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第三章
第62話 戦慄
しおりを挟む「え……今、なんて…?」
「穂乃果、俺……香乃果とは許嫁解消しないって親達に伝えた。」
直前まで和やかだった雰囲気が一転して、穂乃果の顔から笑顔が消えた。
「えっと、それって……」
「ごめん。俺は、穂乃果と許嫁にはなれない。」
俺はそう言うと瞠目して固まる穂乃果から視線を外し、俺は再度、ごめん、と言うのと同時に頭を下げた。
気まずくて穂乃果の顔を直視できなかった。
目の前の穂乃果は何も言わず黙り込んだまま、静かな部屋に時計の秒針の音だけが響いている。
俺は頭を下げたまま穂乃果から言葉を発するまでは、と思っていたけれど、思いのほか沈黙が長く1分1秒が長く感じた。
一体どのくらい経過したのだろうか…… 気持ちが焦り不安感が襲ってくる。
「……なんで?」
流石にそろそろ顔をあげようと意を決したところ、いつも明るく朗らかな穂乃果から聞いた事のない程、低く抑揚のない穂乃果の声が頭の上から降ってきて、吃驚してぱっと顔を上げると、目を見開いて表情を無くした穂乃果が俺をじっと見つめていた
「え……ほ、のか……?」
「なんで……なんでなの?わっくん、約束したよね?許嫁替えてもらうって……やっと…やっと、その願いが叶ったのに……なんでそんな事言うの?」
そう言った穂乃果の目から涙が一筋零れ落ちた。
確かに記憶違いをしていた時に、そう穂乃果と約束をしていた事は事実だった。
だけど、記憶違いを認識した後、それとなく穂乃果とは距離を置いていたつもりだったし、それまでとは違う接し方をしてきた。
それだけでなく、折り目には関係を見つめ直したい、ふたりきりではもう会えないと伝えていたはずなのだが……
俺のハッキリしない態度と浅はかな行動がこの事態を招いた事に今更ながら気が付く。
無関心を貫きフェードアウトすれば穂乃果も諦めてくれるだろう、そう軽く考えていたが、まさか、全く伝わっていなかったとは思ってもいなかった俺は頭が真っ白になった。
俺がなんの罪もないはずの穂乃果を振り回して、挙句、傷付けた……それが真実だ。
混乱する頭を抱えて穂乃果に視線を遣ると、穂乃果は無表情のまま静かに涙を流していた。
その姿に俺の罪の深さを知り、後頭部を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。
罪悪感が俺の頭と心を占めて、いっその事、責任を取る形で穂乃果に寄り添う事も頭を掠めた。
嫌、ダメだ……
それじゃ今までと同じで、穂乃果を香乃果の代用品にするだけ。
例えこの先、穂乃果と一緒にいたとしても、きっと俺の心は香乃果の事を求め続けるだろう。
誰も幸せになれない未来しかみえないし、穂乃果に気持ちを向けられない以上、一緒にいる事べきではない。
で、あれば……
きちんと、ここで負の連鎖は断ち切るべきだと結論付けると、じっと穂乃果の目を見据え深呼吸をする。
今出来る事は誠心誠意を込めて今の気持ちを伝える、それしか無い気がして、俺は腹を括り穂乃果に向き合った。
「…本当にごめん……俺、香乃果にも穂乃果にも凄く不誠実だったな。勝手に勘違いして、理想押し付けて…期待させて…全部、全部俺が悪いし、償うべきなんだと思う。だから俺に出来る事はするつもりだよ。」
俺の言葉を穂乃果は表情を変える事なく聞いていた。
そして、暫しの沈黙の後、次の瞬間にっこりと微笑を浮かべた。
え……このタイミングで…笑う?
俺は思わず目を見開いて穂乃果を凝視すると、穂乃果は浮かべた微笑を湛えたまま、俺を真っ直ぐ見つめている。
俺はその穂乃果の笑顔にえも言えぬ恐怖を感じて、背筋がぶるりと震えたが、じっと見つめる双眸から視線を外す事が出来ずにいた。
お互いに視線を外す事無く見つめ合ったまま時間が過ぎて行く。
暫くして、漸く穂乃果が口を開いた。
「……それなら、わっくんは私の許嫁になって。」
そう言いながら、微笑む穂乃果の目は笑っていなかった。
「…っ、ごめん……それは……」
「出来る事はするつもりなんでしょ?なら、許嫁になって。私が望むのはそれだけだよ。」
「あ…あぁ、出来る事は全部やる。だけど……許嫁だけは……なれない。」
「なんで?他に何も求めてないよ?わっくんはただ、私の許嫁で居てくれればそれでいいって言ってるのに?」
言い淀む俺を穂乃果は薄らと微笑を浮かべてじっと見つめたまま穏やかな口調でそう言った。
ダメだ……話が通じない……
それに、何かがおかしい……
そもそも、何故こんなにも許嫁に拘る?
ていうか……いつからだ?
思い返してみると、俺の記憶の中の香乃果は幼い頃から人の物を欲しがっていた気がする。
ということは、それすなわち、穂乃果がそうだったと言う事になる。
そして、その穂乃果は特に香乃果と俺物を欲しがって……
そうか……だから俺なのか。
目の前でにこやかに微笑む穂乃果を見て、俺の本能がヤバいと警鐘を鳴らす。
穂乃果の俺への執着を初めて理解すると、背筋に冷たいものが流れた。
何かを言おうとするが、口がパサパサに乾いて言葉にならずヒュッと喉が鳴る。
それでも息を呑み、何とか震える声で言葉を絞り出した。
当初、両親ズとの家族会議で擦り合わせをした予定では、俺の今までの態度と今回の話で状況を把握してくれた穂乃果と、綺麗にお別れ出来ると思っていたのだが……
目の前の穂乃果を見る限りだと、どうやら俺達の認識が甘かったようで、俺達が考えているよりももっともっと根が深い、そう感じた。
これは、どう考えても一筋縄で行く気がしないし、俺一人で話す内容じゃないという事をここまで来て漸く事態を把握するも、時すでに遅し。
今更両親ズや聖兄に助けを求める事もできない。
どうしたらいい?
どうしたら理解して貰える?
どうにかして、穂乃果の執着を逸らし、諦めて納得して貰うしかないのだが……
心臓が早い鼓動を打ち続ける。
真っ白になった頭で一生懸命ぐるぐると思案するが、一向に思考が纏まらない。
「穂乃果…ごめん。本当にごめん。」
「なんで謝るの?謝られるより、抱きしめて欲しいな。」
穂乃果は、ふふ、とこんな状況でなければ見蕩れてしまう程、可愛らしく綻ぶような笑顔を浮かべてそう言うと、徐に俺の目の前まできて、そして、ぽすんと俺の腕の中に飛び込んできた。
咄嗟に穂乃果の柔らかな身体を受け止めると、ふわりと穂乃果の温かい体温と甘い匂いが鼻腔を擽る。
こんな時でなければ…穂乃果の事を少なからず思っていた頃であれば、もしかしたら穂乃果の事を受け止められただろう。
だけど、今の俺には目の前の穂乃果がまるで知らない女にしか見えず、腕の中にいるのは間違いなく穂乃果なのに、俺の心と身体は穂乃果の事を拒絶するかのようにグッと強ばった。
湧き出す違和感と嫌悪感に身を固くして穂乃果の身体を引き剥がすと、穂乃果は悲しそうに顔をくしゃりと歪めた。
「ごめん…幼馴染として、抱きしめろと言われれば抱きしめる事はは出来るけど、それだけだ。」
「ウソ!そんな事ない!わっくんは私の事、好きだったでしょう?!好きだって言ったじゃない!私の事……ほのの事が好きだって言ったよね?!」
俺の言葉に穂乃果は泣き喚いて縋り付いてくる。俺は穂乃果を宥めるように穂乃果の背中を擦ると、穂乃果を座らせ俺は身体を離して向かい側に座わった。
「わっく、ん……?」
涙に濡れた瞳で俺を見上げて追い縋る穂乃果の手をやんわりと制すと、俺は目を瞑り深く息を吐いた。
そして、ゆっくりと目を開いて穂乃果に視線を合わせると、俺は自分の正直な気持ちを伝えた。
「そうだね、好きだったよ。俺の酷い勘違いに気が付くまでは。」
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