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第五部 王国統一 編

第二十話 疑心暗鬼

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 草原に黒煙が上がる。
 異端者への処罰はすみやかに行われた。
 騎士たちは灰を樽《たる》へ押し込み、フタをし、釘を打った。

 道具はすでに揃っていたことから、この地でそのおぞましい行為を最初から予定してのことだったのだろう。

 作業を監督するハイメに、コンラッドは声をかける。
「ハイメ。
これから我が軍は街へと向かう。
戦いは無論あるだろうが、降伏してくる者もいるはずだ。
その者たちを異端だからと妄《みだ》りに殺せば、誰も降伏しなくなる。
それではいたずらに抵抗を煽るだけだ」

 すると、ハイメは「勘違いなさらないで下さい」と静かに告げた。
「私は人を殺して喜んでいる訳ではないのです。
死者は異端のまま死んだ。
だからこそ、この、処理なのです。
無論、生者《せいじゃ》には後悔も、懺悔《ざんげ》もする機会は与えます。
神《アルス》を信仰する者の命をいたずらに奪うこは本意ではありませんから」

「……そういうことなら、分かった」

 作業が終わると、すみやかにコンラッドは軍を進めた。
 太陽は中天をいくらか過ぎている。

 ここ半月、曇り空はほとんどなかった。

 前回はキャスリーの街を見ることなくこの地を離れたが、今はしっかりと、その城壁を臨《のぞ》める。

 コンラッドは使者を遣《つか》わした。
 降伏を受け容《い》れられなければ戦である、と。

 抵抗は元より覚悟の上だった。

 ――が。
 キャスリーの街はあっさりと降伏を受け容れた。

 コンラッドたちがそれでも用心を重ねながら街に入ると、人々がひざまずき、コンラッドたちを迎え入れた。

「騎士様、よくぞ、来て下さいました!」
 街の顔役と思しき中年の男がそう声を上げた。

 騎士というのはコンラッドではなく、ハイメたち星騎士たちのことだろう。

「我々はロミオたちを怖れ、従わざるをえないことを余儀なくされていました!
騎士団様がいらっしゃられたことは、まさしく神の思し召しと……」

 ハイメはうなずく。
「さぞ、苦しかったであろう。
我々が来れば、もう心配は無用だ。もはや、圧政に喘《あえ》ぐ必要はない」

「ありがとうございます!」

 人々は「騎士様ぁ!」と拝み出す。

 コンラッドは、人々を見回す。
「お前たちだけか?
ここを守備している兵士たちは?」

「みな、あなた方様の軍の多さに、尻尾を巻いて逃げだしました」

 コンラッドは眉間にしわを寄せた。
「逃げただと?
誠か?」

「はい」

(逃げただと?
本当にそんなことが……?)

 一ヶ月前は策があったからこそ、こちらと当たることができた。
 もちろん同じ手が通じるとは思わなかったのだろう。

(だから、逃げた?)
 腑《ふ》に落ちない。
 あそこまで大胆不敵な行動を取る指揮官を擁《よう》する軍が、何もしないまま引くとは。
 しかし、事実は逃げたことを指し示していた。

「急ぎ、宿の支度をします。
長旅でさぞ、お疲れでしょう。
酒や食い物も用意してございます!」

 コンラッドは首を横に振った。
「いや、先を急ぐ」

 しかし本心を言えば、それだけではない。
 まだ目の前の人々に対する疑念は払拭《ふっしょく》しきれていなかった。

 どこかであの騎馬隊が控えて、コンラッドたちのことを監視しているかもしれない。
 心を許せば、寝首を掻《か》かれる。

 ハイメも断った。
「気持ちは嬉しいが、我々は急がなければならない。
異端者ロミオを討つという使命がある。
もしもてなす気持ちがあるのならば、それは星殿《せいでん》への浄財という形にしてほしい」

 コンラッドは街の責任者に言う。
「我々は無辜《むこ》の民を殺す気はない。
それ故、誰か他の街の人々を説得できる人間を欲しいが……」

「では、俺が」

 名乗りを上げたのは二十代くらいの若い男だった。
 肩幅が広く、がっしりとして、片眼が潰れている。
 肌は日に焼け、浅黒い。

(軍人か?)
「お前は?」

「はい。ザルックと言います」

「なら、お前に頼もう」

「はいっ!」
 ザルックという青年は満面の笑みでうなずく。

「では、我々は」

 コンラッドたちの姿が見えなくなるまで、人々は深々と頭を下げた。

(この呆気なさは何だ……?)
 コンラッドは不可解さに襲われていた。

 少し後ろを、ザルックが馬にまたがる。
 馬は貸し与えた。

「ザルック」
 コンラッドが呼びかけると、ザルックが馬を並べた。

「はい」

「馬に乗り慣れているようだな」

「田舎ですからね。
馬は大切な足ですよ」

「……お前、体格が良いな。
兵士でもやっていたのか?」

「いいえ」

「隠すことはないぞ。
ロミオたちに無理強いされて兵士として取り立てられたとしても、それを罪に問うたりはしない」

「俺は木樵《きこり》なんですよ。
身体が資本ですから」

「なら、その目は?」

「前の領主、ヴェッキヨの元で働いていた時に……奴の部下に」

 確かにヴェッキヨは幼い少年少女を強制労働させていたのだ。
 その多くが死に、
 王国はそれを見て見ぬ振りをしてきた。

「……すまない。余計なことを聞いてしまった」

「いえ、良いんです。
あいつもういませんから」

「ならば、圧政者を倒したロミオたちの存在は救いだったのではないか?
なぜ、こうも易々と背《そむ》ける?」

「ロミオは俺たちの心に踏み込んできたんです」

「……どういうことだ」

「連中は教団に従う必要は無いと命令を出したんです。
教皇様を否定し、自分たちが星殿を管理するのだと……そんなの、許せません。
俺だけじゃない。街のみんなや、兵士たちも、です!」
 と、ザルックは熱くなってしまったことを恥じいるように俯《うつむ》いた。
「す、すみません……っ」

「――ザルック。
君の判断は間違っていない」
 馬を寄せてきたのは、ハイメだった。

「本当ですか?」

「ああ、私が保証しよう。
神《アルス》は異端者の力に抗う人々を決して見捨てはしない。
我々に尽くすことは、教団への奉仕である。
神もきっと見守っていてくださる。
異端者を一人殺せば、その分、お前の犯して過ちは浄化されるであろう。
異端者の血が、お前を神の信奉者へ戻る道しるべとなる」

 ザルックは明るい顔でうなずく。
「はいっ!」

 二人の会話に、コンラッドは胸くその悪さを感じた。
 教団の信者たちにとって戦争は、己の信仰心を示す絶好の場なのだ。
 それは騎士とは相容れない価値観だ。
 まさに異界の考え。

 それからファインツ西部の街や村に降伏の使者を送った。
 ザルックが使者と共に向かったということもあるのだが、あまりにもあっさりと、何ら抵抗もなくどの街や村も降伏した。

 喜ぶべきことであるはずなのに、ザルックの胸で芽生えたモヤモヤはいうまでも消えることがなかった。
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