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10話
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目が覚めると、見知らぬベッドに寝かされていた。
小ぢんまりとした部屋には誰も居らず、とても静かだ。なんでこんなところで寝てるんだ、と思考を巡らせると意識を失う前の記憶がまざまざと蘇ってきた。
あの後、どうなった...?
急いでベッドから下り、腕時計を見るといつも出勤している時間を一時間も過ぎている。そんなに寝ていた事に愕然しつつ、手首に湿布のようなものが貼られている事に気づく。
反対側の手首にも同じように貼られており、端を少し剥がしてみると、手の跡がくっきりと残っていた。
それを目にした途端、感触まで蘇ってしまい、拳をぎゅっと握る。
克服できたと、思っていた。
実際痴漢も平気だった。
それなのに、まだこうも簡単に蘇るのか。
ギリ、と奥歯を噛み締めると、ノック音が控えめに響き、扉が静かに開いた。
多分、俺がまだ寝ているかもしれないと思って気を遣ったのだろう。入ってきたのは佐原だった。
「姫崎さん!よかった....。体調はどうですか?」
吐き気とかありませんか?と続ける佐原の顔を直視することができない。
「あ、ああ.....。迷惑、かけた....」
「迷惑だなんて思ってません。まだ休んでなくて平気ですか?」
あれだけの失態を犯したのに、佐原の態度はまるで変わらない。
「.........なんで、まだそんな顔ができるんだ」
「え...?」
「だって、そうだろ。キツい言い方して遠ざけたのに、こんな失態やらかして。あまつさえあの程度で取り乱して——」
「あの程度だなんて言わないでください!」
大きな声で遮られ、思わず肩が跳ねた。
な、なんで怒ってるんだ。
「....すみません。ですけど、姫崎さんは自分に厳しすぎます」
「は?.....別に、普通だろ」
「いいえ。厳しすぎます。じゃなきゃあの程度なんて言葉は出てこないはずです」
「...でも、実際そうだろ。俺は男だし、刑事だ」
「だからなんです?」
「え...?」
「だから、なんなんですか。誰にだって嫌な事や怖い事はあります。そこに性別や職業なんて関係ありません」
関係、ない...?でも、俺はずっとそう言われてきた。
痴漢やストーカーに遭った際、男でもされるんだな、とか綺麗な顔してるから、などと言われた後に必ずといっていいほど「でも男だからまだよかったな。ダメージそんなないだろ?」と続くのだ。
「もしかして、誰かにそう言われたんですか?」
図星を突かれ、言葉に詰まる。
「被害に遭った事のない人に言われた事なんて、気にしなくていいです」
少し怒気を含んだ言葉は、ストンと胸に落ちてきた。確かにそうだ。むしろなんで俺はそんな言葉を真に受けていたのだろう。
冷静に考えると、多分あの時の俺は、その言葉を支えにしないと立てなかったのだ。傷は浅い、と自分に言い聞かせなければ、きっと今頃ここには居られなかった。
だが、それが時間をかけ、逆に俺の心を蝕んでいたのだ。
なんでこんなことでパニックになるのか、なんでこの程度の事がトラウマになるのか、と。
「それに、昨日の事は全て俺が悪いんです。会ったばかりの俺を信用しろ、なんて無理な話ですから。だから、姫崎さんが悪い事なんてひとつもありません」
.............。......こいつは、バカなのか...?それともただのお人好しか?何であれだけ言われて自分が悪いってなる?何であんな情けない姿を見ても幻滅しない?何で——
「........お前、バカだろ」
「えっ」
「憧れる相手、間違ってる」
佐原は一瞬ぽかんとした表情をして、すぐににっこりと笑った。
「間違えていませんよ」
なぜか心底嬉しそうで、それ以上言うのはやめた。
短い沈黙の最中、控えめなノック音が響く。佐原が扉を開けると駅員が顔を覗かせた。どうやらここは救護室のようだ。
駅員は俺を見ると「良かった、目が覚めたんですね」とほっとして佐原に向き直る。
「先程の三人、搬送先の病院で目が覚めたそうです」
「そうですか。ありがとうございました。もう少しだけ、このお部屋をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「はい。お帰りの際はお声がけください」
「ありがとうございます」
駅員の言葉で、聞かなければいけないことが次々と浮かぶ。こんなことをしている場合ではなかった。
「幽霊はどうなった?そもそもなんでここに——」
「全部話しますから、姫崎さんは座ってください。まだ目が覚めたばかりなんですから」
「いや、もう大丈夫だ。それより早く署に戻らないと」
「駄目です。今後は姫崎さんの"大丈夫"は信用しない事にしたので。それに、神野さんには連絡してありますから」
「なっ....」
「昨日、皆さん仰ってました。姫崎さんは"大丈夫"が口癖だ、と。本当に大丈夫な時もあるだろうけどすぐに無理するから見てやってほしい、とも」
い、いやいやいやいや!俺の居ないところで何勝手な事言ってんの!?別に口癖じゃねえし!見てもらわなくても結構なんだが!....千葉と影山、後でぶん投げる。
「とにかく、部屋ももう少し使うと言ってしまいましたし、せめて説明する間くらいは休んでください」
否定しようと口を開く前に、佐原にそう詰め寄られ、結局その圧に負けてベッドに座った。佐原は隣には座って来ず、扉の近くで立ったままだ。恐らく、気を遣ってくれているのだろう。先程から適度な距離を保ったまま近づこうとすらしない。
正直、ありがたかった。近づくくらいなら問題はないと思うが、もうあんな醜態は晒したくない。
「まず、あの三人ですけど、一人は祓えましたがあとの二人には逃げられました」
気分が悪くなったらすぐに言ってくださいね、と前置きしてからあの時の出来事を話してくれた。
小ぢんまりとした部屋には誰も居らず、とても静かだ。なんでこんなところで寝てるんだ、と思考を巡らせると意識を失う前の記憶がまざまざと蘇ってきた。
あの後、どうなった...?
急いでベッドから下り、腕時計を見るといつも出勤している時間を一時間も過ぎている。そんなに寝ていた事に愕然しつつ、手首に湿布のようなものが貼られている事に気づく。
反対側の手首にも同じように貼られており、端を少し剥がしてみると、手の跡がくっきりと残っていた。
それを目にした途端、感触まで蘇ってしまい、拳をぎゅっと握る。
克服できたと、思っていた。
実際痴漢も平気だった。
それなのに、まだこうも簡単に蘇るのか。
ギリ、と奥歯を噛み締めると、ノック音が控えめに響き、扉が静かに開いた。
多分、俺がまだ寝ているかもしれないと思って気を遣ったのだろう。入ってきたのは佐原だった。
「姫崎さん!よかった....。体調はどうですか?」
吐き気とかありませんか?と続ける佐原の顔を直視することができない。
「あ、ああ.....。迷惑、かけた....」
「迷惑だなんて思ってません。まだ休んでなくて平気ですか?」
あれだけの失態を犯したのに、佐原の態度はまるで変わらない。
「.........なんで、まだそんな顔ができるんだ」
「え...?」
「だって、そうだろ。キツい言い方して遠ざけたのに、こんな失態やらかして。あまつさえあの程度で取り乱して——」
「あの程度だなんて言わないでください!」
大きな声で遮られ、思わず肩が跳ねた。
な、なんで怒ってるんだ。
「....すみません。ですけど、姫崎さんは自分に厳しすぎます」
「は?.....別に、普通だろ」
「いいえ。厳しすぎます。じゃなきゃあの程度なんて言葉は出てこないはずです」
「...でも、実際そうだろ。俺は男だし、刑事だ」
「だからなんです?」
「え...?」
「だから、なんなんですか。誰にだって嫌な事や怖い事はあります。そこに性別や職業なんて関係ありません」
関係、ない...?でも、俺はずっとそう言われてきた。
痴漢やストーカーに遭った際、男でもされるんだな、とか綺麗な顔してるから、などと言われた後に必ずといっていいほど「でも男だからまだよかったな。ダメージそんなないだろ?」と続くのだ。
「もしかして、誰かにそう言われたんですか?」
図星を突かれ、言葉に詰まる。
「被害に遭った事のない人に言われた事なんて、気にしなくていいです」
少し怒気を含んだ言葉は、ストンと胸に落ちてきた。確かにそうだ。むしろなんで俺はそんな言葉を真に受けていたのだろう。
冷静に考えると、多分あの時の俺は、その言葉を支えにしないと立てなかったのだ。傷は浅い、と自分に言い聞かせなければ、きっと今頃ここには居られなかった。
だが、それが時間をかけ、逆に俺の心を蝕んでいたのだ。
なんでこんなことでパニックになるのか、なんでこの程度の事がトラウマになるのか、と。
「それに、昨日の事は全て俺が悪いんです。会ったばかりの俺を信用しろ、なんて無理な話ですから。だから、姫崎さんが悪い事なんてひとつもありません」
.............。......こいつは、バカなのか...?それともただのお人好しか?何であれだけ言われて自分が悪いってなる?何であんな情けない姿を見ても幻滅しない?何で——
「........お前、バカだろ」
「えっ」
「憧れる相手、間違ってる」
佐原は一瞬ぽかんとした表情をして、すぐににっこりと笑った。
「間違えていませんよ」
なぜか心底嬉しそうで、それ以上言うのはやめた。
短い沈黙の最中、控えめなノック音が響く。佐原が扉を開けると駅員が顔を覗かせた。どうやらここは救護室のようだ。
駅員は俺を見ると「良かった、目が覚めたんですね」とほっとして佐原に向き直る。
「先程の三人、搬送先の病院で目が覚めたそうです」
「そうですか。ありがとうございました。もう少しだけ、このお部屋をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「はい。お帰りの際はお声がけください」
「ありがとうございます」
駅員の言葉で、聞かなければいけないことが次々と浮かぶ。こんなことをしている場合ではなかった。
「幽霊はどうなった?そもそもなんでここに——」
「全部話しますから、姫崎さんは座ってください。まだ目が覚めたばかりなんですから」
「いや、もう大丈夫だ。それより早く署に戻らないと」
「駄目です。今後は姫崎さんの"大丈夫"は信用しない事にしたので。それに、神野さんには連絡してありますから」
「なっ....」
「昨日、皆さん仰ってました。姫崎さんは"大丈夫"が口癖だ、と。本当に大丈夫な時もあるだろうけどすぐに無理するから見てやってほしい、とも」
い、いやいやいやいや!俺の居ないところで何勝手な事言ってんの!?別に口癖じゃねえし!見てもらわなくても結構なんだが!....千葉と影山、後でぶん投げる。
「とにかく、部屋ももう少し使うと言ってしまいましたし、せめて説明する間くらいは休んでください」
否定しようと口を開く前に、佐原にそう詰め寄られ、結局その圧に負けてベッドに座った。佐原は隣には座って来ず、扉の近くで立ったままだ。恐らく、気を遣ってくれているのだろう。先程から適度な距離を保ったまま近づこうとすらしない。
正直、ありがたかった。近づくくらいなら問題はないと思うが、もうあんな醜態は晒したくない。
「まず、あの三人ですけど、一人は祓えましたがあとの二人には逃げられました」
気分が悪くなったらすぐに言ってくださいね、と前置きしてからあの時の出来事を話してくれた。
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