中庭の幽霊

しなきしみ

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中庭の幽霊

2・中庭の幽霊

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 兄に女性の霊がとりついた瞬間を見たにも拘わらず、何も出来なかったあの日の光景を何度も夢に見た。
 既に1年の月日が経過している。それでも脳裏に焼き付いて離れない光景は何度もフラッシュバックして、過去の記憶が鮮明によみがえった。

「ねぇ。私さぁ、隣のクラスの子が話していたのを聞いたんだけど、うちのクラスに九条っているじゃん? あいつって九条先生の弟なの?」
 本人が後ろを歩いている事に気づいていないのだろう。女子高生の一人が、隣を歩く友達に声をかけた。
 
「そうみたいよ。全然似ていないよね」
 友達も、また後ろを歩く俺に気づいてはいないようで、本人を目の前にして本音を漏らす。
 
「本当に、似てないよねぇ。性格だって全然違うから兄弟だなんて思ってもいなかったし」
 いつもニコニコと表情に笑みを浮かべていた兄は、教師や生徒達からとても慕われていた。話しかけやすい雰囲気を醸し出しているからか、いつも兄の周りには人が集まっていた。しかし対する俺は傷んだ銀髪に鼻や口や舌に沢山のピアスを付けているためか、人が寄り付かない。
 両親や姉が呆れる中、俺の話相手になってくれていたのが兄の優希ゆきだった。

 前を歩く女子生徒が手に抱えていた教科書の一つを床に落とす。
 隣を歩く女子生徒と共に背後を振り向いた女子生徒が教科書を拾い上げて、顔を上げるとパチッと見事に視線が交わった。

 共に絹を裂くような悲鳴が上がり、せっかく拾い上げた教科書どころか、手に持っていた全ての教科書を床に落とした女子生徒達は恰好などお構いなし。がに股を気にする事無く、もの凄い形相を浮かべてこの場から走り去る。
 床一面に散らばった教科書を呆然と眺めていると、俺の背後で様子を見ていた人物がいたらしい。

「あんたさぁ、何度も言ってるけど、笑顔を作りなさいって。顔が怖いのよ」
 トンッと肩に何かを乗せた感覚。疑問に思い背後を振り向くと頬に、ピーンと伸ばされた人差し指が突き刺さる。
「あんたさぁ、何回同じ悪戯に引っかかってるのよ」
 学校指定の制服を自分流に改造し、ぱっちりとした大きな目、長い睫毛が印象的な女子生徒が早速俺に文句を言いにかかる。

 彼女は今年から同じクラスになった女子生徒。最初見た時は、一人だけ違う学校の生徒が紛れ込んでいるのではないのか?と疑問に思ってしまう程、学校指定の制服にじゃらじゃらと付属品を縫い付けている。短いスカートに胸元の大きく開いた制服。

「冴子」
 ただ名前を呼んだだけなのに、ポカッと頭を叩かれる。
「何度言ったら分かるのよ。私の名前は妙子(たえこ)。冴子はあんたのお姉さんの名前でしょ」
 何故頭を叩かれたのだろうと考えていれば、どうやら名前を間違えていたらしい。
 そりゃぁ、怒るわ。

「悪い」
 妙子から視線をそらして謝る。
「このやり取りも一体何回目かな。いい加減覚えなさい」
 ピシッと顔を指さされて頷く。
「ってか、聞いてよ! あのね。私見たのよ!」
 コロッと妙子が話の話題を変える。
「そうか、それは良かったな。俺は次の授業に向かうから、またな」
 目を輝かせ始めた妙子を見て、危険を察知する。
 もしもこのまま、話を聞いていればきっと授業をサボることになる。それは何度も経験済み。

 早々にこの場を立ち去ろうとした俺の腕を妙子は掴みとる。
「見たのよ。九条先生を。あなたのお兄さんなんでしょ?」
 妙子と俺の共通点。それは、普通の人が見る事の出来ないものを見る力がある事。
「は……?」
 思わず間の抜けた声が出た。
「何処で?」
 話に食いついた俺の問いかけに妙子は、言葉で説明をするだけではなくて直接その場へ連れて行ってくれるらしい。

「中庭よ。昨夜、正面玄関へ向かっている途中に近道をしようと思って中庭を突っ切ろうとしたの。窓に手をかけて開こうとしたわ。けれど私の視界に雪の上に倒れている九条先生の姿が入り込んだ。駆け寄ろうとしたのよ。怖かったけど……けれど、九条先生の傍らに血だらけの女の人が横たわっているのに気づいたの。その後の事は必至だったから殆ど覚えていないんだけど、校内を全速力で駆け抜けたわ。だって、その女の人が九条先生の元を離れて私の後を追いかけて来たから。そして、捕まっちゃったのよ」

「は?」
 妙子の説明を大人しく聞いていた俺は、昨夜幽霊に追いかけられた妙子が結果どうなったのか。
 きっと逃げ切る事が出来たのだろう、だって妙子は今この場にいるのだから……と予想をしていると、思わぬ言葉が続いたため、思わず素っ頓狂な声を上げる。

 聞き間違えでなければ、妙子はその女性の霊に捕まったと言った。
「今も私を監視しているのよ。ほら」
 ホロホロと泣きまねをする妙子が一定の間隔を開けて設置されている窓の一つを指さした。妙子の指先を目で追って、窓の外へ視線を向ける。

「見当たらないが?」
 窓の外は快晴だった。綺麗な青空が広がっている。
 もしかしたら、悪戯好きな妙子にからかわれただけかもしれないとそう思った。

 ハァと小さなため息を吐き出した俺の頬を這うように、ひんやりとした何かが首筋を撫でるように移動する。首筋から両肩へ移動すると、ひんやりとした何かに背後から抱き込まれる。ずしっと背中に重みがのしかかり、ここでやっとひんやりとしたものの正体に気づく。

 背後を振り向かなくても分かる。俺の首に巻き付くようにかけられている青白い手。視界の片隅に映っている黒く長い髪の毛は所々真っ赤な血液が付着している。

 女性の幽霊が俺の背中に覆いかぶさるようにしているのを見て、顔を真っ青にしている妙子の表情からは焦りの色が見える。きっと悪気があったわけではないのだろう。俺に女性の幽霊を差し向けるつもりは全くなかった、それなのに俺が油断していたため幽霊が隙を見て取りついたって所だろうか。

 急に目の前に現れた女性の霊に驚いたのか、妙子はものすごい形相をして身を翻すと身振りを気にする事無く走りだす。俺の前から一秒でも早く逃げたいと考えているのだろう。
 見事に置いてきぼりを食らった俺は重い足を引きずりながら、妙子の言っていた学校の中心部にある中庭に向け足を進め始めた。
 中庭に今もなお横たわり続けているらしい、兄に会うために。
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