渓谷の悪魔と娘

ココナツ信玄

文字の大きさ
上 下
19 / 20

20

しおりを挟む
 ソレは、目が熱いような急所が痛いような、走り出したいような、このままトムを力の限り抱き締めたいような、大きな衝動を感じた。しかしそれを堪え、ただ肉が剥き出しになった指でトムの頬を撫でるだけに留めた。

「……渓谷と森の王よ、どうぞ御自ら御子様に粥を差し上げてください。御子様はそう望んでいらっしゃるようですし」
「分かった」

 ニンゲンに渡された手鍋と木の匙を触手で持ち、トムの口に持っていく。
 弱っているからか、トムは最近にしては珍しく大人しく粥を食べた。
 鍋の中身を全て平らげてくれたトムに安堵し、ニンゲンに鍋と匙を返そうとして、ソレは気付いた。

「……何をしている?」

 いつの間にか、ニンゲンが荷物を抱えて離れた所に背中を向けて立っていたのだ。

「……王よ、御子様は無事に峠を越えられたようです。これよりは自己回復に頼るしかないため、消化の良いものを食べ、徐々に普段食べているものに戻して体力が戻るのを待つしかありません。これ以上、私がお助けすることは何もなく………」

 ソレはニンゲンの言葉に鼻白んだ。

「何故そう言い切れる?! トムがまた弱るかもしれないじゃないか! そうなったらお前に責任が取れるのか?!」
「え?!」
「お前はこのまま連れて行く」
「おっ! お許し下さい! 私には待っている妻が!」

 ソレはトムを抱えていない触手でニンゲンの胴を絡め取ると、荷物ごと自分の背中の角に巻き付けた。

「舌を噛まないようしっかり口を閉じていろよ」

 ソレは焚火を鋼鉄のように硬くて黒い脚で踏みしめ、火を消すと、静かに歩き出した。
 太陽は高く昇っていて、空は雲一つなく青く澄んでいる。そしてトムも食べ物を食べられるくらいには治った。
 ソレは安堵して、疲れとともに嬉しさを感じた。
 悪くはない気分だった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

私は心を捨てました 〜「お前なんかどうでもいい」と言ったあなた、どうして今更なのですか?〜

月橋りら
恋愛
私に婚約の打診をしてきたのは、ルイス・フォン・ラグリー侯爵子息。 だが、彼には幼い頃から大切に想う少女がいたーー。 「お前なんかどうでもいい」 そうあなたが言ったから。 私は心を捨てたのに。 あなたはいきなり許しを乞うてきた。 そして優しくしてくるようになった。 ーー私が想いを捨てた後で。 どうして今更なのですかーー。 *この小説はカクヨム様、エブリスタ様でも連載しております。

バイバイ、旦那様。【本編完結済】

ちくわぶ(まるどらむぎ)
恋愛
妻シャノンが屋敷を出て行ったお話。 この作品はフィクションです。 作者独自の世界観です。ご了承ください。 7/31 お話の至らぬところを少し訂正させていただきました。 申し訳ありません。大筋に変更はありません。 8/1 追加話を公開させていただきます。 リクエストしてくださった皆様、ありがとうございます。 調子に乗って書いてしまいました。 この後もちょこちょこ追加話を公開予定です。 甘いです(個人比)。嫌いな方はお避け下さい。 ※この作品は小説家になろうさんでも公開しています。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る

家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。 しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。 仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。 そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

セレナの居場所 ~下賜された側妃~

緑谷めい
恋愛
 後宮が廃され、国王エドガルドの側妃だったセレナは、ルーベン・アルファーロ侯爵に下賜された。自らの新たな居場所を作ろうと努力するセレナだったが、夫ルーベンの幼馴染だという伯爵家令嬢クラーラが頻繁に屋敷を訪れることに違和感を覚える。

初恋の相手と結ばれて幸せですか?

豆狸
恋愛
その日、学園に現れた転校生は私の婚約者の幼馴染で──初恋の相手でした。

挙式後すぐに離婚届を手渡された私は、この結婚は予め捨てられることが確定していた事実を知らされました

結城芙由奈@コミカライズ発売中
恋愛
【結婚した日に、「君にこれを預けておく」と離婚届を手渡されました】 今日、私は子供の頃からずっと大好きだった人と結婚した。しかし、式の後に絶望的な事を彼に言われた。 「ごめん、本当は君とは結婚したくなかったんだ。これを預けておくから、その気になったら提出してくれ」 そう言って手渡されたのは何と離婚届けだった。 そしてどこまでも冷たい態度の夫の行動に傷つけられていく私。 けれどその裏には私の知らない、ある深い事情が隠されていた。 その真意を知った時、私は―。 ※暫く鬱展開が続きます ※他サイトでも投稿中

処理中です...