思い出の更新

志賀武之真

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 終業のチャイムが鳴った。みんな、いつもより楽し気に教室を出て行く。しかしそれでも、華の告白は小学六年生には刺激が強すぎたようで、皆どことなく所作がぎこちない感じだった。
「亨、いきなりで悪いんだけど、今日の俺の掃除当番、代わってくれねえか?」
 下駄箱で亨に後ろから声を掛けてきたのは勇太郎だった。
「うん、いいよ。僕、今日は何も予定ないし」
「あんがとさんでござんす」
 勇太郎はヤクザ風に一礼し、意味ありげにニヤリとして去って行った。
(さてと…、掃除当番の相棒は誰だっけかな…、確か、お京さんだったっけ…)
 教室に戻ると、華だけが残っていた。椅子を持ち上げている。
「あれ?、華ちゃん…、掃除当番なの?…」
「あ、亨君…。京子ちゃんに当番を頼まれちゃって…。勇太郎君どこにいるか知らない?」
「帰ったよ。僕に当番を代わってくれって…」
 どうやら勇太郎と京子が気を利かせたようだ。本当に優しいやつらだ…。

 ただ、さっきの今で、どうにも恥ずかしく、享はなかなか継ぐべき言葉が出てこなかった。
 華も同じようで、二人は黙々と掃除を続けた。
 だから、あっという間に終わってしまった。
「早かったね…」
 ようやく華が、恥ずかしそうに言葉をかけてくれた。
「う、うん…。そうだね…」
 亨は気を落ち着かせるため深呼吸した。
「そ、そうだ、は、華ちゃん…、い、一緒に帰ろうか?…」
「うん…」
 享は、しどろもどろな自分が可笑しかった。また深呼吸をした。仄かに華の香りを感じた。

 二人で下校するのはあの時以来だった。
 いつもの帰り道。
 そして運命の分かれ道。
 憧れのキスを急いたために右折してしまったT字路。
 ここを右に曲がらなければ、あの事件は起きなかった。でも、もし、左に進んでいたら、どうだったのだろうか?。
 華ちゃんの部屋で、ちゃんとキスできたのだろうか?告白できたのだろうか?
 多分、無理…。アイスオーレをご馳走になって、あたふた帰るのが関の山…。
 亨はそれまでの自分の性格を慮って、そう結論付けた。
 だとすればあの悲劇も、災い転じて福となす…、いや、それは辛い思いをした華ちゃんに余りに失礼だ…。
 などと煩悶しながら亨がかの分かれ道をそそくさと左折すると、華の声がした。
「待って、亨君。こっち…」
 華は右折していた。
 


 穴開神社に向かうその道には、あの時と同じ立て看板があった。
 ※ 無断の立ち入りを禁ず。穴開神社 ※
 しかし華は構わずにどんどん進む。亨は追いかけるしかなかった。
 二人は慎重に辺りを見回し、誰もいないことを確認して境内に入った。
 そして悪夢の社務所。誰もいない。あの時は暑かったが今はまだ結構寒い。
 華が亨に寄り添い、手を握ってきた。
 華の手のは冷たかったが、生温い汗をかいていた。やはり緊張しているのだ。
「亨君、さっきは…どうもありがとう」
「は、華ちゃんこそ…ありがとう…」
 華は掃除の行き届いた床の上にしゃがみこんだ。まさしくあの時、華がお漏らしした、その場所に…。
 そしてそこには、掃除をしても落ちなかったのであろ、その痕跡が、薄っすらとだがまだ残っていた。
(僕のせいで…)
 華の横に座り込んだ亨は、急に自己嫌悪に陥った。
「華ちゃん…。やっぱり僕には華ちゃんを好きになる資格がないよ…。華ちゃんは勇気を出してみんなに秘密を告白したけど、僕は自分の秘密をみんなに告白できなかった…。僕が持ってる卑怯な秘密を…」
「亨君、気にすることはないわ…。みんな誰だって、いくつか秘密を持ってるものよ。私だって、全てを告白できた訳ではないし…。だから、淋しい事を言わないで…」
 華はとりなしてくれたが、亨は頭を振った。
「華ちゃん…、僕を軽蔑して。実は僕は…、僕は…、時々オナニーをしてるんだ…」
「え…、でも…、元気な男の子なら当たり前よ…ね…」
「そうじゃない…。僕は、華ちゃんを、華ちゃんがお漏らしした時の様子を思い浮かべて、オナニーしてるんだ…。華ちゃんが汚したパンティを洗った時だって、洗う前に匂いを嗅いだんだ…。酷い男なんだ、僕は…」
 呻くように言葉を振り絞って告白した亨の手に、華の手が優しく重なる。
「実はね亨君、私もオナニーしてるの…。あの時、親分に襲われて…、乱暴されることを想像して…。でも最後には亨君が助けに来てくれて、親分を退治して、汚れた私を介抱してくれるの。あの時みたいに。そんなことを妄想して、私もオナニーしてるの…。私達、同じね…。こういう想像って、恥ずかしいことなのかもだけど、気にすることは無いと思うの。私達、もう身体は半分大人なんだから…。性欲は、仕方ないと思うの…。だから亨君、淋しい事はもう言わないで…」
 華はそう言うと、自分の尿の痕跡が残る床に仰向けに寝そべった。
「ねえ、亨君…。最後にもうひとつ、お願いがあるの…」
「え?…」
「亨君…、私に、今ここで、キスをして…」
「え?…」
 亨は絶句した。
「私、嫌なの…。小学校での最も印象的な思い出が、ここでのあんなことなんて、やっぱり嫌なの…。ここでのあの時のことを思い出してオナニーしてしまう自分も、やっぱり嫌なの…。だから、ここでのあの時の思い出を更新したいの。大好きな亨君との思い出に上書きして更新したいの…。どうせ恥ずかしいことをするなら、亨君との実際のことを思い浮かべてオナニーしたいの…。だから、亨君に思いっきりキスされたいの…」
 涙する華の思いつめた表情の前では、もはや亨に選択肢は無かった。
「華ちゃん…」
 亨は緊張しながらも、華の上にゆっくりとの押しかかった。
「分かったよ、華ちゃん…。この場所での思い出は、あの時のことじゃなく、今これからのことにしよう…」
 亨は震えながらも、本能に従い行動した。
 華をしっかり抱きしめた。
 セーター越しに甘い香りが包んでくる。
 亨は華の胸の小さなふくらみを感じた。鼓動。
 お互いの鼓動が木霊し合い、二人の脚が絡み合う。お互いに身体の震えを知覚し合った。
 そしてゆっくり唇を重ねた。
 キス、キス、キス…
 少しだけ絡ませた舌から、甘く切ない味がした。
 二人は身体を密着させ絡ませ合いながら、熱いキスを続けた。
「うう…華ちゃん…素敵だよ…」亨の興奮は最高潮に達した。
「あん…、あはん…、亨君…」華は喘いで身悶えをしていた。
 時よ止まれ…二人は念じた。
 …


 全てが終わった。
 思い出は更新された。
 二人は服装を整えて立ち上がった。
 華は目に涙を浮かべ泣いているようだった。
「ごめんね、華ちゃん…」
 亨は、自分の行為が少し強引すぎたのではないかと、さすがに自省した。
「ううん、亨君は悪くないから…、ただなぜか嬉しいのに、涙が止まらないだけだから…」
 華は涙しながら亨の腕にすがってきた。亨はホッとした。
(このまま時間がとまればいいのに…)
 しかし帰宅せねばならない時間が迫っていた。
 二人で手をつないで家路についた。言葉はもはや交わさなかったが、掌を通して伝わる互いの血流によって、全てが分かる気がした。
 華が自宅の門扉に消える段になって、亨はやっと声をかけた。
「おやすみ、華ちゃん…」
「亨君、ありがとう…。さようなら」
 華はやけに淋しそうな表情をしていた。
 鈍い亨には、この時の華の言葉や表情の意味について、慮ることはまだできなかった。
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