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第三部 王国動乱 編

第一話 星室議会~“少年王”の謀

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 星室議会にて、ロミオは臨席する。
 この会議にロミオが出席したのは初めてのことだ。

 星室議会が開かれる場所は宮廷内において、比較的新しい建物だ。
 星室議会が発足したのは今から百年ほど前のことだ。
 名前の由来は、議場の天井に巨大な星形五角形が描かれていることにちなんでいる。
 この星は、アルス神星教団の象徴として用いられている。
 五つの角に五人の守護聖人が座し、全ての人間族の祖と言われているアルスが中央に座するという意味だ。
 この紋章の下にある者は命を永劫《えいごう》の繁栄を得《う》ると言われている。

 大事なのは、王の棲《す》まう宮殿にはそれが用いられていない、ということだ。

 何故か。
 アルス神星教団が力を持ち始めたのはここ二百年余りのことであり、
宮殿内の建物の多くが建国当時に立てられたものだった。

 当初、神星教団は王に臣従する存在だった。
 王が全ての人間族を統《す》べる理由を理論付け、それを文字の読めない民衆に広めるという活動を行う、宣伝機関だった。
 理屈はこうだ。

“全ての人類の祖であるアルスの御霊《みたま》が、エルフやドワーフなどの蛮族《ばんぞく》に穢《けが》された土地で、彼らの前に膝を屈していた人類の前に降り立った。

 アルスは助けを求める人間たちの中から一人の少年を選び、彼に決して傷つかぬ鋼の肉体、大岩さえも砕《くだ》く剛力《ごうりき》、全てを見通す知恵を授《さず》けた。

 この少年こそ、アリエミール王国建国の祖である。
 彼はアルスより闇を払う剣を、守護聖人たちから盾や具足を賜《たまわ》り、穢れた土地を征し、苦しみ喘いでいた人間たちに光を与えた――というものである。”

 それがいつしか立場が逆転してしまったのだ。

 大きな理由の一つは王権の弱体化だ。
 王が若くして亡くなり、幼い王が続いた。
 それと同時に、数代前に分家を立てた王族の血を引く貴族たちが台頭し、王に変わって強大な権力を振るうようになった。

 彼らは教団に対してこぞって土地の寄進を行い、“徳”があることを内外に示した。
 宰相や各大臣職などに就くたびに、お礼として教団に土地や金銀を次々と寄進した。

 教団は広大な土地を基盤として急激に力を持ち始め、それは王家をもしのぎ、やがて王家から独立するに到った。
 今や王都の南東部にある都市――アルスが追い詰められた人間族の前に降り立ったと言われる土地に立つ街――サン・シグレイヤスに本拠を置く、独立国家を称するまでになった。
 それも王国の中枢との太い繋がりを保持したまま、だ。
 さらに王国内の大都市を始め、人口が数十人ほどの小さな村にさえ星堂《せいどう》と言う祈祷《きとう》施設を作り、王国の全ての人々から篤《あつ》い信仰を得た。
 教団は大貴族の心は元より、民衆の心まで掴むに到り、教団は大貴族とつるんで、次代の王位継承者を決めるまでに政治的介入を強めた。
 王はの前に膝を屈っさざるをえなかった。

 中には教団打倒を叫んだ王もいたが、大貴族たちからそっぽを向かれ、どれも成就することなく、幽閉される命運を辿《たど》るばかりであった。
 
 そして王位継承者を決める為の会議こそ、この星室議会の始まりである。
 初めこそ王が崩御《ほうぎょ》された時に開かれるものだったが、やがて常設されることになり、国政をも牛耳ることになった。
 列席者は、宰相や各大臣を初めとする大貴族、そして教団幹部である。
 ここで決められたことが国の方針、勅命の原題になる。
 そして王は後から、会議の結果のみを知らされ、御名御璽《ぎょめいぎょじ》を求められる。

 歴代の王たちはこの議会に出席したことはほどんどない。
 ここに出席すれば、いかに王という立場が弱いものかをこれでもかと思い知らされてしまうからだ。

                  ※※※※※

 ロミオ・ド・アリエミールの臨席に、その場の誰もが瞠目《どうもく》し、言葉に詰まったのだ。

 ロミオは会議室を見回す。
 議場には円卓が置かれ、そこに列席者が座っている。
 総勢十人。
 そのうち三人が教団幹部であり、残りが名門貴族のお歴々。
 ここがこの国の中枢である。

 この会議室には玉座はなかった。
 あらゆる施設に玉座はあるべきだった。
 いつ何時、君主が現れるかもしれないのだから。
 宮廷内は元より、劇場、軍施設、果ては広場にまで。
 それだけとっても、この場所が王の存在を全く無視して作られたということが分かる。

 議長役を務めるルードヴィッヒ・ド・アリエミールは目を剥く。
「……へ、陛下。どうしてこちらに?」

「来てはいけなかったか?」

「いえっ!」

 その場の誰もが唖然《あぜん》としていた。

 ロミオに従っていた、マリオットが面々を見回して言う。
「諸卿《しょけい》。
陛下の御前《おんまえ》なりますぞ。どうして着座されたままなのか」

 はっとした列席者たちは慌てて立ち上がった。
 広い議場に、

「本来であれば、私のこの場への出席は慣例から外れ、皆《みな》の頭の上よりものを言うようで申し訳ないのだが」

 ルードヴィッヒは引き攣《つ》れた笑顔を浮かべる。
「いえ、そのような決してございません。
陛下の臨席を仰ぎ、恐悦至極に存じ奉ります……」

「そうか。
ではこれからもたびたび、参っても良いのか?」

「無論でございますか。
我々に許可など要るはずがございません」

「そうか。それは嬉しいことを聞いた……。
だが、日頃より皆が王国に思いを巡らしてくれることを信じている故、
頻繁に足を向ける必要はないと思っている。
しかし今回は我が国の命運に関わる問題であるが故に、こうして来た次第だ」

「問題……ですか。それは」

「無論、帝国とのことだ。
運良く我が国は帝国の侵略をぎりぎりのところで踏みとどまっている。
だが彼《か》の国は巨大だ。
それに対抗する為には我が国も」

 列席者は口々に言う。
「我が国はアルスに守られております」
「左様でございます。帝国ごとき何を怖れることが……」

 ロミオは宥《なだ》める。
「分かっているとも。
アルスとそれに仕える守護聖人のご加護があれば、怖れることはない。
しかし過ちはただされるべきだ」

「過ち、とは?」

「昨今、我が国の税収が非常に下がっている。
これは帝国との戦いにおいて、非常に由々《ゆゆ》しき事態だと思う。
問題の根幹は、有力な地方の地主が税金を逃れる為に、有力な貴族や星堂に己の土地を寄進することだ。
星堂や貴族名義の土地からは税金は取れない。
だがこれでは王家は先細るばかり。
そればかりではない。この国に棲まう民は全て王家が保護するべきものである。
その土地も同様。
しかし貧窮《ひんきゅう》にあえぐ民から借金のかたとして土地が奪われるという事例もあると聞く。これは国法に反することであるが、公然と行われている。
さらにその土地も貴族や星堂の名義に書き換えられて手が出せないことも多々ある。
予としてはそのように国法に反するものは元より、税金逃れの目的で寄進した土地の全てをしっかりと調査し、区分けし、必要があれば返還させる」

 ルードヴィッヒはうなずく。
「ではすぐに地方への調査を命令します」

「いや。寄進される貴族の中には国政の立場にいる貴族もいると聞く。
それだけの大貴族を相手に地方の行政官では骨が折れるだろう。
中央より役人を派遣し、綿密《めんみつ》な土地の調査を行う。
そして少しでも違法な面が見つかった場合には、速やかに土地を元の持ち主、ないし、その民が所属している村に返還するようしたい。
……アルベリ大司祭様、コール大司祭様、ケインツ大司祭様」

 三人の教団関係者は揃《そろ》って立ち上がった。
「はっ……」

「教団としても民の手より奪われた土地を星堂が持つことは、本意《ほい》ではないと思いますが、いかがでしょうか」

 三人を代表してアルベリ大司祭が答える。
「も、もちろんです。陛下。
陛下のお慈悲に民は喜ぶでしょう。
教団としても調査をしたく存じます」

 残りの二人もうなずく。

「ありとう存じます。
教団にはまた後日改めて、我が王領の一部を寄進させて戴《いただ》きます故、どうか、教皇猊下《げいか》にはよろしくお伝え下さい」

 三人は頭を下げる。
「それは畏《おそ》れ多きこと……。
猊下もお喜びのことと存じます」

「無論、儀式には色々と入り用もございますでしょう。
是非、そちらの資金の方は王家が奉納させて頂きます」

「ありがたきお言葉でございます……」

 ルードヴィッヒは恐る恐る尋ねる。
「陛下、以上で……?」

「いや、もう一つ。
徴税人に関するものだ。これは、昔より幾度となく起きている一揆《いっき》の問題にも通じると予は考えている。
地方領主などから任命された徴税人の中には定められるよりも多くの税を取り、領主には定められた税を、残りを着服し私腹を肥やすものがいると聞く。
それらの人間たちの中には官位を買っている事例もある。
これも合わせて調査し、必要があれば摘発する。
この徴税人の貴族や地方聖堂が結託ししているのならば、王国の根幹を揺るがす事態だ」

「ではそのことについて速やかに討議をいたし……」

「では頼む」

「陛下はお部屋へ……」

「討議を聞かせてもらう。採決まで見届けたい」

「陛下。他にも議題はございます……」

「分かっている。しかしこれは非常に重大なことだ。
そうだろう、ルードヴィッヒ」

「無論でございます」

「すぐにでも始めたい。
夜が更けても構わない。予はここで待とう」

 と、列席者の貴族の一人が立ち上がる。
「宮宰閣下。
陛下仰せに成られた全くもってその通りと存じます」

 それに賛同するように他の列席者も声を上げ、
司祭達も「我々も陛下の意思を諸邦へ速やかに伝えるべきと考えます」と言った。

 実は宮宰を除く全員にはすでに、マリオットを通じて手を回していたのだ。
 彼らはすぐにのってきた。
 というのは帝国の攻撃に完敗を喫し、何も手を打てない状況で、事実上の王国の司令塔として君臨していた宮宰、ルードヴィッヒへの他貴族たちからの批判がかなり高まっていたのだ。
 そして宮宰と共に、最高権力者の一人として目されている、この星室議会の一員にもまた責任があると思われている。
 彼らは一刻も早く泥舟から逃げる方法を模索し、そして、ロミオが差し出した手にしがみついたのである。
 王の権力が弱まっていたからこそ王への批判にならなかった。
 皮肉な話しである。

 司祭たちには特に手を回してはいないが、どれほど享楽《きょうらく》に溺《おぼ》れ、世俗《せぞく》の垢《あか》にまみれていようとも、彼らの外面《そとづら》を繕《つくろ》う作法は最早、国宝級であり、道理を訴えれば反対には回らないと考えていた。
 それに、王家から直接儀式の分担金を出すことで一定の影響力を教団に持つことにもなる。
 無論その時には欲の皮の突っ張った教団の責任者へ、ある程度の鼻薬《はなすぐり》は嗅がせるつもりだ。

 つまり、ルードヴィッヒは完全に孤立したのである。

 ルードヴィッヒは石が喉《のど》に詰まったように、言葉を発さない。

 ロミオはその背を押すように声を放つ。
「ルードヴィッヒ、採決を」

 するとようやく一言、絞り出した。
「は……」

 しかし彼が採決の声を上げるよりも早く、貴族や司祭たちは大きく手を上げていた。

「皆の明察《めいさつ》、痛み入る。
では会議を続けてれたまえ」
 ロミオは満面の笑みを浮かべ、踵《きびす》を返して、議場を出た。

 だが、心の中でロミオは覚悟を決めていた。

 この場は済んだ。
 しかし本当の正念場はここでの決定が全国の貴族、そして教団に届いてから、である。

 彼らはたとえ王国の屋台骨が外敵によって揺るがされても尚、屍肉《しにく》に首を突っ込んで、貪り続ける意地汚いケダモノである。

 凪《な》いだ水面に起こった波紋はまだまだこれから、だ。
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