々耳にした日本独自の意味不明なモノとは明らかに違った。リディアは酷く驚かずにはいられなかった。
リディアは感極まりその人物へと詰め寄って手を握る。夢でも幻でもない。目の前の人物は本物で確り体温を感じることができた。是非このまま英語で様々な会話をしたいという気持ちが込み上げてきたが、グッと彼女は堪える。今はそんな事を言っていられる状況にない。
リディアは夢心地のような心境から戻り、嬉しさを滲ませて返答した。
「あなた英語が分かるの!?そうなのよ、この人たちに何度言っても分かってくれなくて滅茶苦茶困っていたの!」
「日本語でナースの人に伝えておくから、もう安心していいよ。彼女について行けばトイレに連れてってくれるよ」
「助かったわ、ありがとう。あなた名前は?」
「ハルカだよ」
「私はリディアよ。ハルカ、ありがとうッ!!」
「どういたしまして」
顔を隠した救世主がナースに一言呟けば、ナースにもリディアが何処に行きたかったのかが漸く伝わった。
ナースは慌ててリディアの手を握り、2人は共に駆け足でトイレへと向かうのだった。
◆◆◆◆◆
【Side:主人公】
ボクはナースと手を繋ぎ、足早に去って行くリディアという娘の背中を見つめていた。
建物の中に入って行く際、此方をチラッと見て来たので手を振っておく。彼女も手を振り返してくれた。
取りあえずあの娘がトイレに間に合いそうで良かった。
「ハルカ君、ありがとう。助かったわ」
「いえ、気にしないで下さい」
「流石Sランクね。もう英語の勉強しているの?」
そういえば、この日本では英語の勉強って大学からするものだっけ。所謂、必須外国語だね。
「まぁ、趣味で少し話せる程度には…………」
正直、今世のボクは英語を勉強していない。完全にノータッチだ。
この日本社会の風潮的にも、英語を勉強しなくても無問題、受験の科目にさえなってないからね。そういうのは頭が良くて仕事のできる御偉いさんなんかが年を重ねて努力を積み重ねれば良い事って感じになっている。
ボクがこうしてネイティブに話せるのは偏に前世のボクのお蔭だ。嘗ては散々英語を勉強して、留学もしていたし、仕事でも英語を使っていたんだ。
「格好良かったわよ!ハルカ君がペラペラって英語を話して、私何言っているのか全然分からなかった。やっぱり沢山勉強したの?」
「まぁ、そうですね………。沢山勉強しましたが、よく外国の映画や音楽とか見聞きしているので発音含めて英語には慣れているんですよ」
「ちなみに、書類もイケたりする?」
「書類、ですか?」
英語の書類って何だろう。英語の教科書か、小説とかかな?
というか、英語を話せたら、ReadingやWriteningまでセットで当たり前に出来ると思ってるのかな。まぁ、ボクは出来るけど………。
「どんなものですか?」
「契約書類なんだけどね。実はちょっと色々あって」
「………その、見て見ないと分かりませんが、多少は力になれるかもしれません」
「そう、ちょっと一緒に来て貰っていいかしらッ!」
「エ………………ッ!?」
親しくなったからか、もうセクハラとか気にせず三宮先生は直接ボクの手を引いてきた。
返事する間もなくドナドナと連れて行かれる。何かそんなに急ぐほどの事でもあったのかな。
そして、到着した先は事務作業するような簡素な小部屋であった。一体、何頼まれるんだろうね………。
0
お気に入りに追加
299
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


男女比1:10。男子の立場が弱い学園で美少女たちをわからせるためにヒロインと手を組んで攻略を始めてみたんだけど…チョロいんなのはどうして?
悠
ファンタジー
貞操逆転世界に転生してきた日浦大晴(ひうらたいせい)の通う学園には"独特の校風"がある。
それは——男子は女子より立場が弱い
学園で一番立場が上なのは女子5人のメンバーからなる生徒会。
拾ってくれた九空鹿波(くそらかなみ)と手を組み、まずは生徒会を攻略しようとするが……。
「既に攻略済みの女の子をさらに落とすなんて……面白いじゃない」
協力者の鹿波だけは知っている。
大晴が既に女の子を"攻略済み"だと。
勝利200%ラブコメ!?
既に攻略済みの美少女を本気で''分からせ"たら……さて、どうなるんでしょうねぇ?

シン・三毛猫現象 〜自然出産される男が3万人に1人の割合になった世界に帰還した僕はとんでもなくモテモテになったようです〜
ミコガミヒデカズ
ファンタジー
気軽に読めるあべこべ、男女比モノです。
以前、私がカクヨム様で書いていた小説をリメイクしたものです。
とあるきっかけで異世界エニックスウェアに転移した主人公、佐久間修。彼はもう一人の転移者と共に魔王との決戦に挑むが、
「儂の味方になれば世界の半分をやろう」
そんな魔王の提案に共に転移したもう一人の勇者が応じてしまう。そんな事はさせないと修は魔王を倒そうとするが、事もあろうに味方だったもう一人の勇者が魔王と手を組み攻撃してきた。
瞬間移動の術でなんとか難を逃れた修だったが、たどり着いたのは男のほとんどが姿を消した異世界転移15年後の地球だった…。

日本列島、時震により転移す!
黄昏人
ファンタジー
2023年(現在)、日本列島が後に時震と呼ばれる現象により、500年以上の時を超え1492年(過去)の世界に転移した。移転したのは本州、四国、九州とその周辺の島々であり、現在の日本は過去の時代に飛ばされ、過去の日本は現在の世界に飛ばされた。飛ばされた現在の日本はその文明を支え、国民を食わせるためには早急に莫大な資源と食料が必要である。過去の日本は現在の世界を意識できないが、取り残された北海道と沖縄は国富の大部分を失い、戦国日本を抱え途方にくれる。人々は、政府は何を思いどうふるまうのか。

男女比が1対100だったり貞操概念が逆転した世界にいますが会社員してます
neru
ファンタジー
30を過ぎた松田 茂人(まつだ しげひと )は男女比が1対100だったり貞操概念が逆転した世界にひょんなことから転移してしまう。
松本は新しい世界で会社員となり働くこととなる。
ちなみに、新しい世界の女性は全員高身長、美形だ。
PS.2月27日から4月まで投稿頻度が減ることを許して下さい。


男女比がおかしい世界に来たのでVtuberになろうかと思う
月乃糸
大衆娯楽
男女比が1:720という世界に転生主人公、都道幸一改め天野大知。 男に生まれたという事で悠々自適な生活を送ろうとしていたが、ふとVtuberを思い出しVtuberになろうと考えだす。 ブラコンの姉妹に囲まれながら楽しく活動!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる