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第二十三章

命の限り-11

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 イルメールの身体を持ち上げ、自分の膝に頭を乗せると、彼女はフフと優し気な微笑みを見せたけれど――それはまるで、母が愛おしい子に向ける、慈愛の表情にも似ていて、イルメールはその表情がどこか、覚悟を決めた者の浮かべる表情に見えた。


(待て……待てよ、パワー。お前、本当に何するつもりだ……っ)

(簡単に言えば、君の魂と、ボク……神霊【パワー】としての在り方を同化させる。そうすれば君は、ヤエちゃんみたいな神さまになって……永遠の命を、手に入れる事が出来る)

(待てって。それをしちまッたら、オメェはどうなるんだ……?)


 彼女の行為を止めたいけれど、しかしイルメールの身体は動かない。

  何度も何度も動かそうと脳から命令を送っても、神経が遮断されている状態ではどうしようもない。

  
  少しずつ、イルメールへ顔を近づけるパワーに、それでもイルメールは、言葉をかけ続ける。


(安心して。ボクはずっと、君の中に在り続ける。……意志もなくなるし、お話しとかも、出来なくなっちゃうけど、でもボクは、君の中にずっといるよ)

(それじャ……それじャ意味がねェ……意味がねェよ……ッ! オレは、オメェを失ッてまで、オメェと二度と話が出来なくなッてまで、生きたいと思えねェ……!)


 既に涙も流せぬイルメールの身体を、ギュッと抱きしめるパワーは、彼女の代わりにボロボロと、涙を流す。


(……ボクは、イルメールに、生きていて欲しい)

(オレは、オレ自身は、死ンでも良いって思ってンのにか……?)

(うん。独りよがりだって、怒られても良い。これから永久に続いていく命に、君が絶望する事もあるかもしれない。……それでも)


 イルメールの顔に零れる涙、それは彼女の目元に落ちて――まるでイルメールが泣いているかのようにも見える。


(ボクは、君を愛してる。だから君には、何時までも生きていて欲しい。……そんな、人間みたいな感傷を、君に送るよ)


 重ねられる、イルメールの唇とパワーの唇。

  互いの温かさ、柔らかな感触が互いに伝わった瞬間――パワーの身体は次第に光に包まれ、光は拡散しつつも、やがてイルメールの身体へと浸透していく。


(イルメール……大好きだよ)


 声はやがて聞こえなくなる。

  しかしイルメールは、ようやくそこで溢れ流す事が出来る自身の涙を拭う事無く――再生を果たした両足で、立ち上がった。

    
  **
  
  
  イルメールを豪剣によって倒す事が出来た、と実感する暇もないまま、豪鬼は地面に身体を転がしていた。

  左腕を貫いた脇差による肉体の崩壊は、何とかせき止める事が出来る。

  地面へ落下した衝撃は身体を襲うけれど、その程度であれば耐える事が出来る。


「ハァ……、ハァ……ッ」


 荒れる息を整える様にして吐き出す息、損傷した左腕を抱える様に身体を丸めた豪鬼は、そこである気配に気付く。


「……斬鬼……もしかして、死んだ……のか……?」


 それまで感じていた斬鬼の虚力が、その瞬間から感じられなくなった。

  豪鬼とイルメールの戦いを誰にも邪魔されないように、足止めを買って出てくれた斬鬼。

  彼の消滅とは――また一人の家族を失う事と同義であり、豪鬼は流れる涙を止める事無く、無念を叫ぶ。


「また……また一人、家族が死んだ……ッ」


 イルメールを倒した事で、確かに敵の戦力は半減以上減った事は間違いない。

  しかし豪鬼には人類粛清、人類淘汰の願望は無い。彼女を殺す事に成功した所で、斬鬼や愚母という家族が生き残っていなければ、意味は無いのだ。


「チクショウ……チクショウ――ッ!!」


 泣き、叫ぶ声は、リュート山脈に響き渡る。

  だが、その声が山全体に響き渡った所で、彼の声を聴いている者などいやしないと――自分の無力さに地面を殴りつけた、その時だった。

  死んだ筈のイルメールが、のっそりと身体を起き上がらせたのだ。


「、……は……っ!?」


 彼女はまず、上半身だけを起こして、下半身が潰れている事に気付いたと言わんばかりに、その上下の半身を繋げるように、近付けた。

  すると、ピタリと合わせるように肉体は繋ぎ合わさり、彼女はそこでようやく、身体を起こす事に成功したのだ。


「……な……なんで……お前……ッ」


 殺したと思っていた。死んだと思っていた。死んでいなきゃおかしい。

  イルメールの上半身と下半身を分割させ、血は彼女の身体から致死量以上が出ていったハズだ。

  なのに何故――彼女は生きている?


「なんで、なんで生きてるんだよ、お前――ッ!!」


 既に豪鬼は満身創痍だ。何とか立ち上がる事は出来るが、戦闘はこれ以上できない。

  そうした捨て身の戦法で彼女をようやく倒す事が出来たと感じていた豪鬼にとって、イルメールの生存というのはあまりにも無情だった。


  ――しかし、イルメールの様子も、どこかおかしかった。


  ボロボロと流す涙、それを決して拭う事無く、彼女は間近にあった、薙ぎ倒されていた木に向けて、拳を振り込んだ。

  振り込んだ瞬間、強く世界が揺れた。


  ゴゴゴ、と強く揺れ出す地面に、思わず豪鬼は立っていられず、再び地面へと倒れ込んでしまう。

  だが、イルメールは止まらない。

  怒り狂うように、世界へと向けて叫ぶのである。



「パワーの……馬鹿野郎……豪鬼の勝ちにケチ付けやがってッ!!」



 幾度も、幾度も、彼女は自分の胸を拳で殴り続ける。


「オレと、豪鬼は、真剣に勝負して、オレが負けたッ! オレはそこで、死んでなきャならなかッたのに――ッ!!」


 彼女が胸を一叩きする度に感じる、空気が震える感覚。

  それを感じ取って、豪鬼は幾度目になるか分からぬ、死を覚悟した。


「……殺せよ。もう、オレに勝ち目は……無い」


 豪鬼が呟いた言葉。しかしイルメールはその言葉に気付くと、彼へと向き合って首を横に振る。


「オレは、オメェに負けた。これ以上その勝負にケチ付ける事は出来ねェ。それはオメェに対しても、オメェが勝ち取った勝利に対しても冒涜だ……!」

「……じゃあなんで、お前は生きてる……ッ」

「オレだってこんな生き恥を晒したかなかったよッ!!」


 叫び声の応酬が、そこで終わる。

  二者はただ押し黙っていたが、そんな二者の間を取り持つように、一人の女性が空から飛来し、イルメールを見据える。

  咥え煙草をしている、菊谷ヤエ(B)だ。


「……パワーと同化を果たしたか。つまりお前は、私やガルラと同類になったというわけだ。神と人間の同化体・パラケルススという存在にな」

「辞め方教えろ。ンで、パワーに文句言いまくる」

「本当に残念だが、私も知らん。そもそもそんな方法を知ってたら、真っ先に私がやってるさ」


 苦笑を浮かべたヤエが、今度は豪鬼へと視線を送る。

  彼は随分消沈しきった表情だったが、しかし虚力の拡散は防げているようで、このまま放置しても消滅はしないだろう。


「アンタも……ガルラと同じ……人じゃない存在、なのか?」

「ああ。そしてイルメールも、今はそうなった。神霊【パワー】と同化を果たして、同じ神の位にある者でしか、イルメールを殺す事は出来ない」

「……そんなの、卑怯だ……そんなイルメールが敵にいたら……オレ達にはもう……勝ち目なんてないじゃないか……ッ」

「安心しろ、豪鬼。コイツにはもう、お前ら災いと戦う気なんかないし、あったとして私がさせない」


 え、と顔を上げた豪鬼の目に見えるのは――豪剣を背負い、下山方向へと身体を翻していこうとする、イルメールの姿だ。


「な……なんで……?」

「この戦いはそもそも、人と災いによる争いだ。何の因果かフォーリナーやガルラと言った存在が干渉してしまっているがな」

「マ、そう言うこッた。……人の身であるイルメール・ヴ・ラ・レアルタは死んだ。お前に殺された、っつーコト」


 ヤエがイルメールの背中を叩くと、イルメールも頷いて豪鬼から遠ざかっていく。

  その方角は、リンナとも、シドニアとも、サーニスやワネットとも……勿論アジトの方でもない。

  本当にイルメールは豪鬼との戦いにおいて敗北を認め――そして既に人の身で無いからと、一戦から退く気でいる。


「お前は……それでいいのか、イルメール」


 去っていこうとする彼女の背中に、豪鬼は語り続ける。


「大切な、妹たちを……皇族として、クアンタやリンナを、守るんじゃないのかよ……!」

「そう考えて戦って、オメェに負け、オレは死ンだ。そンだけだろ」

「どうしてそう割り切る事が出来る……っ」


 豪鬼自身、自分が何故怒っているのか、理解しているわけではない。

  彼女が生きて愚母やマリルリンデと戦われ、災い達が全滅する可能性も十分ある。本来はそうして戦いから退いて貰った方が、豪鬼としても都合は良い。

  だが、彼女はこれまで、姉妹の為にと、守るべき民の為にと、何より自分自身の為にと、戦いを肯定してきた女だ。


  豪鬼は――そう、そうしたイルメールという存在を、肯定していたのだ。


  その彼女が、全てを捨ててこの場を去ると言う事が、どうにも信じられなかった。

  彼女らしくないと、認めたくなかったのだ。


「オレもなりたかったワケじゃねェが、神さまになった。神さまは、人に多く干渉するべきじャねェ。……それが例え、家族であろうとな」

「アンタはこれまで、そんな道理を幾つもぶち壊してきた女だろ!?」

「壊しちゃならねェ道理もある。……それにコレは、オレがオメェに負けたからこそ受けた、福音でもあり、呪いでもある」


 振り返り、豪鬼へと視線を向けたイルメールは、彼女に似合わぬ言葉を連ねながらも――涙は決して止めていないし、拭わない。

  拭う事は許されないと、涙が枯れるまで泣かなければと、自分に言い聞かせるように。


「豪鬼、オメェはオレに勝って、命を繋ぎ留めた。その使い方はオメェが考えりゃいい。――オレも、神さまになって繋ぎ留めた、永遠の命とやらをどう使うか、長い時間の中で考えるよ」


 永遠の命、長い時間、それは虚力が有り続ける限り、生きる事が出来る災いと近しい存在なのかもしれないが――しかしガルラや、目の前にいる女性を見る限り、暗鬼にはそれが【祝福】とはとても思えない。

  もう一つ、彼女が口にした【呪い】の方が、よほどしっくりくるかもしれない。


「……オレにはもう、餓鬼も、暗鬼も、斬鬼もいない……愚母だって、クアンタに勝てるかどうか、分からない……そんなオレより、アンタが家族と、生きる事を望めばいいだろうに……っ」

「そうやって、自分だけじゃなくて他人を良く見てンのがオメェの長所だぜ。……じゃあな。長生きしろよ」


 立ち去るイルメールに、豪鬼は何も、言う事が出来なかった。

  取り残された豪鬼へ、ヤエは煙草に火を付けながら、述べる。


「餓鬼は生きている」

「……え?」


 名も知らぬ神の口から出た言葉に、豪鬼は思わず声を上げたが、彼女は「独り言だ」と言いながら、煙草の煙を吐き出した。


「バルトー国バリスタル市の貧困街だ。餓鬼は、人間の子と共存する道を模索してる」

「餓鬼が、生きてる……? 人間の子と、共存?」

「餓鬼は進化を果たした。愚母は恐らく、クアンタに敗北する。マリルリンデもシドニアによって、倒されているだろう」


 独り言という体だからか、決してヤエは豪鬼の問いに返答はしないが――しかし彼女の言葉は、豪鬼にとっての肯定に近しい言葉である。


「お前も、自分なりの生き方を見つけろ。せっかく繋ぎ留めた命だ。無駄にする事は無い」

「……何だって、お前ら神さまはそう……身勝手な事を言う奴ばっかなんだ……ホントに、気が重い」

「この世に生きる全ては、総じて自分勝手なものさ。……だから、お前も好きに生きろと言っているんだ。餓鬼はもう、そうしている」


 吸い終わった煙草を吐き捨て、踏み潰し、そうしてヤエはその場を去っていく。

  好きに生きろ――そう言われて、豪鬼は戸惑いながらも、言葉を漏らす。


「……人間と共存、か」


 それが出来るかどうかは分からない。

  餓鬼に出来て、自分にも出来るとは言えない。


  けれど――それでも。


「……そうした未来が、もし掴めたら……」


 それは、何と嬉しい事だろうと感じる。


「オレ達災いは……もう人間を襲うなんて……気が重い事を、しなくて済む」


  そして――どうせ残った命ならば、その道を歩んでみようと。

  豪鬼はそう感じ、歩き出したのである。


  行く先は、誰にも分からない。
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