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第三部 王国動乱~逃避行編

第十八話 圧政に苦しむ州・ファインツ~怯(おび)えた少女

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 名工の手と思われる、細かな装飾の入った家具で統一された室内。
 壁には遠方より買い求めた絵画が何枚も飾られている。
 風景画、人物画、歴史の場面を描いたもの……等々。

 大貴族といえども、これほどの品に囲まれることはないだろう逸品に囲まれている部屋の主《あるじ》は、司祭の待とう儀礼服をまといつつ、手と唇をテカテカと脂で光らせながら、肉を貪り、酒で流し込んでいる。

 この部屋の主の名は、ヴェッキヨ・ド・ヴァラーノ。
 
 王国領南西部にあるファインツ州の領主にして、神星教団の有力な司教座――教区の中心になる星堂――で司祭を務める。

 州都・オルンヅを中心とする、ファインツ州は代々、ヴァラーノ一族が治め、ヴェッキョは伯爵であると同時に、教団幹部でもあった。

 そこまでの力を持つに至ったのは、やはりファインツが王国の中でも屈指の穀倉《こくそう》地帯であり、豊かな場所だからだ。
 そこから吸い上げた富を、聖俗両界《せいぞくりょうかい》にばらまき、ヴァラーノ家は力を手に入れてきた。
 だが、そのヴァラーノ一族――その中でも、当主のヴェッキョの素行は最悪に等しい。
 王国からも教団からも鼻つまみ者として通っているほどだ。

 だが王国も教団もヴァラーノには触れない。
 富さえもたらされれば、と黙認しているのが現状である。

 よって、ファインはヴェッキヨの王国と言って良かった。
 宮殿では毎夜、酒池肉林の舞台が行われ、誰もがヴェッキョに傅《かしづ》く。

 そしてそんな彼が肥《こ》えた身体を揺らし、宴会場ではなく、自室にいるのかと言えば、ついさっきまで、サン・シグレイヤスからやってきた使者と面会していたからである。

 内容は、逃げ出した前王――すでに王位は剥奪されている――ロミオたち一行を捜索し、捕縛せよ、というものだった。

 この使者が何故きたかと言えば、ヴェッキョは領地内をうろつくロミオを捜索する王国兵や星騎士団をことごとく追い出していたからだ。

 もし彼らが権力を盾に逆らうのならば、ヴェッキョは容赦なく彼らに軍勢を突きつけ、無理矢理に撤退させていた。
 ここはヴェッキョの王国。
 そこに無断に足を踏み入れることなど、神をも怖れぬ所業と言って良かった。

 側近が恐る恐る尋ねる。
「ヴェッキョ様。いかがいたしましょう。
傭兵どもに申しつけ、捜索を……」

「放っておけ」

「ビネーロ枢機卿《すうききょう》名義のお達しでございますっ!
さすがにこれを無視するのは」

 ヴェッキヨはしつこいと言わんばかりに、テーブルを拳でたたいた。
 食器がカチャッと騒がしい音を立てた。

「そんなものは関係無い!
この領地にいる限り、私は神に等しく、王権をも凌駕《りょうが》するのだからなっ!」

「しかしながら今度の遣いはこれまでとは違います。
このように頻繁に使者を寄越すということは、彼らも本気では……」

 ヴェッキョは不満たらたらで鼻を鳴らす。
「では、探すとだけ伝えておけ。
捜索は私の兵だけで、十分だ。境界線においてある目障りな王国兵や教団の私兵どもは追い返せ。
そんなことより、逃げ出した女をさっさと見つけ出せ!」

「は、はっ!」
 側近はこれ以上のやりとりは危険だと、頭を下げて退出していく。

「ふん、愚か者の役立たずめっ」
 舌打ちをし、口の中に入っていた肉を酒で流し込んだ。

                   ※※※※※

 デイランたちは村を出た後も、山をかき分け、歩き続けた。
 あの塗り薬のお陰で、ロミオの傷も癒《い》えた。
 それでもロミオやクロヴィスを慮《おもんぱか》って、一日の距離はどうしても抑えがちになってしまう。

 もうそろそろ日が暮れようとしている。
 西日に照らされ、木々に包まれた緑の世界が、真っ赤に濡れる。

 マックスが言うには、このあたりはファインツ州だという。
 そこからさらに州を二つ越えれば、ナフォールである。

 と、そんな最中に物音を聞きつけたのは、リュルブレだ。

「泣き声だ」

 デイランは眉をひそめた。
「泣き声?」

 リュルブレは「こっちだ」と駆ける。
 デイランたちもその後に続く。

 しばらくすると、小さな洞窟が見つけた。
 耳を澄ませれば、確かに、鼻を啜《すす》る音が聞こえた。

「誰かそこにいるのか?」
 デイランは囁く。

 音はぴたりとやんだ。

 デイランの脇を、追いついてきたマックスが小突く。
「いきなり男が呼びかけたら警戒するに決まってるじゃない」

「男かもしれないだろ」

「今のは男じゃないわよ。可愛かったじゃない」

「鼻をすするのに可愛いもへったくれもないだろ」

 マックスには思いっきり呆《あき》れられてしまった。

「もう良いから、どいてて。
私がやるから。
――ねえ誰かいるの? 出てきて、怖くも何ともないわよ?」

 反応はない。

 デイランが溜息まじりに言う。
「怖くも何とも無いって……。
それを本気にすると思うのか?」

「何よそれ。私はどっからどう見たって優しそうじゃない?」

「さっきの猫なで声が余計に、警戒させるんだ」

「……ううう」

 ロミオが弟の背をそっと押す。
「クロヴィス。呼びかけて見て。
お前なら安心するかも知れない」

「分かりました」
 クロヴィスはうなずき、洞窟に向かって呼びかける。
「……だ、誰かいるの?」

 しばらくすると、がさごそと音が聞こえ、一人の少女が姿を見せた。

「嘘っ、出てくるの早い……」
 マックスは若干ショックだったらしい。

 クロヴィスは手を貸した。
「大丈夫!?」

「あ、ありがとう」
 少女はデイランたちを見ると、はっとしてクロヴィスの胸に顔をぐっと押しつけた。

 クロヴィスは少女の背を優しくなでる。
「こんなところでどうしたの? 道に迷ったの?」

 と、リュルブレは唇に手を当て、静かにするよう言う。
「お前ら、洞窟へ隠れていろ。
デイラン。警戒を。
馬に乗った人間が来る。複数だ」

 ロミオやマックスの女・子ども組と、足手まといになるマリオットを洞窟におしこみ、デイランは繁みに、リュルブレは木の上に潜んだ。

 しばらくすると馬に乗った男たちが現れる。
 風体は山賊だ。
 しかし手にしている剣や、跨《また》がっている馬はそこそこ上等なものらしい。

「おい、ガキは見つかったか」
「いいや」
「くそ。このままじゃヴェッキヨ様にまた大目玉をくらっちまうっ!」
「だが、もうすぐ日が暮れるぞ。これ以上は無理だ」
「とにかく帰るぞっ!」

 男たちはぶつくさ言いながら去って行く。
 しばらくして、リュレルブレが下りてきて、「良いぞ」と告げる。

 再び、少女を囲むことになった。

 クロヴィスが話を聞くことになる。
 他の人間ではどうしても口を開いてくれないのだ。

 少女の名前は、フルーナ。
 この地方では、ファインツ州の領主、ヴェッキョに対して近隣の村々の十歳を越えた少女たちは一八歳まで領主の館に奉公に、少年たちは荘園で強制的な労働をさせるという法があった。
 
 フルーナは今十歳で、奉公に上がった。
 しかしある時、お使いの帰りに同じ村の女性たちと共に逃げ出したのだという。
 他の女性たちとは離ればなれになり、少女は山に隠れ、身を隠してたらしい。

 ロミオは憤慨《ふんがい》する。
「そんな法を許した覚えはありませんっ!」

 クロヴィスは兄に静かにするよう言う。
「大きな声は……。
この子が、怯《おび》えてしまいます」

「あ、すまない……」

 デイランはロミオに尋ねる。
「ヴェッキョという領主を知っているのか」

「ええ、よく。
ヴァラーノ伯爵家の当主で、傲岸不遜《ごうがんふそん》が服を着ているような男です。
彼は貴族であると同時に、司祭でもあります。
状況によって貴族の側面を強調したり、司祭の側面を強調したりする、腹黒い奴です。
私は彼が誰かに跪《ひざまづ》いているところを見たことがありません」

 リュルブレはうなずく。
「とんでもない野郎だって言うことは分かった」

 クロヴィスがデイランを仰ぐ。
「デイラン殿。
この子を助けてあげて下さい。力になれることがあるかもしれません」

 デイランはうなずき、周りを見る。
 誰もが同意してうなずく。

「ひとまず、オルンヅへ偵察に行く。
ただし向かうのは、マックスと俺だけだ。
ヴェッキヨがロミオを捜し回っている可能性は十二分にあるからな……。
リュルブレ。みんなを頼む」

「二人で大丈夫なのか?」

「こういう荒事は、俺達の得意分野だ」

 マックスはおどけて、ウィンクをする。
「そうよ。闇社会にどっぷりつかっていながら成人できる人間がどれだけいると思う?」

 デイランはリュルブレに耳打ちをする。
「俺たちが明日の日没までに戻らなければ、ここを離れてナフォールへ。
ロミオのこと、頼んだぞ」

 リュルブレはうなずく。
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