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第一章 その絵は、モナリザのようには微笑んでいない

第八話

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 依頼主の水木夫妻が会社に訪れた。
 予定通り儀式となる舞台前に案内をした冬矢は、「少々お待ちください」と残して舞台裏へと回った。
 依頼主から回収した例の絵は、舞台の中央にお行儀よく立て掛けられていた。

 麻縄と紙垂で作られた注連縄しめなわによって、絵は囲われていた。神聖な雰囲気を醸し出していて、おいそれと立ち入れない感じだ。
 彼岸花を背に、絵と向き合っているのは、八咫の鏡やたのかがみだ。ただ単に、ご神体っぽく見せかけだけで置いているのかと思いきや、鏡には完全なる円満を意味しているらしい。

「熊野さん、水木さんをお連れしました。待ってもらってます」

 舞台裏の直ぐ袖で、片肘を突いて寄り掛かっていた熊野が「はぁい」と軽く手を上げた。

「じゃあ依頼主に今から始めると伝えて、その後、音楽を掛けて」
「あ、はいっ」

 手順はリハーサルで教えてもらったが、いざ本番となると、少しばかり緊張する。
 舞台裏から出て、水木夫妻に始まることを告げ、再び袖裏に入って、音響を操作する。
 スピーカーから流れるのは、よく神前の結婚式にも演奏される、高音を響かせる音色だ。
 雅楽といわれる、日本古来の伝統的な音楽の一つらしい。

 本当は専門の楽士を呼び寄せて、演奏してほしいらしいが、経費の節約という理由で、やむなく音響任せになっている。
 舞台裏の奥から、スースーと布を引きずる音が聞こえてきた。

「じゃあ、朱香ちゃん、お願いしまーす」

 景気良く手の平を返した熊野は、朱香にアイ・コンタクトを送って、ニッと笑った。
 そわそわと振り向いた冬矢は、息を呑んだ。
 リハーサルでも見たが、本番を迎えた朱香の出立ちは、いっそう洗練された気がする。
 舞い用の濃い化粧も施され、紅色のアイシャドーが乗る目尻は、妖艶だった。

 朱香は堂々と舞台へと出て行く。
 巫女が舞を奉納する際につける白地の装束、千早を翻し、花の髪飾りや天冠を頭に載せた朱香は、本当に動く日本人形みたいだ。
 神楽鈴という、三段に分けて十五個鈴が付いる柄を、舞に合わせて振る。朱香の説明では、神気を発する様を音で表しているそうだ。

 鈴のじゃらじゃら音色に神秘さはあまり感じないが、朱香の舞姿には釘づけになった。
 依頼主も、処分した絵と朱香を交互に見詰めながら、真摯に儀式を受けていた。
 夫が嘘をついているとしても、こうして絵を見送っているのだから、最後まで大切にしていた気持ちはあった。気持ちがなければ、粗大ゴミで出してしまえばいいのだから。

 そう思うと、この儀式はまるで、【訳有モノ】と永遠の別れをするための、葬式みたいだろうかと冬矢は思った。
まさに言葉通り「モノ送り」だった。
 儀式が終わって、依頼主は少しばかり涙ぐんでいた。
 最後に「有り難うございました」と夫が深々と頭を下げると、妻も夫に倣って礼をした。

 依頼主を駐車場まで見送った冬矢は、深呼吸して長く息を押し出した。
 神楽の舞台に戻ってくると、既に片付けも済み、朱香が舞台袖で髪飾りなどを取っていた。艶のある黒髪がサラッと肩に落ちた。
 良い香りがしそうで、胸の奥が激しく高鳴った。

「お疲れさま。どうだったかしら、初神楽は? 褒めてもいいけど、何も出ないわよ」

 またそのくだりか、と思いながら、鈴や髪飾りで手の中がいっぱいなのを見て、冬矢は「どれか持ちますよ」とだけ返した。

「じゃあ、鈴を持ってくれない、意外と持っていると重いのよ」

 憮然と笑う朱香から鈴を受け取った。言うほど重さは感じなかったが、女性からしたら重いのだろう。

「見惚れちゃいました、畔戸さんの舞い。うちの会社の特典ですね、目の保養です」
「な、何を言ってるのよあなたは! それだから乙女に避けられるのよ、デリカシーがなのよ」

 強がりながらも恥らってそっぽを向く所が初々しい。おいおい、我ながらオッサン臭い目線だったぞ今、と冬矢は自分にツッコみを入れた。
 この会社に入社して良かったと、心から思えた瞬間かもしれない。
 本当はお客さんの「ありがとう」を聞いて、入社して良かったと思えたらいいのだが、それは当面、これから先に取っておこう。

「新人君、君が畔戸さんを口説こうなんて、十年早いんじゃないかな」

 絵を脇に抱えた熊野に肩を掴まれた冬矢は、「それはキビしいですよ」と、ぎこちなく笑った。
 優しい顔をしながら、さらっと冗談に聞こえない冗談を言う人だ。

「なーんてね、そうそう伊賀君に【訳有モノ】の置き場を教えとかないとね。従いて来て」

 促された冬矢は、鉄壁に設置されたドアの前に立たされた。

「このドアの向こうが、廃棄物置き場になってる。開けてみて」

 予想より重たい鉄製のドアを押し開けた。
ドアは鉄製の巨大な観音扉と一体化していて、廃棄物を外に運び出す時、大型トラックが入場する時だけ開くようになっている。
 初日に説明されたので中の様子は分かってはいたが、神楽の舞台とは雲泥の差だ。

 扉を開けた途端、SF映画を思い出した。埃っぽいが、埃の影によって斜めに射し込んでいる陽光が神秘的だった。
 静止しているベルト・コンベアーのような機械が屋根の下に沿って、横になっていた。途中で大きな箱のような物がくっ付いていて、出口にはコンテナが置かれていた。
 ちょうど事務所の下に位置する屋根の下には、またベルト・コンベアーがあり、巨大な箱に操作ボタンがいくつか、くっ付いていた。出口にはまたベルト・コンベアーがあり、終着地にはフォークリフトが置かれていた。

「コンテナが種類別に並んでるから、決められたコンテナに入れてね。後から仕分けするのは、面倒だから」

 熊野が「あれだよ」と指示した先には鉄製のコンテナが五つ並んでいた。縦一メートル三十センチほどの鉄箱だ。
絵を『廃プラスチック』とマグネットの看板が張られたコンテナに入れた。
 コンテナの中には、他にもさまざまな【訳有モノ】が入っていた。テーブル、本、犬小屋、屏風、食器、どこかの家が引っ越しのために不要な物を引きずり出したみたいに、家庭でよく見られる物が粗大ゴミと化していた。
 訳あって持ち主が手放したモノたちの末路――そう思うと、冬矢は下唇を噛みしめた。

「コンテナがいっぱいになると、どうするんですか」
「ベルト・コンベアー式の機械で破砕して、圧縮するんだよ」

 熊野が指を差した先には、縦横一メートル四方のブロック状のゴミが、工場の隅で積み木のように並んでいた。

「ブロックがいくつか溜まったら、専門の業者に連絡して、最終処分場まで運んでもらう。大まかな一連の流かな。廃棄物専門に取り扱う業者とうちは、似てるようで少し違うんだよ。何が違うかは、もう分かると思うけど」

 踵を返した熊野は「伊賀君?」と立ち止まったままの冬矢を訝しげに見た。

「もうちょっと、観察させてください」
「じゃあドア、閉めておいてね」とだけ残して熊野は戻って行った。

 工場内は静寂に包まれた。埃と塵の光のカーテンの中に浮かぶ【訳有モノ】はなんだか、心ここに有らずといった感じで、冬矢たちを見据えているみたいだった。

「あれだけの儀式をやって、最後はここって、なんか、虚しいですね」

 コンテナの中で横になっている絵を見下ろしながら、冬矢は呆然と立ち尽くした。

「そう? 大切にされていた証拠だと思うわ。百鬼夜行絵巻って知ってる?」

 突然、思わぬ質問をされて、ピンと勘がさえず「ん?」と冬矢は首を傾げた。

「もしかして、妖怪がいっぱい描いてある、絵ですか?」
「そうよ。長い時を経て、捨てられた器物が妖怪化した様子を描写しているわ。新しい物が入ってきて、自分たちは捨てられる悲しみや恨みが具現化した姿」

 ひゅるっと撫でるように風が吹いて、朱香の黒髪を揺らす。
 妖艶な感じがして、冬矢は生唾を呑み込んだ。

「【訳有モノ】も器物の妖怪化が起源だと思うのだけれど、絵と違うのは、大切に使われた物が最期まで、持ち主に想われていたってことね。じゃなかったらうちに依頼なんてこないもの」
「そう、なんですね、なんかしっくりこないけど」

 理論的にしか頭に入ってこなくて、でも結局は廃棄物なんだ、と現実に引き戻される。

「見慣れてくると、この光景の存在が当たり前になってくるわ。これが、私たちのビジネスだから、でもそれだけじゃないわ」

「そうですね」俺頑張ります、と続けるのはこっ恥ずかしくて言えなかった。

 鉄壁のドアを潜って、その足で事務所に戻ると、「儀式が終わって早々だけど、次の依頼だよーん」
 フフンと何故か含み笑みを見せる永久子が、座っている椅子をクルンと回転させた。

「依頼人はアパートのオーナーで、立て掛けの時計を回収してほしいんだって。築六十年、時計は百年前に作られたアンティーク。地図はト部君のパソコンにメールしたから」

「はいよぉ」とト部が暑苦しい顔で、爽やかに返事をする。
「歴史ある時計なんだ。そんな古い時計が、どんなことをやらかすんだろう?」

 隣の席の熊野は、頭の後ろで手を組んで、ゴロっと椅子を転がす。

「壁掛け時計は、一時間ごとに鐘を鳴らすんだけど、その鐘の音が奇妙だから、住民からも苦情が出て、処分することになったらしいよ。アンティークなのに勿体無いよねぇ、私だったらオークションに出すのになぁ、処分する前にこっそり――」
「菊沢さん、やっちゃダメですよ、私も同意見ですが、本当に惜しいと思います」

 おいおい、あんたのほうが目が真剣だよ、と冬矢は心の中で朱香にツッコむ。

「奇妙って、どう奇妙なんだ。何か他には、言ってなかったか?」

 自分の席からト部が首を伸ばして、永久子に訊ねた。

「獣が唸るような、って言ってたけど、とにかく奇妙なんだって。ハイ後は、よろしく」

 カッターナイフで切り落としたように説明を終えた永久子は、色が抜けた髪の枝毛探しに没頭した。

「んじゃあ、行くか、新人!」

 ガシッと力強くト部に両肩を掴まれ、イッと強張らせた冬矢は「ハイ」と口端を引き攣らせた。
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