勇者はやがて魔王となる

緑川 つきあかり

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本編

勇者の血塗られた過去

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 清涼なる澄んだ淡い水色のせせらぎが響き渡る河岸で、双方は向かい合って座り込む。

「ごめんなさい」
「構わない、いつものことだ」

 勇者の煌々たる鎧と籠手は、緋色の鮮血で滴り染まっていた。

「今後は迷宮内では、全てを疑って行動しろ」
「うん」

 約数分前。

「他のみんなは?」
「近くにいるだろう」

「何で迷宮の入り口に転移魔法何かが…」
「さっきの老爺の仕業だろう」

「強かった?」
「然程手応えがなかった。恐らく小手調べだろう」

 道すがら、エルフは傍らの勇者を見つめ、勇者は周囲に目を凝らしていた。

 そして、暗がりに潜んでいた二つの人影が、忽然と姿を現す。

「あ!」
「……」

 白髪と魔族が茫然と立ち尽くし、エルフたちを静かに一瞥していた。

「こんな所にいたんだ!」
「…待て」

 二人の元へと不用意に駆け寄るエルフの背を、掴み取らんと慌ただしく手を伸ばした勇者だったが、ローブの端を僅かに掠めただけであった。

「おい!」

 大地を蹴り上げて駆け出し、小石が宙を舞う最中、二人は剣を生み出した。

 外套の端を掴み取り、エルフを背後から抱きしめるように、疾くに腕を首元に持っていく。

 エルフの体躯を外套で覆い被せ、右腕を盾代わりの如く、己の眼前に翳した。

「えっ?」

 土の刃が鎧諸共容易く貫き、血飛沫が白皚皚たる外套を真っ赤な鮮血に染めた。

「サラマンダー……蒼!!」

 蒼き炎が二人を覆い尽くし、その瞬間に、紫紺の陣を己の背後に二つ張り巡らせる。

 エルフを抱えて、真後ろに素早く移動し、再び駆け出して、懐に掻い潜りながら、背に無数の氷剣たる氷柱を生み出し、突き刺した。

「土石龍」

 炎に呑み込まれるとともに、氷柱の中に呑まれた土石が、溶け出した氷柱から、独りでに動き出し、繋ぎ、竜へと変貌する。

 蒼炎は火の粉が微かに舞い上がる程度に鎮火し、未だ尚原型を留める二者を喰らう。

「ロック」

 喰らうまま、固定される。

 そして、勇者は瞬く間に形成され突き立てられし、土石の大剣を握りしめた。

 大剣を水平に振るいながら、眼下の地面に張り巡らせた紫紺の円たる陣に足を乗せる。

 一刀両断。

 土石龍を、二人を真っ二つに斬り裂いた。

「フー……。無事か?」

「う、うん」

 脱力感からか、エルフは茫然と地に座り込んで、ただ震わす両眼を勇者に向けていた。

 歩み寄ろうと、エルフに爪先を向けた瞬間。

 勇者は唐突にその場に蹲った。

 腕を抱え込むように、小刻みに震える右の籠手を必死に押さえ始めた。

「ゥッッ!!」

 今にも歯茎から鮮血が滴るほどに歯を食いしばり、血走った紅き眼で、苦しみに悶える獣のような呻き声を上げる。

 其は、綺麗な断面をした二者に化かした魔物からであった。

 薄らと舞い上がる禍々しい紫紺の煙は、吸い込まれる様に勇者の指先へと収束していった。

「ッッ!!」

 エルフは杖を握り、短兵急に歩み寄った。

 狼狽えながらも、長杖から淡い緑光を放って。




「本当にごめんなさい」
「過ぎたことだ。もういい」

 徐に鎧の上体を脱ぎ捨てて、筋骨隆々な体躯を露わにした。

 その肉体には、深々と生々しい刺し傷や切り傷が隅々に至るまで絶えず、刻まれていた。

 そして、膨らみのある籠手の中身は、紅き鋭い鱗が生え揃った赤竜の腕であった。

「腕が……」

「形見だ」

「じゃあ…元々生きてたの?」

 コツ。

 川のせせらぎの中に紛れた小石を蹴る僅かな音が、勇者たちの背後から静かに鳴り響く。

 その音を、勇者は視線を、意識を変える事なく、耳だけを欹てていた。

「あぁ、まだ掌に乗る程度の幼かったがな」

「どうして、腕なんかに」

 腕を水に沈ませながら、鋭く一瞥する。

「……知らない方がいい」

「そ、そうだね。ごめん」

 エルフはしょんぼりと膝を抱えて俯く。

「今、何階層くらいかな?」

「恐らく3階辺りだろう。あの程度の魔物が行き交うぐらいだから、そう深くはない」

「最深層は?」

 不安げに勇者の背を見つめる。

「最深層までは辿り着いたことがないので、詳しくは知らないが、恐らくは10階、あるいは50階だろう」

「まだそんなにあるの!?」

「あぁ、地下都市の建設場として設けられたのだから、それぐらいあって当然だろう」

「そんな……。本当に生きて帰れるのかな」

「無論、帰るさ。五体満足で皆を連れて、地上へ戻る。それが俺の…俺の使命なんだ」

 右手の指先が獣のように肥大化して、醜く硬く黒黒と変色し、焼け焦げた姿をしていた。

 その先には、鎖たる印が施されていた。

「……チッ」
「大丈夫…?」

 聖水の川に徐に指を浸けると、澄んでいた付近一帯の水が、瞬く間に黒く淀んだ。

「感覚がないが、大したことはない。時期治る」

 聖水に沈めた右腕は、傷痕を残して跡形もなく癒えていった。

「鎧は私が…」

「不要だ。いずれ元に戻る」

「そう…なんだ?……あのさ勇者を目指したってことは、凄く欲しい物でもあったの?」

「あぁ、捜しものを見つけるために」

「それって道中にあるの?」

「いいや、恐らく魔王城にいるだろう」

「『いる』?人なの?」

「あぁ」

 話題を遮るように勇者は話をすり替える。

「君は…何故、此処に?」

「え?私は…お願いされて来たの」

「そうか」

 ……。

 静寂。

 重く湿った空気の中、突然、勇者が舌先を出してえづき出した。

「ッ、カハッ!」

 口内から垣間見える蒼き水晶体。

 それはまるで生きているかの如く動き出し、コンッ!と音を立てて地に落ちる。

 それはパキパキと全体に亀裂が走っていき、やがては割れて、中身が露わとなる。

 そこには、神々しく輝く全身が緑葉で包まれた精霊が、産声を上げていた。

「えっ!?」

「勝手に出るなと、言っているだろうが…」

 勢いよく殻から飛び出した精霊は、宙を縦横無尽に飛び交い、聖水に飛び込んだ。

 舞い上がった水飛沫が勇者の頭上に降り掛かり、咄嗟に右腕を眼前に翳す。

「さっさと戻って来い!」

 唐突に取り乱した勇者の怒号が響き渡る。

 エルフは頭を抱えて周囲に目を泳がせた。

「え?え?何で?」

 只管に自問自答を繰り返し、優雅に遊泳する精霊に目が釘付けになっていた。

「何で精霊?食べてる?まさか!そんな訳ないじゃん!じゃあ何で?」

「許可もなく出入りするなと何度も言っているだろう」

 勇者を小馬鹿にしたような眼差しで一瞥しながらも、仰向けでぷかぷかと水に浮かぶ。

「お前……ふざけてるのか?」

「フフッ!」

 精霊は頬を緩ませて、せせら笑う。

「此処で死ぬか?」

 徐に紅き掌を突き出し、精霊へと差し伸べる。

「サラマンダー……」

「ちょちょっ!ちょっと!!」

 エルフは慌ただしく立ち上がって、突き出した腕を抱え込む。

 勇者の赤竜たる腕の鱗は、じわじわと上腕部へと蝕んでいく。

「え?広がってる?」

「触るな。感染るぞ」

 疾くに腕から離して、エルフは数歩と後ずさる。

「何で…?」

「ただの虹龍からの賜り物…いや報いか」

「虹龍って……」
 
 精霊はようやっと水から上がり、満足げな表情で、ふわふわとずぶ濡れのまま勇者の肩先に舞い降りる。

「ハァ…お前の所為だ」

 精霊は不思議そうに小首を傾げる。

「ン?」

 再び、地に座り込む両者。

 一人は真剣な眼を只管に前へ向け、もう一人は気怠げに眠たげな眼は、地を凝視していた。

 膝を抱え込んで俯き、頭に手を添える赤竜の腕を愛でる様に精霊が抱きついていた。

「何が聞きたい?」

「全部!」

 正座で座して、顔をすり寄せる。

「前後が崩れぬように、掻い摘んで語ろう」

「うん」

「コイツとの出逢いは、先遣隊と共に、ある一件の狩りに赴き、想定外の事態の連続で任務は失敗。かろうじて俺一人が生き残り、この腕…サラマンダーが満身創痍の俺を近くの精霊樹に運び出してくれたのがきっかけだ」

「うん」

「其処での記憶はうろ覚えだが、目を覚ませば、サラマンダーとこの精霊が仲睦まじく戯れていた。無事に体の療養を終えた俺たちが出立する際に、強引に口の中に入っていた」

「精霊は聖なる場所じゃなきゃ、生きていけないもんね。そっか。だから…その腕に異様なまでに執着してるんだね」

「あぁ」

「その一件って?」

「こ……」

「…『こ』?」

「いや何でもない」

「さっき薄らと変なのが見えたんだけど、その腕の変な印ってなに?…」

「よく喋るな」

「ごめん」

「歴代勇者にのみ許されし禁術。上腕に刻まれた刻印が、あらゆる魔法も解く魔法だ」

「そうなんだ。でも、何で勇者様だけ?」

「恐らくは、忠誠を示す為の事だろう」

「何か首輪みたいだね」

「ハ」

「え?」

「フフ、アッハハハ」

 其は決して明るい笑いなどではなく、引き攣った笑みを浮かべ、清澄たる涙が絶え間なく頬を伝っていた。

「どうしたの?」

 エルフは青くなって、僅かに身を仰け反らした。

「俺が……勇者か。馬鹿みたいに大勢の屍を踏み躙ってきただろうが、なのに、この俺が勇者か」

「な、何を?いっ……」

「数え切れないほどの人だよ」

「うそ」

「フッ嘘…嘘か。そうだったら嬉しいのにな」

「どんなきもちで…」

「気持ち。気持ちか。ただ只管に漠然とした恐怖が襲い続けたよ。楽しいだとか、苦しいだとか、そんなもの遙か先に通り越して」

「何で人を殺してきたの」

 無神経に言葉を連ねる。

「俺が勇者にならなければいけないからだ」
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