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第二章 黒猫の恋人
第71話 怒りの矛先
しおりを挟む「猫実、ちょっといいか?」
瀬田をチラリと見ると、表情から森川の事で言わんとしている事があることが伺えたので、行くしかないのはわかっているが、この状態の名月をここにひとりで置いていくのは忍びない。
本当は行きたくなどないのだけど…
瀬田から名月に視線を移すと、俺と瀬田にキツくお灸を据えられて涙目で可哀想な程、意気消沈している。
いや、傍にいたい……離れたくない……
抱き締めて思いっきりキスしたい……
だけど、森川の件もきっちりと落とし前をつけなければならない。
相反する思いに翻弄され、後髪を引かれながら、仕方なく俺は短く嘆息し瀬田に頷いた。
「あ、あぁ…わかったよ。…名月、いい子で待ってて?お願いだから……」
不安そうにしている名月の頬をするりと撫で、どうかこのまま大人しくしていて欲しいと願いを込めて言い含めるように言うと、名月は小さくコクンと頷いた。
それをみて安心した俺は、漸く瀬田と一緒にロビーの方へ重い足を向けた。
◇◇◇
名月……泣いていたな。
泣かせるつもりはなかったのだが、結果的に泣かせてしまった。
名月に対しての怒りは、瀬田に釘を刺されている間に、とっくに落ち着いていたので、今はもう怒りはない。
名月の気持ちを疑った事はない。だから、心変わりを心配していた訳ではなくて、狭量かもしれないが、俺以外の男を少しでも気遣った事が許せなかった。
簡単言うと、嫉妬だ。
例え名月に気持ちがなかろうと、嫌なものは嫌。
思えば、研修初日にふたりが抱き合う姿を目撃し、2日目には個室でランチ…… 嫉妬に狂いそうになった。
しかし、自分の中で吹き出しそうな妬心を押さえ込み、平静を装って今日までなんとかやり過ごしてきたのだが……
準備も万全に、会場への同伴エスコート、リンクコーディネート等で、名月の所有権のアピールも出来て、俺の独占欲は満たされたし、燻っていた妬心だって治まった。
名月だって喜んで受け入れてくれた筈だったのだが……
それなのに、名月は俺以外の男とふたりきりになろうとしたのだ。
心が伴うとかそんな事は関係なく名月の意志は、幼馴染と共にいるという事だと言われたようで、そんなの許せるはずもなかった。
話を進めていくうちにその誤解は解けて行ったので、徐々に怒りは薄れていったが、同時に、名月の認識の甘さに凄まじい不安を覚えた。
鈍くて危機感が薄くて優しい名月に、これからも付け込んでくる不届き者がいないとも限らない。
これを機に危機感のなさや自分のやろうとしていたことが齎す結果を、名月自身がちゃんと理解してくれればいいのだが……
それよりも俺の怒りの矛先は森川にある。
次はないと言ってあった筈なのに、性懲りも無く名月にちょっかいを出した挙句部屋に連れ込もうとするとは……
名月の心が100%俺に向いているのは疑いようがないし、これからも森川に向くことは無いのはわかっている。
だけど、もし心が向かなくても、身体が奪われたら?
俺は名月を許せるの?
答えは………
心に刺さった棘は一生抜ける事はないと思うが、許せる。
そして、何事もなかったのように名月愛しながら、その棘が時折痛むのを、俺は見ないフリをして生きていくんだと思う。
では、名月の身体を奪った森川の事は?
確実に、生まれてきた事を後悔する程に甚振ってから殺してやる。
だから、そんな事態が起きる前に、瀬田や山田さんが機転を利かせてくれた事に感謝している。
それにしても……こんなにあからさまに喧嘩売ってくるとは余程痛い目に合いたいようなので、もちろん、望み通りにしてやるつもりだ。
さて、やつをどうしてやろうか……
ぶち殺す?ボコボコにする?
いや、表立って何がするのは良くないな。
父には頼りたくはないが、俺のこれからと引き換えに、いっその事、奴自身を秘密裡に闇に葬ってやるか……
いずれにしても、無傷で解放する訳にはいかないな。
そんな事をぐるぐると考えていると、不意に瀬田にロビーに行く道中にあるシガールームに引きずり込まれた。
「な、なんだ、瀬田。タバコか?」
「……猫実、顔。」
瀬田は相変わらずのポーカーフェイスで、ポケットからタバコを取り出し咥えながら、俺にもタバコを差し出す。
は?顔?顔がどうした?
一体なんの事なのか皆目見当もつかず、俺はそのまま瀬田に訊ねた。
「は?顔がどうした。」
俺は差し出されたタバコを黙って受け取り火をつけると、深く一口吸い、イライラしながら勢いよく煙を吐き出した。
瀬田は表情を崩すことなく、ふぅとタバコの煙を吐くと、徐にスマホを取り出し文字を打ちながら言う。
「顔、どうにかしろ。今にも誰かを射殺しかねない顔してる。らしくねぇぞ。」
あぁ、なるほど。
どうやら俺の頭の中で不穏な事を考えていたのが、そのままが顔に出ていたようだ。
瀬田はそれを落ち着かせる目的で、ここに俺連れ込んだのだろうか。
確かに、深呼吸するよう煙をに深く吐き出す事で、少し気持ちも落ち着いてくる。
俺は再び深くタバコを吸い込み、勢いに任せて煙を吐き出した。
「……あ、あぁ。すまないね、顔に出てた?内心では、今すぐあいつをぶち殺してやりたいと思ってるよ。外には出さないようにしていたんだけどなぁ。」
俺は言いながらいつものように、にっこりと笑顔を作った。
話の流れですまないとは言ったが、申し訳ないが全く悪い事したとは思っていない。
寧ろ、殺気を纏ったまま森川の所に行ったって構わなかった。
そんな事を考えている俺の思考がわかったのか、瀬田は呆れたように煙と共に溜息を吐く。
「お前、前から思ってたけど、仲原さんのことになると酷く感情的になるな。俺としては、昔のような何考えてんのかわからないお前よりは、よっぽど人間らしくなっていいとは思うが……」
「名月は俺の唯一で全てだからな。感情的にもなるだろ。らしくないのはわかってるけどね。名月のことになると、心がとても狭くなる。」
俺が自嘲気味に言うと、瀬田はタバコを消しながらニヤリと笑って言った。
「猫ちゃん、いい恋してるね。安心したわ。でも、とりあえず、その…殺気はしまってくれ。暴力沙汰は勘弁な。」
そういうと、瀬田はスマホを確認して言った。
「山田さんに事情を説明して部屋に移動してもらった。ロビーでやるのは憚られるからな。5216だそうだ。俺らも行くぞ。」
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