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第二章 黒猫の恋人
第67話 森川の正体
しおりを挟む新卒研修が始まって2日目。
俺は昼からクライアントとランチミーティングのため、外出しなければならかったので、残念だが今日は名月の愛情弁当はなしだ。
クライアントと食事するのも大事な仕事のうちなので仕方がないと思いつつも、やはり残念な気持ちが薄れず深く溜息を吐くと、目の前の瀬田が笑いを噛み殺しながら、製本された契約書を差し出してくる。
「愛妻弁当が食べられないのがそんなに不満?」
「あぁ、不満だね。名月の手料理を食べ損ねた損失は計り知れないよ。」
「損失って……何?仲原さんってそんなに料理上手なの?」
名月の弁当を食べる事で得られる幸福感を得られない事は俺にとっては多大な損失なのだ。
本気で悲壮感を漂わせていうと、俺の発言に瀬田は半ば呆れたように聞いてきたので、当然だろうとお世話抜きで、名月の料理の腕を褒めちぎった。
「美味いなんでもんじゃない。天才だよ。少なくとも俺にとってはどんな有名レストランよりも名月の料理が上だね。今日の懐石料理よりも、名月の作った昨日の煮物が食べたい……今日の弁当にも入る予定だったのに…毎日食べても飽きることなんかないよ。」
目の前の瀬田の目が遠い目になり、やれやれと頭を振りふぅと長く息を吐いた。
なんだ、失礼なやつだな。
俺がじろりと瀬田を睨めつけると、瀬田は額に手を当て天を仰いだ。
「あー………聞いた俺が馬鹿だった。うん、とりあえず、お前が仲原さんを溺愛してるのは分かったわ。……それで、メール貰ってた件だけど…」
重ね重ね失礼なやつだな。でも、うん、溺愛しているのは認めよう。
瀬田の言い草に多少のイラつきを覚えるも、調べ物をお願いしていた身だ。口からポロッと嫌味が出そうになるのをグッと堪えた。
瀬田のいうメールの件とは、その溺愛して止まない名月の周辺をうろうろしている、新卒社員 森川の件だ。
昨日俺に喧嘩を売ってきた理由は、そのものズバリ『名月』だ。
あれだけ名月に執着しているのだから、何か関係があるのだろうと思い、早々に瀬田に人事部から人事関連資料を取り寄せて貰ったのだ。
「それで、森川と仲原さんだけど、出身中学が同じだったわ。ただ、森川はその後アメリカに行ってるから、1年も通ってないし、仲原さんと通学時期も被ってない……となると、家が近かったとか、幼馴染とかその線で見てみたけど……」
瀬田が調査結果をまとめたペライチを俺に手渡してきた。
そこには、森川と名月の出身地、学歴、家族構成などが書かれており、表の共通点の部分は色付きとなっていた。
本籍地の住所が番地違いで殆ど一緒…ということは……
「あぁ、なるほどな。ビンゴだな。それで『なっちゃん』か。……なんのことはない、近所の年上のお姉さんに抱いた憧れを、そのまま恋心と勘違いしたまま大人になったってわけか。」
俺はこの結果を見て、森川の名月への異常な執着に漸く得心が行った。
得心が行ったが、はいそうですか、とはならない。当たり前だ。
森川の執着も凄まじいとは思うが、残念ながらそれは俺も同じだ。
名月は俺の女だ。
森川なんかには渡さないし、指1本触れさせたくない。
俺の言葉に瀬田は心底面倒くさいという顔をして吐き捨てるように言った。
「あー、それは面倒くさいやつだな。しかも、森川はニューヨーク支社採用のくせに、わざわざ希望して日本本社に研修来てるみたいだな。何年かこちらで経験を積んでからいずれはニューヨーク支社に戻る事になっているから、暫くはこのままこっちにいそうだぞ。」
「はぁぁ、それであの強気か……ニューヨークに戻る前に名月を落として、一緒に連れて帰るって?そんな事絶対にさせないけどな。」
大方の予想通りの展開に、俺は心の中で、はぁ?とっとと帰れよ、と悪態を吐き、盛大に舌打ちをする。
幼い頃の憧れ程、強烈に心に残る感情はない。
しかも、東京と故郷程度の距離ではなく、日本とアメリカという絶対的な距離の別離によって、想いはより強固になっているのだろう。これは諦めさせるのも一筋縄ではいかない。
どうしたものかと考えていると、ピコンとスマホが鳴った。
スマホを取り出してロック画面を確認すると、メッセージアプリに名月からメッセージが入ったようで、俺はすぐにメッセージアプリを開いた。
『お疲れ様。
あのね、今年の研修メンバーになんと幼馴染がいたの。
なんか相談もあるみたいだから前に一緒に行った居酒屋でランチしてくるね。
弦も外出だよね?頑張ってきてね!
大好きだよ。いってくるね!』
うん、俺も大好きだよ……っておい!
なんだって?!幼馴染とランチだって?!
そんなの聞いてない。全く聞いてない。
無自覚程恐ろしい物はない。一切の危機感を感じないのほほんとしたメッセージに、思わず額に手を当てて呻くしかなかった。
突然の名月の爆弾投下に既にHPは瀕死の状態だ。
「うぅぅっ……瀬田、問題発生…ごめん、もう行くわ。」
「おぅ、わかったけど…大丈夫か?」
「いや、大丈夫じゃないな。名月のやつ、森川と個室でランチするとか連絡してきたから、今から会議室行って止めてくる!」
クライアントとの約束の時間は13時なので、12時半頃会社を出る予定で準備をしていたが、そんな悠長なこと言ってられない。
ひったくるように荷物を取るとエレベーターホールに走り、逸る気持ちから上昇ボタンをバンバン連打する。
気のある男とふたりっきりで個室でランチなんて、冗談じゃない。危機感がないにも程がある。
怒りで頭が沸騰しそうになりながらもエレベーターに乗り込み25階のボタンを押し、閉ボタンを連打する。
エレベーターが上昇を始めるが、焦りからか到着までの時間がいつもよりも長く感じもどかしい。同乗者が居ないことをいい事に、指で腕を叩き舌打ちをする。
漸く到着目的階に到着すると、エレベーターを飛び出すように降り、すぐに会議室の扉を開く。
「名月!!!」
一足遅かったようで、飛び込むように入った会議室には誰もいなかった。
「マジかよ……早すぎだろ……」
愕然と呟きながらも、すぐに名月へ電話を掛けるが、何コールしても繋がらない。
深く溜息を吐きながら、震える手でメッセージを打ち、送信する。
『名月今どこ?大丈夫?何もない?』
『名月、心配だから連絡して。』
『お願い。名月。返事して。』
連続で何回もメッセージを送るが、既読になる気配はない。ちらりと時計の確認をすると、間もなく12時半。
タイムリミットなので、気になるし心配だがこれ以上は今は追えない。
送信したメッセージを取り消し、深い溜息を吐くとスマホを鞄にしまい会議室を後にした。
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