勇者はやがて魔王となる

本編

冒険者

「手伝おう」

　そう言い、ようやっと重い腰を上げんとする魔族の進行方向を勇者は遮るようにして、手を広げた。

「手出し無用、俺一人で事足りる」

　単身悠々、幌から降り立ち、声の主へ歩みを進めていった。

「要件を述べろ」

　黒々と淀む魔石の目立つ長杖を握る刈り上げの黄金野郎を筆頭に、随分と大荷物に大剣を背負った大柄な茶髪男と、双剣を携える身軽な背格好で随一の若者の前に仁王立ち。

「勇者殿とお見受けした」
「腕試しか？」

　食い気味な一言にリーダー格が堅苦しく頷いた。

「ならば、さっさと来い」

　三人は戦闘前から張り詰めた緊張が解れて一瞬ばかりの弛みが生じるが、直ぐに真顔に切り替わる。

　馬程に並ぶ大荷物をそっと地に置き、両端の者たちは間合いを図りつつ、陣形を横に広げていった。

「剣は抜かないのか？」

　主役気取りは腰に差した大剣に目を向けながら、素朴な疑問を投げつけ、機械ながらに早々返して。

「無論」

　魔法使いはまごうことなき速答に、不満げに眉根を寄せながら杖をそのまま緩やかに静かに構えた。

　その一部始終を覗く、眠りから目覚めしエルフ。

　ボサボサと至る所がハネて幌から身を乗り出し、そっと勇者の背を覗き込んでいた。

　目を美しく眩く輝かせ、今にも彼女の感銘が耳元に聞こえるばかりに興奮を露わにしているようだ。
　
　そして、キラキラな視線を気取っていた勇者は其を視界の端に確かに捉え、ひっそり一瞥していた。

　嘆息を漏らして、「はぁ……」一瞬ばかり澄み切った青空を仰いで顔を下ろし、掌を大地に向けて。

「氷剣」

　掌から凍てつく霜凪が降り注ぎながら、光芒たる蒼き光を発し、粗悪な氷の剣が生み出されてゆく。

　静寂。

　突き立てた剣をやや膨らみのある籠手で握った。

　その瞬間。

　挟み込んだ取り巻きコンビはピタリと歩みを止めて早々、迷わず互いの視線がぶつかり合い、かろうじて敵の視界の端に留まる両者が背から挟み込む。

「スノースピア」

　主役本物は再び、流麗に掌から霜が舞い降りて、瞬く間に針に等しい三本の槍が其々へと矛先を向けた。

　炯々なる紫紺の円形魔法陣が槍の末端にふっと姿を現して。
　
　投擲。

　眼にも止まらぬ速さで三者に迫り来る。

　金髪は身を崩しながらも頬を抉るように掠めて躱わし、氷槍は深々と大地に突き刺さった。と同時、
茶色の毛が象徴が大剣を盾の如く眼前に翳して禦ぐ中、眼に熱く焼き付ける若人の右肩を氷槍が貫く。

　血飛沫を噴き出し、顔面蒼白になりながら己の身を貫いた槍へと目を向ける。

「ァァァッッ」

　瞬く間に襲い来る激痛に悶え、苦痛の悲鳴を上げて崩れ落ちるのを見届けた勇者は、端にチラつく茶髪に徐にその視線を向けた。

「ゥォォォォツ ！！」

　囂々たる咆哮とともに、振り翳された大振りに、土埃を軽々と払うかのように身を翻す。

　大剣は轟音なる地響きとともに、数十センチの窪みを作り上げた大地に叩きつけられ、割れた土石や砂埃が激しく舞い上がった。

　茶髪の視界に僅かに浮かび上がる勇者の人影は、ゆらゆらと歪みながら忽然と消える。

「何処に！？」

　大剣を出鱈目に振り回しながら、キョロキョロと辺りを見回した。

　だが当然、土埃ばかりが視界を覆い尽くし、大剣を空を切るばかりであった。

　ただ立ち尽くしていた魔法使いは、煙幕に紛れる勇者の全貌すらも捉えきれずにいた。

　淡々と足音を忍ばせながら、大回りに背後に忍び寄り、そっと大柄な男の背中の鎧に手を触れる。

　膨らみのある籠手に憐れみの目を向けて。

「サラマンダー…………」

　歔欷きょきさながらに囁いた。

　囁きに気付き、疾くに振り返る茶髪を歯牙にも掛けないで、掌から燎原たる炎が燻り、俄かに黒煙が立ち込める。

「紅」

「待っ‼︎」

　何かを気取り、必死の想いで嘆願する姿を視界にすら入れず、其は燃ゆる。

　猛き紅焔。

　赤竜が喰らうが如く姿の豪炎は、茶髪の呻く間さえも与えずに、その巨躯を容易に呑み込んだ。

　薄れゆき、弱まりつつある業火から垣間見える黒々と焼き尽くされた巨躯に、金髪は汗を滲ませるとともに激しい武者震いが襲った。

「これで……冒険者か？」

　勇者は鋭く冷徹な眼差しを、やや背後の氷槍を静かに一瞥し、流れるように戦慄く一歩手前の金髪魔法使いに目を向けた。

　ビクッ！　と、捕食者に睨まれ、全身が強張る。

「お前は此処まで一人で来たのか？」

　装飾の宝石から淡い緑光を発し、震える指先で長杖を前に突き出す。

「遅い」

　足元に浮き上がる円の魔法陣。

　氷剣を構えながら煌々たる紫紺の陣に足を乗せ、前屈みに上体を倒す。

　瞬時に砂埃を舞い上げ、金髪の眼前に迫り来る。

　間一髪、散りゆく数本の前髪。迫り合う長杖と氷剣の間に入り混じった金属音と氷解音が鳴り響く。

　死に物狂いで杖を押し出す魔法使いを、悠然と貶む瞳で見つめ、沈黙を破る。

「形状変化」

「っ！？」

　パキパキと音を立てる氷剣は、一刹那に至る所に亀裂が走っていった。

　溶け出した氷が形を変えて、鋭利な棘が弧を描いて、進み出し、金髪の目を捉えた。

「スターフラッシュ！！」

　慌ただしく、咆哮たる詠唱を吐き捨てる。

　眼下の閃光。

　眩い閃光が、勇者の視界を覆い尽くした。

　矢継ぎ早に地中から土石を砕いて迫り出す鋭い土石槍が、眼前に迫っていた。

　勇者は、寸前のところで体勢を崩し、頬を僅かに掠めて、槍は宙に飛ぶ。

　それと同時に魔法使いは、そそくさと地に張り巡らした陣を叩くように足を置く。

　数メートルと一直線に真後ろに退いて、逃げた道に砂埃が舞い上がる最中、勇者の頭上で、勢いの死んだ土石槍に目を向ける。

　勇者も同じくして、大地に突き刺さった氷槍に掌を翳す。

「リターン」
「リターン」

　互いの槍が降り掛かる。

　勇者の頭骨に──魔法使いの脇腹へと。

　勇者は徐に天を仰ぐ。

　折り畳む三指と揃えた人差し指と中指に、震えるほどに力を込めて、呟く。

「解かい」

　降り注ぐ長槍は、只の土石に姿を変える。

「魔法が解けた…？」

　自らに降り掛かる小さき土石に白き陣を巡らせ、落ちゆく土石の下、三度、紫の陣。

　氷槍は肉を裂くような鈍い音を走らせ、脇腹を貫いて、続け様に眼にも止まらぬ速さの土石が金髪の額に迫った。

「ウッ！」

　鈍い音が額に走り渡り、上体を激しく仰け反らして双眸を細めた。

「……」

　乱れた呼吸と小刻みに震える手で、患部を必死に抑えながら、緋色の鮮血が眉に滴る金髪の背後を、息を殺して立ち尽くす勇者。

　手に握る杖の装飾が神々しく光を発して、慎重に辺りに目を凝らしながら勇者の行方を探す中。

　徐に天に籠手を突き上げる勇者。

　粉雪さながらに霜が降りてゆく。

「氷剣」

「はっ！？」

　咄嗟に振り返った先、泰然と氷剣の鋒を首筋にすり寄せる姿があった。

「好きな方を選べ」

　勇者は流れるように横たわる二人に視線を向けた。

　其に呼応する金髪は、目を泳がせた。

　パーティメンバーへと。

「し…」
「参った」

　潔く迷うことなく宣った。

「頼む…バックの中の瓶をあいつらに…ッッ！」

　苦しみに悶えながら懇願する。

「？」

　勇者は渋々バックの元に歩み寄り、細心の注意を払いながら、分身に中身を弄らせた。

「…！」

　手探った分身が何かを見つける。
　
「何だ」

　中から出てきたのは、清浄なる澄んだ水の入った魔法瓶であった。

「聖水か？」

　あぁ、と小さく頷く。

「そうか、もういい」

　そう言い、分身は振り払われた蜃気楼のように雲散霧消した。

　勇者はむざむざと突っ伏した二人に、満遍なく聖水を垂らし、瓶の中身が空になると、眩い緑光が二人を包み込んだ。

　徐に地に籠手を向ける。

「開け…捕縛」

　懐に仕舞われた白き巾着の中身から、極太の金属製の一本の縄が飛び出した。

　ひとりでに動き出した縄が、せり出した土石柱に凭れ掛かる様に、三人の胴を縛り付ける。

　金髪は、未だに項垂れて長き眠りにつく二人を一瞥し、ホッと安堵して仄かに頬を緩めて、太陽に陰る勇者の面持ちに目を向けた。

「何故生かした？」

　怪訝な表情を浮かべる金髪と、未だ尚無愛想の勇者。

　勇者は、ゆっくりとエルフが幌から身を乗り出す馬車に目を向けた。

　勇者の視線に気付いたエルフは、ガクッと体を飛び上がらせて、慌てて身を隠す。

「互いに面倒な荷物を背負ったな」

「……そう、だな」

　徐に三人に背を向け、懐から手探りに取り出した煌びやかな硬貨を二指に挟む。

　小突く様に爪弾き、コインは宙に舞う。

　金貨はキンッと音を立てて、金髪の眼下の地に落ちた。

「何のつもりだ？」

「今後の衣食住の足しになるだろう」

「要らぬ世話だ」

「冒険者ってのは、日稼ぎで食い繋ぐものだ。黙って受け取っておけ」

「…？」

　金貨とともに取り出していた、割れた楕円の金の札を、これ見よがしに翻した。

「身分証か？そうか。そうだったのか。あんたも……だが、これ以上の介抱は不要だ」

「ならば取っておけ、次に会うときまで」

「次？」

「お前たちは強くなる。俺が保証しよう」

　金髪は双眸を細め、憐れむように、けれど仄かに眼を輝かせ、二人に視線を泳がした。

「夕刻前には解けるだろう。それまでは、三人仲良く反省するといい」

　そう言い残し、その場を後にした。
　
　馬車へと帰還した勇者は末尾に身を置く。

「国境の移動方法は、お宅ら特有の赤龍と聞いていたんだが、随分と話が違うようだが？」

「療養で少し体が鈍ってしまい、其の話は取りやめにさせてもらった」

「だから、こんな馬車なんだ」

「ほう？つまり、あの待ち伏せは想定内だったと？」

「気に障ったのなら謝罪しよう」

「願わくば、地に突っ伏し……」
「ねえ！ねえ！」

　突然と白髪の言葉を遮って介入するエルフ。

「おい！こっちの話がまだ…」

　訝しげに手を突き出す白髪を尻目に、目を煌びやかに輝かせ、息遣いが当たるほど眼前にグイグイと迫り、饒舌に言葉を滑らした。

「元々、冒険者だったの！？ねぇ！何年間！どんな旅だった！仲間は！？」
「たかだか、一年余りに過ぎな」
「魔法も使えるんでしょ！？私役目なくないですか！？」
「攻撃魔法と、多少の治癒魔法が使える程度に過ぎない。不要な筈がな…」
「っていうか、魔法が使えるのに、何で魔力を感じないの？どっかの誰かは突き刺すような魔力を馬鹿みたいに漏らしてるのに…」
「おい」
「多量の魔力は人体に影響を及ぼす。其に…」
「え！じゃあ私たち、めっちゃ不健康ってこと！？」
「其の為に、衣服や防具には魔力を吸い上げる魔法が施されているから対して健康に害はない」

　執拗な質問攻めと共に身をすり寄せるエルフに、胴を仰け反って辟易する勇者を目の当たりにした魔族は、

「フッ」

　と笑みを浮かべた。

「ねぇ！？」

　白髪は不服ながらも勇者の食傷する姿に、心なしか晴れた顔つきで、目を逸らした。

「ねぇ！」
「分かったから…静かにしてくれないか」

「うん…」



　数分の時を経て尚、傍に居座る少女。

　興奮冷めやらぬと言わんばかりに体を震わして、勇者の視界に頑なに映り込んでいた。

「はぁ…分かった。良いものを見せるから、あっちで静かにしていてくれ」

「良いもの？」