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第二章 黒猫の恋人
第57話 ランチのお誘い
しおりを挟む研修2日目。
流石に2日目ともなると、昨日よりも緊張は解れてスムーズにカリキュラムを消化出来たため、午前中の研修は30分程早めに終了した。
研修生は各々、早めのランチや営業の準備をしに退出をはじめるものや、質疑応答のために講師席に来るものと各人各様だ。
そんな中、私が新人男性社員数名に囲まれて質疑応答をしていると、入り口辺りからゾクリとする視線を感じたので、はっと振り返り視線の先を確認する。
そこには、人懐っこい笑顔の森川くんが扉に寄りかかるように立っていて、こちらに手をひらひらと振っていた。
まさか…さっきの視線は……森川くん?
訝しげな視線を投げかけた私と視線がかち合った森川くんは、先程よりも一層嬉しそうに破顔した。
ジェスチャーで、待ってるね、と伝える森川くんは、さっきの感覚は気の所為だったのか?と思うほど人畜無害な笑顔を向けてくる。
少しでも疑ってしまったことを申し訳なく思い、短く嘆息して、やはりさっきのは気の所為だったのだろうと結論付け、新人社員達に向き直り、質疑応答に戻った。
やがて対応が終わり新卒社員が全員退出すると、代わりに森川くんがつかつかと私の近くまでやってきて、にっこりと私に笑みを向ける。
屈託ないのない笑顔を向ける森川くんは、幼い頃に見た笑顔と変わらず同じ笑顔でほっとした。
昨日の表情や出来事はきっと、突然の邂逅に気持ちが昂っての行動だったのだろう。今の森川くんからは嫌な感じもなかったので、先程まで持っていた警戒心が少し緩み、私も森川くんに笑み返した。
すると森川くんは目を細め、何かを考える素振りをした後私ににっこりと笑顔を向けて言った。
「なっちゃん、昨日はごめんね。この後、ランチしながら話できない?」
時計をみると12時を少し過ぎたところだった。
丁度今日は弦が昼から外出予定でお弁当を作らなかったので、ランチに出るのは全く問題はなかったが、研修講師と研修生の新卒社員が連れ立ってランチをしているのはどうなのかな、と少し考えていると、森川くんが突然目の前で手を合わせてお願いをしてきた。
「なっちゃん、お願い!!だって、10年も日本を離れてたんだ。知り合いもいないし、心細いんだよね。だから、ね?なっちゃん~~~!!!」
片目を瞑り必死の勢いでお願いをする森川くんを見ていると、まるで大型犬の子犬のように見えてきて、だんだんとこのまま無碍に断るのもかわいそうかなという気持ちになってくる。
ダメ押しに、ね?と小首を傾げられては、もう絆されるしかない。渋々……了承をせざるを得なかった。
「うぅぅ……わ、わかったから……」
「本当に!うわぁ、嬉しいなぁ!なっちゃん、ありがとう」
私の返答に、森川くんはとても嬉しそうに破顔した。
その顔は子供頃見た笑顔そのもので、なんだかんだ変わってないな、と嬉しくなった。
さて、肝心のランチだが、一緒にランチに行くのはいいとして、流石に他の社員に見られて変な噂を立てられるのも憚られるので、個室が使えるお店を検索する。検索結果に、弦と初めて行った隠れ家居酒屋が出てきたので、そこに行くことにした。
また予め、弦には幼馴染と再会したから一緒にランチに行く旨をメッセージすると、スマホをトートバッグにしまい、森川くんと連れ立って店に向かった。
店に到着すると、入口にメニューの立て看板があった。
今日のランチは
・和風おろしハンバーグ
・和風ビーフシチュー
・唐揚げ
・地鶏親子丼
・銀鮭の西京焼き
で、どれもボリュームがあってとても美味しそうだった。
こういう時、優柔不断な私は直ぐに決められなくて悩んでしまう。
弦と一緒の時は2つ頼んでくれて、シェアする事が出来るのだが、流石に森川くんとそれをする訳にはいかず、どれにするかうんうん悩んでいると、横の森川くんが両手を天に向け突然英語で叫びだした。
「What is Japanese style beef stew?! Something feels weird?!」
(和風ビーフシチューって何だよ!?それ、なんか変だろ?!)
言い終わると、森川くんはハッとしてバツが悪そうにこちらを見た。
「あ……ごめん。つい……」
いつもの癖で…と、あからさまにしゅんとした森川くんに、私は思わず吹き出してしまった。
「あはは、そうだよね。シチューに和風ってなんだよって思うよね。そんなに気になるなら食べてみたらいいんじゃない?」
「うっ……それは…次回チャレンジすることにして、今回は肉が食べたいからこれにする!」
子供みたいなやり取りに、そう言えば、昔もこんなやり取りしたなぁと懐かしい気持ちが込み上げてくる。
結局迷いに迷って、森川くんは唐揚げの定食で、私は銀鮭の西京焼きの定食を選んでそれぞれ注文する。店員が下がってしばらくすると、森川くんが徐に口を開いた。
「なっちゃん、本当に久しぶり……俺が小学校を卒業した年だから、10年振りだよね。」
森川くんはふわりと笑み、優しい眼差しで私を見つめた。
10年振り……そうなのだけど、私の記憶の中で最後に見た森川くんは小学生で止まっているため、目の前の大人になった森川くんとは初対面だ。時折見せる笑顔や表情から、『幼馴染のヒトちゃん』が垣間見える事はあるのだが、久しぶりと言うよりも寧ろ初めましての方がニュアンス的には近いため、幼馴染と言ってもすぐにはピンとこないし、なんだか緊張で落ち着かない。
気持ちを落ち着かせるように、お冷を一口飲む。ふぅと短く息を吐き、緊張を悟られないように努めて明るく言葉を返した。
「うん、そうだね。ヒトちゃん、まだちっちゃかったのに……10年経ってたら大人になってるの当たり前なのに。全く想像してなかったから吃驚したよ。」
はははと笑い、俯きながらじっとりとかいた手汗をおしぼりで拭きテーブルに置くと、ふいに私の手の上に森川くんの手が重なった。
吃驚して手を引こうとするが、森川くんにぎゅっと握られ阻止される。
「…っ、離し……」
「なっちゃんも……大人になって……凄く綺麗になってたから吃驚した。」
握る手に更に力を込めながら、私の制止の言葉に被せるように森川くんは言った。
はっと顔を上げると、森川くんの真剣な眼差しと視線がかち合う。
じっと見つめる森川くんの視線に、心臓がドキリと跳ね上がった。
その瞳には薄らと恋慕が滲んでいる。
昨日感じた感覚は、あながち間違っていなかったのかもしれない。安易に警戒を解いてしまった自分の危機感の無さを悔やんだ。
今更気持ちを知ったところで、彼の想いに応えることは出来ない。どうしたらいいかわからず、気まずさと戸惑いから視線をふいっと外すと、握られた手の力が緩む。
その隙に、さっと森川くんの手を振り払い、大袈裟に笑いながら先程の森川くんの言葉を否定しつつ、若干の牽制を込めて言った。
「綺麗にって、大袈裟だよ。もうアラサーだし大人っていうかおばちゃんだけど、森川くんは社会人として経験積んで、きっとこれからいい男になるね!」
「なっちゃんは綺麗だよ。俺ね、高校に行ってから凄く背が伸びたんだ。もうなっちゃんと並んで歩いても遜色ないと思うんだけど、どうかな?」
森川くんはその牽制をスルーし、そして、私から視線を逸らすことなく、寧ろ先程よりも余裕たっぷりに艶然と笑みを浮かべた。
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