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ドラゴンクエスト編
13話 鬼灯現る
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「号外(ごうがい)。号外だよー!」
ひゃっほいと何度も飛び跳ねながら小さなお猿さんが黒い紙をばらまいている。
「お兄さん、お姉さん。暗黒騎士団に新メンバーが加わったよー」
小さなお猿さんは情報屋さん。
「気になるっしょ? ほら、もっと寄って寄って」
周りに集まった人達に手渡しで黒い紙を配っていく。
今回は魔王自らがお猿さんを城に呼び、暗黒騎士団に新たなメンバーが加わったことを伝えた。
「新たに加わった騎士の情報は公開されず年齢、性別、容姿ともに明らかにされていないんだってー」
ウキキッと紙を撒き散らすお猿さんを横目に見て、重たい足取りで大通りを突き進んでいたヒビキが、ぽつりと一言だけ本音を口にした。
「眠い」
虚ろ虚ろとするヒビキは現在、襲い来る眠気と格闘中。
「お兄ちゃんは宴会会場で熟睡してたのに、まだ眠いの?」
大きなあくびを繰り返すヒビキを一目見るヒナミは唖然とする。
街路を歩く人々がお猿さんを取り囲む。
黒い紙を手に取り内容を確認する。
脇を通ってドワーフの塔に向っているヒビキは、リンスールが待つドワーフの塔2階層に向かって足を進めていた。
実は宴会が終わった後、ヒビキはギフリードに案内をしてもらって一度、魔王城に赴こうとした。
聳え立つ岩山の上に建てられた魔王城を指差して、頭の中に浮かんだ疑問を問いかける。
「どうやって登るのですか?」
見えない隠し通路があるのか、それとも視界に入っていないだけで魔王城まで続く階段を登るのか。
ヒビキが、さまざまな考えを思い浮かべる中ギフリードは、意味が分からないとでも言いたそうな表情を浮かべて問いかける。
「飛行術で魔王城まで移動をするんだが?」
当然だろと言葉を続けたギフリードは全ての冒険者が飛行術を扱うことが出来ると思っていた。
しかし、ヒビキは飛行術を扱うことが出来ない。
今更飛行術を扱うことが出来ませんと伝えると、ギフリードの機嫌を損ねてしまうだろうかと不安を抱くヒビキの表情から笑みが消える。
ギフリードは冒険者が全員、飛行術を使うことが出来ると思っているのだろうか。
「俺は飛行術を使えません」
嘘をついても、いずれ知られてしまう事になる。
魔族の機嫌を出来るだけ損ねたくは無いと考えつつも、嘘をつく訳にもいかずに正直に答えると驚いたように目を見開いて、そして腕を組み何やら考える素振りを見せたギフリードが勝手に予想をして、そして勘違いをしていた事に気づく。
「クエストを依頼し発注するための5,000,000Gが無かったのは飛行術を購入してお金を使ったからだと思っていたんだ。80年も経てば50,000,000Gは貯まるだろうと思っていたから」
ギフリードの考えを耳にしてヒビキは苦笑する。
魔族に擬態しているとは言えヒビキが現在、身に付けているものは狐の耳が印象的なフード付きケープ。
ギフリードは一体、ヒビキを何歳だと思っているのか気になってしまう。
そもそも、魔族の寿命を基準にされてしまうと口ごもる事しか出来なくなる。
魔族の成人年齢が100歳であることは、以前ヒナミの母親との話のやり取りの中で出てきたため知ることが出来たけど、魔族の平均的な寿命が何年なのか分からない。
ギフリードの勘違いを訂正するためには実年齢を伝える事になるけれど、実年齢を伝えると種族が人間である事を遠回しに伝える事になる。
「悪気は無かったんだが、何か戸惑わせるような事を言ってしまったか?」
急にヒビキが黙り込んでしまったものだから、何か機嫌を損ねるような事を言ってしまったのだろうかと、急に不安になったギフリードの問いかけに対してヒビキは慌てて首を左右に振る。
「戸惑っていた訳では無いんだ。もしかしたら、俺の暗黒騎士団入りは白紙に戻るのかもしれないなと考えていただけで」
「あぁ。ヒビキの暗黒騎士団入りが白紙に戻る事は無いから安心してくれ。魔王がヒビキの特徴と性格を伝えたら大層な喜び方をして、早く連れてこいと言うから自分でも気づかぬうちに気持ちが焦っていたらしい」
まずは、飛行術を手に入れる事が最優先事項だなと言葉を続けるギフリードは、魔王城からヒビキへ視線を移す。
ギフリードの種族は魔族ではあるものの、話をしていると人間と何ら変わりが無いように思える。
しかし、ギフリードの直属の上司である魔王の性格は全くつかめない。
魔王がどのような人物なのか問いかけても良いものだろうかと考えるヒビキは、再び遠くを見たまま身動きを止めてしまう。
しかし、ヒビキが口を開く前に再び魔王城に視線を移したギフリードが口を開く。
「仕方ない。魔王には私から報告をするから、君はまず飛行術を手にいれてくるといい」
狐の耳付きフードを深々と被る少年の容姿は分からないけれども、少年の声や雰囲気や身長から判断をすると80歳前後。
全く的外れな事を考えているギフリードは魔族を基準にして物事を考える。
一人で魔王城に戻ると口にして身を翻すギフリードは、再びヒビキに視線を移す。
「飛行術を手にいれたら魔王城に来ればいい。あまり長いこと魔王を待たせると魔王、自らヒビキの元を訪れる可能性があるからな」
最後にヒビキにとっては恐ろしい言葉を口にして魔王城に向かうギフリードは小刻みに肩を揺らして笑う。
どのような人物なのかも分からない、魔王が訪ねてくる場面を思い浮かべてしまったヒビキが恐怖心から身震いをする。
またなと言葉を続けて飛行術を発動。魔王城に向け飛行を始めたギフリードは、唖然としたまま無意識に手を胸元の高さまで上げて手を振り返そうとしたヒビキの反応を見て苦笑する。
魔王の見た目や人柄を知る者は殆どいないとは言えヒビキは魔王を、どのような人物だと思っているのか知りたいと思ってしまうほど酷く怯える姿を見て、ちょっぴり反省する。
別に怯えさせるつもりは無かったんだけどなと言葉を続けたギフリードの声は風にかき消されてしまってヒビキの耳には入らなかった。
放心状態のままギフリードを見送っていたヒビキの脳裏に、昨夜ドワーフの塔で別れ際にリンスールが口にした言葉が過る。
レアアイテムである3階層の通行許可証を共に使う約束をした。
しかし、3階層の通行許可証は昨夜、発生した緊急クエストに強制参加をするために使ってしまったため、リンスールとの約束事は無効になってしまったのか、それとも今もなお有効なのか考える。
3階層への通行許可証は既に砕け散ってしまって手元には無いけれど、リンスールがドワーフの塔で共に狩りを行うために待っている可能性がある。
昨夜980レベルのトロールを討伐する事が出来たためヒビキのレベルは150に到達した。
ドワーフの塔3階層へは自力で行くことが可能になったため、もしもリンスールをドワーフの塔の中で見かけたら3階層で共に狩りをしませんかと誘ってみようかなと考える。
「今からドワーフの塔で狩りを行うために移動しようと思うんだけど」
「私も一緒に行くよ!」
今からドワーフの塔へ向かう事をヒナミに伝えると、すぐにヒナミはヒビキの腕に纏わりつく。
ミノタウロスを召喚する事の出来るヒナミが共にドワーフの塔へ来てくれるのなら心強い。
昨夜緊急クエストに参加をするためにヒナミにレベルを聞いた。
子供であるもののレベルは199と高かった。
そして、思いもよらない事実をヒナミのレベルと一緒に知る事になる。
魔族ほ見た目と実年齢が比例しないことを知る事になる。
人間を基準にして考えていたため、てっきりヒナミの年齢は8歳前後と勝手に予想をしていた。
しかし、ヒナミの実年齢は68歳。
60年間は卵の中にいた事を知る。
ヒナミと共にドワーフの塔に移動して、1階層をヒナミと共に難なく抜ける事に成功をする。
2階層に足を踏み入れて周囲を見渡した所で、それは視界に入り込む。
昨日たて続けに580レベルと980レベルのトロールが出現をしたドワーフの塔2階層は普段、沢山の冒険者で溢れかえっている。
しかし、今日はリンスールだけ。フロアの中央で沢山のドワーフ達と戯れていた。
床に寝転がるリンスールの腹の上でピョンピョンと跳び跳ねているドワーフはヒビキとヒナミが2階層に足を踏み入れても見向きもしない。
声をかけても良いものかと迷いはしたけれど
「何をしてるのですか?」
このまま呆然とリンスールを眺めていても仕方がない。
仰向けに寝転がり天井を見上げていたリンスールに声をかけると、ヒビキとヒナミの存在に気づきリンスールが勢い良く上半身を起こす。
急にリンスールが上半身を起こしたものだから、リンスールの腹の上で嬉しそうに跳び跳ねていたドワーフが、ふっ飛び驚きと共に砂となって消える。
「この階層には私以外いなかったので、ちょっとした面白い遊びを思い付きまして。ヒビキさん達が、そろそろ来る頃かなと思いまして既に準備万端です。イベントを発生させますね」
リンスールの言葉を耳にしても言っている意味を理解する事が出来なかった。
状況を把握する事が出来ないまま佇んでいると、リンスールが長々と複雑な呪文を口にする。
魔力を解放し、パチンと両手を合わせて音を立てる。
呆然と一部始終を眺めていると、ドワーフの塔2階層内が一変する。
~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~♪
2階層が白や青や赤やピンクと色とりどりに光だす。
流れ出した音楽は明るく元気なもので辺りを見渡していると。
祝い! イベントが発生しました!
突然アナウンスが流れてイベントが発生した事を知らせる。
みんな出で来て一緒に踊りましょう!
ふふっとアナウンスを流している人物が笑うと宝石の影に隠れていたドワーフが、ひょっこりと顔を覗かせた。
ぞろぞろと隠れていたドワーフが姿を現した。
100、200、300、400と徐々に増えていくドワーフの数に恐怖を抱きながら、ヒナミと共にリンスールの隣に移動をする。
500、600、700、800、900、1000。
宝石の影から続々と登場する沢山のドワーフに怯えた様子のヒナミが、そっとヒビキの腕に手を纏わりつかせる。
「大丈夫ですよ。此方から何も攻撃をしなければ襲っては来ません」
ヒビキに身を寄せて震えるヒナミを見て、くすりと笑うリンスールは腕を高く掲げてパチンと指先をならす。
リンスールの合図と共に一度ピョンッと大きく飛びはねたドワーフが右足、左足くるんっと回ってジャンプ。
いきなり音楽に合わせてリズムを取ると共に踊り出した。
くるんと回るドワーフ達の黒いローブが開き円を描く。
すぐに、ピョンと一斉に飛び跳ねたドワーフがピョンピョンピョンピョンと何度も跳ねる。
全てのドワーフの動きが一致しているから綺麗だなと思い眺めていると
「私たちも行きますか!」
爽やかな笑顔を浮かべてドワーフ達の元へ向け走り出したリンスールに手招きをされる。
「え?」
行くって何処にと疑問に思ったけど、戸惑いすぎて言葉となって出てこない。
「私も行く!」
踊り出したドワーフを見て、すっかり恐怖心が消えたのだろうヒナミの表情に笑みが戻る。
ぱたぱたと慌ただしい足音と共にリンスールの後を追いかけた。
ピロンと高い音がした。
リンスールにパーティに誘われています。加入しますか?
目の前に現れた文字を読み
はい
左下にあるボタンを押す。
視線を上げてドワーフの群れに視線を移す。
そこには、ドワーフ達と一緒に踊るリンスールとヒナミの姿があった。
「お兄ちゃんも早く!」
ぴょんぴょんと跳ねるヒナミが手招きをする。
「このイベントが終われば大量のお金が手に入りますよ!」
片手で倒立。足を開いてポーズを決めたリンスールは白い布で出来た服の下に隠れて、普段は見えていないけどダボッとした大きめのニッカポッカパンツをはいていた。
沢山のお金が手に入るのなら行こう。
渋々とドワーフの群れに紛れ込むと流れる音楽に合わせて以前、一度だけ見た踊り子達の踊りを真似る。
ケープを着ているから出来る踊り。
人間界にいた時に街に踊り子がやって来た。
彼女達の踊りは、とても軽やかで見ていて楽しい気持ちになった。
一度しか見ていないから覚えていない部分は適当に振り付けをする。
3人がイベントで大量の金を集めようとしている頃。
「2階層で緊急クエストでも発生しているのかね」
2階層に上ろうとしていた女性がニャハハハと笑い声をあげていた。
「またトロールが現れているってことか?」
青年が女性に声をかける。
実は魔界にトロールが現れた事を聞いた鬼灯は宿で休みを取ることなく魔界と人間界の中央に位置する街を出た。
鬼灯にトロールの情報を与えた女性も鬼灯を追うようにして街を出る。
夜中に何時間も掛けて森の中を走った鬼灯と女性は翌日の昼に魔界にたどり着いた。
そして、トロールが出現をした塔の2階層を見てみたいと言った鬼灯が、女性と共にドワーフの塔に足を踏み入れた。
1階層のドワーフを倒し、2階層の出入り口に差し掛かったところで、出入り口が閉鎖されている事に気づく。
数分前から2階層へと続く扉の前で、梯子に片腕をかけて閉鎖が解けるのを待っている。
「閉鎖が解けたら、すぐに回復に向かわなければならないね」
赤く点滅する出入口を見つめて、ぽつりと呟いた女性に鬼灯は小さく頷いた。
2階層内にいる冒険者達が全滅していなければ良いけどと願いつつ、鬼灯と猫耳が印象的な女性が階層の出入り口で足止めを受けている頃。
最後に大きくジャンプをして地面に着地をすると2階層で踊っていたドワーフが突然、砂となり消える。
「因みにこのイベントを発生させる方法は妖精達しか知らないから。内密にお願いします」
笑みを浮かべるリンスールは妖精なら誰でもイベントを発生させる事が出来るような話し振りをするけれど、全ての妖精が高難易度の術を発動する事が果たして出来るのだろうかと疑いを持ってしまう。
「分かった」
もしかしたらリンスールは妖精の中でも高い地位を持っているのでは無いのだろうかと考えつつ、分かったと一言呟いて口外しない事を約束する。
リンスールから視線を逸らした所で気がついた。
辺りが薄暗くなっていた。
頭上を見上げると巨大な闇が渦巻いている。
それは次第に大きくなり2階層に広がっていく。
ブーブーブーブーと2階層に緊急事態を知らせる警報が響きだす。
緊急クエストが発生しました。
アナウンスが流れて緊急クエストが発生した事を知らせる。
「え、何? 立て続けにトロールが発生するの?」
イベントを終えた事で一度2階層へ続く出入り口の通行が可能になった。
女性の驚く声が聞こえて、ここで初めて2階層に足を踏み入れた冒険者がいる事を知り、2階層の出入口に視線を向ける。
そこには、茶色の猫耳が印象的な活発そうな女性と、黒いローブを身に付けて深々とフードを被る魔術師の青年が佇んでいた。
頭上では毛むくじゃらの巨大な手で強引に渦を広げると、巨体が姿を現す。
ドワーフの塔に、召喚をされてもいないのに突然トロールが出現した。
鉄の斧を持ち上げて一気に振り下ろす。床に打ち付けられた鉄の斧が大きな音を立てる。
トロールの頭上に表示されているレベルは250。
2階層にいる5人が強制的にパーティに組み込まれる。
ドンッ
大きな音がしてトロールのレベルの横にヒットポイントのゲージが表示される。
ゲージの表示と共にトロールとの戦いが始まった。
「ちょっと、待って待って!」
突然の緊急クエストに慌てる女性が声をあげる。
しかし、緊急クエストが待ってくれるわけもなくトロールが、じたばたとする女性に目掛けて鉄の斧を振り下ろす。
「きゃあああ! 待ってってば!」
目の前に迫った斧を凝視しながら悲鳴を上げた女性が力無く、その場に座り込んだ。
彼女の真上に斧が落ちると思った。
しかし、トロールの攻撃は隣に佇んでいた青年が制す。
勢い良く振り下ろされた鉄の斧は透明な防壁に阻まれることにより、大きな音を立てて勢い良く弾き返される。
しっかりと握りしめた杖を右手に持ち掲げる鬼灯に視線を移して、拝むように両手を顔の前で合わせた猫耳が印象的な女性は助け船を出した人物、鬼灯の背後に素早く身を隠す。
完全に捕らえたと思っていた攻撃は魔術師が防壁を張り巡らせた事により阻まれてしまい、弾き返された斧の柄で頭を強打する事になったトロールは一歩、二歩と足を引きよろめいた。
魔術師と猫耳が印象的な女性に攻撃を与える事が出来そうにないと考えて、トロールは素早くターゲットを変更する。
攻撃対象をヒビキやヒナミに移したトロールは勢い良く振り返り、にやりと笑う。
地面を強く踏み込んで全速力で駆け出そうと大きく前のめりになった所で思わぬ邪魔が入る。
弓を構えて今か今かと、タイミングを見計らっていたリンスールの放った矢がトロールに向かって飛んだ。
1本、2本、3本、4本、5本、6本、7本、8本と次々に矢を放つ。
崩れた姿勢を立て直す間を与えることなく、次から次へと放たれる矢はトロールのヒットポイントゲージを削る。
30本全ての矢がトロールを直撃。
その早業に驚きながら呆然とリンスールを眺めていたヒビキに視線を移す。
思い切り気を抜いていた所、攻撃を無事に終えたリンスールと見事に視線が合って、ビクッと大きく肩を揺らしたヒビキに向かってリンスールは何度もトロールを指差す素振りを見せる。
どうやら、止めを刺してくださいと言っているようだけど、ヒットポイントが残りわずかとなったトロールが形振り構わず暴れだす。
ぐぉおおおおお!
気合いを込めて、雄叫びを上げるトロールは鉄の斧を四方八方に振り回す。
一歩間違えば自分の体に当たってしまいそうなほど、がむしゃらに斧を振るうトロールの体すれすれを鉄の斧が通過する。
敏捷性が増しているとはいえ、580レベルや980レベルのトロールに比べたら、その動きは遅く感じてしまう。
振り下ろされたトロールの腕を後方に飛ぶ事により避けるのは簡単。
トロールが腕を引く前に伸ばされたままになっている腕に飛び移り急いで走り出す。
腕から肩へ。
肩の上でトロールの首にしがみつき、トロールの首をしめる。
そのまま腕を中心にトロールの右肩から左肩へ体を移動。
「止めを刺して!」
再び大きくバランスを崩して、じたばたと腕を動かし暴れ始めたトロールに止めを刺すようにと、ヒビキはリンスールに指示をだす。
「分かりました」
とどめをヒビキに譲ろうとしていたリンスールが渋々と頷いた。
両腕を前に伸ばして目蓋を閉じる。
簡単な詠唱を終えるとリンスールの体が白色の淡い光に包まれる。
白色の淡い光は少しずつリンスールの指先に集中を始めて、ゆっくりと目蓋を開くと風属性攻撃魔法を発動する。
「トルネード」
ぽつりと呟くようにして放たれた言葉と共に、トロールの足元に白色の魔方陣が現れる。
足元の魔方陣に、いち早く気付き素早く後退する事により魔方陣から出ようと試みたトロールよりも先に、巨大な竜巻が発生する。
「凄い」
鬼灯の背後に身を隠し、顔を覗かせてリンスールの放った攻撃魔法を眺める猫耳が印象的な女性が小声で呟いた。
ヒットポイントが0になったため、トロールが砂となって消える。
トロールの首を支えにしていたため支えを失ったヒビキは地面に向かって真っ逆さま。
地面に頭を打ち付けて後頭部に激痛が走ると思っていたけれど、衝撃の代わりにふにゃっと柔らかい何とも奇妙な感触に包み込まれる。
何か分からないけれど柔らかい物体は、ふにゃふにゃふにゃとヒビキの体を揺らす。
体を包み込んでいる透明な物体の上では足場が悪くて体を動かすことが難しい。
立ち上がるどごろか上半身を起こす事すら出来なくて仰向けのまま、ふにゃりと柔らかい物体に身を預けて寝転がっていると
「大丈夫か?」
黒いローブを纏いフードを深々と被る青年が歩み寄り、声をかけてくれる。
フードを深々と被る青年の容姿を確認することは出来なかった。
見えているのは青年の口元だけ。
青年の表情や種族を確認する事が出来ない。
仰向けに横たわったままの状態で、何やら考え込んでいるヒビキは青年の問いかけに対して返事をする事を忘れている。
魔術師の青年の声に聞き覚えがあった。
人間界にいた頃に良く耳にした声を聞き間違えるはずがないと考える。
驚きと共に激しく動揺し、そして淡い期待を抱いたヒビキの視線が青年の口元に向けられる。
何とか容姿を確認する事は出来ないだろうかと試行錯誤をしてみるものの良い案は浮かばない。
黒いフードを深々と被っているけれど、真っ赤な髪の毛が僅かにフードの隙間から見えている。
真っ赤な髪に真っ赤な瞳が印象的なボスモンスター討伐隊隊員、魔術師の青年の姿を思い浮かべていた。
ボスモンスター討伐隊隊員達からは鬼灯と呼ばれ仲間達から好かれていた爽やかな青年が、もしかしたらドラゴンの攻撃から逃れる事が出来て生き延びていたかもしれないと喜んだのもつかの間。
冷静になって考える。
現在ヒビキがいる場所は魔界にあるドワーフの塔。
鬼灯が人間界から遠く離れた魔界にいるはずが無い。
考えを頭の中で訂正して酷く落ち込んだヒビキは、沈んだ気持ちを表情には表さないようにと心がけ、声をかけてくれた青年に礼を言う。
「お兄さんが助けてくれたんだね。有り難う」
表情に笑みを張り付けて出来るだけ明るい口調になるように、声のトーンを上げたヒビキに対して青年は安堵する。
狐の耳付きフードを深々と被り仰向けに横たわっているヒビキの姿から予想をして、魔術師の青年はヒビキの種族を魔族だと予想していた。
「怪我は無いようで良かった。もう、人が傷つくのを見たくは無いから」
小さな声ではあったものの、本音を口にした青年が指をパチンと鳴らすと、ヒビキの体を包んでいる透明な物体がパンッと音を立てて割れる。
素早く空中で前方宙返りを行い、地面に着地をしたヒビキの元にヒナミとリンスールが駆け寄った。
ひゃっほいと何度も飛び跳ねながら小さなお猿さんが黒い紙をばらまいている。
「お兄さん、お姉さん。暗黒騎士団に新メンバーが加わったよー」
小さなお猿さんは情報屋さん。
「気になるっしょ? ほら、もっと寄って寄って」
周りに集まった人達に手渡しで黒い紙を配っていく。
今回は魔王自らがお猿さんを城に呼び、暗黒騎士団に新たなメンバーが加わったことを伝えた。
「新たに加わった騎士の情報は公開されず年齢、性別、容姿ともに明らかにされていないんだってー」
ウキキッと紙を撒き散らすお猿さんを横目に見て、重たい足取りで大通りを突き進んでいたヒビキが、ぽつりと一言だけ本音を口にした。
「眠い」
虚ろ虚ろとするヒビキは現在、襲い来る眠気と格闘中。
「お兄ちゃんは宴会会場で熟睡してたのに、まだ眠いの?」
大きなあくびを繰り返すヒビキを一目見るヒナミは唖然とする。
街路を歩く人々がお猿さんを取り囲む。
黒い紙を手に取り内容を確認する。
脇を通ってドワーフの塔に向っているヒビキは、リンスールが待つドワーフの塔2階層に向かって足を進めていた。
実は宴会が終わった後、ヒビキはギフリードに案内をしてもらって一度、魔王城に赴こうとした。
聳え立つ岩山の上に建てられた魔王城を指差して、頭の中に浮かんだ疑問を問いかける。
「どうやって登るのですか?」
見えない隠し通路があるのか、それとも視界に入っていないだけで魔王城まで続く階段を登るのか。
ヒビキが、さまざまな考えを思い浮かべる中ギフリードは、意味が分からないとでも言いたそうな表情を浮かべて問いかける。
「飛行術で魔王城まで移動をするんだが?」
当然だろと言葉を続けたギフリードは全ての冒険者が飛行術を扱うことが出来ると思っていた。
しかし、ヒビキは飛行術を扱うことが出来ない。
今更飛行術を扱うことが出来ませんと伝えると、ギフリードの機嫌を損ねてしまうだろうかと不安を抱くヒビキの表情から笑みが消える。
ギフリードは冒険者が全員、飛行術を使うことが出来ると思っているのだろうか。
「俺は飛行術を使えません」
嘘をついても、いずれ知られてしまう事になる。
魔族の機嫌を出来るだけ損ねたくは無いと考えつつも、嘘をつく訳にもいかずに正直に答えると驚いたように目を見開いて、そして腕を組み何やら考える素振りを見せたギフリードが勝手に予想をして、そして勘違いをしていた事に気づく。
「クエストを依頼し発注するための5,000,000Gが無かったのは飛行術を購入してお金を使ったからだと思っていたんだ。80年も経てば50,000,000Gは貯まるだろうと思っていたから」
ギフリードの考えを耳にしてヒビキは苦笑する。
魔族に擬態しているとは言えヒビキが現在、身に付けているものは狐の耳が印象的なフード付きケープ。
ギフリードは一体、ヒビキを何歳だと思っているのか気になってしまう。
そもそも、魔族の寿命を基準にされてしまうと口ごもる事しか出来なくなる。
魔族の成人年齢が100歳であることは、以前ヒナミの母親との話のやり取りの中で出てきたため知ることが出来たけど、魔族の平均的な寿命が何年なのか分からない。
ギフリードの勘違いを訂正するためには実年齢を伝える事になるけれど、実年齢を伝えると種族が人間である事を遠回しに伝える事になる。
「悪気は無かったんだが、何か戸惑わせるような事を言ってしまったか?」
急にヒビキが黙り込んでしまったものだから、何か機嫌を損ねるような事を言ってしまったのだろうかと、急に不安になったギフリードの問いかけに対してヒビキは慌てて首を左右に振る。
「戸惑っていた訳では無いんだ。もしかしたら、俺の暗黒騎士団入りは白紙に戻るのかもしれないなと考えていただけで」
「あぁ。ヒビキの暗黒騎士団入りが白紙に戻る事は無いから安心してくれ。魔王がヒビキの特徴と性格を伝えたら大層な喜び方をして、早く連れてこいと言うから自分でも気づかぬうちに気持ちが焦っていたらしい」
まずは、飛行術を手に入れる事が最優先事項だなと言葉を続けるギフリードは、魔王城からヒビキへ視線を移す。
ギフリードの種族は魔族ではあるものの、話をしていると人間と何ら変わりが無いように思える。
しかし、ギフリードの直属の上司である魔王の性格は全くつかめない。
魔王がどのような人物なのか問いかけても良いものだろうかと考えるヒビキは、再び遠くを見たまま身動きを止めてしまう。
しかし、ヒビキが口を開く前に再び魔王城に視線を移したギフリードが口を開く。
「仕方ない。魔王には私から報告をするから、君はまず飛行術を手にいれてくるといい」
狐の耳付きフードを深々と被る少年の容姿は分からないけれども、少年の声や雰囲気や身長から判断をすると80歳前後。
全く的外れな事を考えているギフリードは魔族を基準にして物事を考える。
一人で魔王城に戻ると口にして身を翻すギフリードは、再びヒビキに視線を移す。
「飛行術を手にいれたら魔王城に来ればいい。あまり長いこと魔王を待たせると魔王、自らヒビキの元を訪れる可能性があるからな」
最後にヒビキにとっては恐ろしい言葉を口にして魔王城に向かうギフリードは小刻みに肩を揺らして笑う。
どのような人物なのかも分からない、魔王が訪ねてくる場面を思い浮かべてしまったヒビキが恐怖心から身震いをする。
またなと言葉を続けて飛行術を発動。魔王城に向け飛行を始めたギフリードは、唖然としたまま無意識に手を胸元の高さまで上げて手を振り返そうとしたヒビキの反応を見て苦笑する。
魔王の見た目や人柄を知る者は殆どいないとは言えヒビキは魔王を、どのような人物だと思っているのか知りたいと思ってしまうほど酷く怯える姿を見て、ちょっぴり反省する。
別に怯えさせるつもりは無かったんだけどなと言葉を続けたギフリードの声は風にかき消されてしまってヒビキの耳には入らなかった。
放心状態のままギフリードを見送っていたヒビキの脳裏に、昨夜ドワーフの塔で別れ際にリンスールが口にした言葉が過る。
レアアイテムである3階層の通行許可証を共に使う約束をした。
しかし、3階層の通行許可証は昨夜、発生した緊急クエストに強制参加をするために使ってしまったため、リンスールとの約束事は無効になってしまったのか、それとも今もなお有効なのか考える。
3階層への通行許可証は既に砕け散ってしまって手元には無いけれど、リンスールがドワーフの塔で共に狩りを行うために待っている可能性がある。
昨夜980レベルのトロールを討伐する事が出来たためヒビキのレベルは150に到達した。
ドワーフの塔3階層へは自力で行くことが可能になったため、もしもリンスールをドワーフの塔の中で見かけたら3階層で共に狩りをしませんかと誘ってみようかなと考える。
「今からドワーフの塔で狩りを行うために移動しようと思うんだけど」
「私も一緒に行くよ!」
今からドワーフの塔へ向かう事をヒナミに伝えると、すぐにヒナミはヒビキの腕に纏わりつく。
ミノタウロスを召喚する事の出来るヒナミが共にドワーフの塔へ来てくれるのなら心強い。
昨夜緊急クエストに参加をするためにヒナミにレベルを聞いた。
子供であるもののレベルは199と高かった。
そして、思いもよらない事実をヒナミのレベルと一緒に知る事になる。
魔族ほ見た目と実年齢が比例しないことを知る事になる。
人間を基準にして考えていたため、てっきりヒナミの年齢は8歳前後と勝手に予想をしていた。
しかし、ヒナミの実年齢は68歳。
60年間は卵の中にいた事を知る。
ヒナミと共にドワーフの塔に移動して、1階層をヒナミと共に難なく抜ける事に成功をする。
2階層に足を踏み入れて周囲を見渡した所で、それは視界に入り込む。
昨日たて続けに580レベルと980レベルのトロールが出現をしたドワーフの塔2階層は普段、沢山の冒険者で溢れかえっている。
しかし、今日はリンスールだけ。フロアの中央で沢山のドワーフ達と戯れていた。
床に寝転がるリンスールの腹の上でピョンピョンと跳び跳ねているドワーフはヒビキとヒナミが2階層に足を踏み入れても見向きもしない。
声をかけても良いものかと迷いはしたけれど
「何をしてるのですか?」
このまま呆然とリンスールを眺めていても仕方がない。
仰向けに寝転がり天井を見上げていたリンスールに声をかけると、ヒビキとヒナミの存在に気づきリンスールが勢い良く上半身を起こす。
急にリンスールが上半身を起こしたものだから、リンスールの腹の上で嬉しそうに跳び跳ねていたドワーフが、ふっ飛び驚きと共に砂となって消える。
「この階層には私以外いなかったので、ちょっとした面白い遊びを思い付きまして。ヒビキさん達が、そろそろ来る頃かなと思いまして既に準備万端です。イベントを発生させますね」
リンスールの言葉を耳にしても言っている意味を理解する事が出来なかった。
状況を把握する事が出来ないまま佇んでいると、リンスールが長々と複雑な呪文を口にする。
魔力を解放し、パチンと両手を合わせて音を立てる。
呆然と一部始終を眺めていると、ドワーフの塔2階層内が一変する。
~~~~♪~~~~~♪~~~~~♪~~~~♪
2階層が白や青や赤やピンクと色とりどりに光だす。
流れ出した音楽は明るく元気なもので辺りを見渡していると。
祝い! イベントが発生しました!
突然アナウンスが流れてイベントが発生した事を知らせる。
みんな出で来て一緒に踊りましょう!
ふふっとアナウンスを流している人物が笑うと宝石の影に隠れていたドワーフが、ひょっこりと顔を覗かせた。
ぞろぞろと隠れていたドワーフが姿を現した。
100、200、300、400と徐々に増えていくドワーフの数に恐怖を抱きながら、ヒナミと共にリンスールの隣に移動をする。
500、600、700、800、900、1000。
宝石の影から続々と登場する沢山のドワーフに怯えた様子のヒナミが、そっとヒビキの腕に手を纏わりつかせる。
「大丈夫ですよ。此方から何も攻撃をしなければ襲っては来ません」
ヒビキに身を寄せて震えるヒナミを見て、くすりと笑うリンスールは腕を高く掲げてパチンと指先をならす。
リンスールの合図と共に一度ピョンッと大きく飛びはねたドワーフが右足、左足くるんっと回ってジャンプ。
いきなり音楽に合わせてリズムを取ると共に踊り出した。
くるんと回るドワーフ達の黒いローブが開き円を描く。
すぐに、ピョンと一斉に飛び跳ねたドワーフがピョンピョンピョンピョンと何度も跳ねる。
全てのドワーフの動きが一致しているから綺麗だなと思い眺めていると
「私たちも行きますか!」
爽やかな笑顔を浮かべてドワーフ達の元へ向け走り出したリンスールに手招きをされる。
「え?」
行くって何処にと疑問に思ったけど、戸惑いすぎて言葉となって出てこない。
「私も行く!」
踊り出したドワーフを見て、すっかり恐怖心が消えたのだろうヒナミの表情に笑みが戻る。
ぱたぱたと慌ただしい足音と共にリンスールの後を追いかけた。
ピロンと高い音がした。
リンスールにパーティに誘われています。加入しますか?
目の前に現れた文字を読み
はい
左下にあるボタンを押す。
視線を上げてドワーフの群れに視線を移す。
そこには、ドワーフ達と一緒に踊るリンスールとヒナミの姿があった。
「お兄ちゃんも早く!」
ぴょんぴょんと跳ねるヒナミが手招きをする。
「このイベントが終われば大量のお金が手に入りますよ!」
片手で倒立。足を開いてポーズを決めたリンスールは白い布で出来た服の下に隠れて、普段は見えていないけどダボッとした大きめのニッカポッカパンツをはいていた。
沢山のお金が手に入るのなら行こう。
渋々とドワーフの群れに紛れ込むと流れる音楽に合わせて以前、一度だけ見た踊り子達の踊りを真似る。
ケープを着ているから出来る踊り。
人間界にいた時に街に踊り子がやって来た。
彼女達の踊りは、とても軽やかで見ていて楽しい気持ちになった。
一度しか見ていないから覚えていない部分は適当に振り付けをする。
3人がイベントで大量の金を集めようとしている頃。
「2階層で緊急クエストでも発生しているのかね」
2階層に上ろうとしていた女性がニャハハハと笑い声をあげていた。
「またトロールが現れているってことか?」
青年が女性に声をかける。
実は魔界にトロールが現れた事を聞いた鬼灯は宿で休みを取ることなく魔界と人間界の中央に位置する街を出た。
鬼灯にトロールの情報を与えた女性も鬼灯を追うようにして街を出る。
夜中に何時間も掛けて森の中を走った鬼灯と女性は翌日の昼に魔界にたどり着いた。
そして、トロールが出現をした塔の2階層を見てみたいと言った鬼灯が、女性と共にドワーフの塔に足を踏み入れた。
1階層のドワーフを倒し、2階層の出入り口に差し掛かったところで、出入り口が閉鎖されている事に気づく。
数分前から2階層へと続く扉の前で、梯子に片腕をかけて閉鎖が解けるのを待っている。
「閉鎖が解けたら、すぐに回復に向かわなければならないね」
赤く点滅する出入口を見つめて、ぽつりと呟いた女性に鬼灯は小さく頷いた。
2階層内にいる冒険者達が全滅していなければ良いけどと願いつつ、鬼灯と猫耳が印象的な女性が階層の出入り口で足止めを受けている頃。
最後に大きくジャンプをして地面に着地をすると2階層で踊っていたドワーフが突然、砂となり消える。
「因みにこのイベントを発生させる方法は妖精達しか知らないから。内密にお願いします」
笑みを浮かべるリンスールは妖精なら誰でもイベントを発生させる事が出来るような話し振りをするけれど、全ての妖精が高難易度の術を発動する事が果たして出来るのだろうかと疑いを持ってしまう。
「分かった」
もしかしたらリンスールは妖精の中でも高い地位を持っているのでは無いのだろうかと考えつつ、分かったと一言呟いて口外しない事を約束する。
リンスールから視線を逸らした所で気がついた。
辺りが薄暗くなっていた。
頭上を見上げると巨大な闇が渦巻いている。
それは次第に大きくなり2階層に広がっていく。
ブーブーブーブーと2階層に緊急事態を知らせる警報が響きだす。
緊急クエストが発生しました。
アナウンスが流れて緊急クエストが発生した事を知らせる。
「え、何? 立て続けにトロールが発生するの?」
イベントを終えた事で一度2階層へ続く出入り口の通行が可能になった。
女性の驚く声が聞こえて、ここで初めて2階層に足を踏み入れた冒険者がいる事を知り、2階層の出入口に視線を向ける。
そこには、茶色の猫耳が印象的な活発そうな女性と、黒いローブを身に付けて深々とフードを被る魔術師の青年が佇んでいた。
頭上では毛むくじゃらの巨大な手で強引に渦を広げると、巨体が姿を現す。
ドワーフの塔に、召喚をされてもいないのに突然トロールが出現した。
鉄の斧を持ち上げて一気に振り下ろす。床に打ち付けられた鉄の斧が大きな音を立てる。
トロールの頭上に表示されているレベルは250。
2階層にいる5人が強制的にパーティに組み込まれる。
ドンッ
大きな音がしてトロールのレベルの横にヒットポイントのゲージが表示される。
ゲージの表示と共にトロールとの戦いが始まった。
「ちょっと、待って待って!」
突然の緊急クエストに慌てる女性が声をあげる。
しかし、緊急クエストが待ってくれるわけもなくトロールが、じたばたとする女性に目掛けて鉄の斧を振り下ろす。
「きゃあああ! 待ってってば!」
目の前に迫った斧を凝視しながら悲鳴を上げた女性が力無く、その場に座り込んだ。
彼女の真上に斧が落ちると思った。
しかし、トロールの攻撃は隣に佇んでいた青年が制す。
勢い良く振り下ろされた鉄の斧は透明な防壁に阻まれることにより、大きな音を立てて勢い良く弾き返される。
しっかりと握りしめた杖を右手に持ち掲げる鬼灯に視線を移して、拝むように両手を顔の前で合わせた猫耳が印象的な女性は助け船を出した人物、鬼灯の背後に素早く身を隠す。
完全に捕らえたと思っていた攻撃は魔術師が防壁を張り巡らせた事により阻まれてしまい、弾き返された斧の柄で頭を強打する事になったトロールは一歩、二歩と足を引きよろめいた。
魔術師と猫耳が印象的な女性に攻撃を与える事が出来そうにないと考えて、トロールは素早くターゲットを変更する。
攻撃対象をヒビキやヒナミに移したトロールは勢い良く振り返り、にやりと笑う。
地面を強く踏み込んで全速力で駆け出そうと大きく前のめりになった所で思わぬ邪魔が入る。
弓を構えて今か今かと、タイミングを見計らっていたリンスールの放った矢がトロールに向かって飛んだ。
1本、2本、3本、4本、5本、6本、7本、8本と次々に矢を放つ。
崩れた姿勢を立て直す間を与えることなく、次から次へと放たれる矢はトロールのヒットポイントゲージを削る。
30本全ての矢がトロールを直撃。
その早業に驚きながら呆然とリンスールを眺めていたヒビキに視線を移す。
思い切り気を抜いていた所、攻撃を無事に終えたリンスールと見事に視線が合って、ビクッと大きく肩を揺らしたヒビキに向かってリンスールは何度もトロールを指差す素振りを見せる。
どうやら、止めを刺してくださいと言っているようだけど、ヒットポイントが残りわずかとなったトロールが形振り構わず暴れだす。
ぐぉおおおおお!
気合いを込めて、雄叫びを上げるトロールは鉄の斧を四方八方に振り回す。
一歩間違えば自分の体に当たってしまいそうなほど、がむしゃらに斧を振るうトロールの体すれすれを鉄の斧が通過する。
敏捷性が増しているとはいえ、580レベルや980レベルのトロールに比べたら、その動きは遅く感じてしまう。
振り下ろされたトロールの腕を後方に飛ぶ事により避けるのは簡単。
トロールが腕を引く前に伸ばされたままになっている腕に飛び移り急いで走り出す。
腕から肩へ。
肩の上でトロールの首にしがみつき、トロールの首をしめる。
そのまま腕を中心にトロールの右肩から左肩へ体を移動。
「止めを刺して!」
再び大きくバランスを崩して、じたばたと腕を動かし暴れ始めたトロールに止めを刺すようにと、ヒビキはリンスールに指示をだす。
「分かりました」
とどめをヒビキに譲ろうとしていたリンスールが渋々と頷いた。
両腕を前に伸ばして目蓋を閉じる。
簡単な詠唱を終えるとリンスールの体が白色の淡い光に包まれる。
白色の淡い光は少しずつリンスールの指先に集中を始めて、ゆっくりと目蓋を開くと風属性攻撃魔法を発動する。
「トルネード」
ぽつりと呟くようにして放たれた言葉と共に、トロールの足元に白色の魔方陣が現れる。
足元の魔方陣に、いち早く気付き素早く後退する事により魔方陣から出ようと試みたトロールよりも先に、巨大な竜巻が発生する。
「凄い」
鬼灯の背後に身を隠し、顔を覗かせてリンスールの放った攻撃魔法を眺める猫耳が印象的な女性が小声で呟いた。
ヒットポイントが0になったため、トロールが砂となって消える。
トロールの首を支えにしていたため支えを失ったヒビキは地面に向かって真っ逆さま。
地面に頭を打ち付けて後頭部に激痛が走ると思っていたけれど、衝撃の代わりにふにゃっと柔らかい何とも奇妙な感触に包み込まれる。
何か分からないけれど柔らかい物体は、ふにゃふにゃふにゃとヒビキの体を揺らす。
体を包み込んでいる透明な物体の上では足場が悪くて体を動かすことが難しい。
立ち上がるどごろか上半身を起こす事すら出来なくて仰向けのまま、ふにゃりと柔らかい物体に身を預けて寝転がっていると
「大丈夫か?」
黒いローブを纏いフードを深々と被る青年が歩み寄り、声をかけてくれる。
フードを深々と被る青年の容姿を確認することは出来なかった。
見えているのは青年の口元だけ。
青年の表情や種族を確認する事が出来ない。
仰向けに横たわったままの状態で、何やら考え込んでいるヒビキは青年の問いかけに対して返事をする事を忘れている。
魔術師の青年の声に聞き覚えがあった。
人間界にいた頃に良く耳にした声を聞き間違えるはずがないと考える。
驚きと共に激しく動揺し、そして淡い期待を抱いたヒビキの視線が青年の口元に向けられる。
何とか容姿を確認する事は出来ないだろうかと試行錯誤をしてみるものの良い案は浮かばない。
黒いフードを深々と被っているけれど、真っ赤な髪の毛が僅かにフードの隙間から見えている。
真っ赤な髪に真っ赤な瞳が印象的なボスモンスター討伐隊隊員、魔術師の青年の姿を思い浮かべていた。
ボスモンスター討伐隊隊員達からは鬼灯と呼ばれ仲間達から好かれていた爽やかな青年が、もしかしたらドラゴンの攻撃から逃れる事が出来て生き延びていたかもしれないと喜んだのもつかの間。
冷静になって考える。
現在ヒビキがいる場所は魔界にあるドワーフの塔。
鬼灯が人間界から遠く離れた魔界にいるはずが無い。
考えを頭の中で訂正して酷く落ち込んだヒビキは、沈んだ気持ちを表情には表さないようにと心がけ、声をかけてくれた青年に礼を言う。
「お兄さんが助けてくれたんだね。有り難う」
表情に笑みを張り付けて出来るだけ明るい口調になるように、声のトーンを上げたヒビキに対して青年は安堵する。
狐の耳付きフードを深々と被り仰向けに横たわっているヒビキの姿から予想をして、魔術師の青年はヒビキの種族を魔族だと予想していた。
「怪我は無いようで良かった。もう、人が傷つくのを見たくは無いから」
小さな声ではあったものの、本音を口にした青年が指をパチンと鳴らすと、ヒビキの体を包んでいる透明な物体がパンッと音を立てて割れる。
素早く空中で前方宙返りを行い、地面に着地をしたヒビキの元にヒナミとリンスールが駆け寄った。
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