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絵本と少女と受付嬢と
第7話
しおりを挟む雨の降りしきる山道を走る少女の頭に、嫌な記憶が蘇ってくる。あれは少し前の、今日みたいな重苦しい雨が降る日だった。
「ねぇ…あと、どれくらいなの?」
薄く開いた扉から漏れてきた声に、少女の小さな体が大きく震えた。持っていた絵本を落としそうになるが、ルーシーは息を殺してそっと部屋の中を覗く。
ベッドに座って窓の外を眺める母の側には、不安そうな表情を浮かべる年老いた女性。ルーシーの記憶では数回しか会った事のない祖母だが、あの眉間に深く刻まれたシワは幼い自分でも忘れない。
そのシワを更に深くする祖母に、ローラは振り返って答えた。
「お医者様が言うには、もってあと1年だったかしら。意外とあるものよ?」
「ふざけるのも大概にしなさいっ!」
祖母の声に、少女の体がもう一度震える。いつも険しい顔をしている人だったが、ここまで怒ったのを見たのは初めてだった。
「ふざけてないわよ?少し落ち着いてよ、お母さん」
「落ち着けるわけないでしょ?!娘の命が危ないって言うのに…あぁ、こんな事ならあの時もっと反対しておけば良かったわ」
「またその話…。やめてよ、あの子は関係ないって言ってるでしょ?」
『あの子』、という言葉を聞いてルーシーはぼんやりとだか察した。2人が話しているのは、自分の事のようだと。
「関係ないわけないでしょ。病弱なあなたが、出産なんて耐えられれずないってあれ程言ったのに」
「でも実際、私は産んだわ。あの子は…ルーシーはちゃんと私の元に来てくれた。私はそれだけで充分よ」
「でもその代わりに、私から娘を奪ったわ」
「…そんな言い方やめてよ」
母の体調が良くないのは昔から知っていた。母との記憶は屋敷の中での事が多く、一緒に外で買い物をした覚えは殆どない。
だが自分にとってはそれで充分だった。幼い自分の世界は母が全てで、母さえいればそれ以外に何もいらなかった。
だから少女は心を曇らせた。大好きな母は、自分を産んだせいで弱かった体を更に弱らせてしまったのだと。
ルーシーはその場にいるのが辛くなり、部屋に戻ってうずくまった。そして、声を殺して泣いた。
「あっ…!」
視界と足場が悪いせいか、ルーシーはその場で派手に転んだ。着ている服が泥で汚れ、何もかもが嫌になる。
だがここで立ち止まっている訳にもいかず、震える足で立ち上がり少しずつ歩き始めた。
「あ…」
しばらくして、前方に大きな樹があるのに気がついた。樹の根元は濡れておらず、雨宿りするにはちょうど良さそうだった。
ルーシーはふらつきながら根元まで行くと、倒れるように座り混んだ。そこでホッとしたのも束の間、体と服が濡れているせいでひどい寒気がした。みるみる体温を奪われ、全てが彼女の体と心を疲弊させる。
「そうだ、絵本…」
少しでも気を紛らわすために、ルーシーは鞄を漁ってあの絵本を読み始めた。
「そして少女は、妖精と友達になりました。お終い」
「わぁ…!」
寝る前に読んでもらった絵本に、ルーシーは目を輝かせた。ローラも、もう何度読んだかわからないのに喜ぶ娘を見て、頰を緩まる。
ルーシーは暫く絵を見て嬉しそうにしていたが、不意に母の方へと視線を移した。
「これって、お母さんが前にお父さんと見た景色なんでしょ?」
「そうよ。もうかなり前だけど、今でも忘れないわね」
「じゃあ私もお母さんとこれが見たい!」
「え?」
ずいっと身を乗り出すルーシーにローラは一瞬驚いたが、すぐに優しい顔になり娘の頭をそっと撫でた。
「ふふっ、そっか…。楽しみにしてるわ」
「絶対だよ!約束だよ?」
「…えぇ、いつかきっとね」
そう呟いた母の顔には、嬉しいはずなのにどこか悲しく苦しいような微笑みが浮かんでいた。
「うゔっ……お母さん……」
見ていた絵が、涙で滲んでいた。母が描いてくれた大切な思い出が、自分の涙で少しずつ薄くなっていく。
本当は知っていた。母と一緒にこの景色を見れない事を。母が毎日、泣きそうな笑顔で抱きしめてくれた事を。
だからせめて自分の目で見て、それを自分で伝え、少しでも思い出を分かち合いたかった。そしてあと何度見れるかわからない母の笑顔を、少しでも見たかった。
「…助けて……シル、ヴィア……」
先程まで自分の側にいてくれた彼女の名前を呼ぶが、その声は雨音にかき消される。
故に少女は気づいていなかった。背を預けている樹が怪しく動き、たくさんの鋭い枝が自分に近づいて来ている事に。
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