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第五部 王国統一 編
第十三話 キャスリーの戦い(3)
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フリードリッヒは、帝国本陣に向かった軍勢を遠目にしながら、苛立《いらだ》ちに声を上げた。
「一体、なにをグズグズしているっ!
まだ帝国軍を打ち倒せていないのかっ!?」
コンラッドからの伝令はたびたび姿を見せた。
帝国軍は指揮官みずから先頭に立ち、果敢《かかん》に攻め、王国軍との数の差を埋めて、寄せ付けないという。
数で言えば、帝国軍とはおおよそ数千の開きがあるはずだ。
フリードリッヒの胸で渦巻いているのは、焦燥《しょうそう》だ。
自分は帝国に牙を剥いた。
その判断に対する不安や、後悔がひたひたと迫り、手足の先を冷たくする。
全てを葬らなければ、己の判断も何も全てが間違っているかのような気持ちだった。
「――そんなに苛立ってるなら、あんたも帝国軍に攻めれば良い。
報告に苛立ってるだけなんて……怖いの?」
振り返る。
マックスは縛られたまま、笑っている。
切れた額から流れている血は固まってはいるが、拭《ぬぐ》われずに残っている。
それが妙な凄《すご》みを見せていた。
「黙れ、女狐《めぎつね》ッ!」
剣を抜き、マックスの喉元に突きつけた。
「貴様の頼みとする味方はすでに帝国兵もろとも、我が軍の包囲下だ。
今頃、一人残らず死んでいるさ!」
マックスはせせら笑う。
「そんなことにはならない。
デイランはあんたたちなんかに負けない。
包囲を突破し、あんたの首を落とすわ」
「口の減らない女だ!」
柄で殴りつけようとしたその時、物見の兵が入っている。
「申し上げます!」
「何だ!」
「部隊が我が方へ近づいて参りますっ!」
「味方かっ!」
「い、いえ、まだ遠くで分からず……」
「デイランよ」
フリードリッヒは無視して、陣地を出た。
混戦状態にある戦場から土煙の筋がこちらへまっすぐ伸びてきている。
騎馬隊が、歩兵隊と足並みを合わせて接近している。
その動きの良さに、フリードリッヒは息をのんだ。
「全軍、急ぎ支度《したく》をせよ!
敵襲だっ!」
フリードリッヒは本陣を守る、二千の麾下《きか》に命じた。
※※※※※
敵本陣から騎馬隊や歩兵が出てくる。
本陣の慌ただしさは遠目からでもはっきり見えた。
敵はデイランたちを敵か味方か判断するのが遅れた。
デイランたちの方が先んじていた。
本陣より出てきた騎馬隊とぶつかる。
矢を飛ばし、ぶつかる直前に前衛を崩し、後続を巻き込ませ、動きを鈍らせた。
そして味方歩兵部隊とぶつかりあう、敵歩兵の側面に突撃する。
これまで万の数を相手にしてきた圧力とは比べものにならないくらい小さく、敵は脆《もろ》い。
だが、デイランたちの兵もここまで駆け通しで疲労困憊《ひろうこんぱい》である。
どうしても動きも鈍くならざるをえないし、馬の勢いも翳《かげ》りがある。
ここで足を止める訳にはいかない。
デイランは駆けた。
ほとんど単騎で押し包まれそうになりながらも、剣と矢で退ける。
「お前ら、ここが正念場だ! 突き進めっ!」
向かってくる騎馬将校の馬を射倒し、声を荒げる。
そこに矢雨が降り注ぐ。
味方ではない。
敵の頭上に。
(何だ1?)
その方向を見ると、騎馬隊が突撃してきた。
その先頭を行くのは、アウル。
鉄棒を振り回し、まとわりつこうとする王国騎馬隊を薙《な》ぎ払い、乱入してくる。
言葉を交わさない。
目だけが一瞬合った。
矢の雨で敵勢は大いに乱れ、突撃で敵は背中を見せていた。
デイランは膂力《りょりょく》に力をため、馬を加速させ、背中を見せて逃げ惑う兵士に突っ込んだ。
最後の力を振り絞るようにデイラン麾下《きか》の騎馬隊が敵兵の壁をこじ開け、背後を衝《つ》かれぬよう歩兵がしっかり固める。
開かれた道の先――敵勢の最後尾に、数人の護衛に守られた男がいた。
雑兵とは鎧の輝きが違う。
護衛がほぼ、突出する感じになったデイランに向かってくる。
一人を斬り上げ、一人の剣先を交わし、蹴りつけて馬から落とした。
将は逃げず、剣を抜く。
デイランよりも二回りほども年嵩《としかさ》であろう男だった。
相手の剣が閃《ひらめ》く。
受け止める。
その剣撃の重みに、かすかに腕が痺れた。
しかし、それをはねのける。
互いに距離を取る。
男の顔は蒼白だった。
しかし目が正気とも思えぬほどにギラつき、狂気を感じさせる。
「はっ!」
デイランは馬腹を蹴り、駆け出す。
相手もほぼ同時。
馳《は》せ違う。
デイランのふるった剣筋が相手の剣を握っていた右腕をはね飛ばした。
デイランは馬首を返す。
大将はぐらりと揺れてそのまま馬から落ちた。
「敵将、討ち取ったり!」
デイランは誰よりも先んじて声を上げた。
本当に死んだかどうかは重要ではない。
大将が馬から落ちた。
敵兵たちからすれば、それが全てなのだ。
軍勢が崩れた。
デイランたちに背中を見せ、逃げ出していく。
追撃はアウルに任せ、デイランは幕舎の建てられた本陣に割って入る。
「マックス! マックスっ!」
馬を下り、神星王国軍の旗のある幕舎に入る。
そこは大将の居住空間だ。
そこに、女性がいた。
顔を上げる。
「……デイラン」
「マックス!」
その顔は汚れていた。
すでに乾いているが、血だ。
そして所々に青痣《あおあざ》が出来ていた。
デイランはマックスを抱きしめていた。
「お前のお陰だ」
「当然でしょう」
マックスはかすかに笑いの混じった声で呟く。
その瞳にある不適さは健在だ。
マックスはデイランの腕の中にがっくりとうな垂れた。
「マックス!?」
脈を診《み》ると、しっかりしていた。
気絶しただけのようだ。
※※※※※
コンラッドは前線に飛び出し、督戦《とくせん》する。
「押せ! 押せぇ!
帝国軍の喉元を切り裂けッ!」
数は優位に立っているはずなのに、まるで壁にぶつかっているように敵は硬い。
押し込んでも、別の方面で押し込まれ、全体的に下がらざるをえない。
敵大将――アンドレアスは見える距離にいる。
にもかかわらず、剣先が届かなかった。
馬を操り、何度もぶつかろうとするが、そのたびに、アンドレアスの副官が率いる騎馬隊に邪魔をされて容易に、歩兵に肉迫出来なかった。
それでも押し合いを続ければ、数の優位はじわじわと響く。
一所《ひとところ》を決壊させれば、戦場は動くはずだ。
蟻《あり》の一穴《いっけつ》を開けるために、コンラッドは、自ら先頭に立ち、果敢に挑んだ。
「申し上げますっ!」
何度目かに騎馬同士の戦いを分け、下がった時、伝令が走る。
「何だ、こんな時にっ!」
「本陣が燃えておりますっ!」
馬首を返す。
本陣の方から黒煙が昇っていた。
そして平原で、敵勢を包囲していた味方は半ば敗走していた。
「将軍は!?」
「わ、分かりません……」
もはや戦線を維持することは困難だ。
コンラッドはすぐに頭を切り換えた。
部下を一人でも多く逃す。
「我が軍が殿《しんがり》を務めるっ!
味方を討たせるなっ!」
コンラッドは叫んだ。
「一体、なにをグズグズしているっ!
まだ帝国軍を打ち倒せていないのかっ!?」
コンラッドからの伝令はたびたび姿を見せた。
帝国軍は指揮官みずから先頭に立ち、果敢《かかん》に攻め、王国軍との数の差を埋めて、寄せ付けないという。
数で言えば、帝国軍とはおおよそ数千の開きがあるはずだ。
フリードリッヒの胸で渦巻いているのは、焦燥《しょうそう》だ。
自分は帝国に牙を剥いた。
その判断に対する不安や、後悔がひたひたと迫り、手足の先を冷たくする。
全てを葬らなければ、己の判断も何も全てが間違っているかのような気持ちだった。
「――そんなに苛立ってるなら、あんたも帝国軍に攻めれば良い。
報告に苛立ってるだけなんて……怖いの?」
振り返る。
マックスは縛られたまま、笑っている。
切れた額から流れている血は固まってはいるが、拭《ぬぐ》われずに残っている。
それが妙な凄《すご》みを見せていた。
「黙れ、女狐《めぎつね》ッ!」
剣を抜き、マックスの喉元に突きつけた。
「貴様の頼みとする味方はすでに帝国兵もろとも、我が軍の包囲下だ。
今頃、一人残らず死んでいるさ!」
マックスはせせら笑う。
「そんなことにはならない。
デイランはあんたたちなんかに負けない。
包囲を突破し、あんたの首を落とすわ」
「口の減らない女だ!」
柄で殴りつけようとしたその時、物見の兵が入っている。
「申し上げます!」
「何だ!」
「部隊が我が方へ近づいて参りますっ!」
「味方かっ!」
「い、いえ、まだ遠くで分からず……」
「デイランよ」
フリードリッヒは無視して、陣地を出た。
混戦状態にある戦場から土煙の筋がこちらへまっすぐ伸びてきている。
騎馬隊が、歩兵隊と足並みを合わせて接近している。
その動きの良さに、フリードリッヒは息をのんだ。
「全軍、急ぎ支度《したく》をせよ!
敵襲だっ!」
フリードリッヒは本陣を守る、二千の麾下《きか》に命じた。
※※※※※
敵本陣から騎馬隊や歩兵が出てくる。
本陣の慌ただしさは遠目からでもはっきり見えた。
敵はデイランたちを敵か味方か判断するのが遅れた。
デイランたちの方が先んじていた。
本陣より出てきた騎馬隊とぶつかる。
矢を飛ばし、ぶつかる直前に前衛を崩し、後続を巻き込ませ、動きを鈍らせた。
そして味方歩兵部隊とぶつかりあう、敵歩兵の側面に突撃する。
これまで万の数を相手にしてきた圧力とは比べものにならないくらい小さく、敵は脆《もろ》い。
だが、デイランたちの兵もここまで駆け通しで疲労困憊《ひろうこんぱい》である。
どうしても動きも鈍くならざるをえないし、馬の勢いも翳《かげ》りがある。
ここで足を止める訳にはいかない。
デイランは駆けた。
ほとんど単騎で押し包まれそうになりながらも、剣と矢で退ける。
「お前ら、ここが正念場だ! 突き進めっ!」
向かってくる騎馬将校の馬を射倒し、声を荒げる。
そこに矢雨が降り注ぐ。
味方ではない。
敵の頭上に。
(何だ1?)
その方向を見ると、騎馬隊が突撃してきた。
その先頭を行くのは、アウル。
鉄棒を振り回し、まとわりつこうとする王国騎馬隊を薙《な》ぎ払い、乱入してくる。
言葉を交わさない。
目だけが一瞬合った。
矢の雨で敵勢は大いに乱れ、突撃で敵は背中を見せていた。
デイランは膂力《りょりょく》に力をため、馬を加速させ、背中を見せて逃げ惑う兵士に突っ込んだ。
最後の力を振り絞るようにデイラン麾下《きか》の騎馬隊が敵兵の壁をこじ開け、背後を衝《つ》かれぬよう歩兵がしっかり固める。
開かれた道の先――敵勢の最後尾に、数人の護衛に守られた男がいた。
雑兵とは鎧の輝きが違う。
護衛がほぼ、突出する感じになったデイランに向かってくる。
一人を斬り上げ、一人の剣先を交わし、蹴りつけて馬から落とした。
将は逃げず、剣を抜く。
デイランよりも二回りほども年嵩《としかさ》であろう男だった。
相手の剣が閃《ひらめ》く。
受け止める。
その剣撃の重みに、かすかに腕が痺れた。
しかし、それをはねのける。
互いに距離を取る。
男の顔は蒼白だった。
しかし目が正気とも思えぬほどにギラつき、狂気を感じさせる。
「はっ!」
デイランは馬腹を蹴り、駆け出す。
相手もほぼ同時。
馳《は》せ違う。
デイランのふるった剣筋が相手の剣を握っていた右腕をはね飛ばした。
デイランは馬首を返す。
大将はぐらりと揺れてそのまま馬から落ちた。
「敵将、討ち取ったり!」
デイランは誰よりも先んじて声を上げた。
本当に死んだかどうかは重要ではない。
大将が馬から落ちた。
敵兵たちからすれば、それが全てなのだ。
軍勢が崩れた。
デイランたちに背中を見せ、逃げ出していく。
追撃はアウルに任せ、デイランは幕舎の建てられた本陣に割って入る。
「マックス! マックスっ!」
馬を下り、神星王国軍の旗のある幕舎に入る。
そこは大将の居住空間だ。
そこに、女性がいた。
顔を上げる。
「……デイラン」
「マックス!」
その顔は汚れていた。
すでに乾いているが、血だ。
そして所々に青痣《あおあざ》が出来ていた。
デイランはマックスを抱きしめていた。
「お前のお陰だ」
「当然でしょう」
マックスはかすかに笑いの混じった声で呟く。
その瞳にある不適さは健在だ。
マックスはデイランの腕の中にがっくりとうな垂れた。
「マックス!?」
脈を診《み》ると、しっかりしていた。
気絶しただけのようだ。
※※※※※
コンラッドは前線に飛び出し、督戦《とくせん》する。
「押せ! 押せぇ!
帝国軍の喉元を切り裂けッ!」
数は優位に立っているはずなのに、まるで壁にぶつかっているように敵は硬い。
押し込んでも、別の方面で押し込まれ、全体的に下がらざるをえない。
敵大将――アンドレアスは見える距離にいる。
にもかかわらず、剣先が届かなかった。
馬を操り、何度もぶつかろうとするが、そのたびに、アンドレアスの副官が率いる騎馬隊に邪魔をされて容易に、歩兵に肉迫出来なかった。
それでも押し合いを続ければ、数の優位はじわじわと響く。
一所《ひとところ》を決壊させれば、戦場は動くはずだ。
蟻《あり》の一穴《いっけつ》を開けるために、コンラッドは、自ら先頭に立ち、果敢に挑んだ。
「申し上げますっ!」
何度目かに騎馬同士の戦いを分け、下がった時、伝令が走る。
「何だ、こんな時にっ!」
「本陣が燃えておりますっ!」
馬首を返す。
本陣の方から黒煙が昇っていた。
そして平原で、敵勢を包囲していた味方は半ば敗走していた。
「将軍は!?」
「わ、分かりません……」
もはや戦線を維持することは困難だ。
コンラッドはすぐに頭を切り換えた。
部下を一人でも多く逃す。
「我が軍が殿《しんがり》を務めるっ!
味方を討たせるなっ!」
コンラッドは叫んだ。
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