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第二章 大きなノッポの古時計は何を訴えて哭く

第六話

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 事務所を出た階段下の自動販売機でナタデココ・カルピスを買った朱香は、缶を振りながら事務所に戻ってきた。
 古時計の件とは別に、ト部が処理した仕事の資料作りを手伝っていた。
 依頼主が原因を知りたいといってくるケースは、多い。原因といっても、会社が掲げている『物の怪化した物は存在しない、理屈的な理由がある』が大前提にあるが、依頼主に提出するのは、どういった奇怪現象が起きたのかという怪談話だ。

【訳有モノ】には何かしら、依頼主の想いが関係している。だから特別な別れ方を求めている、つまり専門業者に依頼するというだけで特別になる。
 捨てたくても、捨てれば罪悪感が残る物、朱香にとって【訳有モノ】は特別な物に縛られた、持ち主の気持ちなんじゃないかとも思っていた。
 ナタデココ・カルピスを喉に流し込んだ朱香は、ナタデココの甘さが心底、沁みて「ウマー」と心の内で叫んだ。

「あいつ、女子高生相手に鼻の下を伸ばしっぱなしだろうな、でも口説く勇気はないだろうな」

 からかうようにニヤついたト部は椅子の背凭れに体重を掛けた。

「もしかして意外と手が早いかもよ、畔戸さん、さっそく伊賀君に狙われたっぽいし」
「え! そうなの朱香ちゃん! 伊賀君ってまさかの肉食系!」

 優男風で二枚目の熊野だが、案外、油断も隙もないのは熊野かもしれない。

「熊野先輩、妙なこと言わないでください、菊沢さんもはしゃぎすぎです。まったく」

 二人の言いたい放題に朱香は缶ジュースの口をちょっと噛んで、唇を尖らせた。

「なーんだ、面白くないなぁ、で、伊賀君はどうなの? 仕事っぷりは」

 気を取り直した永久子が机に肘を突いた。

「バカな力持ちだけじゃ、なかったな。意外と見るところは見る、って感じだし。ただ、青臭いくせに頑固だ」
「頑固って、冬矢君がですか?」

 パソコンから視線を上げた朱香は、インターネットのホームページ画面を何気なく眺めていたト部を横目で一瞥した。

「まだ日が浅いから、仕方ねえけど、【訳有モノ】に対する解釈がな。原因が分かれば捨てる必要はねえじゃんっていう考え。分からないでもないけど、依頼主の想いを覆してどうすんだよって話じゃん」

 やれやれといった感じで胸の奥から息を押し出した。

「若いねぇ、青いのもいいけど、ジレンマでぐるぐる悩まなければいいけど、まぁ、悩むのも青春かな」

 結局は彼自身の問題だ、と熊野は投げやりに締めた。
豊原部長が不在だと、皆ここぞとばかりに力を抜いている。それは朱香も同じで、ナタデココ・カルピスが手元にあるのも、その証拠だ。
 缶をギュッと握った朱香は「あの」と言い掛けて、椅子から腰を浮かせた時。

「ただ今、戻りましたー」

 良い夢を見たとは程遠い、どこか気だるそうな色に彩られていた。

「それで、どうでしたか?」

 まともに冬矢と目が合い、唐突に目を逸らすのも失礼かと思った朱香は、直視したまま、見詰め続けた。

「あの、それが、女子高生たちの、要はイタズラまがいな感じでした」

 ぽりぽりと冬矢は後頭部を掻いた。

「あー、やっぱりな、だと思った。若い子から掛かってくる電話程、イタズラが多かったりすんだよなぁ」

 だらんと背凭れに体重を掛けていたト部が、ヒヒヒッと北叟笑んだ。

「やっぱりって、どういうことですか。イタズラって知ってたんですか」

 愕然と眉を歪めた冬矢は熊野に詰め寄った。
 頭の後ろで手を組み、眠いのかと思わせるような目付きで冬矢を上目遣いした。

「知ってたわけじゃねえけど、そんなところだろうな、って。だから、お前に行かせたんだろ」
「えー! そうだったんですか。イタズラ処理のために、ですか」

 ニッと歯を見せて笑ったト部に向かって、冬矢は愕然さと苛立ちを混ぜ合わせたような顔で前のめりになっていた。

「新人の慣例みたいなものになってるかね、そこは仕方ないよ」

 熊野が朗らかにフォローするが、冬矢は「そうなんですか」と曇り顔。
 そんなことはない。面倒だから冬矢に任せたという理由が八割を占めている。
 もう二割が、その他もろもろの仕事を片付けるためだろう。ま、新人には良い勉強にはなる。

「今日の件は、まだ序の口だと思え」

 予期していなかったらしく、後ろから肩を掴まれた冬矢は「おわっ」と驚いた。
 驚いた冬矢の肩を二度ぽんぽん叩いた豊原部長は、ハンカチを丁寧に畳んで、内ポケットにしまった。
 冬矢の肩を離して、窓を背にした自席に就いた。

「知ってのとおり、うちは少し変わった会社だ。だから、興味本位で電話してくる者は、決して少なくない。明らかにイタズラだろうと分かっていても、【訳有モノ】を見に来てほしいと言われれば、行くだけだ」

 諦観しきったような口調で語る豊原部長は窓を背に、机に肘を突いて、組んだ指で口元を隠した。
 もしこのタイミングで、背後で稲妻が走ったら、とんでもなく豊原部長の威圧感を増大させていたに違いない。太い眉根が凛々しくて、社内の中で断トツのダンディーさだ。

「お祓いをする舞台を見せてください、なんて言ってくる奴、年間に何十人いるか」
「去年は、三十五人だったよぉー」

 鼻で笑ったト部に、間髪入れずに答えたのは、永久子だった。
経理をやっているだけあって、数字と記憶力だけは誰よりも優秀だ。しかも色が抜けた毛先を、アイメイクの濃い目で凝視しながらの即答だった。正解なのかは疑問だ。

「そんなに……」と冬矢は独り言を呟いて、自分の席へと戻る。

「ただ見学したいと問い合わせをしてくる分ならいいのだけれど、中を見たいがために、【訳有モノ】でもない物を無理やり訳有にこじつけてくるのが、厄介なの」

 席に就いた冬矢に朱香は横目を向けながら、付け加えた。

「うちは見学とか、オーケーなんですか?」

 冬矢はまだパソコンも置かれていないデスクに、組んだ手だけを置いた。
 ちょっとは先輩らしいところを見せたほうがいいわね、と笑窪のあたりに力を入れた朱香は、ゴロゴロっと椅子のコロを転がして、冬矢の横まで近寄った。

「ええ、見学できるわ。見学者の担当も新人の役だから、頑張って」

 ポンと肩を叩いて、さっと自分の席に戻った。
 自分から冬矢の肩を叩いたのに、朱香の鼓動は、破裂しそうなほど高鳴った。
 冬矢は「アー、ハイ」と棒読み気味に、素直に返事をした。なんだか、強引に返事をさせたみたいで、ちょっと申し訳なくなった。

「さーて、今日は飲みに行こうぜ! 歓迎会もまだだったしな。新人よ。行きたい店を選んでいいぞ」

 ト部に肩を掴まれ、「頼むぞ」と冬矢は釘を刺された。

「要は、自分の歓迎会の店を、自分で決めろってことじゃないですか!」

 飄々と手を振りながら自席に向かったト部に、冬矢は反抗的な牙を見せて睨んでいた。
 忠犬みたいだなぁ、と見ていて飽きない冬矢に朱香は頬を擽られていた。
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