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トムはちゃんとまだ寝ているだろうか、とそっと寝床に近寄って、触手から肉塊を取り落とした。
「トム!」
寝床にトムは居なかった。
クチャ、クチャ、クチャ。
何か湿ったものを咀嚼するような音が、洞穴の奥から聞こえてきた。同時に錆のような臭いも微かにした。
ソレは自分の全身の血が凍りついたのだと思った。
全身が震えて、数多ある脚がその場で崩折れてしまいそうだった。
目眩がして、とても立っていられない。
しかし奥から聞こえる音は止むことはなく、ソレは震えながらも歩みを進めた。
肉を主食にする獣を狩り尽くしたと思った森に、直立する大きな獣が居たのだ。それが一匹だけだったと何故言えるのか。
ソレは生まれて初めて恐怖を覚えた。
もし。
もしも。
クチャクチャと何かを食む音の下へ行くのが怖くて、生まれた渓谷の更に地下深くへ突き落とされそうで、ソレは息を止めた。しかし音の正体を確認しなければ、トムが『奥には居ない』ということを証明できない。
ソレは全身を震わせ牙をガチガチ鳴らしながら奥へと進んだ。
クチャ……。
果たしてそこに、トムは居た。
「おかえりなさい、父さん」
ソレの最悪の想像は外れ、トムは喋る声も平静だった。
しかし顔と手が血だらけだ。
「一体何があったんだ、トム!」
安堵のあまりその場に踞りたくなったが、駆け寄ってトムを抱きしめたいと思い、ソレはヨロヨロと養い子に歩み寄った。
震える足の代わりに先に辿り着いた触手が小さな体を掬い上げる。どこにも怪我がないか確認しようとトムをソレの目の前まで持ち上げた時、血まみれの手から何かが落ちた。
ベチャと、濡れた音を立てたそれは、背中だけ毛を毟られ、肉を噛み千切られた栗鼠の死骸だった。
「何だこれは?!」
驚愕し、ソレは下に落ちたものを鉤爪に引っ掛けて持ち上げる。
「食べたんだよ!」
何故かトムが胸を張って得意げにする。
「食べた?! なっなんてことをするんだ!! 焼かないで口に入れるなど! 吐け! ほら! ペってしてゲーってしなさい!」
腸も取らず、毛を毟っただけの生肉を食べたのだと何故か誇らしげなトムに、ソレは焦って甲殻を剥いだ指をトムの口の中に入れようとした。嘔吐させられるだろうことを察したのか、トムはぷいとそっぽを向く。
「ヤ!」
「ヤじゃない! お前は火を通したものじゃないと食べられないんだ!」
「食べられるもん! 食べたもん!」
「トム! 何故そんなに逆らってばかりなんだ? いいから言うことを聞け!」
あまりの頑なさに思わず強くそう言ってしまう。
「……父さんは焼かないで食べてたのに」
「!!」
頬を空気でまんまるに膨らませたトムの呟きに、ソレはギクリとした。
「な、何を言っているのか……」
思わず大きな赤い三つの目玉をギョロギョロ動かす。
「父さんは、焼かないでガブッてしてたもん! 見たもん!」
一体いつ見られていたのか。
確かにソレはいい匂いのする粉を節約するため、粉を付けて焼いた肉はトムだけに与えていた。最近はトムが食べるのを嫌がるので、はじめに少しだけ食べて見せているが、ソレの主食はトムのために狩った生き物の臓物と骨が多い部分だった。トムをなるべく一人にしたくなかったので、捌いてすぐ焼きもせずに食べていた。
「そ、それは……お前と父さんは違うんだ、お前は焼いて……」
トムの目の縁で、水が一気に盛り上がった。
「ちがくないもん!」
大声で叫んだ途端、表面張力でギリギリ持ちこたえていた水の山が溢れた。
「おなじだもん! トムは父さんと同じだもん!」
一粒零れてしまったあとは、もう留まることなく水は落ちていく。
「トム……」
「同じだもん! ずっと同じでずっと一緒だもん!」
「……」
目から水をダラダラ流しながら叫ぶトムに、ソレは何も言えなくなっていた。
粉付きの肉を一人で食べることを、トムがギャン鳴きするほど嫌がる意味がわからなかった。
確かにソレにとっても、粉を付けて焼いたものは美味だった。だが、粉は有限で、小さなニンゲンであるトムは粉をまぶして焼いた物を食べる習性があるのだし、自分は谷底で食べていたものに口が慣れていた。それならばトムが食べられるものを美味しく食べさせて、大きなニンゲンになれるようにしようと思ったのだった。
「トムと父さんは同じだもんんん! うわあああああああああん!」
「トム……」
糧を分け合うニンゲンの習性が思いの外強く、ソレはどうしたら良いのかわからず途方に暮れる。
「うわああああああああああん!」
トムは鳴いて、鳴いて鳴いて鳴いて、
「うぎゃあああああん! げろ」
鳴き過ぎて吐いた。
「トム!」
寝床にトムは居なかった。
クチャ、クチャ、クチャ。
何か湿ったものを咀嚼するような音が、洞穴の奥から聞こえてきた。同時に錆のような臭いも微かにした。
ソレは自分の全身の血が凍りついたのだと思った。
全身が震えて、数多ある脚がその場で崩折れてしまいそうだった。
目眩がして、とても立っていられない。
しかし奥から聞こえる音は止むことはなく、ソレは震えながらも歩みを進めた。
肉を主食にする獣を狩り尽くしたと思った森に、直立する大きな獣が居たのだ。それが一匹だけだったと何故言えるのか。
ソレは生まれて初めて恐怖を覚えた。
もし。
もしも。
クチャクチャと何かを食む音の下へ行くのが怖くて、生まれた渓谷の更に地下深くへ突き落とされそうで、ソレは息を止めた。しかし音の正体を確認しなければ、トムが『奥には居ない』ということを証明できない。
ソレは全身を震わせ牙をガチガチ鳴らしながら奥へと進んだ。
クチャ……。
果たしてそこに、トムは居た。
「おかえりなさい、父さん」
ソレの最悪の想像は外れ、トムは喋る声も平静だった。
しかし顔と手が血だらけだ。
「一体何があったんだ、トム!」
安堵のあまりその場に踞りたくなったが、駆け寄ってトムを抱きしめたいと思い、ソレはヨロヨロと養い子に歩み寄った。
震える足の代わりに先に辿り着いた触手が小さな体を掬い上げる。どこにも怪我がないか確認しようとトムをソレの目の前まで持ち上げた時、血まみれの手から何かが落ちた。
ベチャと、濡れた音を立てたそれは、背中だけ毛を毟られ、肉を噛み千切られた栗鼠の死骸だった。
「何だこれは?!」
驚愕し、ソレは下に落ちたものを鉤爪に引っ掛けて持ち上げる。
「食べたんだよ!」
何故かトムが胸を張って得意げにする。
「食べた?! なっなんてことをするんだ!! 焼かないで口に入れるなど! 吐け! ほら! ペってしてゲーってしなさい!」
腸も取らず、毛を毟っただけの生肉を食べたのだと何故か誇らしげなトムに、ソレは焦って甲殻を剥いだ指をトムの口の中に入れようとした。嘔吐させられるだろうことを察したのか、トムはぷいとそっぽを向く。
「ヤ!」
「ヤじゃない! お前は火を通したものじゃないと食べられないんだ!」
「食べられるもん! 食べたもん!」
「トム! 何故そんなに逆らってばかりなんだ? いいから言うことを聞け!」
あまりの頑なさに思わず強くそう言ってしまう。
「……父さんは焼かないで食べてたのに」
「!!」
頬を空気でまんまるに膨らませたトムの呟きに、ソレはギクリとした。
「な、何を言っているのか……」
思わず大きな赤い三つの目玉をギョロギョロ動かす。
「父さんは、焼かないでガブッてしてたもん! 見たもん!」
一体いつ見られていたのか。
確かにソレはいい匂いのする粉を節約するため、粉を付けて焼いた肉はトムだけに与えていた。最近はトムが食べるのを嫌がるので、はじめに少しだけ食べて見せているが、ソレの主食はトムのために狩った生き物の臓物と骨が多い部分だった。トムをなるべく一人にしたくなかったので、捌いてすぐ焼きもせずに食べていた。
「そ、それは……お前と父さんは違うんだ、お前は焼いて……」
トムの目の縁で、水が一気に盛り上がった。
「ちがくないもん!」
大声で叫んだ途端、表面張力でギリギリ持ちこたえていた水の山が溢れた。
「おなじだもん! トムは父さんと同じだもん!」
一粒零れてしまったあとは、もう留まることなく水は落ちていく。
「トム……」
「同じだもん! ずっと同じでずっと一緒だもん!」
「……」
目から水をダラダラ流しながら叫ぶトムに、ソレは何も言えなくなっていた。
粉付きの肉を一人で食べることを、トムがギャン鳴きするほど嫌がる意味がわからなかった。
確かにソレにとっても、粉を付けて焼いたものは美味だった。だが、粉は有限で、小さなニンゲンであるトムは粉をまぶして焼いた物を食べる習性があるのだし、自分は谷底で食べていたものに口が慣れていた。それならばトムが食べられるものを美味しく食べさせて、大きなニンゲンになれるようにしようと思ったのだった。
「トムと父さんは同じだもんんん! うわあああああああああん!」
「トム……」
糧を分け合うニンゲンの習性が思いの外強く、ソレはどうしたら良いのかわからず途方に暮れる。
「うわああああああああああん!」
トムは鳴いて、鳴いて鳴いて鳴いて、
「うぎゃあああああん! げろ」
鳴き過ぎて吐いた。
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