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第三章
第69話 乱高下
しおりを挟む先月、2月に入ってすぐ、兄と俺のバイトの調整とおじさんの休みの調整が付いて、漸く渡航日が決まった。
その日はなんと俺の卒業式の翌日。
何ともバタバタしたスケジュールで、少しは卒業した事を実感したりゆっくりしたいなとも思ったりしたが、春休みに入ってから出発まで何日も悶々とした日を過ごすよりは余っ程いいか、と割り切ることにした。
そして、渡航日が決まると次は宿泊場所の確保だったが、俺は最初、俺たちシアトルに渡航し、おじさんのアパートメントか何かに泊まるのかと思っていた。
と、いうのもおじさんの住むシアトルとバンクーバーは国境を越える必要があるが、バスや電車で簡単に行き来ができる。
おじさんに報告があると言うからには、当然おじさんの住むシアトルへ渡航するものと思い込んでいたのだが、どうやらそうではなく、おじさんが休みを取りバンクーバーに滞在するらしい。
その上で、おじさんの方で宿の手配をしてくれたとの事だった。
しかも、話を聞いた時には既に手配が終わった後……
全ての手配を兄とおじさんが済ませてしまったと聞いた俺は、申し訳なさで居た堪れなくなったが、当の兄は気にするなと。
いや、そこ、気にするだろう!
仮にも好きな女に会いに行く段取りを親兄弟に整えてもらうとか……
マジでカッコ悪過ぎるだろ、俺……
ともあれ、流石にずっと凹んでいる訳にもいかないので、さっさと気を取り直して、現地で巻き返すべくプランを練ろうと、約1月半ぶりにPCを開いた。
PCの電源を入れ立ち上げると、ふと、12月に香乃果に送ったメールの事を思い出す。
もしかして返信来てたりしないよなぁ……
そんな砂粒程の極淡い期待を胸に灯しつつ、メーラーを立ち上げるとすぐに受信ボックスにメールが受信され始めた。
さすがに1月半も放置してしまった為か、膨大な未読メールが溜まっていたようで、みるみると未読数の数字がすごい勢いで増えていく様子に俺は思わず白目になった。
とりあえず全て受信が終わるまで待つかなとぼぅっと待機していたが、手持ち無沙汰で何となく新規メールのウィンドウを開いてみる。
誰に送るでもなく、ただ何となく。
そして、そこに一言
"来月逢いに行くよ"
と打ち込んでみる。
真っ白な画面にたった一言表示された文字列を見て実感する。
来月、恋焦がれて止まない香乃果に、漸く会えるのだ。
それだけで自然と頬が緩み、心がぽかぽかと暖かくなって行くのを感じた。
ひとり幸せを噛み締めていると、全てのメッセージ受信が終わったとポップアップが上がりそちらに目を移すと、未読数は200件を超えていて、目玉が飛び出た。
ざっと眺めるだけでも販促メールの多い事……
これは流石の俺も、そろそろメールマガジンの整理をするかな、と重い腰をあげざるを得ない事態だと理解すると、軽く嘆息する。
幸せの余韻で気を抜くと緩んでしまいそうな気持ちを鼓舞しつつ、俺は新規メールのウィンドウを一旦閉じると、俺は意を決して、大量のメールマガジンを1件ずつ内容確認を始めた。
メールの内訳は大きく分けると4つ。
1つ目は進学情報のメールマガジン。
俺は元々内部進学しか考えていなかったのだが、万が一の為にもと受験や進学関係の情報収集のために購読していた物だ。
2つ目はネットショッピング関係のメールマガジン。
楽市やYahoi、Jungleなどのネット上のモールで買い物する時に、メルマガ購読のチェック欄のチェックを外しておけばいいのだがついつい忘れてしまう為、いつの間にか買い物したショップのメールマガジンが勝手に配信されてきている。必要が無ければ都度購読解除をすればいいか、と放置していたものも今では何件のメールマガジンが届いているか、自分でも把握出来ていない。
3つ目は旅行代理店のSALE情報のメールマガジンや、海外渡航関連のメールマガジン。
4つ目はメールマガジン以外の個人的に送られてくるメールなどだ。
この中で1つ目と2つ目は今後必要ないので、受験や進学関係のメールマガジンは購読を辞める為配信停止にしつつ、ネットショップのメールマガジンも必要以外は配信停止にし、そのまま要らないメールはどんどんゴミ箱へ移動させていく。
地味な作業だが塵も積もれば山となる……で、結構大変な作業だった。
全ての作業を終えるのには時間がかかりそうだなぁと思いながら、流れ作業のように小一時間程メールチェックをしていると、少し下の方に見慣れないメールアドレスから、無題のメールがきていることに気が付いた。
無題のメールなどそうそう見ないので、訝しく思いながらもそのメールをクリックした。
すると、すぐにメールの本文が表示され、俺は驚きに目を見開いた。
―渉へ―
メールの書き出しを目にした途端、心臓がドクンと跳ね上がり、続けてドクドクと速い鼓動を打ち始める。
―何度かメールを貰っていたのに、今までメールを返せなくてごめんなさい。―
スクロールするマウスを持つ手が震え、呼吸が乱れた。
本当に……?
もう一度、メールの頭へスクロールしてメールアドレスを確認する。
間違いない。
俺がずっと欲しくて欲しくて堪らなかった、香乃果からの始めて貰えた返信だった。
理解するのに数秒を要したが、それを理解すると至大な歓喜の波が押し寄せてきて、あっという間にその波に飲み込まれた。
涙が溢れて止まらなくて、俺は嗚咽を抑えながら喜びに咽び泣いた。
ようやく……ようやく、ここから始まる……
俺は溢れる涙を拭うと、額に手を当てて喜びを噛み締めながら、サラッと読んでしまうのが勿体なくて、香乃果からのメールを一文字一文字をゆっくり刻みつけるように読んでいく。
最初はあの時の状況の説明と俺からの質問に対する回答だったのだが、その内容はサラリと触れる程度に留まっていた。
そして、本題はその後から……
この後からの内容こそが、香乃果の本当に言いたい事だという事が、メールからも読み取れた。
その内容は、穂乃果との事。
異国の地でひとり頑張っている香乃果の心を乱したくないと、おじさん達の意向で今回の穂乃果の件は伏せられている。
だから、当然、香乃果の中では俺と香乃果は許嫁を解消していて、新たに俺と穂乃果が許嫁になった、という認識で止まっているのだ。
だからこその内容ではあるのだが、やはり、実際に言われてしまうとツキンツキンと心臓に針を刺さるように鋭い痛みを感じてしまう。
早く会って誤解を解きたい……
読めば読む程、そう強く願って止まなかった。
そして、次の言葉に俺の願いは粉々に打ち砕かれた。
― だから、これからはふたりで幸せになってください。―
ふたりで幸せにって……俺と穂乃果が?
は?え?何言ってるの?
一瞬、頭がフリーズしたが、俺は即座に続きをスクロールする。
―私の事は気にしないで?私はもう気にしてないから、渉も私との事はもう忘れて前を向いて?
私もここで新たに頑張るから。―
気にしないで?忘れて?前を向いて?
そんなの出来るわけない。
俺はこんなに香乃果の事でいっぱいなのに……
それなのに……香乃果はもう俺の事、忘れて前を向いてるって事?
新たに頑張る?
香乃果は、もう俺の事なんて過去になっていて、どうでもいいって事?
マイナスな感情が、まるで突如湧き出た仄暗い水が心と頭を満たしていくように支配していく。
嫌だ……嫌だ……
もうこれ以上読みたくない……
そう思う感情とは裏腹に、俺の手はスクロールを止めることはなかった。
そして、俺の意思に反して、そのまま最後の結びの言葉までスクロールが終わると、俺は絶望する。
―いつか大人になった時、幼馴染として笑って話が出来る時が来たらいいな。
許嫁じゃなくなっても、渉は私の大事な幼馴染には変わりないんだから。それだけは忘れないでね。―
最後まで読んで、そして理解した。
このメールは香乃果にとってのケジメで、俺との事は、香乃果の中では、もう終わってしまっていたんだ、と。
「やだ……やだよ……香乃果……うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!」
読み終えた俺は震える手でPCを閉じると、咆哮する様に声を上げて泣いた。
叫び声を聞いた兄が部屋に飛び込んできて、錯乱している俺を宥めようとしたが、俺はただ泣いて叫び続けた。
泣いて泣いて……俺は一晩中泣いた。
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