思い出の更新

志賀武之真

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2 盛夏

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 華の話を聞きながら、亨は過ぎたあの夏を思い返していた。学校生活で一番楽しいひとときだった。そう、『あの時』までは…。
 それまで亨は、華とはろくに話したこともなかった。亨にとって、美人で利発な華は実はずっと気になる存在だったが、いかんせん接点がなさすぎた。
 亨の放課後はサッカーに野球だし、華はピアノや塾。凡そ住む世界が違う。
 学校でも、人望のある華が学級委員や児童会長を歴任したのに対し、無役上等!の亨はどこまでも大勢の中の一人であった。
 もっとも亨は、純朴そうなその見掛けによらずに大人な性分を既に持ち合わせており、そんな華を遠い存在として諦めるよう、自分に言い聞かせるくらいの分別はあった。
 ところが、である。
 夏休み後半のプール講習の初日、登校中の亨の後ろから、華が声をかけてきたのだ。
「亨君、おはよう」
 亨は始めは緊張した。何事もよく出来てクラスの皆からも慕われている華に、気後れする感じだった。
 しかし華は顔を赤らめながら亨に告白した。
「私ね、実は殆どカナヅチなの…」
 そのことから、二人の間の垣根が急に低くなった。
 亨は嬉しかった。万能だと思ってた華にも苦手があることが。そしてその苦手は、亨の大得意であることが。
 手本を示すことも、アドバイスすることもできるわけで、亨は大いに男を上げた。
盛夏、とても暑く、しかしとても楽しい日々だった。
 膨らみはじめた胸、くびれはじめた腰、張り詰めた太腿、濡れるとくっきり割れ目が浮き上がるあの部分…。スクール水着姿の初々しい華の肢体は、見ているだけで亨にとっては充分すぎるほど刺激的だった。そんな刺激的な存在そのものに、亨は公然と触れることができたのだ。
 ある日など、亨がプールの中でクロールの腕の振り方を華の手を取って教えていたとき、うっかり胸の部分にかなりしっかりと触ってしまった。亨がかえって驚いて、ごめんなさいと謝ったが、華は笑顔で、亨君ならいいの、気にしないで、と言ってくれたりした。
 また、プールサイドで平泳ぎの脚捌きを教えたこともあった。うつ伏せに寝た華の両脚の間に亨が入り込み、手で華の脚を抱え持って、動きをサポートしながらアドバイスした。亨の目の前で健気に足腰を動かす華の後姿がなんとも艶かしく、しかも華の大切な部分には水着がきつく食い込んでおり、亨は唾を飲み込みそこを凝視するしかなかった。
(ああ、なんて素敵なんだ…、華ちゃん…)

 亨が華に覆い被さりたい衝動と内心戦っていたその時、そこに同じクラスの悪友達が通り掛かった。
「おい、亨。お前、アソコがおっ立ってやがるじゃん、何考えているんだ、このエロ男!」
「最低だあ、ボッキマン亨!」
 実際そのとおりだった。亨は恥ずかしくなり両手で股間を押さえた。
 すると華は毅然と立ち上がり、
「変なこと言わないで。亨君は真剣に教えてくれているの。邪魔しないでっ!」
と言って亨を庇ってくれた。
 そう、それがプール講習の最終日だった。そんなことがあったので、亨はこれまでのように華と一緒に帰るのが恥ずかしくて、一人で先に下校した。
 すると後ろから、待って亨君、と華が追い掛けてきて手を捕まれた。
 亨はドキンとした。
「は、華ちゃん…、さっきは…、その…、ご、ごめん…」
 とりあえず謝るしかなかった。
「ううん、私、全然気にしてないから。それに…、それに、少しうれしいの…」
「え?…」
「だって、あの…、あ、あそこが…、大きくなったのは…、私のことを、少しは女の子として、気にかけてくれてるからなんでしょう?…」
 華は恥ずかし気にそう言って手を組んできた。
 亨の腕の一部が華の胸の小さな膨らみに隣接した。華の鼓動が伝わってくる。
 亨は感電したように直立した。
(僕…、華ちゃんのことが…、す…)
 好きだと素直に言えない自分がもどかしかった。やっと出た言葉は、
「で、でも…、僕なんか、華ちゃんより、ずっとレベルが下だし…」
 という情けなさだった。
「どうしてそういう言い方をするの…。私を、泳げるようにしてくれたじゃない。私、亨君のおかげで水が怖くなくなったの。百メートルも泳げるようになったのよ」
 華の目は少し悲しそうだった。
(華ちゃん…)
(亨君…)
 二人の距離が縮まった。その時、
 ビビビビビ…
 華の携帯電話が鳴った。
「あ、お母さんからメールだ…」
(いいところだったのに…)
 メールを貪り読む華がちょっと恨めしかった。
 華が顔をあげた。
「ねえ亨君、うちに遊びに来ない?」
「え?…」
「お礼がしたいの、亨君に…」
「え?…」
「今日はお母さんもお父さんも、帰るのが遅くなるの。だから今はおうちに誰もいないの…」
「え?…」
「お礼がしたいの、お礼がしたいの、お礼がしたいの…」
 華は三度も同じことを言って、恥ずかしそうに下を向いた。
「だめ?、私、亨君に得意のアイスオーレをプレゼントしたいの…。あと…、誰も見ていないところで、亨君にお礼のキスを…」
 華の頬は真っ赤だった。
「え…」
 亨は驚いた。「え」しか言葉が出なかった。
 憧れの華ちゃんからの誘い…、キス?…
 亨はさして早熟ではなかったが、男女の身体の機能に関して一通りの知識は既に持っていた。それは、それなりの授業もあったし、クラスの友人に産婦人科医のませた倅がいたせいでもあったが…。自慰も覚え始め、まさに華をネタに夜な夜な妄想を繰り広げていたところでもあった。
 なので、キス!! その先にさらに何かあるのか?…さすがにないのか?…
「あ、あの、僕なんかが…、華ちゃんのお部屋に行って…、いいの?…」
 華はコクンと頷いた。
 こんなにも恥ずかしいことを華に言わせた亨にも、覚悟が求められた。
「は、華ちゃん…、じゃあ…、い、行こうか…」
 言葉が震えていた。
 とならば、一刻も早く。亨の気持ちは高ぶった。
「ね、ねえ、華ちゃん。穴開神社の境内を通って行こうよ。近道だから…」
「でも、ここ、立ち入り禁止って書いてあるし、先生も無人の神社だから通らないようにって言ってたわよ…」
「大丈夫だよ華ちゃん、さ、早く…」

 これが運命の分かれ道だった。
 すべては僕のせいなのだ。この後の記憶は消し去りたい…
 亨はやるせなくなり顔をあげた。
 また華と目が合った。

 頷いた華は一呼吸おき、話を続けた。
「プール講習の最終日でした。亨君と帰る時、私はコーチをしてくれた亨君に、得意のアイスオーレでお礼がしたくて、お家に誘いました。亨君は、近道だから穴開神社の境内を横切って帰ろうって言いました。私も早くお家に帰りたかったので反対しませんでした。これが間違いでした。ご存知のとおり、あそこは普段は無人のため、入ってはいけないと言われていたときろです。私達はこっそりと、境内に入りました。すると、そこには、数台の車と、ガラの悪い大人の人達がたくさんいたのです。私達は彼らに呼び止められました。そして社務所の中に連れていかれて…。亨君は私を守ろうとしてくれましたが、でも…、そして…」
 華は一旦言葉を詰まらせた。しかし再び姿勢を正して正面を見つめた。
「そして私は…、私は…、彼らから色々なことをやらされて…、亨君が見ている前で、彼らから…、色々なことを…。そして…、もう自分ではどうすることもできなくなて…、ついに…」
 華の告白に、教室は慄然とした雰囲気に呑みこまれた。誰もが言葉を発することが出来ず、口を半開きにしたまま呆然と華を見ていた。華の言った『色々なこと』がどういうことを意味するのか、みんなが想像を膨らませた。
「本当はこんな恥ずかしいこと、話たくはありませんでした…。でも、みんなには私の体験が教訓になるかもしれないし…、だから、あえて、そのときのことを、詳しくお話しします」
 華は自分に言い聞かせるように瞑目した。

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