渓谷の悪魔と娘

ココナツ信玄

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 大きなニンゲンはしばらく何やら騒いでいたが、やがて静かになった。
 聞き分けが良い個体を捕まえられたことにソレは嬉しさを感じたのだが、ねぐらにしている洞穴の中に連れ入ろうとした途端、ニンゲンは騒ぎ立てた。

「やめて下さい!こんな所に入れないで下さい! 御子様にもよくありません! 出して下さい! 嫌だ! 出してくれ! だせぇええぇ!」

 体に絡みつく触手を剥がそうと爪を立て、それが叶わず徒に自分の爪を割るニンゲンの必死さに戸惑い、ソレは後退りして洞穴から出た。

「一体……何が不満なんだ?」

 逃げないようニンゲンを触手で捕まえたまま洞穴から出る。途端にニンゲンの体から緊張が解けたのを感じ、ソレは暗いところが苦手な個体なのだろうかと訝しんだ。
 頭の奥では(トムは暗闇など恐れないがな。流石私のトムだ!)とご満悦だったが、赤い三つの目がほんの少しだけ眇められただけだったので、ソレが誇らしい気分になっていたことは誰にもわからなかった。
 地面に降ろされたニンゲンは、その場に膝をついて足元に生えていた雑草に縋り付く。

「不満などという問題ではありません!」

「では何だ?」

「ここはあまりに不衛生すぎます!」

「?」

 ニンゲンが言うには、地を走るものを食べた後に残った残骸と一緒にトムを寝かせるのは駄目らしい。今まではずっと大丈夫だったのに、と思わないでも無かったが、治ったばかりのトムに良くないのならば敢えてする必要も無い。
 ソレはニンゲンが言うままに、中に散乱していた動物の骨や肉塊、いい匂いの粉などが入った袋全てを外に出した。

「ッ!! こんなに……」

 腐った肉や茶色い骨を見てニンゲンはブルリと震えたが、ソレが「これでいいか? もうトムを中で寝かせていいのか?」と尋ねると、一度唾を飲んで震えを抑え込んだ。

「いいえ、まだいけません。長い間このような状態でしたら、地面にも穢れがこびり付いているように思います。中を焼き清めることでもしない限り、病み上がりのお子様には」

「そうか」

 ニンゲンはまだ話していたが、はやくトムを休ませてやりたかったソレは、トムとニンゲンを触手と己の胴体の後ろに隠すと、徐ろに洞穴の中へと火を吐いた。

「ヒッ!」

 白い炎の熱がニンゲンに届いてしまったかと焦ったが、負傷した様子はなかった。突然ソレが口から火を吐いた事に驚いただけなようだった。

「中を焼いたぞ。これでもういいか?」

 真っ黒く焼けた壁と燃え尽きて白くなった地面に満足し、ニンゲンに聞く。しかし青褪めたニンゲンは首を横に振った。

「こっ、こんな……焼かれた壁や床が冷めなければ……」

 それもそうか、とソレも頷き、今度は口から凍てつく風を吐いた。

「……」

 洞穴内の岩肌が全て霜で覆われ、白い地面が凍りついたのを見て、ニンゲンはもう何も言わなくなった。ただ顔色が洞穴内を覆う霜のように真っ白になっている。

「冷えたぞ。もうこれでいいな?」

「いいえ……」

「何だと?!」

「……これでは氷室のようです、寒すぎます」

 ソレはちょっとムッとした。

「熱いと言ったり冷た過ぎると言ったり! お前はわがままばかり言う!!」

「……」

 ニンゲンは何も答えなかったので、ソレはプンプンしながらも洞窟の中へと鼻息を吹き掛けた。
 圧縮された空気の刃が霜と氷を砕く。これで細かな氷粒が溶け切るのを待つだけだ。

「中の温度が外と同じくらいになれば、もう文句はないな? お前も大人しく中に入れ!」

「!!!!」

 余程暗い場所が嫌いなのか、ニンゲンは再び震えだした。

「それは! ……畏れながら申し上げます。このままではなんの意味もございません」

「どういう事だ!」

「お子様も、王御自身も不衛生なままでは、いくら住処を清めたところで意味がないと申し上げているのです」
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