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第四部 北方皇太子 編

第九話 皇太子としての責務

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皇太子の離宮の内庭《うちにわ》。

 アディロスは跨《またが》がる馬をけしかけ、馬上で弓を引き、的《まと》として用意された木製の人型めがけて射た。
 矢は見事、人型の左胸に突き立っていた。
 それも一本ではない。瞬時に、三本の矢を射たのだ。

 その様子を見守っていたシメオンは「すごい!」と思わず声を上げてまう。

 馬から下りたアディロスは馬を引きながらゆっくりと近づいて来た。

 この内庭にいるのは、シメオンとレカペイスだけということもあって、アディロスはフードをまとわずにすんでいる。

「別にこれくらい何でもないさ」

「何でもないことはない。
とても素晴らしいと思う。
なあ、レカペイス」

「確かに素晴らしいと思います。
見世物《みせもの》としては……」

 シメオンは従者の言葉に、苦笑する。
「レカペイス。
強がるなよ。
お前が騎射《きしゃ》を熱心に見ていたことは分かっているぞ」

 アディロスはレカペイスを睨《にら》んだ。
「見世物とは随分な言い方だな。
私はこれでこれまで何度も、人間族を追い払ってきたんだぞ」

 シメオンは従者を見る。
「――ということだが?」

「珍しいと思っただけでございます。
遠くより狙い撃つなどと言う弓矢など、騎士の使うものではございません」

「ずいぶんな言い方だな。
私は弓矢は王国との戦に大いに役に立つと思っている」
 シメオンはアディロスに作ってもらった弓をいじりながら呟く。

「殿下。騎士には騎士の戦というものがございます。
騎士とは馬に跨《また》がり、己の剣の技によって雌雄《しゆう》を決する者にございます。
そのように狩人などの下々が使う道具は騎士には不要なのです」

 すると、アディロスが鼻で笑う。
「お偉い騎士様だな。
そんな奴を私は何人も射落としたさ。
連中の顔を、お前に見せてやりたいよ。
自分に何が起きているのか全く分からないアホヅラをさらしたまま死んでたよ」

「お前たちには地の利があった。
王国とは平原で戦う。
そこには地の利など存在しない」

「そんなに言うんだったら、あんた、弓くらい引けるんだろうな」

「弓など引くことなどせぬ。私は殿下を守る騎士だ」

「何だよ、逃げるのか?」

「逃げも隠れもしない」

「やめよ、二人とも。
レカペイスも、アディロスも、顔を合わせればいがみあうのはやめにせよ」

「だったら、この石頭に言えよな、シメオン」

 レカペイスの眉間に皺《しわ》が寄る。
「お前、殿下とお呼びせよと言っただろう」

「うるさい、私は、アディロスだ。人間!」

「俺はレカペイスだ」

「二人とも、本当にやめよ」

 二人は互いに背を向け合う。

 シメオンは小さく溜息をつきながら、アディロスに告げる。
「アディロス。
お前のように見事に弓を射られるのは、エルフ族にはどれくらいいるんだ?」

「それは私だけだね。
早撃ちの奴はいるけど、まあ、並だね」

 レカペイスが口を挟む。
「殿下」

 しかしシメオンは従者に黙るよう目で制し、アディロスに話しかける。
「その技は練習すれば体得できるのだろうか」

「……まあ、素質と、私の訓練に耐えられれば、ちょっとは出来るかもな」

「分かった。ならどんな訓練が必要かを教えて欲しい。
騎射もできれば、兵はもっと精強に、臨機応変な動きが出来ると思っている」

「殿下、そのようなこと……」

「レカペイス。
お前も矢を射れるようになれ。
これは主命《しゅめい》だ。
その時はアディロスにしっかりと教えを乞《こ》え。
アディロスも、そう怒らせるのような物言いはやめよ。
レカペイスは私の最も信頼する従者なんだから」

「あーはいはい」
 アディロスは気のない返事をする。

 そこにゲルツェンが姿を見せる。
「殿下、よろしいでしょうか?」

「どうかした?」

「――どうやら、オーランドは帝国と王国の同盟を画策しているようにございます。
帝国の外交使節派遣の準備も進んでおるようでございます」

「王国と? 正気か?」

「ただし、王国の代表者というのは、ロミオ・ド・アリエミールではなく、宮宰《きゅうさい》を務めていた、ルードヴィッヒという男のようでございます。
仲介者は、教団……」

「欲の皮の張った坊主ども、か。
――こちらの使節の代表は?」

「文官でございますが、彼らは元老の息がかかっております」

「分かった。
急ぎ陛下にお目通りしたい」

「はっ。確認をいたします」

 シメオンは、ゲルツェンに、元老院の動きを探らせていた。
 彼らこそ、父、コルドスの動きに歯止めをかける存在と思っていた。
 数年前、彼らは同志だった。
 しかしその志はすでに失われ、己の立場を守ることを第一に考えているとしか思えなかったのだ。

                  ※※※※※

 シメオンは急ぎ、父、コルドスの元へ参内《さんだい》した。
 書斎である。
 
 こうして父子二人で会うというのは久しぶりのことだった。

 コルドスは、侍女たちを下がらせた。
 彼女たちもまた元老の息がかかっている。
 皇帝というのは形ばかりで、コルドスは常に監視されているのだ。

「どうした? 急ぎということだが」

「帝国と王国とが同盟を、と言うことでございますが」

「すでに将軍達との話し合いで決まったことだ」

「それについての意見はございますが、決まったとなれば致し方ございません……。
ただし、一つ、お願いがございます」

「聞こう。
しかし叶えられるかは別問題だぞ」

「ありがとうございます。
――使節にはどうか、私をお加え下さい」

 コルドスの目が動く。
「なんと?」

「私も使節と共に王国へ参りたいのでございます。
長らく戦い続けた二国《にこく》が同盟をいたすのです。
そのような重大事に、皇族が列席しないのはおかしいのではございませぬか?
父上はご高齢。
であれば、私が是非、参りたいと……」

「……お前は、演劇に、うつつを抜かしているだけかと思ったが」

「私としても、自らに与えられた責務は自覚しているつもりです。
であればこそ、エルフやドワーフ討伐にも参りました」

 コルドスは口元のシワを深くした。
 微笑んでいるのだ。

「お前の言う通りだ。
よかろう。使節に加わるが良い。
しかし安全を考慮し、身分は伏せよ。
代わりに代表者と同じ権限を与えることとする」

「ありがとうございます」

 シメオンは父親の部屋を見回す。
 皇帝となった今でも、飾り気のない、素っ気ないともいえるような部屋だ。
 今座っている椅子も、執務机も昔から使っているそのままだ。

 しかしそんな部屋の壁には絵がかけられていた。

 それはこの部屋において唯一、花を添えている婦人の画《え》。

 椅子にしなだれかかり、見る者に笑顔を傾けている女性が描かれている。絵の中の女性は若い。
 画の時間だけが、時間の流れにあらがっているかのようにさえ思える。

 コルドスの妻であり、シメオンの母でもある、トッピアだ。
 シメオンを産んで間もなく、病で亡くなった。
 以来、コルドスは側室をもうけていない。

「では、失礼いたします」

「……シメオン」

「はい」

「お前を、誇りに思う」

「……はい」
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