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二
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順子の父の一回忌は、東風寺の本堂で行われた。
同級生の父ということもあり、事前の準備もすべて清一ひとりで行い、父からは助言を貰っただけだ。
喪主の順子以外の参列者は、雀荘の常連客だけだった。葬儀の際にいた親戚の姿はない。順子の父は借金を残していたので、関わり合いを避けたのだろう。
順子は気丈に振る舞っている。故人の冥福と同時に、順子の苦しみが少しでもやわらぐよう、清一は経を読みあげた。
法話が終わり、参列者が席を立とうとしたところに、二人組が入ってきた。
二人ともスーツを着てはいるが、礼服ではない。目つきが鋭く、どこか荒んでいる。かたぎでないことは、ひと目でわかった。
「ようやく終わったか。じゃあ行くぞ」
眼鏡の男が言うと、体格のいい舎弟らしき男が順子の腕を掴んだ。
「ちょっと待って。お墓参りと、位牌も家に戻さないと」
「いったい、どういうことなんだ?」
トラック運転手の通一さんが、二人に詰め寄った。一本筋の通った男で、麻雀でも一気通貫を好む、と以前順子から聞いたことがある。
「どうもこうもねえよ。元本がいっこうに減らないから、手っ取り早く返せる方法を提案してやっただけだよ」
「その方法って……」
「ソープだよ、ソープ! なかなかの見てくれだし、いい金になるな。まあその前に、俺もちょっとモーパイしちゃおうかな」
言って、眼鏡の男が下卑た笑みを浮かべた。
「あんたら、雀荘まで乗っ取って、順子ちゃんまで……」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。あの雀荘は元々担保だったんだ。それでも足りない、ってだけの話よ」
「わかったらすっこんでろ、この野郎!」
舎弟の恫喝に、通一さんは黙ってうつむいた。
「よし、行くぞ」
「待ってください、カシラ。こいつ、強情なもんで」
舎弟に掴まれた腕を、順子は必死に振りほどこうとしている。
「バカ野郎! こんなとこでカシラなんて言うんじゃねえよこの野郎! さっさと連れてきやがれ」
「す、すんません……。おい、大人しくしろよてめえこの野郎!」
舎弟が強引に順子の腕を引くと、位牌を包んだ風呂敷が、床に落ちた。
清一は、風呂敷を拾いあげ、順子に渡した。
「チンイツ君……。助けて……」
法衣の袖に縋りつく順子の目に、涙が溢れている。頬を伝って流れた涙に、清一は胸を衝かれた。
「ほう、友だちか? ずいぶん若い坊主だが、寺なら金も唸ってるだろ。なんなら、一千万肩代わりするか? その方が、俺たちの手間も省けるってもんだ」
若頭の提案に、清一は思考をめぐらせた。
助けてあげたいのは、やまやまだった。家にはそれなりに金があるはずだが、清一個人では一千万という金額はとても無理だ。肩代わりをすることが、ほんとうに順子のためになるのか、という思いもある。
「ウォンならなんとか……」
「冗談抜かしてる場合か!」
「すいません……」
「――やれやれ。仏前で争いごととは、感心しないのう」
全員の視線が、声の方にむいた。元三が、ゆっくりとこちらにむかい歩いてくる。
「へえ。あんたがここの住職ってわけか。この若い坊主よりは、話ができそうだな」
「……わしが調べたところによると、おぬしらは三本場さんに代打ちをさせていたそうじゃな」
「よ、よく知ってるな……。じゃあ、やつが最後に下手打ったのも知ってるだろ。その責任を取っただけよ」
「ふん。それまで散々利用しおって、最後に出来レースで嵌めたのじゃろう」
「ジジイ……。てめえ、何者だ?」
「雀仏一致の悟りを開いた、麻雀僧侶じゃ。麻雀に関するあらゆる情報が、わしのもとに入ってくる」
「麻雀僧侶? 頭おかしいんじゃねえのか。おい小僧、てめえも麻雀僧侶ってやつなのか?」
「いえ、私はただの僧侶で……。父さん、いや住職。麻雀僧侶とはいったい……?」
「ほんとうにおまえはなにも見えていないのう……。だからプロになっても大成しないのじゃ。雀聖如来像の額をよく見てみろ」
「額……。あっ! 白毫の部分が一筒だ! き、気づかなかった……」
「光と影。陰と陽。万物がそうであるように、麻雀と仏教もまた表裏一体なのじゃ。清一よ。おまえはまだまだ未熟者じゃが、読経はなかなか心に響くものがあった。いまこそわしは、おまえにこの袈裟を授けようと思う」
「こ、これは……」
元三から渡された袈裟を見て、清一は絶句した。最も格式の高い袈裟は二十五条袈裟と呼ばれ、小さな布片が縦に二十五列縫いつけられているが、元三の袈裟はそれを超える三十四列だった。
「三十四条……。麻雀牌の種類と同じ……」
「さよう。その袈裟を着け、麻雀僧侶として聴牌――悟りを開くのじゃ!」
清一は、自分の袈裟をはずし、渡された袈裟を着けた。
(おお……。ものすごい雀力が、俺の中に満ちてくる。いまならウイング八枚形も、メンチンの多面張も、簡単に捌けそうだ……!)
「いまじゃ! 雀聖如来に正対せよ!」
清一は、反射的に雀聖如来像の方をむいた。如来像の額の一筒――白毫から、ビームのようなものが放たれ、清一の額に当たる。
「うおお……おお……」
一瞬、雷に打たれたような衝撃があったが、その後は涅槃を思わせる暖かく心地よい感覚が、清一の全身を包んでいった。
「うむ。雀聖如来に認められたおまえは、わしの跡を継ぐ麻雀僧侶になった。では、対局といこうか」
元三が懐からリモコンのようなものを取り出し、スイッチを押すと、仏具とともに畳が沈み、本堂が揺れた。
「な、なんだ……? いったい、なにが起きている?」
やくざ二人と参列者たちが慌てふためく中、元三は微動だにせず、口元に笑みを浮かべていた。順子が縋りついてくる。清一は、順子の肩をそっと抱いた。
再び、畳が上がってくる。仏具はなく、全自動麻雀卓と椅子、サイドテーブル一式が姿を現した。
「て、寺の地下から雀卓が……」
「カシラ、あれは最近式のマックス3ですぜ」
元三と目が合い、清一は頷いた。なすべきことは、わかっている。
――俺は、麻雀僧侶だ。
同級生の父ということもあり、事前の準備もすべて清一ひとりで行い、父からは助言を貰っただけだ。
喪主の順子以外の参列者は、雀荘の常連客だけだった。葬儀の際にいた親戚の姿はない。順子の父は借金を残していたので、関わり合いを避けたのだろう。
順子は気丈に振る舞っている。故人の冥福と同時に、順子の苦しみが少しでもやわらぐよう、清一は経を読みあげた。
法話が終わり、参列者が席を立とうとしたところに、二人組が入ってきた。
二人ともスーツを着てはいるが、礼服ではない。目つきが鋭く、どこか荒んでいる。かたぎでないことは、ひと目でわかった。
「ようやく終わったか。じゃあ行くぞ」
眼鏡の男が言うと、体格のいい舎弟らしき男が順子の腕を掴んだ。
「ちょっと待って。お墓参りと、位牌も家に戻さないと」
「いったい、どういうことなんだ?」
トラック運転手の通一さんが、二人に詰め寄った。一本筋の通った男で、麻雀でも一気通貫を好む、と以前順子から聞いたことがある。
「どうもこうもねえよ。元本がいっこうに減らないから、手っ取り早く返せる方法を提案してやっただけだよ」
「その方法って……」
「ソープだよ、ソープ! なかなかの見てくれだし、いい金になるな。まあその前に、俺もちょっとモーパイしちゃおうかな」
言って、眼鏡の男が下卑た笑みを浮かべた。
「あんたら、雀荘まで乗っ取って、順子ちゃんまで……」
「人聞きの悪いこと言うんじゃねえよ。あの雀荘は元々担保だったんだ。それでも足りない、ってだけの話よ」
「わかったらすっこんでろ、この野郎!」
舎弟の恫喝に、通一さんは黙ってうつむいた。
「よし、行くぞ」
「待ってください、カシラ。こいつ、強情なもんで」
舎弟に掴まれた腕を、順子は必死に振りほどこうとしている。
「バカ野郎! こんなとこでカシラなんて言うんじゃねえよこの野郎! さっさと連れてきやがれ」
「す、すんません……。おい、大人しくしろよてめえこの野郎!」
舎弟が強引に順子の腕を引くと、位牌を包んだ風呂敷が、床に落ちた。
清一は、風呂敷を拾いあげ、順子に渡した。
「チンイツ君……。助けて……」
法衣の袖に縋りつく順子の目に、涙が溢れている。頬を伝って流れた涙に、清一は胸を衝かれた。
「ほう、友だちか? ずいぶん若い坊主だが、寺なら金も唸ってるだろ。なんなら、一千万肩代わりするか? その方が、俺たちの手間も省けるってもんだ」
若頭の提案に、清一は思考をめぐらせた。
助けてあげたいのは、やまやまだった。家にはそれなりに金があるはずだが、清一個人では一千万という金額はとても無理だ。肩代わりをすることが、ほんとうに順子のためになるのか、という思いもある。
「ウォンならなんとか……」
「冗談抜かしてる場合か!」
「すいません……」
「――やれやれ。仏前で争いごととは、感心しないのう」
全員の視線が、声の方にむいた。元三が、ゆっくりとこちらにむかい歩いてくる。
「へえ。あんたがここの住職ってわけか。この若い坊主よりは、話ができそうだな」
「……わしが調べたところによると、おぬしらは三本場さんに代打ちをさせていたそうじゃな」
「よ、よく知ってるな……。じゃあ、やつが最後に下手打ったのも知ってるだろ。その責任を取っただけよ」
「ふん。それまで散々利用しおって、最後に出来レースで嵌めたのじゃろう」
「ジジイ……。てめえ、何者だ?」
「雀仏一致の悟りを開いた、麻雀僧侶じゃ。麻雀に関するあらゆる情報が、わしのもとに入ってくる」
「麻雀僧侶? 頭おかしいんじゃねえのか。おい小僧、てめえも麻雀僧侶ってやつなのか?」
「いえ、私はただの僧侶で……。父さん、いや住職。麻雀僧侶とはいったい……?」
「ほんとうにおまえはなにも見えていないのう……。だからプロになっても大成しないのじゃ。雀聖如来像の額をよく見てみろ」
「額……。あっ! 白毫の部分が一筒だ! き、気づかなかった……」
「光と影。陰と陽。万物がそうであるように、麻雀と仏教もまた表裏一体なのじゃ。清一よ。おまえはまだまだ未熟者じゃが、読経はなかなか心に響くものがあった。いまこそわしは、おまえにこの袈裟を授けようと思う」
「こ、これは……」
元三から渡された袈裟を見て、清一は絶句した。最も格式の高い袈裟は二十五条袈裟と呼ばれ、小さな布片が縦に二十五列縫いつけられているが、元三の袈裟はそれを超える三十四列だった。
「三十四条……。麻雀牌の種類と同じ……」
「さよう。その袈裟を着け、麻雀僧侶として聴牌――悟りを開くのじゃ!」
清一は、自分の袈裟をはずし、渡された袈裟を着けた。
(おお……。ものすごい雀力が、俺の中に満ちてくる。いまならウイング八枚形も、メンチンの多面張も、簡単に捌けそうだ……!)
「いまじゃ! 雀聖如来に正対せよ!」
清一は、反射的に雀聖如来像の方をむいた。如来像の額の一筒――白毫から、ビームのようなものが放たれ、清一の額に当たる。
「うおお……おお……」
一瞬、雷に打たれたような衝撃があったが、その後は涅槃を思わせる暖かく心地よい感覚が、清一の全身を包んでいった。
「うむ。雀聖如来に認められたおまえは、わしの跡を継ぐ麻雀僧侶になった。では、対局といこうか」
元三が懐からリモコンのようなものを取り出し、スイッチを押すと、仏具とともに畳が沈み、本堂が揺れた。
「な、なんだ……? いったい、なにが起きている?」
やくざ二人と参列者たちが慌てふためく中、元三は微動だにせず、口元に笑みを浮かべていた。順子が縋りついてくる。清一は、順子の肩をそっと抱いた。
再び、畳が上がってくる。仏具はなく、全自動麻雀卓と椅子、サイドテーブル一式が姿を現した。
「て、寺の地下から雀卓が……」
「カシラ、あれは最近式のマックス3ですぜ」
元三と目が合い、清一は頷いた。なすべきことは、わかっている。
――俺は、麻雀僧侶だ。
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