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学園都市編
119話 国王と子供達
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きょとんとした表情を浮かべる幼い子供にヒビキの視線が釘付けとなる。
肩にかかるクリーム色の髪の毛に水色の瞳が印象的な子供である。
両手一杯に抱えている真っ赤なローブには所々泥が付着している。
「小さいな。ノエルと同じくらいの年齢か?」
魔界で拾った天使の子供と目の前に佇んでいる幼い子供を比較して、ぽつりと考えを口にしたヒビキが苦笑した。
「いや、ノエルよりも幼いか」
ノエルと比べると一回り小さい。
「親御さんはどこかな?」
子供と目線を合わせるために、しゃがみこんだヒビキが首を傾げて問いかける。
ぱっちりとした目は、瞬きをする事なく真っ直ぐヒビキを見つめている。
どうやら、問いかけに対して答える気は無さそうだ。
「男の子かな? それとも女の子かな?」
ヒビキのすぐ隣に腰を下ろしたアヤネが、ユタカの顔を覗きこむ。
「…………」
どうやら、アヤネの問いかけに対しても答える気はないらしい。
「え、ごめん。嫌だった?」
ユタカの腰に手を添えて、抱えあげようとしたヒビキがユタカの抵抗を受けて尻餅をつく。
「俺は別に、悪さをしようとしているわけではないよ」
声をかけてみるものの、目の前に佇む子供は逃げ腰である。
「うん、仕方がない。このまま、放っておくわけにもいかないし強行手段だ」
その場に腰をあげて、ユタカに向かって両手を伸ばしたヒビキが後ずさりを始めたユタカの腰に手をかける。
両手を伸ばして高々と抱えあげた。
ヒビキの予想外の行動に驚き、あんぐりと口を開いたのは隙をみて城内から窓の外に避難した妖精王である。
「え? 国王が幼くなってしまっていることはヒビキ君に伝わっていますよね?」
妖精王と同じように城の外に避難をした魔王に問いかける。
「あぁ、伝わっているはずだが」
妖精王と同じように唖然とする魔王が首を傾げると、ふいにユタカの視線が窓の外へと向いたため視線が合う。
「おっと……助けろと目で訴えてきているが、どうしようか?」
「ここは見て見ぬふりをするしか無いですね。ユタカには悪いですが」
クスッと笑っている妖精王は本当に悪いと思っているのか、表情と言葉が釣り合ってはいない。
「そうだな。非常に心苦しいが見て見ぬふりをするしかないな」
ニヤニヤと締まらない表情を浮かべる魔王が呟いた。
魔王や妖精王が見ているなど夢にも思ってはいないだろう。
「名前は何て言うのかな?」
アヤネは素早くユタカの視線の先へ移動する。
首を傾げて問いかけた。
しかし、ユタカは口を紡いだまま呆然とアヤネの顔を眺めるだけで返事をする気はないようだ。
「何歳かな?」
名前を答えてもらえないのならと、ユタカの年齢を聞き出そうとしたアヤネがへこたれずに声をかける。
「…………」
黙りである。
年齢に関しても答えるつもりのなかったユタカの右手を強引に持ち上げた。
「いくつかな? 指を上げて教えてくれる?」
少々強引かもしれないけど、何とか幼い子供とコミュニケーションをとろうとしたアヤネが首を傾げて問いかける。
妖精王の術にかかり体が小さくなってしまったため自分でも年齢を分かっていないユタカに年を答えられるわけもない。
「人見知りなのかな?」
視線を下げたまま口を開こうとはしない幼い子供を見てアヤネが苦笑する。
幼い子供から名前や年齢を聞き出すことを諦めたようだ。
「この子も連れていくことにするわ。迷子だったら可愛そうだもん」
この幼い子供が父であることに気づかないアヤネの言葉に
「うん、そうだね。連れていこう」
同じく抱えあげてしまった子供が国王であることに気づいていないヒビキが同意した。
のんびりとした足取りで兄タツウミの元へ向け足を進めるヒビキとアヤネの後ろ姿を、口元に手を添えて密かに眺めている人物がいた。
その視線がヒビキの背中から、ヒビキの腕の中で肩を落としている小さな子供に向く。
グフッと危うく吹き出しそうになった女性が、両手で口元を覆い隠す。
「吹き出したらバレるからのぉ。我慢じゃ」
女性のすぐ背後に控えていた白髪の老人が、ぽつりと小声で呟いた。
「そうね。笑いだしたら……」
うふふふふと口元を両手で覆い隠し、目蓋を伏せた女性が肩を震わせる。
柱の影に身を隠し小刻みに肩を揺らしていた銀騎士団調査隊に所属する小柄な女性が、すぐ隣に佇んでいる老人と視線を合わせて何とか込み上げる笑いを堪えて見せる。
随分とヒビキやアヤネとの距離が開いた。
声が届かなくなるまで後もう少しか。
ヒビキの肩に両手を乗せて、女性に視線を送るユタカがムスッとする。
見ていないで助けて欲しいと目で訴えているものの、アヤネに見つからないようにと身を隠している銀騎士団にユタカを助ける術はない。
ヒビキの肩に額を落として、項垂れるユタカが手にしていたローブをふいに床に落としてしまう。
ぽさっと音を立てて床に落下したローブにヒビキは気づかない。
アヤネも既に視界に入り込んでいるタツウミの寝室に釘付けとなっているため気づく様子はない。
ローブに向かってユタカが腕を伸ばす。
しかし、当然届くはずもなく両手を伸ばしたままローブを見つめていたユタカが小さなため息を吐き出した。
「あら? どうしたの?」
ユタカのため息が届いたのだろう。
アヤネが項垂れているユタカに気がついた。
背後をふり向いてユタカの視線を目で追う。
「あ、お洋服を落としちゃったのね。安心して。拾ってくるからね」
床に落ちているローブに気づいて身を翻す。
ヒビキはタツウミの寝室の扉の前に到着。
ドアノブに手をかけて扉を開いている最中だった。
身を翻したアヤネに気づき、背後を振り向いたヒビキの耳に
「お帰りなさい。自分で扉を開けたんだ?」
兄タツウミの声が入り込んだ。
水分補給。ベッドに腰を下ろしてコップ一杯の水を飲み口に含んでいたタツウミが、ユタカが一人で扉を開けた事に感心する。
部屋から出るときは背伸びをしても僅かに扉に手が届かなかったのに。
どうやって開いたのだろうと、疑問を抱きつつ背後を振り向く。瞬く間の出来事だった。
口に含んでいた水を盛大に吐き出すほど一体、何に対して驚いたのか。
激しく咳き込んだタツウミが、左手で前のめりとなった体を支えて、右手でヒビキの腕に腰を下ろしているユタカを指差した。顔面蒼白である。
「あれ? 随分と大きなお洋服を抱えていたのね。一体誰のお洋服を抱えていたのかな? お父さんのかな?」
ローブを拾い上げたアヤネがヒビキの元へたどり着く。
ヒビキの視線がアヤネの手にしているローブに移る。
子供が身に着けるには大きすぎる赤色のローブは何故か所々泥がついている。
妖精王の術によって父が若返ってしまった事が、タツウミから届いた手紙には書いてあった。
そして、飲み物を盛大に吹き出してしまう程の驚きを見せたタツウミの反応を見て、状況を察したヒビキの顔からサーッと血の気が引いていく。
恐る恐る抱えてしまった子供に視線を向けたヒビキがゴクッと息を呑む。
真っ青な顔をしたヒビキの態度から、ホッと胸を撫で下ろしたユタカが
「その様子……やっと気づいたようだな」
ぽつりと呟いた。
慌ててユタカから手を放そうとしたヒビキが
「落とす方がまずいか」
思い直してユタカの腹部に腕をかける。
「本当だよ。絶対に落としちゃ駄目」
ヒビキの突然の行動にヒヤリとしたタツウミが肝を冷やす。
中途半端に手を伸ばしたまま、胸をなでおろすタツウミが安堵する。
「この様子だと記憶までさかのぼってしまったわけではないのですね?」
突然の事だったとはいえ、何とか冷静さを取り戻したヒビキがユタカに声をかける事により情報を聞き出そうとした。
「あぁ」
小さく可愛らしい見た目に反して、落ち着いた口調で返事をしたユタカが頷いた。
「うん。中身は変わらぬままだよ。魔力は元の姿の時と同じように扱う事が出来るけど、体力は落ちているみたい。可愛いものが大好きな魔王に追いかけまわされて全力疾走をしたんだけど、その後疲れきっていたからね」
タツウミが言葉を付け加えるとヒビキが苦笑する。
当たり前のようにしてタツウミと会話をするヒビキは、近くにアヤネがいる事をすっかりと忘れてしまっていた。
「はい、どうぞ」
ヒビキからユタカへ視線を移したアヤネがローブを差し出した。
「ありがとう」
中性的な声である。
たった一言ではあったものの、初めて口を開いた小さな子供に
「喋った!」
アヤネの表情が驚きに変わる。
ユタカがローブに手をかけると、その手を握りしめたアヤネが爽やかな笑みを浮かべて問いかける。
「抱っこしてもいい?」
ユタカの腰に手を添えると、ヒビキの返事を聞く事無く小さな体を持ち上げて抱え込む。
あんぐりと口を開き中途半端に伸ばした手をさ迷わせていたタツウミがヒビキに何とかして欲しいと目で訴える。
無理無理無理と顔の前で手を左右に動かしたヒビキが顔を強張らせた。
「名前は何て言うのかな? お姉さんに言ってごらん」
ユタカの顔を覗き込み名前を聞き出そうとしたアヤネは完全に父を子供扱いしている。
まぁ、目の前の小さな子供が父だとは気づいていないため仕方の無いことなんだろうけど。
「アヤネ」
タツウミがたまらずアヤネに声をかける。
ここでやっと、兄タツウミが傍にいる事に気づいたアヤネが嬉しそうに声を上げた。
「お兄ちゃん!」
ユタカを抱えたまま、大股でタツウミの元へと歩み寄ろうとするアヤネにタツウミは激しく動揺する。
「ちょっ、アヤネ! 落ち着いて、子供を抱えたままはまずい。床に下ろしてから」
タツウミが両手を前に突きだして、ユタカを下ろしてから向かってきて欲しいと指示を出す。
「お兄ちゃんも子供と戯れたいの? いいよ。はい」
しかし、アヤネはタツウミも子供と戯れたいのだろうと勝手に勘違いをする。
目の前に突きだされた両手にユタカを預けると、タツウミの表情が笑えるほど奇妙な顔に変化する。
「お父様の訃報を聞いて、事実を確認するために帰宅したんだけど、お父様の姿も騎士団の姿も見当たらないの」
早速疑問をタツウミに問いかける。
アヤネの不安な気持ちを感じ取ってタツウミは眉尻を下げる。
「一報は瞬く間に隣街まで伝わったんだ」
随分と落ち着いた口調だった。
眉尻を下げて言葉を続けたタツウミの表情から、悪い予感がすると不安を抱いたアヤネが表情を曇らせる。
タツウミの抱えている幼い子供に手を添えて再び両手で抱え込んだアヤネの表情は暗いまま。
アヤネの問いかけに対して、どのように返事をすればいいのか。
悩んだタツウミがヒビキを横目に見る。
ヒビキは苦笑したままで反応はない。
続けてアヤネの腕の中に移ったユタカに視線を向けたタツウミが、危うく吹き出しそうになる。にやけそうになる表情を咄嗟に引き締めた。
きっと、お父様と呼ばれたことを喜んでいるのだろう。
目を輝かせているユタカの姿があり、堪えきれずに吹き出したヒビキが咄嗟に咳払いをする。
そっぽを向き、にやけた表情をアヤネから逸らすと両手で顔を覆い隠す。
笑ってしまっているヒビキを横目に、タツウミが苦笑する。
「実は父上が死去したと情報を流したのだけど、実際のところ事実は異なっているんだよ。妖精王の術により時を遡ってしまったんだ」
チラッとユタカに視線を向けたタツウミが悩んだ末、事実を口にする。
今にも泣きだしそうなアヤネを見ていられなくなった。
渋々と事実を伝えたタツウミの言葉を耳にしたユタカが反応を示す。
「ん?」
アヤネのお父様呼びに喜び、目を輝かせていたユタカは途中から話を全く聞いていなかった。
タツウミに視線を向けて首を傾げて問いかける。
「え? 時を遡ってしまったって?」
タツウミの視線を目で追ったアヤネが、真っ直ぐ腕の中におさまっている幼い子供に視線を向ける。
どうやら、状況を察したようだ。
アヤネの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
顔面蒼白である。
声にならない悲鳴をあげたアヤネがユタカから手をはずす。
両手を胸の高さまで持ち上げて、手の平をユタカに見せる。
「ごめんなさい。そうとは知らず……」
側にいることも恐れ多いとでも思ったのか、後ずさりをしようとして
「きゃあああああ!」
鋭い悲鳴と共にベッドから盛大に転げ落ちた。
肩にかかるクリーム色の髪の毛に水色の瞳が印象的な子供である。
両手一杯に抱えている真っ赤なローブには所々泥が付着している。
「小さいな。ノエルと同じくらいの年齢か?」
魔界で拾った天使の子供と目の前に佇んでいる幼い子供を比較して、ぽつりと考えを口にしたヒビキが苦笑した。
「いや、ノエルよりも幼いか」
ノエルと比べると一回り小さい。
「親御さんはどこかな?」
子供と目線を合わせるために、しゃがみこんだヒビキが首を傾げて問いかける。
ぱっちりとした目は、瞬きをする事なく真っ直ぐヒビキを見つめている。
どうやら、問いかけに対して答える気は無さそうだ。
「男の子かな? それとも女の子かな?」
ヒビキのすぐ隣に腰を下ろしたアヤネが、ユタカの顔を覗きこむ。
「…………」
どうやら、アヤネの問いかけに対しても答える気はないらしい。
「え、ごめん。嫌だった?」
ユタカの腰に手を添えて、抱えあげようとしたヒビキがユタカの抵抗を受けて尻餅をつく。
「俺は別に、悪さをしようとしているわけではないよ」
声をかけてみるものの、目の前に佇む子供は逃げ腰である。
「うん、仕方がない。このまま、放っておくわけにもいかないし強行手段だ」
その場に腰をあげて、ユタカに向かって両手を伸ばしたヒビキが後ずさりを始めたユタカの腰に手をかける。
両手を伸ばして高々と抱えあげた。
ヒビキの予想外の行動に驚き、あんぐりと口を開いたのは隙をみて城内から窓の外に避難した妖精王である。
「え? 国王が幼くなってしまっていることはヒビキ君に伝わっていますよね?」
妖精王と同じように城の外に避難をした魔王に問いかける。
「あぁ、伝わっているはずだが」
妖精王と同じように唖然とする魔王が首を傾げると、ふいにユタカの視線が窓の外へと向いたため視線が合う。
「おっと……助けろと目で訴えてきているが、どうしようか?」
「ここは見て見ぬふりをするしか無いですね。ユタカには悪いですが」
クスッと笑っている妖精王は本当に悪いと思っているのか、表情と言葉が釣り合ってはいない。
「そうだな。非常に心苦しいが見て見ぬふりをするしかないな」
ニヤニヤと締まらない表情を浮かべる魔王が呟いた。
魔王や妖精王が見ているなど夢にも思ってはいないだろう。
「名前は何て言うのかな?」
アヤネは素早くユタカの視線の先へ移動する。
首を傾げて問いかけた。
しかし、ユタカは口を紡いだまま呆然とアヤネの顔を眺めるだけで返事をする気はないようだ。
「何歳かな?」
名前を答えてもらえないのならと、ユタカの年齢を聞き出そうとしたアヤネがへこたれずに声をかける。
「…………」
黙りである。
年齢に関しても答えるつもりのなかったユタカの右手を強引に持ち上げた。
「いくつかな? 指を上げて教えてくれる?」
少々強引かもしれないけど、何とか幼い子供とコミュニケーションをとろうとしたアヤネが首を傾げて問いかける。
妖精王の術にかかり体が小さくなってしまったため自分でも年齢を分かっていないユタカに年を答えられるわけもない。
「人見知りなのかな?」
視線を下げたまま口を開こうとはしない幼い子供を見てアヤネが苦笑する。
幼い子供から名前や年齢を聞き出すことを諦めたようだ。
「この子も連れていくことにするわ。迷子だったら可愛そうだもん」
この幼い子供が父であることに気づかないアヤネの言葉に
「うん、そうだね。連れていこう」
同じく抱えあげてしまった子供が国王であることに気づいていないヒビキが同意した。
のんびりとした足取りで兄タツウミの元へ向け足を進めるヒビキとアヤネの後ろ姿を、口元に手を添えて密かに眺めている人物がいた。
その視線がヒビキの背中から、ヒビキの腕の中で肩を落としている小さな子供に向く。
グフッと危うく吹き出しそうになった女性が、両手で口元を覆い隠す。
「吹き出したらバレるからのぉ。我慢じゃ」
女性のすぐ背後に控えていた白髪の老人が、ぽつりと小声で呟いた。
「そうね。笑いだしたら……」
うふふふふと口元を両手で覆い隠し、目蓋を伏せた女性が肩を震わせる。
柱の影に身を隠し小刻みに肩を揺らしていた銀騎士団調査隊に所属する小柄な女性が、すぐ隣に佇んでいる老人と視線を合わせて何とか込み上げる笑いを堪えて見せる。
随分とヒビキやアヤネとの距離が開いた。
声が届かなくなるまで後もう少しか。
ヒビキの肩に両手を乗せて、女性に視線を送るユタカがムスッとする。
見ていないで助けて欲しいと目で訴えているものの、アヤネに見つからないようにと身を隠している銀騎士団にユタカを助ける術はない。
ヒビキの肩に額を落として、項垂れるユタカが手にしていたローブをふいに床に落としてしまう。
ぽさっと音を立てて床に落下したローブにヒビキは気づかない。
アヤネも既に視界に入り込んでいるタツウミの寝室に釘付けとなっているため気づく様子はない。
ローブに向かってユタカが腕を伸ばす。
しかし、当然届くはずもなく両手を伸ばしたままローブを見つめていたユタカが小さなため息を吐き出した。
「あら? どうしたの?」
ユタカのため息が届いたのだろう。
アヤネが項垂れているユタカに気がついた。
背後をふり向いてユタカの視線を目で追う。
「あ、お洋服を落としちゃったのね。安心して。拾ってくるからね」
床に落ちているローブに気づいて身を翻す。
ヒビキはタツウミの寝室の扉の前に到着。
ドアノブに手をかけて扉を開いている最中だった。
身を翻したアヤネに気づき、背後を振り向いたヒビキの耳に
「お帰りなさい。自分で扉を開けたんだ?」
兄タツウミの声が入り込んだ。
水分補給。ベッドに腰を下ろしてコップ一杯の水を飲み口に含んでいたタツウミが、ユタカが一人で扉を開けた事に感心する。
部屋から出るときは背伸びをしても僅かに扉に手が届かなかったのに。
どうやって開いたのだろうと、疑問を抱きつつ背後を振り向く。瞬く間の出来事だった。
口に含んでいた水を盛大に吐き出すほど一体、何に対して驚いたのか。
激しく咳き込んだタツウミが、左手で前のめりとなった体を支えて、右手でヒビキの腕に腰を下ろしているユタカを指差した。顔面蒼白である。
「あれ? 随分と大きなお洋服を抱えていたのね。一体誰のお洋服を抱えていたのかな? お父さんのかな?」
ローブを拾い上げたアヤネがヒビキの元へたどり着く。
ヒビキの視線がアヤネの手にしているローブに移る。
子供が身に着けるには大きすぎる赤色のローブは何故か所々泥がついている。
妖精王の術によって父が若返ってしまった事が、タツウミから届いた手紙には書いてあった。
そして、飲み物を盛大に吹き出してしまう程の驚きを見せたタツウミの反応を見て、状況を察したヒビキの顔からサーッと血の気が引いていく。
恐る恐る抱えてしまった子供に視線を向けたヒビキがゴクッと息を呑む。
真っ青な顔をしたヒビキの態度から、ホッと胸を撫で下ろしたユタカが
「その様子……やっと気づいたようだな」
ぽつりと呟いた。
慌ててユタカから手を放そうとしたヒビキが
「落とす方がまずいか」
思い直してユタカの腹部に腕をかける。
「本当だよ。絶対に落としちゃ駄目」
ヒビキの突然の行動にヒヤリとしたタツウミが肝を冷やす。
中途半端に手を伸ばしたまま、胸をなでおろすタツウミが安堵する。
「この様子だと記憶までさかのぼってしまったわけではないのですね?」
突然の事だったとはいえ、何とか冷静さを取り戻したヒビキがユタカに声をかける事により情報を聞き出そうとした。
「あぁ」
小さく可愛らしい見た目に反して、落ち着いた口調で返事をしたユタカが頷いた。
「うん。中身は変わらぬままだよ。魔力は元の姿の時と同じように扱う事が出来るけど、体力は落ちているみたい。可愛いものが大好きな魔王に追いかけまわされて全力疾走をしたんだけど、その後疲れきっていたからね」
タツウミが言葉を付け加えるとヒビキが苦笑する。
当たり前のようにしてタツウミと会話をするヒビキは、近くにアヤネがいる事をすっかりと忘れてしまっていた。
「はい、どうぞ」
ヒビキからユタカへ視線を移したアヤネがローブを差し出した。
「ありがとう」
中性的な声である。
たった一言ではあったものの、初めて口を開いた小さな子供に
「喋った!」
アヤネの表情が驚きに変わる。
ユタカがローブに手をかけると、その手を握りしめたアヤネが爽やかな笑みを浮かべて問いかける。
「抱っこしてもいい?」
ユタカの腰に手を添えると、ヒビキの返事を聞く事無く小さな体を持ち上げて抱え込む。
あんぐりと口を開き中途半端に伸ばした手をさ迷わせていたタツウミがヒビキに何とかして欲しいと目で訴える。
無理無理無理と顔の前で手を左右に動かしたヒビキが顔を強張らせた。
「名前は何て言うのかな? お姉さんに言ってごらん」
ユタカの顔を覗き込み名前を聞き出そうとしたアヤネは完全に父を子供扱いしている。
まぁ、目の前の小さな子供が父だとは気づいていないため仕方の無いことなんだろうけど。
「アヤネ」
タツウミがたまらずアヤネに声をかける。
ここでやっと、兄タツウミが傍にいる事に気づいたアヤネが嬉しそうに声を上げた。
「お兄ちゃん!」
ユタカを抱えたまま、大股でタツウミの元へと歩み寄ろうとするアヤネにタツウミは激しく動揺する。
「ちょっ、アヤネ! 落ち着いて、子供を抱えたままはまずい。床に下ろしてから」
タツウミが両手を前に突きだして、ユタカを下ろしてから向かってきて欲しいと指示を出す。
「お兄ちゃんも子供と戯れたいの? いいよ。はい」
しかし、アヤネはタツウミも子供と戯れたいのだろうと勝手に勘違いをする。
目の前に突きだされた両手にユタカを預けると、タツウミの表情が笑えるほど奇妙な顔に変化する。
「お父様の訃報を聞いて、事実を確認するために帰宅したんだけど、お父様の姿も騎士団の姿も見当たらないの」
早速疑問をタツウミに問いかける。
アヤネの不安な気持ちを感じ取ってタツウミは眉尻を下げる。
「一報は瞬く間に隣街まで伝わったんだ」
随分と落ち着いた口調だった。
眉尻を下げて言葉を続けたタツウミの表情から、悪い予感がすると不安を抱いたアヤネが表情を曇らせる。
タツウミの抱えている幼い子供に手を添えて再び両手で抱え込んだアヤネの表情は暗いまま。
アヤネの問いかけに対して、どのように返事をすればいいのか。
悩んだタツウミがヒビキを横目に見る。
ヒビキは苦笑したままで反応はない。
続けてアヤネの腕の中に移ったユタカに視線を向けたタツウミが、危うく吹き出しそうになる。にやけそうになる表情を咄嗟に引き締めた。
きっと、お父様と呼ばれたことを喜んでいるのだろう。
目を輝かせているユタカの姿があり、堪えきれずに吹き出したヒビキが咄嗟に咳払いをする。
そっぽを向き、にやけた表情をアヤネから逸らすと両手で顔を覆い隠す。
笑ってしまっているヒビキを横目に、タツウミが苦笑する。
「実は父上が死去したと情報を流したのだけど、実際のところ事実は異なっているんだよ。妖精王の術により時を遡ってしまったんだ」
チラッとユタカに視線を向けたタツウミが悩んだ末、事実を口にする。
今にも泣きだしそうなアヤネを見ていられなくなった。
渋々と事実を伝えたタツウミの言葉を耳にしたユタカが反応を示す。
「ん?」
アヤネのお父様呼びに喜び、目を輝かせていたユタカは途中から話を全く聞いていなかった。
タツウミに視線を向けて首を傾げて問いかける。
「え? 時を遡ってしまったって?」
タツウミの視線を目で追ったアヤネが、真っ直ぐ腕の中におさまっている幼い子供に視線を向ける。
どうやら、状況を察したようだ。
アヤネの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
顔面蒼白である。
声にならない悲鳴をあげたアヤネがユタカから手をはずす。
両手を胸の高さまで持ち上げて、手の平をユタカに見せる。
「ごめんなさい。そうとは知らず……」
側にいることも恐れ多いとでも思ったのか、後ずさりをしようとして
「きゃあああああ!」
鋭い悲鳴と共にベッドから盛大に転げ落ちた。
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アーノルドの第二の人生が幕を開ける。しかし、同級生で仲の悪いメイザース家の娘ミナに学園での態度が演技だと知られてしまい。アーノルドの理想の生活は、ハチャメチャなものになって行く。
スライム10,000体討伐から始まるハーレム生活
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この世界は12歳になったら神からスキルを授かることができ、俺も12歳になった時にスキルを授かった。
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しかし、【@&¥#%】というスキルでは強いモンスターを討伐することができず、3年間冒険者をしてもスライムしか倒せなかった。
そんなある日、俺がスライムを10,000体討伐した瞬間、スキル【@&¥#%】がチートスキルへと変化して……。
これは、ある日突然、最強の冒険者となった主人公が、今まで『スライムしか倒せないゴミ』とバカにしてきた奴らに“ざまぁ”し、美少女たちと幸せな日々を過ごす物語。
辺境領主は大貴族に成り上がる! チート知識でのびのび領地経営します
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旧題:転生貴族の領地経営~チート知識を活用して、辺境領主は成り上がる!
トールデント帝国と国境を接していたフレンハイム子爵領の領主バルトハイドは、突如、侵攻を開始した帝国軍から領地を守るためにルッセン砦で迎撃に向かうが、守り切れず戦死してしまう。
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この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
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