Sランク冒険者の受付嬢

おすし

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綺麗な土と水に美しい花

第7話

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 ベンチで微睡みながら、アクアは昔の事を思い出していた。ここ数年忘れていた、忘れようとしていた自分の昔の事を。


 アクアの産まれた《ロゼマリン家》は、代々聖騎士団の重役を輩出する由緒正しい家だった。貴族ではないが、貴族と同等の扱いをされる程で、アクアは幼い頃から聖騎士になるための英才教育をされた。聖騎士になるには、王国学院の卒業資格と高い戦闘力が求められるのだ。
 早朝に起こされ剣を振るい、昼は王都の学院試験のための勉学、夜は騎士としての礼儀作法を叩き込まれる。大人でも逃げ出したくなる過酷な日々だったが、アクアはそれに挫ける事なく耐え続けた。

 1人だったら挫けていたであろう日常に耐えられたのは、姉のシズクがいるお陰だった。少し歳の離れた姉は周囲から天才と呼ばれる程、聖騎士としての才を持っていた。そんなカッコいい姉は、幼いアクアの憧れだった。
 自身より大きい大剣を振り回し、魔力も申し分ない。頭脳明晰で、おまけに絵に描いたような美人だった。しかし姉が自分の才能をひけらかす事なく、アクアの事を1人の姉として可愛がった。公では令嬢のような喋り方でも、アクアの前では己を偽らずガサツな話し方をする程に。

「アクア、久しぶりだな!元気にしてたかい?」

「うん!お姉ちゃん、今日はおやすみなの?」

「あぁ。アクアに会いたくて、速攻で用事を片付けてきてやったよ」

「やったー!」

 2人が会うのは月に数度くらいしかなかったが、アクアはその時間が唯一の楽しみだった。だから少女は毎日が辛くても、姉さえいれば良いと思っていた。
 アクアが、12歳になるまではー。
 


「え?不合格…?」

 12歳になった年に、アクアは王都学院の試験に落ちた。落ちたといっても特進クラスの試験に落ちただけで、通常のクラスには通える。
 だが学院からの通知を見て、アクアは目の前が真っ暗になっていく気がした。ロゼマリン家から、過去に特進クラスに入れなかった者はいないからだ。案の定、両親は激怒し、そして絶望した。莫大な金を費やして聖騎士になる教育をさせて試験に落ちた者は、ロゼマリン家の恥だとも罵った。

 その日から、アクアの日常が狂い始めた。
 家に居場所はなく、学院でも姉は優秀なのに妹は真逆だと影で言われる。更にその頃には、姉は史上最年少で聖騎士の副団長に就任した事もあり、必然的に家にいる事も殆どなくなった。
 アクアは、1人ぼっちになった。


(なんであんなに頑張ったのに…私の人生って、何なの…?)

 暗い部屋でベッドにうずくまり、アクアは1人苦悩した。逃げたくなるような日常に我慢した結果が、こんな悲惨なものになるとは考えもしなかった。
 最早涙さえ流れず虚ろな瞳で床を見つめていると、ドアをノックする音がした。そんな事をするのは、この家では1人くらいでアクアはギュッと拳を握りしめる。

「アクア、いる?」

 久しぶりに聞いた姉の声は、ドア越しでもわかるくらいに心配そうなものだった。
 部屋に鍵がかかっているので入る事は出来ないが、姉はその場から離れようとせず呼びかけてくる。

「中々会えなくてごめんね。仕事が予想以上に忙しくて…でも、今日は帰ってこれたから一緒にご飯でもどうかな?」

 弱者を憐れむように聞こえ、アクアは布団をかぶって耳を塞いだ。あんなに好きだった姉の声が、今は聞いているだけで心が苦しくなる。
 そこで諦めるてくれると思っていたが、姉は少し大きめの声を出してこう言った。

「その、あまり悩まなくていいのよ?別に聖騎士だけが、アクアの人生じゃないと思うから…」
 
 それを聞いて、アクアの中で何かが壊れた。ずっと無理をして張り詰めていた糸のようなものが、『プツン』と音を立ててあっさり切れた。
 アクアはベッドから出ると、扉を開けて姉の前に姿を現した。久しぶりに会った姉は、おしとやかで貴族の令嬢のように見える。こんな姉の姿を、自分は知らない。

「アクア…!今日は私が奢るから、何か食べたいものでもあったら言って?」

「…いらない」

「え?」

「お腹すいてない」

 消え入るような声で呟き、アクアは姉の横を通り過ぎた。だがそれを姉が許すはずもなく、ガシッとアクアの手を掴んだ。自分にはないようなその力の強さに、身をもって姉との違いを痛感する。

「待って!久しぶりに会えたんだから、食事くらいいいじゃない…」

「…お腹すいてないって言ったでしょ」

「でも…じゃあ、明日買い物にでもー」

「もうやめてっ!」

 何とか姉の手を振りほどいたが、変に力を入れたせいでその場に崩れ落ちる。

「アクア、大丈夫かい?」

「触んないで!」

 シズクは慌てて手を差し伸べたが、アクアはその手を弾いて代わりに鋭い視線を向けた。その瞳には、大粒の涙が溜まっていて。

「お姉ちゃんに私の何がわかるの?!ずっと辛くても我慢してきた!やっとそれから解放されたのに何でこんなに苦しいの?!」

 初めて見る妹の泣き叫ぶ様に、シズクは驚いて目を見開いた。その姿は、今にも壊れて消えてしまいそうなものだった。

「ごめんね…。でも、他にも選択肢はー」

「あるわけないでしょ!そんなの、お姉ちゃんだって知ってる事じゃない!」

 シズクは何も言えなかった。この家で聖騎士になれない者に、居場所がないのはシズクも幼い頃から知っていたからだ。

「もう嫌…。なんで?私の人生って何?何のために生きてるの?これから私、どうすればいいの…?」

「…私から、お父さんとお母さんに話をしてみるわ。だからそんなに、自分を嫌いにならないで?」

 俯くアクアに、出来るだけ優しい声で目線を合わせるように声をかけたが、その声は届かなかった。
 アクアは顔を上げると、涙を流しながら姉を睨んだ。今まで我慢していたモノが、止まる事を知らないかのように溢れ出てくる。

「嫌い、大嫌いよ!私も…お姉ちゃんもみんな大嫌い!私のお姉ちゃんはそんな話し方をする人じゃなかった!」

 言われてシズクはハッとなった。ずっと仕事で恥じぬように変えていた話し方が、こんな所で裏目に出るとは思ってもいなかった。

「もういい…私、この家出る」

「ぇ…待って…!」

 よろめきながら立つアクアに、シズクは手を差し伸べようとした。だが触れる寸前で、その手を止める。今接触しても、妹を傷つけるだけだと判断したからだ。

「アクア!私は…お姉ちゃんはあなたの味方だから!だからー」

「もう…私に関わらないで」

 それが、姉妹の最後の会話だった。



 フラフラと覚束ない足取りで、アクアは夜の王都を彷徨った。止める者などおらず、道行く人が涙を流す彼女を一目見て、すぐに目を逸らす。
 その仕草だけで、やはり自分は何処に行っても1人なのかと思う。誰も自分の事など気にも留めない、もう居場所など何処にもないと嫌でも感じてしまう。

「…疲れた」

 誰にともなく呟き、アクアは近くの露店で足を止めた。そこで酒を数本頼み、有り金を全部渡した。店主の男は何かを言いかけたが、アクアの顔を見て厄介ごとに関わるのは御免と判断したのか、何も言わずに酒の入った袋を手渡す。
 アクアはそれを尻目に店を離れ、人の流れに身を任せて歩き続けた。そして気付けば人も減り、視界にこじんまりとしたベンチが入った。

 アクアは腰を下ろして、袋から瓶を一本取り出した。幼い頃に間違えて飲んでしまった時、少量飲んだだけでも気絶しかけたのを覚えている。
 小さな音と共に蓋を開け、じっと飲み口を眺めた。飛び降りや首吊りなどは辛そうなので即却下だが、これを一気に飲んで眠るように死ねたらいいと思いそっと口を近づける。
 そのまま一気に流しこもうとしたが、口をつけたのと同時に隣から声がかかった。

「未来ある若者が自殺を謀って、それを誰も止めないとは…この国も末期だな」

 気怠げな声が聞こえ、瓶を下ろして視線を向ければ、タバコを手に持った男が虚空を眺めていた。黒髪の男はアクアに視線を向ける事なく、ふぅと煙を宙にはく。夜の街に、煙が儚く消えていった。

「…何よ、あんた」

「ここのギルドの者だ」

 男はタバコを吸いながら、親指で真後ろを差した。アクアはそこでようやく、自分がギルドに来ていた事を悟った。
 だがそんな事はどうでもよく、再び飲み口を近づける。

「止めないで…あんたには関係ないでしょ」

 吐き捨てられたそのセリフに、男は予想とは違い可笑しそうに笑ってタバコを踏み消した。

「別に止める気はない。何処で誰が自殺しようが、俺にとっては至極どうでもいい事だ」

 自分も止めない1人じゃないかと思い、アクアは少しムカッとして男を睨んだ。しかしそこには、涼しげな顔に淀みのない綺麗な黒い瞳があるだけ。初めて姉以外の顔を間近で見たせいか、アクアは思わず息を呑む。

「でもな、ここで自殺されると困るわけだ。《きゃーギルド前に死体が!》…なんて騒ぎになったら、このギルドの印象が悪くなる」

「は?それだけ…?」

「他に何か理由があるか?」

 真顔で話す男を見て、アクアは思わず言葉を失った。人の自殺を止める理由がたったそれだけなのかと、なんたがバカバカしくなってくる。
 ポカンとするアクアをよそに、男は好意的な視線を向けた。

「ていうか君、良い魔力持ってるな。冒険者になってみない?」

「はぁ?!なるわけないでしょ…」

 アクアは突然の提案に驚いたが、男は構わず近づいてきて袋の中を勝手に覗きこんだ。こうして見るとかなり整った顔をしているが、どこか儚げにも見える。

「お、これ赤ワインか。ちょうど良かった、これ全部俺にくれ」

「あげるわけないでしょ!それくらい自分で買いなさいよ!」

「頼むよ、給料日前で財布が空なんだ」

「貯金くらいあるでしょ?」

「女に貢いで全部無くした」

「…最っ低」

 アクアはすっかり酒の事など忘れ、呆れつつも笑った。

 その夜から、少女の新しい日常が始まった。
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