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第三部 王国動乱~逃避行編

第二十八話 ノージェ平原の戦い(上)

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 太陽が中天に上る――正午。

 ノージェ平原に両軍が展開している。
 この平原は、サロロンと州都オルンヅのおおよそ中間に広がっている。

 近くに街道が走っているが、今は戦の気配に、好きこのんで通ろうという人影はない。
 お陰で、デイランは戦に没頭できる。

 両軍は互いに、横陣《おうじん》の隊形で対峙《たいじ》している。
 傭兵集団――ヴァラーノ軍はいくつもの種類、いくつもの形の旗指物《はたさしもの》がはためいている。
 それは遠目から見ても色とりどりで、目がチカチカするほどではあるが、一方でどこの部隊が全体の指揮を執《と》るのかはそれだけでは判断しにくい。

(ヴェッキヨはいないか)
 デイランは横陣の右翼側の指揮を執《と》る。
 中央がトリンピスを主将とし、ロミオを守る。
 左翼がエリキュス。

 前衛の兵は騎士が務め、民衆がその後ろに続くという格好である。

 これはこの世界ではとても珍しいものだ。
 騎士と民の混成軍などこれまで見たことも聞いたこともないと、トリンピスも言っていた。
 騎士を民より前に配置したことは民の気持ちを鼓舞《こぶ》すると同時に、もし前衛に民をおいた際、恐れを成して民が壊乱《かいらん》すれば、後衛の騎士達を巻き込み、陣形全体に波及しかねないと思ったからだ。
 仮に民たちが恐れを成しても、騎士たちさえ踏みとどまれば、戦線の崩壊は防げる。

 戦が始まる前、デイランは、リュルブレのことを、自分の指揮下に入っている民たちには伝えた。
 リュルブレはそれまで目深にかぶっていたフードを脱いで、エルフ族であることを言った。
 最初はさすがに驚きの声はあったものの、嫌悪を示すものは誰もいなかった。

 民たち――その中には、ルルカからずっと付き添ってくれているザルックもいる――は声を上げる。
「奇妙な武器を持っていると思ったが、やはりそういうことだったのか」
「俺達を散々苦しめてきたのは同じ人族だ。で、今、エルフが俺達の為に戦おうとしてくれる。それだけで十分だっ!」
「そうだ。心強いぜ、リュルブレっ」

 盛り上がる民たちを前に、リュルブレは表情をあまり表には見せなかったが、まんざらでもないことが、これまでの付き合いから何となく分かった。

 馬に跨《また》がったリュルブレは、デイランに馬を寄せる。
 彼方《かなた》に敵軍を臨《のぞ》める。
「……しかし、お前も命知らずなやつだな」

「そうか?」

「そうさ。自分から餌を買って出るんだから」

「だが、そんな命知らずにお前は付き合ってくれるんだろう?」

「当たり前だ。
お前を生きて連れてかえらねば、アミーラ様よりお叱《しか》りを受けてしまう。
……それに、ロミオまでいるんだ。
あいつも王様にしては命知らず過ぎるな」

 トリンピスの陣には、ロミオがいた。
 無論、彼は馬に跨がるだけで象徴的な存在に過ぎない。
 最初は止めたが、ロミオは譲らなかった。

 ここで死ねば、それまで。
 もし自分に何かあれば、クロヴィスを――と、彼はデイランに言った。

 クロヴィスは涙ながらに兄を見送り、今はマックスと共にサロロンにいる。
 もしこの勝負でデイランたちに何かがあれば、クロヴィスを連れて、脱出する手はずになっている。

 デイランは一人、口元をゆるめる。

 命知らず。
 そう言われても仕方が無い作戦だ。
 何故なら、デイラン率いる右翼は他の陣営と比べて数が少ない。
 全軍四千のうち、八百ほどしかいない。
 さらに騎馬隊はデイラン率いる五十騎。

 残りの百五十騎は左翼を率いるエリキュスが率いる。

 その分、中央に厚みを持たせている。
 なぜ、そんな陣形を取るかと言えば、敵に右翼へ攻撃力を集中させるためだ。

 まともに戦力差が開いた戦い。
 敵の圧力を正面からまともに受け止め、消耗戦を強いられてしまえば、デイランたちは負ける。

 それを防ぐ為、敵に左翼への攻撃を集中させるのだ。
 左翼で敵の圧力を耐え、機動力を持たせたエリキュスたちのつけいる隙《すき》を作る。
 その為に、デイラン麾下《きか》の軍団は、他の軍勢より抽出《ちゅうしゅつ》した精鋭で構成されている。

 それでも耐えきれるか。
 正直、これは賭けだ。
 これまで先頭は奇襲や不意打ちしか経験しいない。
 真っ向からのぶつかりは初めてなのだ。
 精鋭と言っても、呆気なく崩れる可能性がある。
 そうなればロミオの命も危うくなりかねない。

(ここが正念場、だな)

                 ※※※※※

 一方、ヴァラーノ軍本陣。
 ここでは、ヴェッキョより派遣された彼の側近、名目上の大将オーワン・コリントが、傭兵隊長たちが眺める。
 彼らは普段は州の到る所におり、ヴェッキョからの命令をこなす餓狼《がろう》たちだ。

 文官であるオーワンとしては、彼らと一緒にいることそのものが耐えられなかった。
 緊張と恐怖で逃げ出したかった。
 だが、逃げ出せば、それこそヴェッキヨによって家族をまとめて殺されるのは分かりきっている。

 最初こそ反乱軍への恐怖感があったが、こうして向かい会えば明らかにこちらの方が数に優れている――それが、オーワンに多少なり、気持ちの余裕を持たせていた。

 オーワンは咳払いをし、傭兵隊長たちを見渡す。
「では、これより作戦会議を置こう……。
一気に敵を包み込んで倒す……というのはどうか」

 ところどころからせせら笑いが漏れた。

 オーワンの副長を務める、ハゲ頭に隻眼の傭兵隊長、“鉄の爪牙《てつのそうが》団”、コルジェリ・ビュントゥフは言う。
「オーワン殿。戦は我々にお任せ頂きたい」

「だが、私はヴェッキョ様からの命令を受け……」

 早口になるオーワンを、コルジェリが鷹揚《おうよう》に宥《なだ》める。

 オーワンはその生意気な態度に舌打ちをしそうになった。
(傭兵風情がっ)

「それは形ばかりのこと。
それに、あなたは一人の兵も連れてきてはいないではないか。
戦うのは我々の兵隊だ。つまり作戦は我々が決める」

「し、しかし」

「敵勢の右翼をご覧あれ。
明らかに敵の兵が中央、左翼に比べ、数が少ない。
たかが頭を数を揃えただけの農民風情の浅知恵、と言ったところです。
多少、戦を囓《かじ》った奴はおるのでしょう。
そいつは中央軍の増強に右翼の兵を遣《つか》ったのですよ。
中央を抜かれてしまえば、陣形は維持できない。
だが、そこにつけいる。
我々は全力をもって右翼を攻撃する。
右翼が崩壊すれば、あとは数に任せて包囲する……。
そちらの方が正面切ってぶつかりあうより効率が良い。
夕方までにはヴェッキョ様に戦勝のご報告が出来る事でしょう」

 傭兵隊長がオーワンの浅知恵を嘲《あざけ》るようににやつく。
 オーワンは自分の矜持《きょうじ》が次々と傷つけられていくのを実感しないわけにはいかなかった。

 しかし反論することなど出来る訳もない。

 目を伏せる。
「……では、コルジェリ殿。お任せ致します」

 コルジェリは叫ぶ。
「皆の衆、さあ、戦だ!
相手はヴェッキョ司祭様に逆らう愚かな異端《いたん》共だ!
連中を皆殺しにし、連中の村を焼き、女を犯し、楽しもうではないかっ!」

 オオーッ!
 傭兵隊長たちが力強くうなずいた。

「数は三千もあれば良いだろう。誰か。報奨金が欲しい奴はっ!?」
ほぼ全員が手を上げる。

「よしよし。では、各隊から適当な人間を選び、あたろう。
そうすれば、全員、恨みっこ無し? どうだ?」

「いいぞっ!」
「よーし、それで行こう!」
「なははは。久しぶりの戦だっ!」

 その時、角笛が響き渡る。

 すわ突撃かとコルジェリたちが本営から出ると、敵軍から虹色の旗と同時に、王冠に剣と盾――アリエミール王家の紋章を描いた旗が立ち上がった。
 その旗は大きく、遠目からでも分かる。

 傭兵集団がざわめく。

 コルジェリは制する。
「慌てるなっ!
あんなのは虚仮威《こけおど》しだ! あいつらは烏合《うごう》の衆っ!
農民風情が、俺たちをおどそうとしているだけだっ!
いくぞぉっ!」

 ヴァラーノ軍は動き始めた。

                   ※※※※※

 かかげられたアリエミール王家の紋章に兵達はざわめく。
 そんなものは冗談でもかかげれば処罰されるような代物だったからだ。
 一般民衆は分からないが、騎士たちは違う。
 それでも何故、王家の旗が、という考えが全員にあるだろう。

 ロミオは馬を進め、将兵たちに告げる。
「私はロミオ・ド・アリエミール。
アリエミール王国の国王です。
訳あって王都を逐《お》われる身となりましたが、ファインツの人々の苦境を知り、共に戦いたいと決意いたし、ここにいます。
私は皆さんと共にありますっ!
彼らはこれまでこの州の人々に数多《あまた》の災厄《さいやく》をもたらした傭兵……。
ともに彼らを討ち、オルンヅへ入城しましょうっ!!」

 ここで、事前に打ち合わせていた通り、トリンピスやエリキュスが馬を下り、片膝を折って、深々と頭を垂れた。
 他の騎士たちやその従者もそれに倣《なら》う。

 それが庶民にとっては証明になる。
 ロミオはただの青年ではなく、騎士をひざまずかせる身分なのだと。

 ワアアアアアア!!
 そうして膨れあがった高揚感は爆発し、歓喜に変わる。

 そして敵軍に動きがあるという報告が上がった。

 剣を抜く者、槍をしごく者、馬上で身構える者。
 数多《あまた》の人々が今、立ち向かう――。 
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