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学園都市編

131話 程良い距離感とは

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「ヒビキは一度学園に戻って理事長にシエル先生は私が預かることを伝えてほしい。事情聴取の間もしも光属性の教師が必要であれば、こちらで準備をする旨も伝えてくれる?」
 首を傾げる姿は何とも愛らしい。
 シエルの側でしゃがみこむと、その胸元に両手を添えて回復魔法を発動する。
 高度な治癒魔法である。体の傷を短時間で治してくれる役割をもつ。
 しかし、体力や魔力が回復する訳ではないため、傷の完治後すぐに立ち上がることは出来ないだろう。

「彼の意識が回復したら手紙で連絡する」
 
「うん。待ってるね」
 ヒビキはユタカに向かって一礼をした。
 ヒビキとユタカと女性騎士。それぞれのやり取りを少しはなれた位置から、じっくりと眺めている人物がいた。

「騎士達の中心に立ち、尚且つヒビキお兄様にも指示を出すことの出来る人物なんて限られているわよね」
 兄であるヒビキの姿や騎士達の姿を見ることにより、アヤネは少しずつ冷静さを取り戻した。
 アヤネの視線の先で、ユタカの発動した術が黄金色に光を放ち膜を作る。
 膜はシエルの身体を包み込むほどの大きさに広がりを見せる。
 一体シエルの魔力の量はどれ程のものなのか。
 今になって魔力が底をつきたのだろう。
 シエルの発動した聖騎士が音を立てて崩れていく。
 ユタカが調査隊に向かって手招きをした。

「回復後に事情聴取を」
「承知いたしました」
 シエルの身柄を一旦、調査隊に預ける。

 ヒビキの発動した術の衝撃は凄まじいものだった。
 吹き飛ばされた岩壁は手の平サイズのものから、大人が50人で力を合わせたとしても持ち上げることが出来ないような巨大なものまで、様々な大きさの岩が森の中に散りばめられていた。
 それらは周囲の木々を薙ぎ倒したため、森の中を一望いちぼうすることが可能となる。
 ユタカは騎馬隊に向かって手招きをした。

「東の森の被害状況の把握を。巻き込まれた冒険者はいないか確認の方も頼む」

「かしこまりました」
 ユタカからの指示を得て騎馬隊が早速動き出す。
 どうやら、いくつかの班に別れて森の中に向かうようだ。
 高度な術は生命力を削りとる。

「出来れば王家の術を使うことなく日常を過ごして、長生きをして欲しいんだけどな。レベル1320ともなると、今のヒビキのレベルでは太刀打ち出来ないか」
 周囲に騎士がいなくなったところで、ユタカが本音を漏らす。

 

 頭上を見上げれば、雲一つ無い青空が広がっている。悠然ゆうぜんと飛び回っているドラゴンとの距離は、一体どれ程のものなのか。

「街ひとつ破壊する能力は持っているんだろうなぁ」
 ユタカが力なく呟いた。

 火属性のドラゴンは赤。
 水属性のドラゴンは青。
 無属性のドラゴンは白。
 風属性のドラゴンは緑。
 闇属性のドラゴンは黒と、さまざまな色のドラゴンが空中を飛び回っている。

 天界に属するドラゴンは、我々が飛行術を使って領域に足を踏み入れない限りは自ら襲いかかってくることはないだろう。
 頭上を見上げていたユタカが視線を下ろすと、すぐ目の前をアヤネがパタパタと慌ただしい足音を立て通過した。
 ほんの一瞬だけ目があったようにも思えるけれど、頬を朱色に染めると共に両頬に両手を添えてプルプルと小刻みに顔を震わせる。
 一体ユタカを間近で見て何を思ったのか。
 豪快に頭をふる。
 すぐに両頬に手の平茸を強く打ち付けることにより、アヤネは表情を引き締める。
 アヤネの真っ赤に染まった両頬には、手の平の形がくっきりと浮かび上がっていた。

 アヤネの視線の先には、学園都市に向かって足を進めているヒビキの姿がある。
 しかし、ヒビキの元まで追い付けずにいるのは声をかけたい気持ちはあるものの、勇気が出ないからなのだろう。
 アヤネが背後から距離をとりつつ、追いかけてきていることにヒビキは気づかない。
 妹の前では格好いい兄でいたいと考えているヒビキは、あえて王家の紋様の入った衣装を解かずにいた。

 術を解くと狐耳つきの服に戻ってしまうため。
 アヤネや騎士のいる場所から、少し離れた位置まで移動して術をとく。
 瞬く間にヒビキの身につけている衣装が王族専用の衣装から、狐耳のフードのついた服へ変化する。
 
 機能性抜群の服は、高レベルのモンスターと戦うときに役立つ。
 しかし、魔族の身長に合わせて作られたもののため人であるヒビキが身につけると、膝下まであり一見スカートのようにも見えてしまう。
 デザインは、とても可愛らしいものとなっているため長時間身に付けているのは恥ずかしい。
 狐面を取り外して鞄の中へ移すと、フードを深くかぶりなおす。
 顔を隠してしまえば、恥ずかしさはほんの少しではあるけれど和らぐ。

「お待ちください」
 今にも駆け出そうとしていたヒビキの元へ、騎馬隊隊長を務めている男性が追い付いた。

「移動手段に飛行術を使ってしまうと、魔力の消耗が激しいでしょう。馬をご利用になりますか?」
 ヒビキのために、白馬を用意した騎士はおっとりとした性格が印象的な青年である。

「うん。利用するよ。有り難う」
 白馬は高価な値段で売り買いされているため、白馬にのったまま学園都市に足を踏み入れると、目立つことは間違いないだろう。

「学園都市に入る前に馬から降りればいいか」
 馬には騎馬隊の元まで自らの力で戻ることが出来るように術が施されていた。
 馬の額に浮かび上がる紋様は、ヒビキが馬から降りた後に発動する。

 馬の鼻に手を伸ばして
「宜しく」
 挨拶を交わしたヒビキは、馬の頬に両手を添えて身を寄せる。
 首を軽く叩いて素早く馬の左側へ移動。
 左足をあぶみにかけると右足で地面を蹴る。

 背後で騎馬隊隊長とアヤネとのやり取りが聞こえていた。
 声の大きさからすると、アヤネとの距離は開いているのだろうけれど。
 アヤネにも馬が用意されたようだ。

「ヒビキは乗馬が出来るだろうけど、アヤネはどうなんだろう」
 シエルに回復魔法を施して、洞窟内を後にしようとしていたユタカが心配そうにアヤネを見る。
 ユタカの心配をよそに、アヤネは鞍にゆっくりと腰をかけると、ヒビキの後を追いかけるような形で馬を走らせる。

「うん、大丈夫そう。余計な心配だったか」
 取り越し苦労だったことにユタカは安堵する。

「あの……少しお時間宜しいでしょうか?」
 ユタカを目の前にして緊張しているのか、銀色の鎧を身に纏った青年の腕が小刻みに揺れている。
 表情に笑みを浮かべているつもりなのだろう。
 口は三日月形となっているのに、表情はひきつってしまっている。
 青年の顔色がピンクからうっすらと赤色へ変化する。
 ユタカと目が合うと、更に緊張してしまったのだろう。
 赤く染まった顔が青白く変化する。瞬く間に顔から血の気が引いてしまったようだ。

「新しく特攻隊に入った子だよね。身元を詳しく調べさせてもらったよ。今後とも宜しくね」
 緊張感に苛まれている新人を落ち着かせるために、ユタカは敢えて柔らかい口調で声をかける。

「はい! 宜しくお願いします」
 新人騎士は嬉しそうに、差し出された右手を両手で掴みとる。
 ユタカは身元を詳しく調べさせてもらった事を新人騎士に伝えた。
 それは、裏切り行為を働いた場合に家族を巻き込んだ処罰方法も可能であると言う事を伝えたかったのだけれど、青年は既にユタカが自分の事を知っている事実を耳にして素直に喜んでいる。

「ヒビキ様やアヤネ様に挨拶するタイミングを、見事に逃してしまいました。また洞窟内にお戻りになりますか?」

「戻っては来ないよ。でも、城の方には戻ってくることが今後あるはずだから、その時にでも声をかけてあげてよ。きっと、喜ぶから」

「はい。是非とも、その時は挨拶に伺います」
 青年はユタカに声をかけるタイミングを今か今かと様子を伺っていた。
 幼いながらも騎士達に指示を出す姿を見て、国王の身内であると判断しての事。
 深々と一礼をすると、新人は仲間の元へ駆け出した。
 周囲が静けさを取り戻しはじめていた頃。

「見たところ4つか、5つくらいですよね。幼いのに随分としっかりとしたお子さんですね」
 新人騎士の声がユタカの耳に入り込む。
 同時に沸き上がった失笑は、特攻隊のものだけでなく騎馬隊や調査隊のものも含まれている。

 キョトンとしている新人騎士に事情を伝えることなく
「あぁ、そうだな」
 隊長を務める女性騎士は苦笑したまま頷いた。



 洞窟が破壊された事により、砕けた岩は地面をえぐっていた。
 綺麗に形を整えられていたはずの地面は、凸凹状態になっている。
 
 土ぼこりを巻き上げながら走る馬の行く先に、巨大な岩が現れる。
 藍色に光耀く岩は、きっと洞窟中央に位置していたものだろう。
 巨大なハンマーが打ち付けられた事により、ところどころ削り取られている。
 巨大な岩を右側から避けて通ると、更に前方に大きな岩が見えてくる。
 左側から大きな岩を避けて通ると、後は学園都市まで一直線。
 周囲を囲む木々の数も、少しずつ減少を始める。
 
 背後からは少し距離をとりつつアヤネが後を追ってきているため、ヒビキは表情を引き締める。
 アヤネに苦手意識を持たれていることは分かった。
 無意識のうちに、話しかけづらい雰囲気を醸し出していることも分かった。
 自ら声をかけるべきだろうか。しかし、声をかけては見たものの、また視線を逸らされてしまったらどうしようと、ヒビキは密かに悩んでいた。

 ヒビキに気を使われていることに、アヤネは全く気づいていない。
 視線は風によって激しく揺れ動くヒビキの服に釘付けになっていた。
 狐耳つきのフードは膝下まで長さがある。
 一見ワンピースのようにも見える。
 柔らかそうな、もこもこの素材で出来た服はさわり心地が良さそうだ。
 背後から力任せに抱きしめてみたい気持ちと、目の前にいるのは兄である事実を知り、気まずさを感じているアヤネは複雑な表情を見せる。
 ヒビキの身につける服をまじまじと見つめていたため、アヤネの姿勢は少しずつ前屈みとなっていた。
  
「何だかお兄様に迫っている気がするわね」
 ヒビキとの距離を一定に保っていたはずなのに、気づけば兄であるヒビキの姿がすぐ目の前に迫っていた。
 近づきすぎたことに気付いて手綱を引いたアヤネの意思は馬には伝わらなかったようで、徐々にスピードが上がっていく。
 


 近くに迫り来る荒い鼻息にヒビキが気がついた。
 顔を真っ赤にしたアヤネは、手綱を何度も引くそぶりを見せる。

「腕の力だけでは止まらないよ。上半身を後ろに倒しながら肘を引いて。体全体で綱を引けば止まるから」
 ヒビキが声をかけてみるものの、パニック状態に陥っているアヤネの耳には届いていない。
 アヤネがヒビキを追い抜いていくのは、ほんの一瞬の出来事であり。土埃を上げて凄まじい勢いで学園に向かうアヤネの背中を、ヒビキは呆然と見送った。
 

 

 時は少し進んで学園の敷地内。


 大勢の生徒に周囲を囲まれて、鼻高々となりながら
「自慢の兄だからね。絶対に銀騎士団特攻隊に入隊することが出来ると思っていたんだ。もし僕に逆らったら今後、銀騎士団特攻隊が黙ってはいないんだからね」
 兄の銀騎士団入隊を周囲の生徒達に知らせている人物がいた。
 毛先の丸まった癖っ毛。黒髪が印象的な男子生徒である。
 銀騎士団への入隊は学園に通う生徒の憧れであり、身内に銀騎士団に所属している者がいれば、それだけで注目の的になる。
 強い癖っ毛のある男子生徒も例外ではなく、周囲を多くの生徒達が囲んでいた。

 正面玄関を塞ぐようにして佇んでいる大勢の生徒達を眺めながら、ヒビキは困りきった様子で佇んでいた。
 学校敷地内に足を踏み入れたいけれど、正面玄関を塞がれていては門を通過することは出来ない。
 声をかけて通るにも人数が多すぎる。
 先に到着しているはずのアヤネの姿も見当たらない。
 東の森を出て早々、学園指定の制服に着替えたヒビキは、狐面と狐耳つきの服とブーツを鞄の中にしまっていた。
 飛行術を使えば聳え立つ塀を越えることも出来るけれど、話に夢中になっている生徒達に気づかれてしまうだろう。
 目立つことは避けたい。

 裏口へ回るにしても、広い学園敷地だ。迷子になる可能性がある。
 さて、どうしたものか。
 学園敷地内に入ることが出来ずに困りきった様子のヒビキを岩の影から顔だけを覗かせて、じっくりと眺めている生徒がいた。

 先に学園に到着をして何とか馬を止めることに成功したアヤネは、素早く岩の影に身を潜めるとヒビキの帰りを今か今かと待ちわびていた。
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