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第二章

51 母親 ト 忠誠 ~或る庶子の悔恨~

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父は自ら平民であり続けた母と自分を援助した。
罪悪感だったのか、愛があったのかは分からないがそれでもある程度の金額と一緒に直筆の手紙を使者に預けた。

手紙に何と書いてあったのか知る機会は訪れなかったが、母は金よりもその手紙を心待ちにし、届けられる度に目に涙を浮かべて喜んだ。

更に自分がステータスを開示される頃には父の正妻から衣服や服飾品を下賜されるようになった。
これには母も驚き、喜び、感謝した。

何でも、父の正妻にも息子があったという。
伯爵夫人として平民の母を側室へ受け入れなかった判断に後悔は無いが、自身も息子を持つ母として身重の体で父の側を追われる事になった母に少々の負い目を感じたらしい。

伯爵が定期的に金銭を援助している事は知っていたし、伯爵が使者より伝え聞く自分息子の成長を喜び、楽しげに手紙を認める姿を微笑ましく見ていた。
本来であれば特定の平民に援助するなど咎めねばならないし、援助し続けていれば増長していずれより多くの金銭を求めたり復縁を迫ったりするかもしれないと警戒していた。

しかし、母は一度も自ら援助を求めることなく、復縁はおろか、子供だけでも伯爵家の名を賜りたいとすら願う事はなかった。

当然だ。
母は常より「愛しい我が子より他に欲しいものなどない」「愛する伯爵様の迷惑になるのが恐ろしい」と語っていた。
元より愛した男との一夜の思い出だけを求めたに過ぎないのだ。

それを伯爵夫人はなんと慎ましく清貧な母子であるか!と受け止めた。
その精神こそアーガスタイン家の根底にあるべきものだ、と。

以来、ただの伯爵夫人に過ぎない正妻は一介の平民に過ぎない自分たち親子に表立って金銭的な援助はできず、自身の息子のお下がりなどを下賜されるようになった。

伯爵の援助と伯爵夫人の下賜により、自分と母は平民にしては些か多い財を得た。
それらを2人で生きていくのに充分な土地と家屋に代え、細々と生きた。

正直、伯爵夫人からのお下がりは助かった。
自分のような者でも着用すればそれなりに見えたので働き口には困らなかった。
解いて仕立て直せば、多少の継ぎ接ぎはあっても近所に住む平民の子らに丁度いい。なけなしの小遣いを握りしめて「どうしても新緑祭のよそゆきが欲しい」という子供に格安で譲れば大層喜ばれるし、小遣い稼ぎにもなった。

自分などは幼い折には伯爵夫人から賜った貴族様の服を誂えたとは言え、小遣いで子供に分け与えるのはどうも納得がいかなかったが決まって母は言っていた。

「伯爵さまと伯爵夫人さまの愛はとても大きいの。本当はもっと広く愛されるべきなのよ。
でも、わたしは欲張りだから。伯爵さま方がくだすったお気持ちと、思い出と、愛しい子は絶対に他の人に譲れないの。
だからせめて、それ以外は伯爵さまの愛する領民に返さなくてはね」

自分は母が好きだ。
母が愛する父も好きだ。

母は自分を伯爵家の人間にしようとはしなかった。
平民である事を恥じたりもしなかった。

「わたし達は平民。
主人である貴族さまのご意向を慮り、それに従うの。
その見返りはもう充分にいただいたわ。
こうしてあなたに会えたのだもの。
わたし達はこの幸福に報いるために、生涯を尽くさなくてはならないわね」

それは忠誠というよりは信仰に近かったのかもしれない。

ともかく、幼い時分より母の愛と共にそれらの言葉を受けて育った自分は貴族、ひいては王族への忠誠は血肉に混じって自身を形作った。

自分にとって主に言葉を賜ったらそれに従うという事は、腹が減ったら食事をするというような当然の因果でしかなかった。
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