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第四部 北方皇太子 編

第一話 皇太子(シメオン)遠征

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デイランたちが、ヴェッキヨ討伐の為に動いているその時――。

 帝都ジリフ・ノヴァにある歌劇場は貴族たちで賑《にぎ》わいを見せている。
 この劇場の中では、王国と戦争状態にあることなど微塵も感じさせない。

 演目は、“言いくるめ”という喜劇。
 登場するのは、エルフとドワーフ、そして人間族のピョートルという猟師。
 村で鉢合《はちあ》わせたエルフとドワーフを、人間が口車で追い返すという内容だ。

 エルフとドワーフの愚かしさが前面に出されるという人気の演目である。

 貴賓《きひん》席で、帝国の皇子《おうじ》、シメオンは護衛のレカペイスと共に観劇していた。

 レカペイスは、栗色の短髪に、灰色の瞳をもった育ちの良さが顔にでている青年だ。
 その表情は生真面目で、面白みには欠けるけれど、頼りにはなる。

 ただシメオンのように華奢さはなく、肩幅は広く、がっしりした体つきが服ごしにも分かった。

 会場では、エルフやドワーフに演じる人の動きで、幾つもの笑いが起こっている。

(今回の役者はなかなかだな)

 ただバカに演じれば良い訳ではなく、おかしみや、時に愛らしささえなければいけなく、意外に難しい役柄なのだ。

 そうして舞台が終わり、万雷《ばんらい》の拍手に劇場が包まれる、

 シメオンも手を叩きながら、側近を見る。

「レカペイス。
今度の宴《うたげ》の席で、あの役者たちをねぎらいたい。
話を繋いでおいてくれないか?」

「かしこまりました」

 シメオンはこうして好みな役者に支援をするなどの文化事業に携《たずさ》わっていた。
 役者を育てる芸術学院も設立した。

 と、レカペイスは主人がじっと見つめていることに気づく。
「何か?」

「……お前、さっきから何も笑っていないな。
面白くなかった?」

「たとえ蛮族でも、誰かを笑うなど好きではありません」

「そんなこと言ったら、笑っている私がおかしいみたいではないか」

「喜劇ですから、お笑いになられるのが普通かと……」

「ならお前も笑えよ。
そんな真顔で立たれていたら気になって、舞台に集中出来ないじゃないか」

「これは性分《しょうぶん》ですので」

 確かにレカペイスはほとんど笑うということがない。
 最初は精巧《せいこう》な仮面でもつけているのかと本気で考えたほどだ。

 と、貴賓席に、レカペイスの傅役《もりやく》である(成人した今では、レカペイスの側近をまとめる責任者)ゲルツェンが姿を見せる。

「珍しいな。お前も観劇か?」

「ご冗談はそこまでに。
陛下が至急、来るようにと」

 レカペイスは小さく溜息をつき、従った。

                    ※※※※※

 謁見《えっけん》の間は、歌劇場で得た満足感をたちまち消し去るほどに寒々としていた。

 父帝、コルドスを囲む老将たちの視線が痛いが、それを無視して父だけに意識を集中させる。

「陛下。
お呼びとお聞き致しました……」

「お前、また観劇か?」

「はい」

「勉学をさぼり、身体を鍛《きた》えず、お前は皇太子としての自覚がまだないようだな」

「王国と矛《ほこ》を交えんとするのならば、私も率先して参ります。
陛下。
今や雪は止み、行軍に支障はございません。どうか、ご親征《しんせい》を……」

 すかさず老将たちが口を開く。
「殿下。
陛下は常に帝国のありようを考えておられます。
陛下は時期を探っておられるのですぞ」
「その通り。
それに戦は一人で出来るものではありません。
多くの帝国臣民の協力があればこそ実現できる国家の大事業。
勇ましさと蛮勇をはき違えてはなりませんぞ」

 やめよ、とコルドスは老将たちを静かにさせる。
「王国とのことはオーランドに任せている。
今は軍備を充実する時なのだ。
親征などそう軽々しく口にするものではないのだ。
その日が来たれば、予も動く」

「はっ……」

 父は変わった。
 会うたびに、それを確信する。

 あれほどの勇ましさと決断力を備えていた御仁《ごじん》が、今や宮廷の奥深くですっかり骨抜きになり、帝国の維持にのみ固執している。

 その原因は、周りの老将たちにある、とシメオンは考えていた。
 彼らは再び王国と戦争をし、負ければ、帝国が瓦解《がかい》の危機に瀕《ひん》することになるかもしれないと怖れているのだ。
 それは国を憂うのではなく、自分たちの権力を失うことを怖れる自己保身なのだ。

 コルドスのしゃがれた声が広間に響く。
「お前を呼んだのは他でもない。
西の方で蛮族どものことは知っておるであろう」

「はい。何度も討伐軍を退けているとか」

「お前には討伐の指揮を任せる」

 シメオンはさすがに驚きを隠せなかった。
「わ、私が、でございますか」

「そうだ。
未来の皇帝として帝国の平穏を取り戻すのだ」

「しかしながら私は若輩《じゃくはい》な上、戦場に出たことがございません」

「お前にはゲルツェンとレカペイスという股肱《ここう》の臣がいる。
二人に任せれば何ら問題はない。
すぐに出兵せよ。これは勅命である」

「かしこまりました。
陛下。
一つ、よろしいでしょうか?」

「何だ?」

「エルフやドワーフたちの処理は、この私に一任させて頂きたいのです」

「無論だ。
虐殺しても奴隷に落としても構わぬ。
ともかく王国とことを構えるためにも、不安要素はつぶしておきたい」

「ありがたき幸せっ。
ではその旨《むね》を、書状にしたためていただきたい」

 コルドスは訝《いぶかし》しげな顔になる。
「そんなことが必要なのか?」

「無論です。
私を若輩と思って侮《あなど》るものがいるとも限りませんから。
勝手なことをさせないためにも」

「よかろう……。届けさせる。
皇太子として恥じぬ戦を期待しておるぞ」

 シメオンは深々と頭を下げた。
「はっ」

 そうして謁見《えっけん》の間より退出する。

 外の廊下で、レカペイスとゲルツェンが待っていた。
 レカペイスはゲルツェンから任務の内容を聞いたらしい。
 表情が引き締まっている……いや、深刻さに曇《くも》っていると言うべきか。
 観劇の時とそれほど変わらないように傍から見れば思うかも知れないが、シメオンにははっきりと分かる。
 何せ、幼い頃から見知った仲なのだ。

 ゲルツェンが言う。
「殿下。
蛮族と侮ってはなりませんぞ。
相手はなかなかに手強く、これまで討伐に差し向けた兵たちをことごとく退けております。
どうやら、相手はなかなかの戦巧者《いくさこうじゃ》のようです」

「侮ってなどいない。
ただ、何故戦わねばならないのかと思ってな」

 ゲルツェンは眉をひそめる。
「何を仰って……」

「彼らに我々人間を脅かす力などもはやない。そうであれば、放っておけば良い。
むしろ彼らは山にこもっていればこそ、手強いが、山を下りれば、数に勝るこちらが負けるとは思えない」

「蛮族共を討つのは、ヴァルドノヴァ辺境伯家の宿命ですぞ」

 年寄りの説教に、シメオンは肩をすくめる。
「分かっているさ」

 レカペイスは言う。
「陛下は殿下に功績を挙げさせ、皇太子としての信望を集めようとされているのです」

「陛下はそうかもしれん」

「……どういうことでしょうか?」

「陛下の周りを固めた、おいぼれどもはそうは思っていない。
私が失敗し、皇太子として疑義があると指弾《しだん》したいのだろう」

 ゲルツェンが眉をひそめた。
「指弾などと……。
陛下の御子《みこ》は、殿下一人にあらせられますぞ」

「まあともかく、だ。
戦いはお前たちに任せる。
私は大将らしくじっとしているよ」

 レカペイスは意気揚々とうなずく。
「殿下に勝利を捧げましょうっ!」

「期待している」
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