虚飾城物語

ココナツ信玄

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第五章

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「リディアの戴冠式及び私の退位式は、かつて私が幼少期に過ごした虚飾城にて行う」

 病の床に伏せっている間にそうなってしまったのか、随分と無計画でわがままになったカリム王の宣言により、リディアとルークはやっとの思いでやってきた王都から虚飾城へと引き返すことになった。
 もちろん今回は二人だけではない。提案した王や政治の中枢を担う大臣、貴族達も一緒だ。そして彼等を警護する騎士達までもが付いて来る。

(まるで遷都するかのようだ)

 王宮のテラスから白鷹の門を出て行く先導の騎馬隊を眺め、リディアは思った。
 先発は今出て行った所だが、慌てることはない。
 先導の後は騎士達が出、その後は神殿関係者と神殿騎士。次は王宮騎士で、その後でようやく王族達が後詰めの騎士団と共に門をくぐるのだ。
 しかし時間を忘れて駆け回ってラーラやルークに幾度も叱られてきたリディアは、万が一もあると考え直してテラスの手摺りから、部屋の中に戻った。
 テラスと部屋を仕切るガラスの扉を閉め中央に視線を移すと、覆い越しに王が宣った。

「リディアよ。遅れることなく付いて来るのだぞ。お前は随分と奔放に育ったと聞く……くれぐれも皆の邪魔をしないように」

「……分かっています」

 誰かが虚飾城での振る舞いを密告したらしい。
 苦い思いで王座のある上段から顔を背け、リディアは自分の爪先に目を落とした。

(誰だ? 派遣されて来ていた人間か?)

 ぎりぎりと悔しさに打ち震えている王女に頓着することなく、壇上の国王は自分の妃達にも声を掛ける。

「アイダにマイラよ。お前達はもう、準備は整っているのか?」

 その言葉にいち早く反応したのは、第一王妃のアイダ王妃だった。

「陛下! お願いがございます」

「何だ? 申してみよ」

 暫し思い悩むようにしていたが、アイダは固い決意を浮かべた顔を上げた。

「私は王都を離れられません!」

「何故だ?」

「陛下はお忘れなのですか? 私達の王子の命日が近付いているのに!」

 重い空気が部屋の中を漂った。
 しかしリディアはそれが第二王子のための言い訳であることに気付いていた。一瞬だけ彼女が振り返り、頷いて見せたからだ。
 カリム王は自分の言葉の無神経さに気が付いたのか、重い溜め息を一つ吐いた。

「……そうであったな。良い。アイダは王都に残り、弔いの式を取り仕切るがいい。だがマイラよ、お前は一緒に来てもらうぞ。国の大事に王妃が二人共不在では面子が立たん」

(いけない! それでは一番下の兄上が!)

 制止の言葉を口走りそうになったリディアを、マイラ王妃が強い眼差しで止めた。

「分かっていますわ、陛下。私は陛下と一緒に参ります」

 そう答えながらも、マイラはリディアに微笑みかけてきた。

(母上はもう手を打っておられるのか)

 感心と安堵に体中の緊張を解きながら、リディアは布の向こうの王に頭を下げ、部屋から出た。
 部屋の中には王家の人間しか居なかったのだが、相手は一国の王だ。町の子供が父に甘えるような振る舞いをすることは、決して許されなかった。
 廊下に出ると、扉から少し離れた所にルークが立っていた。

「リディア、話があります」

 難しい顔で手招いている。
 あまり楽しい話ではなさそうだ。
 隣に駆け寄ったリディアの腕を取り、ルークは早足で廊下を歩いた。
 やがて小部屋の並ぶ一画に辿り着いたが、今度は注意深く周りを気にし始めた。

「どうしたんだルーク? ここは?」

「静かに! ……奥の部屋です」

 言うや、並ぶ小部屋の一つにリディアと共に滑り込んだ。

「姫殿下!」

 中で二人を待っていたのは、背の低い、小リスに似た風情の一人の侍女だった。
 畏まって椅子から立ち上がり、黒目がちな大きな瞳を潤ませてリディアを見つめている。

(どう言うことだ?)

 困惑し、背後で扉を閉めたルークと侍女を交互に見比べるリディアに、侍女は感極まったようにその場に跪いた。

「姫殿下、恐ろしいことが起っています! どうかお逃げください!」

「?」

 よく分からない。
 確かに死んだと思っていた兄が二人共生きていたりしたが、それほど恐れることではない。ただ何だか分からなくて不気味なだけだ。
 首を傾げた王女の心中を見透かしたのか、侍女は掴み掛からんばかりに駆け寄って来た。

「世迷言などではないのです! 私はこの目で見たのです! 死神を!」

 侍女はその時を思い出したのか、震え出した自分を強く抱き締め、カチカチと歯を鳴らして語り出した。

「姫殿下が王都に参られてすぐ……誕生祝賀パーティーの夜でした。私は国王陛下の身の回りのお世話をしているので、その夜も陛下の部屋の前の明かりを調べに行きました。蜜蝋が残り少なくなっていたような気がしたので。私、陛下の部屋へと続く大廊下を歩いていました。そうしたら……見ましたの! 夜の闇より尚暗い、黒い影を!」

 よくある怪談の類か、と苦笑したリディアは、次に続いた侍女の言葉に凍り付いた。

「私、見間違いだと思いましたわ。とても怖かったのですけれど、お仕事を終えようと廊下の明かりの具合を確かめておりましたの。そうしたら陛下の部屋から確かに聞こえたのですわ。カリム様のものではない声が、生贄を……純然たるトルトファリア、最後の血を持つ次王を生贄に望む、と言うのを!」

(生贄?)

 リディアは、話がにわかにおどろおどろしくなってきたのに眉をひそめた。
 悪意無き怪談にしては悪辣な上、王制批判の罪を覚悟で囁くには危険すぎる内容だ。

「私、誰かが姫殿下のお命を狙っているのだと思いました。陛下のお部屋から聞こえて来たのも、灯台下暗しとも言うじゃありませんか。国家転覆を窺うのに、陛下のお部屋の近くで密談するなんて誰も思いつきませんでしょう? ですから私、物陰に隠れて不届き者の顔を見てやろうと、出てくるのを待っていましたの。けれどその不届き者は……」

 知らず話に引き込まれ、リディアは息を呑んで侍女の次の言葉を待った。
 侍女は自分を勇気付けるように大きく息を吸い込む。

「廊下に出た瞬間に霧と消えたのです!」

(そんな馬鹿な! 魔法じゃあるまいし!)

 驚愕したリディアの様子に満足したのか、少し気を良くした感の侍女は尚も言う。

「蜜蝋の火は誓って消えていませんでした。その灯りの中で私は確かに見たのです。漆黒の布を被った骸骨が空気に溶けるのを。王家は呪われています! 姫殿下は生贄にされてしまいます! どうかお逃げください!」

 話の結末に戦慄を覚え、リディアは背後を振り返る。
 侍女の話を全て聞いたはいいが、どうすれば良いのか皆目見当つかない。
 得てしてそんな時、後ろに立っている褐色の肌の青年が間違った助言をすることはない。

「ルーク……私は」

 どうしたらいいのかと訊ねようとして何も言えなくなった。振り返った時、ルークが激昂していたからだ。
 今までのように静かに怒るのでなく、固く握り締められた拳が震えるほどに激しく怒りを露わにしていたのだ。




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