勇者はやがて魔王となる

緑川 つきあかり

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本編

ルクス神聖国からの依頼

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 再びの静寂。

 絢爛たる応接間の机上に置かれた紅茶の水面には、勇者の顰め面が映し出されていた。

「遅い」

 待ち侘びること半刻。

 徐に背後の扉が軋みを立てて、開く。

 漣なる波紋を立てる紅茶の水面に映る勇者の鉄面皮は、酷くひしゃげて歪みながら消え去った。

 徐に顔を上げ、扉に視線を向ける勇者の瞳に映るのは、杖を突く老夫であった。

 無精の白髯を蓄えながらも清潔感を漂わせる黒き衣服を纏い、細めた双眸をして、ふらふらと向かいの席へと腰を下ろす。

「久しいな」

「お時間を取らせてしまい申し訳ありません。本当にお久しぶりで御座います、勇者様」

 喉を震わすかのような嗄れた声色に、節々に皺と浮き出た血管が目立つことながら、稀に垣間見える鋭い眼差しが、勇者を突き刺していた。

「以前に比べ、毛が減ったな」

 煌々たる額に目を向ける。

「左様で御座いますか…貴方様も紅毛が大分減られたように窺えますな」

「そう見えるだけだ。さっさと本題に入ろうか」

「そうですね。えぇ、今回のような誉高き旅路に、些か阻礙させてしまわぬか頭を悩ませ…」

「瑣末に過ぎん。御託はよして、さっさと話せ」

「この度、精霊樹の森に魔物が発生しました」

「まるで他人事のような語り口だな。13年前の一件以来、慎重になり過ぎているように見えるが?」

「何分、例の恐慌は世界を騒がせ、今でも尾を引いていますからな。我が国民を魔物などと比喩されては困ります故」

「その結果がこの様か」
「左様で御座います」

「隣接する精霊樹の森に古代の地下迷宮か。先日、何処ぞの研究者が宣っていたな。『迷宮が出没するのは地下にを張り巡らせているから』と」

「はてさて、私のような老人は世間一般に疎いのでありますから、そのような話は存じ上げかねますな、ハハハ」

 乾いた笑いが響き渡る。

「ルクスの尻拭いを俺にしろと?」

 間。

「いえいえ!とんでもありません。貴方様にこの様な雑務を頼むなどと」

 深々と頭を下げる。

 そして、徐に一瞥した。

「私は様に御頼みしたのであります」

 その一言に、勇者は不敵な笑みを零す。

「ハッ、相変わらず喰えないジジイだ。良いだろう。其の願い、承った」

「真にご寛大な勇者様であらせられますな」

「ほざけ」

 勇者は紅茶を一気に飲み干して、眉根を寄せながら、その場を早々に後にした。


 勇者は正門前へ淡々と歩みを進めていく。

 だが、思わぬ待ち人と相見える。

 衣服に仄かに土埃を付けた白髪と、頭に宝石の装飾の王冠を被りしエルフに、緑葉の羽根を摘む魔族が、取るに足らない会話を弾ませ、正門に佇んでいた。

「何のつもりだ?」

「行くんでしょ?」

「手出し無用。これは個人の問題だ」

「ならば、勇者が行くべきではないのではないか?今の貴様は勇者なのだろう?」

「同じく」

「ハァ…後悔するなよ」
「やったぁーー!」

「勇者様ァー!!」

 あどけなく甲高い声が、勇者の背から次第に近づいてゆき、白き外套をひしゃげて、何かが足にしがみつく。

「…」

 徐に振り返れば、其処には満面の笑みを浮かべて、一輪の花を握りしめる一人の少女がいた。

「勇者様!」

 少女の目線まで身を屈めながら、真昼の陽気のように暖かな言葉を返す。

「どうした」

「これ!」

 眼前に差し出したのは、濃黄の花芯が盛り上がり、純白の細き花弁を咲かす一輪の花であった。

「俺に?」
「うん!」

 そっと花を掴み取り、懐へと仕舞い込む。

「そうか。ありがとう」

 徐に頭に手を添えようと手を伸ばす瞬間、寸前でピタリと止まった。

「……?」

 まるで何かを思い出したかのように、血走った眼差しをして、差し伸べんとした掌を疾くに地に下げる。

「世界を救ってください!」
「あぁ。ぁぁ。……?」

 雄叫びを上げたのは、戸惑いを見せる少女の遥か後ろであった。

 勇者が前に目を向ければ、道を埋め尽くすほどの大勢の観衆が人垣を生み出していた。

「いつの間に…」
「皆んな、みんなね!一生懸命応援してるんだ!!だから、だから絶対に負けないで!!」

「そうか」

「勇者様!水くさいですよ!」
「そうだー!見送りぐらい真夜中でも真昼間でも喜んで致しますよ!!」
「戦いには参加できませんがご馳走を用意してお待ちしております!!」

 黄色い声援ばかりで溢れかえっていた。

 白髪は郷愁に駆られたように、歓声が行き交う勇者の背の白皚皚たる外套を、虚ろにけれど何処か遥か遠くを眺めるように見つめていた。

「……勇者か」

 ため息を零すようにボソッと吐露する。

 そして、其を静かに注視する魔族であった。
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