勇者はやがて魔王となる

緑川 つきあかり

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本編

旅立ち

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 初めの勇者の旅立ちを見送る者は、極小数に限られていたのだ。

 勇者の旅路の出立は神聖な儀式とされ、限られた親族と従者、そして王たちのみの立ち会いの下、日の出と共に旅立っていく勇者一行を見送るのが、恒例となっていた。

 しかし、13代目は違った。

 13代目の福の神勇者の都市伝説。

 何処からともなく囁かれた都市伝説が、現地の人々の好奇心を巻き起こし、いつしか世界全土に知れ渡っていた。

 以来、勇者を一目見ようとする来訪者が後を絶えず、北諸国では祝祭日となり、王国全体の催し物とさえなっていた。

 ずらっと建ち並ぶ露店には、犇く観衆がごった返し、パワーアイテムと称して、勇者の人形などが、大々的に販売するまでに至る。

 そして、今回は一際その節が著しく、例年に比べ、全世界の渡航者は数倍の数万人に上るとされていた。

 今日こんにち限り、遍く人々は剣を収め、勇者の旅立ちを見守っている。

 愚かな冒険者たちを除いて……。





 やけに広々とした謁見の間。

 吹き抜けの2階から耳障りに騒めく着飾った貴人から、四隅にこっそりと潜む使用人に至るまで、全ての者たちの視線は、たった一人の男に熱く注がれていた。

 玉座に坐す王の御前に跪く、勇者へと。

「我が国、エルダグロースに忠誠を誓いし勇者よ、汝は魔王を討ち滅ぼすことを誓うか」

 窪んだ目に痩せこけた頬を持つ、王冠を被りし、北大国の王は、片膝を突いて頭を垂れる勇者を、玉座から頬杖を突いて見下ろしていた。

「必ずや、邪悪な魔王を討ち滅ぼし、世界に永遠の平穏を訪れさせる事を、此処に誓います」

 徐に顔を上げた虚な紅き瞳に映る先、底無しに淀んだ黒き眼が、勇者を凝視していた。

 ぶつかる視線。

 双方は、今にも火花を散らしそうなほどに、鬼気迫る形相を浮かべていた。

「アリスよ」

「はい、お父様」

 小鳥の囀りのようでいて、澄んだ川のせせらぎのように美しき声色で、艶やかな黄金色の長髪の少女は、玉座の傍から立ち上がり、勇者に歩み寄った。

「勇者様、どうか世界をお救いください。私は貴方様のご帰還を心待ちにしております」

 耳元で息を吹きかけるように囁く。

「期待していますよ…私の勇者様」

 その一言に尚、変わらぬ無愛想。

 アリスは徐に手を差し伸べる。

 勇者は細く柔らかな白皙の手の甲に、そっと口付けをし、疾くに立ち上がった。

 外套をひらりと翻し、進み行く。
 
 喧騒の渦の中心へと。

 そして拍手喝采の嵐が、勇者一行を包み込んだ。

「勇者様ァー!どうかこの国を、世界をお救いください!!」

「……」

 勇者は徐に、嫌々ながらも高らかに手を突き上げた。

「ォォォォォ!!勇者様ァ!!」

 空を破るほどに響動めく観衆。

 ただ一人を除いた勇者たちは、遍く人々の鳴り止まぬ歓声に振り返ることなく、やけに古びた馬車に乗り込んで、王都から旅立っていく。

 その次第に薄れゆく歓声を、馬車の末尾でそっと耳を澄ませる、一人の少女がいた。

 目を瞑り、尖った長耳に手を添えて、全身が一続きの緩やかに暖かな緑黄の薄地のローブの上にやや煤汚れた短な外套を羽織っていた。

 肩先に触れる程度の向日葵のような華やかな長髪をそよ風に靡かせ、優雅に樹木の直根を捥いだ様な螺旋を描く長き杖を、毛皮の長ブーツと両腕に挟み込んで、心地よく、にんまりとした笑みを浮かべていた。

「んん~やっぱり、讃えられるって心地いいなぁ」

 溌剌としているけれど、毛布のように柔く、あどけない声色で、静かに呟く。

「付属物風情の分際で図に乗るなよ、長耳」

 そんな至福のひと時を一瞬にしてぶち壊す、まだあどけなさの抜けぬ声色をした一人の尊大な男の所業が、上がりきった口角を瞬く間に下げさせた。

「……。ふふっ、まだまだ子供だねぇ。私はお姉さんだからっ。今のは許してあげるよ!言っておくけど、私はエルフ!!」

 王都の喧騒が途絶えるとともに、満足げに立ち上がったエルフは、澄む緑葉の瞳を見開いて、徐に矛先へと目を向ける。

 色褪せたかのような、白き外ハネの短髪少年。

 黒き手套に覆われた手には、禍々しき書物を抱え込み、馬車の中心で、寂しげに床を眺める水晶のように澄んだ瞳の端には、顰めっ面で頬を膨らすエルフの姿が、映っていた。

 ローブの懐にぶら下がった煌々たる輝きを放つ一本の短剣が、向かいの床で胡座をかく、異形なる体躯の男の視界にチラチラと垣間見え、漸次に煩わしさを募らせていた。

「お前よりは年上だ、馬鹿。敬語を使えよ」

「ふんっ!私、空気の読めない人には使わないことにしたんだ!今この瞬間にね!」

「随分と辺境の地で育ったようだな」
「田舎モンじゃないし!ちゃんと王都にも通ってるもん」

「なら、其の国はまともじゃないようだな」
「そっ、そんなことないし!」

「ハァァ。こんな奴が僧侶とは先が思いやられる。いや……殺生は控えろとの神からのお達しか?」

「その辺でやめておけ」

 白髪は、静かに一瞥する。

 ドスの効いた、浅瀬の湖でさえも底が全く見えぬほどの濁った声色の男を。

「品性の無さが鼻につくんだよ」
「どっちが」

「それとも天真爛漫な僧侶が気に入ったのか?流石は魔族様、好みも他とは一味違うな」

 饒舌に、且つ度を越えた抑揚に、魔族は眉を顰めて凝視する。

 赫色の短髪に、正に赤裸々な紅き上体を晒して、幌にすらも届きうる巨躯に煤汚れた鎧を纏い、腰に回すベルトには幾つかの紋章がぶら下がった魔族。

 ミシミシと悲鳴違わぬ軋みを上げる床は、今この瞬間にも破滅の道を歩んでいた。

 白髪は其に呼応するかのように睨みを返す。

 そして、双方を端から端まで視線を泳がして、不満げに頬を赤らめ、じっと目を凝らすエルフだった。

「国によって、正しさは変わる」
「体のいい御託を並べるなよ、無知は罪だ。愚かさに自惚れと、おまけに正義面とは、もはや呆れて言葉も出ないな」

「口を閉じろ」

「先に目を閉じるべきか?醜い面を拝まずに済むからな」

 双方は目を血走らせ、激昂を孕んだ形相を浮かべる。

「……」
「……」

 ミシミシと聞こえぬ音を立てる静寂。

「……剣を抜け」
「先に立ったらどうだ?」

「……煩いぞ」

 火花を散らし、今にも一触即発な雰囲気を醸し出していた一同の視線は、項垂れる勇者へと注がれた。

「遊びに来たのなら他所でやるといい。此処は、君達の為に用意されたお遊戯じゃないんだ」

「チッ!」
「……」
「ごめんなさい」

 しょんぼりと露骨に沈むエルフと、憤りを露わにしながらも渋々、矛を収める白髪。

 そして、静かに瞳を閉じる魔族。

 三つ巴の決戦は静寂と共に幕を閉じた。



「あぁー」

 出発から一刻ほどの時が経った頃、沈んだ気持ちを周囲に漂わせながら、大人しく項垂れていたエルフが、ぬっと立ち上がった。

 問題児たるエルフの動向を、不安げに窺う白髪。

「疲れたーっ!!」

 腕を大きく突き上げて、声高らかに喚く。

「あ~~」

 エルフは、ふらふらと床に倒れゆく。

 其の姿を傍から目にした魔族は、咄嗟に椅子に身を移しながら、腕を背に差し伸べる。

 だが、地に触れる瞬間、エルフの体がピタリと止まり、それとほぼ同時に疾くに腕を下げた。

 其の体はふわふわと風船の様に緩やかに落ちてゆき、やがてはタンッと乾いた音とともに、大の字で床に横たわった。

「チッ!」
「…」

 唖然とする魔族たちを前にして尚。

「んんーお腹減ったー!疲れたー暇ー!まだぁ!?まだ着かないの!」

 暴君。

 ぶんぶんと四肢を振り回す暴君に、二人はゆっくりと距離を取った。

「あーー!!」

 だが、白熱せんとしていた駄々は、次第に小さくなっていく。

 時とともに、緩慢に。



 暫くすると、エルフは暴れ回って疲れ果てたのか、裏返った昆虫のようにピタリと動きを止めて、眠りについていた。

 幸せそうに涎を垂らして。

 その様子を始終注視していた勇者は、突き刺すように囁く。

「──いるか。姿を見せろ、でなければ殺す」

 勇者は、先程とは打って変わって、虚無に対し、勇者としてあるまじき台詞を吐き捨てる。

 更なる狂者に、白髪は顔を苦痛に歪め、緋色に充血した血走る鋭い眼差しを向ける。

「此処に」

 だが、勇者の眼前には、忽然と黒霧が立ち込め、立ち膝を突いて跪く、黒きローブで全身を覆った女性らしき者が姿を現した。

 無機質な声色の黒装束の謎の女らしき者に、二人は目を見張る。

「次の国迄、どれ程の時間が掛かる?」
「明日の夕刻には着くでしょう」

「そうか…。失せろ」

「御意」

 再び、忽然と霧散霧消した。

「随分と親しげな関係だな?」

「そう見えるだけだ。──あまり信用するな」

「……」

 含みありげな一言を返した勇者に、白髪は憔悴した顔つきで眉根を寄せた。

 爛爛たる得物を握り締めて。

 平坦な道のりを走っている最中、唐突に馬車は歩みを止めるとともに、突き上げる様な激しい揺れが襲った。

 身が浮かび上がるほどの縦揺れで、エルフだけが、ガクッと頭を床に叩きつけた。

「アガッ!」

 勇者は徐に立ち上がり、御者の背に歩み寄っていく。

「どうした?」

 御者に問う。

「それが…」

「勇者様はおられるか!!」

 答えるよりも早く、答えが返ってきた。

 荒げた怒号が馬車に響く。
 ガラガラと出涸らしのような声色の男。

「コレクター、いや盗賊か?」
「身なりからして、冒険者かと。国境を越えての待ち伏せとなると、相当の手練れでありましょう」

 御者は不安げに勇者を一瞥する。

 疾くに御者へと外套を翻し、末尾へと足を運ぶ。

「安心しろ、直ぐに終わらせる」

「ご武運を」
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