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第二十章

餓鬼とアルハット-09

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 ニヤリと笑いながら、餓鬼はアルハットの握る脇差をひったくる。


「か……返し……っ、」


 火傷の痛み、さらに何度も何度も蹴られた故に全身へ走る痛みに耐えながら、アルハットは餓鬼の細い足を握るが、それを振りほどいて、餓鬼は刀をアルハットに見せびらかす。


「そーだよねー。アンタはさ、クアンタとかリンナと違って、自前で虚力生み出せないもんねー。刀は大切だよねー」


 そう、各皇族はリンナの刀を用いなければ、名有りの災いに敵う事は無い。

  これまでは他の皇族、もしくはリンナやクアンタという味方がアルハットの傍にいる事が多かった為、例え一人が刀を失っても、どうにかなる事もあった。


  ――だが、今アルハットは、誰かに助けを求める事も、助けがここに来ることも期待できない。


  つまり、今餓鬼が持つ刀が、もし無くなってしまえば。

  アルハットは、餓鬼に勝つ方法が……否。

  餓鬼に負ける以外の選択肢が、無くなってしまうのだ。


  それが分かっているから、アルハットは無様だと分かっていても、愚直に刀へと手を伸ばす。

  どれだけ身体が痛もうと、痛みがあるならばまだ生きているのだと言う、姉の言葉を思い出しながら。

  しかし――現実は、どうにも残酷である。


「ハイ、返してあげるよ――ッ!!」


  彼女は高笑いを泉の洞窟内に響かせながら、地面へと刀を叩きつけた後、踏みつけ、刃を叩き折るのである。


「これで、これでアンタは、もうアタシを殺せないッ!! アンタはこれから死ぬしか無いんだよ! アンタが立ち上がってどれだけアタシと戦っても、アタシはアンタに殺されない! アタシはアンタを殺せるッ! それだけでもう笑いが止まらないよぉ――ッ!!」


  折れる刃の姿を、アルハットには見ている事しか出来なかった。

  餓鬼の言う通り、もうこれで、アルハットには餓鬼に敵う術が――殺す為の手段が、失われてしまったのだ。


「あーあ、かわいそーなアルハットっ! アメリアでさえ、最後はサーニスとイルメールが見てる前で消してやったのに、アンタは誰にも見られてない中で死ぬんだもんねぇっ!」


 そこで、ヤエとパワーの二者が、険しい表情で餓鬼とアルハットの戦いを見据えていると思い出し、彼女達に視線を送る。


「ごめんごめん、アンタらもいたね。……でもホントに良かったぁ……泉の管理してるのが神さまじゃなくて、こんなに弱いアルハットで」


 今、刀の破片に向けて伸ばそうとするアルハットの手を、思い切り踏みつけた餓鬼。


「あ――ッ、」


 指の骨も折れた感覚がして、表情を歪めて声を上げるアルハットに、パワーが唇を噛みしめながら、ヤエへと視線を送る。


「……私には、アルハットを助ける事は出来んぞ」

〈分かってる。分かってるけど、このままじゃアルハットちゃんは〉

「そもそも、泉が関わっていなくとも、この戦いは皇族と災いとの戦いだ。……残酷だが、私は皇族に手を貸すつもりはない」


 このままアルハットが餓鬼に敗北するという事は、彼女は泉の管理者に相応しくなく、餓鬼の方がより管理者に相応しいという事になる。

 餓鬼が泉の力を扱えるかどうかは別として――力の泉というのは、どんな形であれ強き者が管理するべきであり、戦いによってアルハットが負けると言う事は、つまりそれ以上適任の者がいた事に他ならぬのだ。


「おらっ、まだ痛めつけるんだから倒れてないで早く立てっ」


 アルハットの、炎で少し焦げている髪の毛を乱雑に掴んで持ち上げた餓鬼は、そのまま爛れた腹部に膝蹴りを叩き込んだ後、突き飛ばす。


「ぐふ、……っぅ……!」

「これで愚母ママにいい報告が出来るよ。アルハットは殺せた、源の泉が持つパワーとかいう奴もアタシのモノになる! もうアタシより強い奴なんかいなくなる、誰にもアタシをバカにさせたりなんかしない、死者の暗鬼にも、アタシにデカい顔なんかさせない――ッ!」


 もうアルハットには勝機が無いと考えている餓鬼は、苦しみ悶える彼女の事など見ていない。

  しかしアルハットは――餓鬼の言葉を聞いて、唇を噛みしめながらも、それでも思考を回し続ける。


(私が……死ぬ事は、どうでもいい……)


 痛みで上手く回らぬ思考、けれど脳を無理矢理にでも動かしていなければ、それこそ痛みで意識を遠のかせて死ぬだけだと、自分の息を認識しつつ、考える。


(何よりも、避けないといけないのは……餓鬼へ、泉の管理権限が、渡らないようにしないといけないこと……)


 泉の薄緑色が光り、視界も既に覚束ない目に映る。

  餓鬼は災い故、魔術回路と貯蔵庫は無い。泉における一番の有効活用法である高純度のマナにおける恩恵は無いと考えて良い。

  一応理論上、彼女はクアンタやマリルリンデと同じく虚力によって身体を構成する存在であるので、彼女達フォーリナーと同様に魔術回路と貯蔵庫を擬似的に作り出す事は可能かもしれない。泉の瘴気にあてられた彼女の身体に、魔術回路と貯蔵庫にも似た器官を作り出す可能性は否めないが、その点はヤエとパワーが慌てていない点からしても、問題はないのだろう。

  だが例えば、餓鬼が泉をそのまま取り込んでしまった場合。

  こうなると問題は別である。アルハットはまだ試していないし、試す度胸も無かったが、源の泉は星の情報そのもの、星のエネルギーそのものと言っても良い。そんな力を直接取り込んでしまった場合、その者にどんな事が起こるかも予想付かない。


(……ちょっと、待って……予想がつかない、という事は……)


 一縷の希望が、アルハットの脳内に駆け巡る。

  正直、分の悪い賭け所ではない。

  それでも、ただこのまま死にゆくだけであるのならば――そうした命を賭す行為というモノにも、意味はある。

  アルハットは、痛む体を何とか少しずつ動かして、泉の下へと身体を這い寄らせていく。

  泉との距離は数メートル。それまでに死なない事を祈りながら進んでいた彼女を。


「泉に行きたいの?」


 餓鬼がニヤニヤと笑いながらアルハットの身体に足を付け。


「手伝ってやるよ」


 そのままアルハットを蹴り上げ、泉の中へと身を投げさせた。

  バシャン、と水しぶきを立てながら泉へと落ち、沈んでいく彼女の姿を、笑いながら見送った餓鬼。

  しかし反面、ヤエとパワーは目を見開きながら、泉へと駆け寄った。


「おいパワーっ! まだ泉の管理権限はアルハットにあるままかっ!?」

〈う、うんっ! まだ彼女は死んだわけでも、餓鬼への管理権限譲渡の手続きもしていないっ!〉


 神霊二人が慌てる様にしている姿を見据えながらも、何故そんな態度なのかを理解していない餓鬼が、浮かんでくるであろうアルハットを待つ。


「神サマ達は何慌ててんだか。……泉のパワーってヤツを、アルハットで実験するんだよ。アルハットも研究とか考えるの好きみたいだから、モルモットってのも悪くないんじゃねぇのぉ?」


 ケタケタと笑いながら、溺死している事を期待して泉から距離を取って待つ餓鬼だったが――しかし、沈んでいったアルハットは、まだ意識を保っていた。


  
  アルハットは沈んでいる自身の身体を認識している。

  むしろそうして水没している筈であるのに、息苦しくも無い。

  何故だろう、身体全体が、温かな光に包まれているような感覚がある。

  既にどれだけの泉を飲み込んだかも分からない。

  それを取り込んだ場合に自分がどう変化するかを確認する事も忘れ――その温かさに、包まれている。


(これは……記憶?)


 頭に浮かぶのは、どこか懐かしささえ覚える光景が。

  そこはアルハット領皇居。それも現在の光景ではない。母であるアルハット・フォーマが、かつてのアルハット――幼名・ミサが産まれてから用意した、彼女の部屋である。

  優し気な微笑みを浮かべ、ミサへ青白い光を見せつけるフォーマ。

  その輝きを見据えて、同じ位瞳を輝かせたミサは、母の手に触れながら笑うのである。


『ミサは、この光が好き?』

『すきっ』

『じゃあ、ちょっと錬金術を教えてあげましょうか』


 アルハット・フォーマは、皇族として、次期アルハットとして、後世に名を遺す為に生まれたミサに、生きる上で必要な勉強しか与えなかった。

  それはフォーマが、ミサを愛していなかったからではない。

  ミサに、皇族や領主などとは関係なく、一人の女の子として幸せに育ってほしいという願望があったのだ。


  そうした母の愛情を受け続け――ミサは母の笑顔を好きになった。

 大好きな母に褒めて貰いたい。

  その一心で、ミサはほとんど眠ることなく、学んだ錬金術の研鑽に心身を注いだのだ。


(……そう、私は……お母さんに、褒めて欲しかった……あの時の私にとっては、それだけが、世界の全てだった)


 アルハット・フォーマは前皇族体制が瓦解すると共に、姿をくらました。

  だが最後の最後まで、アルハットとなるミサの手を握り続けてくれたのだ。


  ――これから皇族による次期皇帝を決める混沌の争いに巻き込まれるたった一人の娘へ、一秒でも長く、愛情を与えたいと言わんばかりに。

  ――大した事を教えれず、親としてのエゴを押し付けてしまった彼女に、せめてそれ位は、と。


  そう言いたいように、ギュッと、ギュッと手を握り続けたのだ。


(……私は、ずっと優しい人達に、守られ続けて来た)


 そうして母と別れた後も……彼女は多くの人が与えてくれた善意によって守られ、助けられてきて、何とかこれまでを生き永らえて来た。

  イルメールも、カルファスも、アメリアも、シドニアも、サーニスも、ワネットも、ドラファルドも、リンナも――そしてクアンタも。

  皆、アルハットの事を想い、これまでアルハットを守り続けてくれた。


(でも……私は、守られてばかりの……お姫様に、なりたかったわけじゃ、無い……ッ!!)


 沈んでいく身体には、既に痛みなどなかった。

  恐らくアルハットの体内にあるマナ貯蔵庫へ直接高純度のマナが届けられる事で、溢れるマナが肉体に治癒魔術を自動的に働かせているのだろう。

  免疫力の向上にも近いが、これはもう一種の【呪い】と言っても差し支えない。

  彼女の肉体は、既に源の泉が持つマナの原液に侵されている。

  強大過ぎる力に、肉体が崩壊してもおかしくはない。それを長く受け継がれてきた魔術回路が何とか高負荷の処理に耐えているだけで、肉体にかかる負荷事態に変わりはない。

  加えて――そうした強大な力が、肉体そのものを変化させる性質も加わる。


(私は……誰かに、笑顔で居て欲しい……誰かが私と一緒に、幸せで居てくれることを望んだんだ……だからッ!!)
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