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第三章
第48話 変わらない日常と変わったもの
しおりを挟む香乃果が目の前から居なくなってからの俺は、何もする気が起きず抜け殻のように日々を過ごして、気が付くと、俺はいつの間にか高等部の2年に進級していて、更に1学期も終わっていた。
その間、俺は何をしていたのだろうか。
何も覚えてないし思い出せないという事は、それだけ中身のない生活をしていたという事だろう。
それに、学年が変わったとしても、俺を取り巻く環境は早々変わる訳でもない。
朝起きて部活に行って、授業を受けたら帰宅して、風呂に入って飯食って、宿題したら後は寝るだけ、と相変わらず代わり映えのない日常だ。
そう、今まで通り……俺の日常は変わらない。
たったひとつだけ、"香乃果が居ない"という事を除いては。
傍に居なくても会話がなくても、隣に住んでいて幼い頃からの幼馴染で同じ学校に通っていて、俺と香乃果は許嫁で。
香乃果を意識していなくても、香乃果の事を嫌っていた時も、そこに香乃果が居る事が俺の日常の一部で、それが"当たり前"だった。
そして、それが当たり前過ぎて、疎ましく思う事はあれど、特に意識する事も感謝する事もなかった。
どんな事があってもそれは揺らがないものだと無自覚に信じていたから……
でも、ある日その当たり前過ぎた日常が、突然足元から崩れ落ちて、今まで当たり前だったものが当たり前ではなくなってしまった時、俺は情けない事に身動動きがとれなくなってしまったのだ。
どうしようも無い胸の痛みが襲ってきて、息の吸い方を忘れてしまったように上手く呼吸が出来ず、胸が閊えて苦しかった。
もがいて、もがいて、必死にもがいて……
だけど、その痛みからは逃れられなくて……
その苦しみに耐えきれず、俺はとうとうもがく事を諦めた。
すると、驚く程心も身体も楽になった。
なんだ…最初からそうすれば良かったじゃないか。
そう思って考える事も放棄した。
すると、突然、俺の世界からは色がなくなり、退屈な毎日が更に退屈で味気ない物に変わってしまった。だけど、全てはもうどうでもよかった。
無気力
無味乾燥
興味索然
今の俺を言い表すにはぴったりの言葉で、美味しい、楽しい、綺麗…とかそういった感情が揺さぶられる事がなくなり、更には胸が痛いとか苦しいとか、そういう感情すら湧かなくなって、俺の心は日に日に荒んで行った。
香乃果の居ない日常が、こんなに辛いものだなんて思ってもいなかった。
それでも……
香乃果が居ても居なくても関係なく、俺の日常は過ぎていく。
だけど、未だにその事実を受け入れられない自分がいる。
毎晩ベッドに入ると、今更だけど、自分の中の香乃果の存在の大きさを実感して打ちのめされては、眠れない夜を過ごしている。
どうしてもっと大事に出来なかったのか。
何故あんな勘違いをしていたのか。
俺に何かできる事があったのか。
毎日自問自答しては、後悔して、自分を責めて、また後悔して……
自ら出口のない迷路に迷い込んでは、押しつぶされそうな程の後悔に苛まされ、そして、自暴自棄に陥り、二度と浮上する事が出来ないような真っ暗闇の深海に沈んでいく。
深い深いどこまでも続く闇の深淵に……
◇◇◇
「…田?おい、瀬田?」
ガタガタタンッ
不意に肩を叩かれた俺は吃驚して椅子から転げ落ちた。
日頃の睡眠不足が祟ったのか、6時間目の授業の途中でどうやら寝落ちしてしまったようだ。
思いっきり尻を打ち付けて涙目で見上げると、棒付きキャンディを咥えてニヤニヤしている猫実がいた。
「……ってぇ。」
「ふっはは、おはよ。てか何やってんの?」
「…おい、弦。これが何かしてるように見えるか?」
じろりとジト目で睨めつけると、猫実は意に介した様子もなくキャンディをコロコロと転がしながら、一瞬何かを考える素振りをして、そしてにっこり笑って言った。
「んー、とりあえず立った方がよくない?お尻が床にくっついちゃうよ?」
そう言って猫実は可笑しそうにくつくつと喉を鳴らして笑いながら、床に尻もちをついている俺に手を差し伸べた。
「るせぇわ。てか、弦、お前笑いすぎ。」
俺は猫実の手をバシッと払いながらそう吐き捨てるように言うと、ヒリヒリする尻を摩りながら自力で立ち上がる。
未だくつくつと笑う猫実を横目でちらりと睨めつけると、学用品をリュックサックに詰め込み教室の出口へ向かう。
「はぁ、なんか最近瀬田冷たくない?人が折角起こしてやったのにさ。で、瀬田、この後部活行くの?」
「…んー…どうすっかなぁ。」
唐突に聞かれて、俺は少し考える。
基本的に身体を動かす事は好きだし、剣道に打ち込んでいれば嫌な事を考えないで済むから、部活に行った方がいいのだろうが……
だけど最近集中力が持たないのかなんなのか、心の乱れが剣の乱れを引き起こしてちょっとしたスランプに陥っていた。
正直、今の俺にスランプを乗り越えられる程の気力は残っていなかったので、部活に行きたくないなぁとは思っていた。
その俺の様子をみて何かを感じ取ったのだろうか、ニヤリと猫実の口が弧を描いた。
「あー、これはもしかしてサボる感じ?」
「……さぁどうだろな。」
俺がそう言って教室を出ると、楽しそうに笑いながら猫実も俺の後を追いかけるように教室を出た。そのまま早足でスタスタと俺の横まで来たと思ったら、ニヤニヤしながらがっと肩に腕を回して絡んでくる。
「人の事言えないけど最近サボりすぎじゃない?」
「そう言うお前もサボりまくってんじゃん?どうせまた合コンでもいくんじゃねぇの?」
いつもの猫実なら「ふぅん…」で終わる所、今日はやけに絡んできて、なんて言うかちょっと鬱陶しかった。
本来の猫実はこういうやつじゃなかったと思うのだが……
訝しげな視線を投げかけながら、俺はニヤニヤ顔の猫実に嫌味を言う。
すると、猫実はパッと戯けたような顔をして、棒付きキャンディを振りかざした。
「ご名答!流石、よくわかってるねぇ。今日は白百合女子大のお嬢様が相手だよ。」
堪んないよねぇ、猫実は俺の嫌味をものともせずスルーすると、再びキャンディを口に咥えて楽しそうにそう宣った。
「さいですか。じゃーまぁ楽しんで来なよ。俺は適当に時間潰して帰るから…って……は?」
俺は若干呆れ顔で猫実を一瞥してそういうと、肩に乗せられている猫実の手をひっぺがそうと掴んで、ぺいっと払った……はずなのに、そのまま猫実に手をぎゅっと握られ、気が付くとくるりと一回転させられていた。
吃驚して思わず声を上げると、猫実はにっこりと綺麗な笑顔で何かを含んだ言い方で話し始めた。
「それがねぇ……実は今日、ひとり欠員が出ちゃってねぇ。」
「はぁ……それで?それ、何か俺に関係ある?」
猫実の発言の意味がわからず思わず聞き返すと、猫実は片口角を上げて、ニヤリと意地の悪い笑顔を浮かべた。
途端にしまった!と思ったが、時すでに遅し……
猫実は握った手をグイと引っ張り、再度俺の肩に腕を回して引き寄せると、肩をぽんぽんと叩いて悪戯っぽい口調で言った。
「良くぞ聞いてくれた。大いに関係があるんだよ、渉くん。」
「……一体なんの関係だよ?」
「んー、俺らの誘いをいつものらりくらり逃げてる渉くんをね、連れて来いってみんなうるせぇのよ。」
「ど、どこに……?」
「え?嫌だなぁ、合コンに決まってるじゃない?」
猫実の口調と態度に、正直嫌な予感しかしないが…念の為聞くだけ聞いてみると、予想通りの回答にげんなりする。
「うわ、マジか……」
「うん、マジマジ。大マジよ。」
「だって俺、女にも合コンにも興味ねぇし……」
「うん、知ってる。だから、今日は強制参加って事で。」
「は?いや待て!無理、無理だから!」
嫌悪感を顕にしてそういうと、猫実は口に入っていた棒付きキャンディをガリガリと噛み砕き始めた。
ていうか、それ、まだ結構デカい玉だったと思うけど……
顎痛くならないのか?
とか、そんな余計な事を考えている内に、あれよあれよという間に、エントランスまで連れてこられていた事に気が付き、サァッと青ざめる。
恐る恐る横の猫実を見ると、またもや綺麗な笑顔を浮かべていた。
あ、これは逃げられないヤツだ。
本能的にそう悟った俺はマッハの勢いで逃れる為の理由を考える。
だが、ヤツにはそんな事もお見通しなのだろう、猫実は更に俺を追い詰めるように言う。
「だって、部活行かないんでしょ?ならいいじゃん。」
「いやっ……なんていうか…やっぱりサボりはよくないし、部活行こっか……なっ?!」
俺は猫実と視線を合わせないようサッと半地下の道場に繋がる階段へ向かおうと踵を返したが、即座にガシッと猫実に腕を掴まれてそれを阻まれる。
そして、猫実はニッコリ笑顔で俺にこう告げた。
「却下。はい、つべこべ言わないで行くよ?レッツラゴー!」
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