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学園都市編

97話 タツウミとユタカ

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「笑い疲れたんだけど」
 ぽつりと考えを漏らしたヒビキが大きなため息を吐き出した。
 少しずつ目蓋が落ち始めると口元に手を添える。
 大きな欠伸をすると共に両手を掲げて伸びをしたヒビキは考える。
 普段なら睡眠を取っているはずの時間帯にヒビキは洞窟内を全速力で駆け抜けていた。
 妹であるアヤネと思わぬ形で再会をして、自分でも気づかないうちに酷く緊張していたヒビキは寮にたどり着き鬼灯の顔を見て気を抜いてしまう。

 強い眠気に苛まれる理由を知り納得したヒビキが壁に背中を預けると、もたれ掛かるようにして腰を下ろす。
 再び大きな欠伸をすると床の上に横たわって目蓋を伏せると眠りについてしまう。
 脈拍数は正常、整った呼吸を繰り返すヒビキは眠っているだけだと理解した鬼灯が安堵する。

「ヒビキは騒がしい宴会会場の中でも熟睡してしまうような人物だと聞いたことがあるな。確か、暗黒騎士団隊長を務めるギフリードから聞いたんだったか」
 指先でヒビキの腹部を叩いてみるけれども返事は無い。

「すぐそばにベッドがあるだろ?」
 手のひらでグリグリとヒビキの腹部を押してみるけれども全く反応を示さない。
 すぐ側にベッドが設置されている事を伝えようと試みる。
 やはり、予想はしていたけれども返事は無い。

「寝付くのが早くないか?」
 ヒビキの指の間から滑り落ちるようにして狐面が転がり落ちる。
 整った呼吸を繰り返すヒビキを呆然と眺めていた鬼灯が大きなため息を吐き出した。
 昨夜、暗黒騎士団調査員を務める青年からヒビキが自宅を出た事を知らせる手紙が届いていた。

「眠る間も惜しんで学園に向かっていたのだろうけれど、学園に到着して早々に眠りに付かなくても……」
 頭を抱え込む鬼灯が、ゆっくりと腰を上げる。

「ヒビキが学校にたどり着いたら副会長と共に学校案内を行う予定だったんだけどな」
 学園に到着したばかりのヒビキに校内の見取り図を手渡して、体育館や各教室を案内する予定だった。
 しかし、肝心のヒビキが学園に到着するのと同時に深い眠りに付いてしまった。

「俺は教室に向かう事にするか」
 淡々とした口調で独り言を漏らした鬼灯がヒビキの額に手を添える。
 教室に向かうにしても、ヒビキを床に転がしたままで行くわけにはいかないと考えた鬼灯が小声で呪文を唱えると、真っ赤な炎が出現する。
 ヒビキの全身を包みこんだ。

 ゆっくりとヒビキの体が宙に浮く。
 指先をベッドに向けて移動させると空中で横に一回転したヒビキの体が移動する。
 鬼灯が指をパチンとならす事より炎は消滅。
 支えを失ったヒビキの体はベッドの上に落下した。

 時刻は既に朝礼が始まる20分前。
「間に合うか分からないけど、とりあえず急ごう」
 身を翻した鬼灯は急いで身支度を整えると、小走りで室内を抜け出した。



 学園に到着後、すぐに眠りに付いたヒビキは長い時間を睡眠に費やした。
 意識を取り戻した頃には外は、ほんのりと薄暗くなっていた。
 呆然と窓の外を眺めていたヒビキの元へ一日の学園生活を終えた鬼灯が戻る。

 寮の出入り口の扉が開かれると、視線を鬼灯に向けたヒビキが
「おはよう」
 寝ぼけまなこを擦りながら深々と頭を下げた。

「おはようって、もう夕暮れ時だけどな」
 あきれ果てているのだろう。
 ため息を吐き出すと共に考えを口にした鬼灯が開いているベッドに鞄を置く。

「ぐっすりと眠ったから、ほんの少しだけど魔力が回復した」
 寝起きのため感覚が可笑しくなっていた。無意識に、おはようと口にしてしまうと鬼灯に突っ込みを入れられてしまう。
 魔力が少しだけ回復した証拠を見せるために、人差し指を突き出して先端を鬼灯に向ける。
 ポッと音を立てて小さな炎の塊が出現する。
 人差し指と親指でつまめば、すっぽりと指の中に納まってしまう程小さな炎の塊を眺めていた鬼灯が小さなため息を吐き出した。

「暗闇を照らす程の魔力しか回復していないのか」
 眉尻を下げて苦笑する。

「魔力が回復するまで時間がかかりそうだな。魔力が使えないからって、気を落とすんじゃないぞ」
 言葉を続けた鬼灯に対してヒビキは
「うん。今の俺には、父から貰った剣があるから魔力が無くても平気」
 壁に立てかけてあった剣を手に取り、抱え込むと口元を綻ばせる。
 魔力を使えないことはヒビキにとっては対した問題では無いようで笑顔を浮かべている。

「現状を満足しているのかよ」
「うん」
 剣を抱えるヒビキが頷くと鬼灯が肩を小刻みに震わせる。

「でも、強敵が現れた時には魔力を使わなければならないだろ?」
 ヒビキは魔力が使えなくても平気と言うけれど、国王暗殺を企む人物と戦うことになった時、ヒビキが術を発動できない状態にあったら困るのは自分達である。
 国王は戦力を失うことになるのだから頭を抱え込むことになるだろう。
 
「うん。それまでには回復している事を願う。焦っても魔力の回復が早まるわけではないから」
 鬼灯の問いかけに頷き返事をしたヒビキが眉尻を下げる。

「焦っても仕方がないか。それもそうだな」
 ヒビキの考えに同意した鬼灯が苦笑する。

 和やかな雰囲気の中、寝ぼけ眼のままベッドから足を踏み出そうとして布団に足を絡ませたヒビキが盛大に床に転げ落ちる。

「痛い」
 大きな音を立てて床に打ち付けられた体は、うつ伏せに倒れ込む。
 痛いと声を漏らしたヒビキに鬼灯が冷たい視線を向ける。

「寝起きは悪い方なのか? 学園の備品は理事長の術によって自然回復魔法が掛けられているとはいえ、あまりぞんざいに扱うなよ。まぁ、今のはわざとじゃないだろうけど」
 床に両手をつき、ゆっくりと上半身を起こしたヒビキが腰を下ろす。

「大丈夫か?」
 ヒビキの視線に合わせるようにして、しゃがみ込んだ鬼灯が膝をつく。

「うん。平気」
 ケープの裾を握りしめて苦笑するヒビキは頬を、ほんのりと赤色に染めて恥ずかしそう。
 布団に絡まっている足をを取り外す。
 腰を上げて、その場に立ち上がったヒビキが周囲を見渡す素振りを見せた。

「えっと、着替えたいんだけど脱衣所は何処?」
 赤く染まった両頬を手で包み込んだヒビキが問いかける。

「左側の扉を開けば脱衣所へ、奥に進むと風呂場になっている」
「分かった。有り難う」
 鬼灯の指さした先に視線を向けたヒビキが一礼する。
 脱衣所に向かって、のんびりとした足取りで歩き出した。

「なぁ」
 ふと、鬼灯がヒビキに声をかける。
 脱衣所のドアノブに手を掛けたままの状態でヒビキは首を傾ける。

「ん?」
 相変わらず鬼灯は小型化したままの状態である。

「国王や妖精王から話を聞いたんだけどさ、ヒビキと共に行動している時のサヤは楽しそうだったと聞いた。最後までサヤと共にいてくれて有り難う」
 ベッドに腰をかけたままの状態で感謝の気持ちを伝える鬼灯が笑みを浮かべて感謝の気持ちを口にした。
 ヒビキは慌てて首を左右に振る。

「礼を言うのは俺の方だよ。サヤに命を助けてもらっている」
 眉尻を下げて苦笑するヒビキが扉を開くと脱衣所へ足を踏み入れる。
 パタンとしまった扉を眺めていた鬼灯が苦笑した。

 脱衣所へ足を踏み入れて、すぐにヒビキの指先に添うようにして四つ折りにされた紙が出現する。
 白を基調とした手紙を手にとって、視線の先に移動する。
 四つ折りにされた紙を開き中を確認すると達筆な字が書き連ねられていた。

 洞窟を通って学園に向かったんだってね。
 洞窟内には強いモンスターが多く生息していると聞いたよ。
 既に学園に到着をしているのかな? 

 整った丁寧な文字が書き連ねられている。
 文字から手紙の差出人の性格を予想する。
 きっと、几帳面な性格なのだろうと予想して差出人を確認する。
 裏面と表面を確認してみるものの、名前の記載がないため差出人が分からない。
 
「誰だろう」
 暗黒騎士団調査員からの手紙だった場合、紙の色は黒。
 妖精王からの手紙だった場合、妖精の記した文字は読む事すら出来ない。

 無事に到着をする事が出来ました。
 差出人が分からないため、質問の内容に対しての答えだけを記したヒビキが紙を四つ折りにすると同時に手紙はヒビキの元を離れて持ち主の元に戻る。
 すぐに指先に添うようにして出現した紙を手に取って、中を開いた青年が顔すれすれに手紙を寄せる。

「無事に到着する事が出来ましたって……」
 紙をテーブルの上に戻して、ため息を吐き出したタツウミが肩を落とす。

「どうしよう。何て返事をしよう」
 手紙とにらみ合うタツウミが頭を悩ませる。

「ねぇ。手紙に差出人の名前が書かれていないよ」
「え? わっ!」
 窓際に設置された机と椅子。
 深々と椅子に腰かけていたタツウミの肩に手を添えると身を乗り出した人物がヒビキから届いた紙を覗きこむ。
 一体いつの間に室内に足を踏み入れたのか、手紙に集中するあまり室内への侵入者に気付けずにいたタツウミが驚きと共に声を上げる。

「誰から送られてきた手紙か、ヒビキは理解せずに返事を書いたんじゃないかな?」
 ストレートのクリーム色の髪の毛。
 長い前髪が顔を覆い隠しているため、その表情を確認する事は出来ない。
 真っ赤なローブを身に纏う青年だ。
 佇む青年を呆然と見上げていたタツウミが、青年の指さした紙に視線を向ける。

「あ、確かに名前が記されていない」
 青年の言った通りだった。紙には確かに差出人の名前が記されていなかった。

「教えてくれてありがとう」
 背後を振り向いたタツウミが真っ赤なローブを身に纏った青年の姿を捉える。
 続けて青年の、すぐ背後に佇む魔王の姿を捉えるとタツウミの表情が強張った。

「ノックも無しに勝手に寝室に足を踏み入れたからタツウミ君、驚いているじゃないですか」
 魔王の背後で壁に背を預けて佇む妖精王が口を開く。

「驚くって言うよりは怯えてるんだよ。君達にね」
 妖精王を指さしたユタカの行動を横目に見ていたタツウミの顔から血の気が引く。

「ちょっ、駄目だよ。妖精王を指さしちゃ」
 顔面蒼白である。
 険しい表情を浮かべるタツウミとは対照的。

「大丈夫だよ。絵本ではラスボスとして登場することが多いけれど、実際に関わってみると面倒見のいい優しいお兄……お爺さんだよ?」
 お兄さんといいかけて、チラッとリンスールを横目に見たユタカが言葉を訂正する。
 大人しくユタカとタツウミのやり取りを耳にしていたリンスールが吹き出すと小刻みに肩を震わせた。

「すみません。まさか、ユタカにお爺ちゃんと呼ばれる日が来るとは思いませんでした。お爺ちゃんと呼んでもらったことに対して喜んでいる場合ではありませんね。タツウミ君を仲間に引き入れるために寝室を訪ねたのに、大きく話が逸れてしまっていることに気づいていますか?」
 ユタカの背中を叩き、頭を下げたリンスールが苦笑する。
 
「国王暗殺を企む人物がいる事を知ってしまったタツウミにも協力を要請するんだろ?」
 なかなか本題を切り出そうとはしないユタカの横腹を肘で突っついた魔王が問いかける。
 
「うん。そうなんだけど、タツウミの様子を見ていると僕が誰だか分かってないでしょう? 自己紹介から始めるべきかな?」

 背後を振り向いたユタカが首を傾げると、魔王が小刻みに肩を震わせる。

「国王暗殺を企む者が一人だけとは限らない。万一、城の中にいる可能性も考えて事がおさまるまで当事者である自分は身を潜めている事を伝えればおのずとタツウミは目の前に佇む人物が誰なのか気づくだろう」
 魔王の説明が終わるや否や勢いよく椅子から腰を上げて、その場に腰を上げたタツウミが背後を振り向いた。
 急なタツウミの行動に驚き、足を引いたユタカが魔王の足に躓き大きく体を仰け反らせる。

「わっ……ちょっ、支えて!」
 大きく仰け反った体を自らの力で立て直す事を不可能と考えたユタカが声を上げる。

 咄嗟に魔王がユタカの背中を支えたから良かったものの
「少し落ち着こうか」
 危うく床に盛大に後頭部を打ち付けるところだった。
 唖然とするユタカの背中を叩き落ち着くようにと言葉を続けた魔王が苦笑する。

「いや、そんなはずは……」
 何やら考えこんでいるタツウミが独り言を漏らすと
「え、父上ですか?」
 恐る恐る首を傾げて問いかけた。
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