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最終章
第102話 暗雲
しおりを挟むそれからの俺は、香乃果の事や猫実の事で鬱々とした思いを抱えながらも、自分の進路の為にと落ち込む気分を奮い立たせて就活に臨んだ。
大学3年になって直ぐ、人よりも少し早めに始めた就活だったけれど、当然そんな気持ちで就活をしても失敗の連続で……
連戦連敗で意気消沈の毎日だった。
そもそも早めの就活だって、本来なら香乃果と一緒に暮らす為の準備だったのだが、それが無くなってしまった今、モチベーションもだだ下がる一方で……
今思えば、この時の俺は、自分が一体なんのために早めに就活をしていたのかもわからなくなっていて、最早義務感だけが俺をつき動かしていたように思う。
そうこうしているうちにあっという間に大学4年の春が終わると、俺よりも遅く就活を始めたヤツらの中にも選考が先に進んだり、インターン募集がはじまったり、早い奴は内定が出ている奴がポツポツと出始めて、流石に若干焦り始めた。
と、いうのも……
就活市場が活発なのは残り半年くらいで、秋になると大手企業や人気のある優良企業は市場から徐々に姿を消し、その後は中小企業やベンチャー企業が市場の中心となってくるからだ。
俺の通う大学や希望職種などから、端から中小企業やベンチャーは検討していなかった。
では、今から検討するかと言われれば、俺のなかにある僅かなプライドが邪魔をしてなかなか踏ん切りが付かなかったし、そもそもの話、方向転換する気力もなかった。
と、なると、なんとしてもあと半年で就職を決めないと下手したら就活浪人になる可能性が浮上してきた。
それなのに、季節はもう間も無く夏を迎えるというのに、俺には未だに内定はおろか、選考に進んでいる企業も何も無くて……
焦りはあるものの、何をしても無気力でモチベーションもない。
将来に対して夢も希望も持てない。
折れきった心を支える支柱もない。
挽回するにも、方法もわからなければ精神力だってない。
だから正直な話、しんど過ぎて、もういいかな、と思う事もあった。
全部投げ出してしまおう、もう何もかも手放してしまおう、そう思ってエントリーしていた企業の面接も何社もすっぽかした事もあった。
今思えば浅慮で愚行だったと思うけれど、その時の俺は物事の善悪の判断もつかなくなる程、それくらい弱っていたのだ。
そんな失意の底にいる俺に手を差し伸べてくれたのは、近々義父となる柏木のおじさん、その人であり、今の上司である本部長だった。
俺のこの状況と一連の事情を知っている義父は、『半分は香乃果のせいだから…』と、色々と各方面に手を回し、義父の務める会社の自身の裁量で決められる枠を融通してくれた。
表向きにはわからないようになっているが、所謂、コネ入社というやつで、なんとか4年生の夏には滑り込みで就職が決まった。
内定が決まってから知ったが、義父の勤める会社はかなりの大手で、特筆して取り柄のない俺なんかがそもそも志望するのも烏滸がましいような会社で、義父は俺の為にかなり無理を通してくれたのだと理解した。
……余談だがこの事で、俺は公私共に未だに義父には頭が上がらない。
就職が決まってからの俺は、俺の為に無理をしてくれた義父の期待と信頼を裏切る事は出来ない、と気持ちを新たにし、それまで腐っていた心を奮い立たせた。
そして、生活から何から…香乃果の事も含めて…根本的な所から全てを改め、なんとか立ち直って大学を卒業して就職をしたのだが、なんと、その入社式の会場で猫実と偶然にも再会した。
初めこそ無視してやろうと思ったが、俺の不貞腐れた心か無くなっていた事と猫実の真摯な態度が相俟って、そこでお互いの蟠りが解けると、程なくして俺と猫実は交友を再開した。
何もかもが順調に行き始めたはずだった新卒一年目、暗雲が立ち込め始めたのは入社式を終えた翌週だった。
それは、配属を発表されたのは初出勤日。
集合は8時40分で、新卒社員はオリエンテーションの為、出社して直ぐに地上25階の大会議室へ案内された。
入口で配布されたアジェンダに記されていた座席表に従い着席すると、置かれていた名札に配属先が明記されていて、そこには『第一営業部2課』と書かれていた。
そして始まったオリエンテーション。
開会の挨拶からはじまり、役職紹介、そして部署の詳細説明と、会が進むに従って、自分の配属された先が営業部隊である事を理解すると頭が真っ白になった。
と、いうのも、元々社交的ではない性格だった俺は、不向きな営業では内勤を希望していたはずなのだ。
何故営業職に配属されたのかは不明だが、とはいえ、配属されてしまったのであれば仕方ないと諦めるしかなかった。
というか、義父に無理をしてもらって入社している以上、諦めざるを得なかった。
ただ、唯一救いだったのは、同期の猫実と一緒の部署だったという事だ。
ヤツの助けがなければ早々に潰れていただろうから、その辺は感謝している。
それはさておき……
2ヶ月に及ぶ共通研修を経た後の正式に部署に配属されてからの研修は、控えめに言って地獄だった。
当時の研修担当の役職が鬼軍曹のような人で、まるで軍隊の訓練のようなガチガチな体育系な研修を朝から晩まで受けさせられたのだ。
それに加え、先輩社員について回るOJT、帰社後には研修についての山のようなレポートが待っていた。
その上、研修と別に割り振られた慣れない業務に翻弄され、極めつけは毎日終電帰りの生活……
時間がいくらあっても足りなくて、終わらなかった仕事は家に持ち帰ってやらなければ、次の日激詰めされるので、必死にやった。
おかげで睡眠時間は毎日2~3時間しか取れず、合間の休憩時間を見つけては睡眠を取り、休みの日は一日中寝ていて気が付くと夕方になっている生活。
そんな鬼のように忙しい毎日に心を病みかけてしまい……
結局、これ以上合わない営業職を続けるのはキツイと会社に相談をした。
その結果、研修を終了させる事を条件に、同じ営業部内の内勤部署である管理本部への転属が認められた。
漸く解放されて安堵したと同時に、義父に対してただただ申し訳ない気持ちが拮抗していて、俺は転属が決まったその足で義父の元へ頭を下げに行った。
期待に応えられず申し訳ない、と。
俺は、義父に誠心誠意心から謝罪した。
するとそこで義父から驚くべき事を聞かされた。
今回の転属の話は、実は裏では元から決まっていたことで、俺の研修終了後には管理本部へ移動の予定だったとの事。だから、気にするなと、義父はそう笑いながら言ってくれた。
俺は知らなかったが、なんでも俺の入社の経緯が義父の自分の後継者候補を採用すると言う事で、配属先は元々管理本部付だったそうだ。
では、何故当初は営業職に配属されたのかと言うと……
管理本部とは、営業部の中の一部署で営業アシスタントや事務作業など、主に営業部のサポート業務を執り行っている。その一方で一~第三営業部の営業部全体を統括する立場にある部署である。
故に、マネージャー以上になると、第一~第三営業部の人事や労務に加え法務などにも関与していく事になる。
そして、マネージャー以上になるには営業部出身であることが必須で、アシスタントや内勤採用の社員は良くてもサブマネージャーまでしか昇進ができない為、義父の後継者候補であった俺は、セオリー通りある程度営業を知るという名目で一旦営業部に配属になったという事だったのだ。
それが、俺があまりにもヘタレ過ぎて早々に営業部を逃げ出そうとするという失態……あまりにも情けなさ過ぎる、と、この話を聞く前は情けないやら申し訳ないやらで、義父に顔向け出来ないと凹んだが、義父から話を聞いて少しだけ安心できた。
1ヶ月後、何とか第一営業部で研修を終了させた俺は、内示を受けて無事管理本部へ転属、そして転属後割り振りされた業務に、あの時辛かったけれど営業部の研修をきちんと受けておいて良かったと心から感謝した。
そうして、少しずつ仕事にも慣れ、心に少しゆとりが出来てきた頃、、ふと、香乃果との事が頭を過ぎった。
もしもあの時、進学に反対していたら……
もしもあの時、無理矢理帰国させていたら……
この時は少し仕事も落ち着いたけれど、あの状態の時に香乃果の帰国と同棲を開始をしたら、間違いなく破局の道まっしぐらだっただろう。
正直同棲なんてしている場合じゃなかったなと、首の皮一枚で繋がった事に安堵したと同時に、破局するかもしれなかった未来があった事に気が付き恐怖で身震いした。
そして、あの時香乃果を優先すると決断した事は、却って良い方向に働いてくれたのかもしれないと、心からそう思えた事で、ずっと引っかかっていた心の重荷がすっと軽くなり、蟠りが消えて無くなった気がした。
それから俺は約束の2年後までに、 香乃果を支えられるように生活を立て直すべく、がむしゃらに仕事に打ち込んだ。
そうしてるうちに、何だか心に余裕が出来てきたな、と思いだした頃には、あっという間に約束の期限を目前にした社会人3年目の夏。大学院を卒業した香乃果は帰国して、今俺の目の前にいる。
◇◇◇
「……は?え?何?どういう事?もう一度いってくれる?」
俺が目を瞬かせると、香乃果は所在なさげに指をくるくると回しながら気まずそうに目を泳がせている。
「香乃果?」
促すように名前を呼ぶと、香乃果はぎゅっと目を瞑り深い息を吐いた後、観念したのかのようにパッと顔をあげて言った。
「だからっ……渉には悪いと思ってるんだけど……」
そこまで言うと、俺の呆れた視線に気が付いたのか香乃果は言い淀んで俯いた。
えぇと……
このまま大学に残るとかなんとか言ってた気がしたけど……
気の所為だよな?
約束では大学院を出たら直ぐに帰国して結婚する予定だったと思うんだけど……
香乃果の言っている事が俺の理解の範疇を超えたようで、頭が処理する事を拒否していた。
そして、思わず白目になって聞き返したのが冒頭のセリフである。
意識が彼方の方へ飛んで行きそうな中、なんとか意識を引き戻すと、俺は薄く笑みを浮かべたまま、黙って目の前で俯いている香乃果に視線を遣った。
その間、どちらからも口を開く事はなく、やがて長い沈黙に耐えられなくなった香乃果が徐に口を開いた。
「このまま、大学に残る事に…なり……ました……ごめんなさい。」
聞き返してはみたが、残念ながら気の所為ではなかった。
うぅむ。ここでまさかの大学3年夏の悪夢リターンズか?
なんだか頭が痛くなってきて、俺は痛む眉間を指で挟んでグリグリとしながら、不機嫌全開で香乃果に訊ねた。
「うん、それは聞いたね。それで、なんでそんな事になってるの?」
眉間に深い皺を寄せて深いため息を吐く俺に、香乃果は気まずそうな視線を投げかけると、諦めたかのようにポツポツと話し始めた。
香乃果曰く…
香乃果の留学の為に尽力してくれた教授から香乃果にどうしても助手として残って欲しいと懇願されてしまったと。
結婚の話もしたそうなのだが、その教授は香乃果のステイ先の叔父さんの同級生で断りづらい上、その教授に恩を返す為にと言われてしまえば俺に反対する事は出来ず……
なんだこれ。
しっかりと外堀の埋まった状態で事後報告?
最初の留学や大学院への進学……まるでその時と同じ
と、いうことは、最初から俺に選択肢はないという事で、了承する道しか残されていないと言う事だ。
寧ろこの状況で、NOを言える強者がいたら是非とも出てきて欲しい。
俺は嘆息すると、2年前同様頷くしかなかった。
ただ、2年前と違って俺の気持ちは何故だかそれ程痛まなかった。
応援ありがとうございます!
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