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太古より幾度となく噴火し、隆起し、砕けては噴火して出来た渓谷の底、陽の光も届かない奥底でソレは生まれた。
火山灰と大地の奥底から噴き出すガス、触れた蝶が瞬時に地に落ちる瘴気だけが存在するその淀みで、ソレは足を滑らせて上から落ちてくる生き物の死骸を食べ、瘴気に染まって泥のようになった川の水を啜り、長い年月を生きた。そうして暗闇と瘴気の中で過ごして幾星霜。ソレは代わり映えのない陰鬱な世界に飽き、谷底から上へと這い出た。
渓谷の頂によじ登り、眼下を見下ろしてソレは驚いた。
緑色の木々も澄んだ青い空も清冽な涼しい空気にも驚いたが、何より自分以外に意思を持って動く生き物たちを初めてみたのだ。
ソレは嬉しかった。
この世に己唯一人が生まれてしまったのだとソレは諦観していた。
そうではないのだと知ってしまえば、途端に自分以外の生き物たちと触れ合いたくなった。
しかしソレが近付くと羽根の生えたものは飛んで逃げて行ってしまった。地をすばしこく走る生き物も逃げるのが上手だったが、ソレが追いかければやがて疲れ果てて足を止めた。ソレは慌ててたくさんある腕のうちの二本で立ち止まった生き物を掴んだが、生き物はソレのように硬い鱗も甲殻も持っていなかったので、手の中に捕らえたと同時にひしゃげて潰れてしまった。
ソレは自分のせいで動かなくなった生き物を見て悲しくなった。
悲しかったが、瘴気の谷で食べていたものに成り果てた生き物を体の中心にある牙の生えた口の中に放り込んだ。勿体無いと思ったのだ。しかし腹が空いているわけでもないのに、さっきまで動いていた生き物を壊して食べることに、ソレは猛烈な罪悪感を覚えた。
それからというものソレは自分から逃げる生き物を追うことはせず、己と同じ存在を探すことにした。
森を彷徨い、野を彷徨い、川を下って海を渡っても、ソレは己と同じように大きく、黒く、鱗と甲殻に覆われた体を持ち、無数の鉤爪を持った手足を持ち、赤く大きな3つの目と牙に覆われた大口を持つ生き物に出会うことはなかった。
ソレは消沈したが、小さな二足歩行する羽根のないたくさんの生き物を見つけた。
それらは臆病で、ソレを前にするとすぐに逃げた。
しかし集団になると気が大きくなるらしく、たまに群れてソレに襲いかかってきたが、二本の尾を振り回せば簡単に蹴散らせるので、やがて生き物はソレを畏れ、挑んでくるようなことは滅多に起こらなくなった。
ソレは群れて暮らす生き物を観察し、生き物が使っている言葉を学んで彼らの生活を見、孤独を慰めた。が、生き物たちがお互いを慈しみ合うのを見ていたら余計に寂しくなった。
ニンゲンというらしい生き物たちは、腹から生まれるようで、腹から出てきた小さいニンゲンは生んだ大きなニンゲンに庇護され、慈しまれ、糧を分け与えられて抱擁され、大事に育てられて増えていく。
「うああああん!」
「おお、よしよし泣かないで」
「何も怖くないぞ! お父さんが守ってやるからな」
大きいニンゲン二人と小さい小さいニンゲンを眺めていて、不思議な気持ちに陥った。
気が付いたら瘴気の中で存在していたソレの目に、彼等の関係は奇異に映ったのだ。
戯れに、大きなニンゲンのように自分を作り出したかもしれない大きい存在を想像してみた。
何となく大口の奥、胃袋の上の方が暖かくなった気がした。
しかしそんな妄想も我に返ると虚しいだけで、余計にソレは陰鬱な気分になってしまった。
火山灰と大地の奥底から噴き出すガス、触れた蝶が瞬時に地に落ちる瘴気だけが存在するその淀みで、ソレは足を滑らせて上から落ちてくる生き物の死骸を食べ、瘴気に染まって泥のようになった川の水を啜り、長い年月を生きた。そうして暗闇と瘴気の中で過ごして幾星霜。ソレは代わり映えのない陰鬱な世界に飽き、谷底から上へと這い出た。
渓谷の頂によじ登り、眼下を見下ろしてソレは驚いた。
緑色の木々も澄んだ青い空も清冽な涼しい空気にも驚いたが、何より自分以外に意思を持って動く生き物たちを初めてみたのだ。
ソレは嬉しかった。
この世に己唯一人が生まれてしまったのだとソレは諦観していた。
そうではないのだと知ってしまえば、途端に自分以外の生き物たちと触れ合いたくなった。
しかしソレが近付くと羽根の生えたものは飛んで逃げて行ってしまった。地をすばしこく走る生き物も逃げるのが上手だったが、ソレが追いかければやがて疲れ果てて足を止めた。ソレは慌ててたくさんある腕のうちの二本で立ち止まった生き物を掴んだが、生き物はソレのように硬い鱗も甲殻も持っていなかったので、手の中に捕らえたと同時にひしゃげて潰れてしまった。
ソレは自分のせいで動かなくなった生き物を見て悲しくなった。
悲しかったが、瘴気の谷で食べていたものに成り果てた生き物を体の中心にある牙の生えた口の中に放り込んだ。勿体無いと思ったのだ。しかし腹が空いているわけでもないのに、さっきまで動いていた生き物を壊して食べることに、ソレは猛烈な罪悪感を覚えた。
それからというものソレは自分から逃げる生き物を追うことはせず、己と同じ存在を探すことにした。
森を彷徨い、野を彷徨い、川を下って海を渡っても、ソレは己と同じように大きく、黒く、鱗と甲殻に覆われた体を持ち、無数の鉤爪を持った手足を持ち、赤く大きな3つの目と牙に覆われた大口を持つ生き物に出会うことはなかった。
ソレは消沈したが、小さな二足歩行する羽根のないたくさんの生き物を見つけた。
それらは臆病で、ソレを前にするとすぐに逃げた。
しかし集団になると気が大きくなるらしく、たまに群れてソレに襲いかかってきたが、二本の尾を振り回せば簡単に蹴散らせるので、やがて生き物はソレを畏れ、挑んでくるようなことは滅多に起こらなくなった。
ソレは群れて暮らす生き物を観察し、生き物が使っている言葉を学んで彼らの生活を見、孤独を慰めた。が、生き物たちがお互いを慈しみ合うのを見ていたら余計に寂しくなった。
ニンゲンというらしい生き物たちは、腹から生まれるようで、腹から出てきた小さいニンゲンは生んだ大きなニンゲンに庇護され、慈しまれ、糧を分け与えられて抱擁され、大事に育てられて増えていく。
「うああああん!」
「おお、よしよし泣かないで」
「何も怖くないぞ! お父さんが守ってやるからな」
大きいニンゲン二人と小さい小さいニンゲンを眺めていて、不思議な気持ちに陥った。
気が付いたら瘴気の中で存在していたソレの目に、彼等の関係は奇異に映ったのだ。
戯れに、大きなニンゲンのように自分を作り出したかもしれない大きい存在を想像してみた。
何となく大口の奥、胃袋の上の方が暖かくなった気がした。
しかしそんな妄想も我に返ると虚しいだけで、余計にソレは陰鬱な気分になってしまった。
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