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第二章 黒猫の恋人
第52話 境遇
しおりを挟む昼休みに莉佳子とランチをしている時に聞いた弦の話があまりにも衝撃過ぎて、きちんと理解が出来ていないうちに、当人登場……
で、思わず目を逸らしてしまった事に怒った弦に、長時間に渡って頭がおかしくなりそうな程の焦らしによるお仕置きをされた。
もちろん、その後は気を失う程、弦にたっぷり愛されたけれど…… 本当にこんなお仕置きはもう二度と勘弁して頂きたい。
ただ、このお仕置きのおかげで弦の本音も聞けて仲直りも出来たし、結果的には問題なかったのだが、弦はお仕置きの事をとても気にしているようだ。
お仕置きの方法はさて置き、発端は彼本人に目を向けずに噂を鵜呑みにして、彼の本気を少しでも疑ってしまった私に非がある。弦だけが悪い訳ではないからそんなに気に病まないで欲しいところだが、どうやら弦は物凄く気にしている様子で、真剣な顔をして話をしたいと言ってきているのが、今の状況だ。
「お話……?」
先程までの会話で、ある程度は噂についての不安要素は払拭できたはずなのだが、他にも何か話をしていないことがあるということなのか……一体どんな話なんだろう。
私は一抹の不安を感じずにはいられず、じっと弦を見つめた。
弦は顔を強張らせ拳を握りしめゴクリと息を飲み込むと、意を決したように口を開いた。
「突然だけど、名月は〇〇党の梶原って知ってる?」
突然弦の口から出た言葉に、一瞬何を言っているのか分からず、目をぱちくりさせてしまった。
「え、あぁ…うん。内閣官房長官で次期総理大臣って言われてる……」
日本国民で、恐らく知らない人はいないであろう有名な政治家の名前だが、一体何故このタイミングで出てくるのだろうか……私の頭の中は疑問符でいっぱいだった。
私のその様子を見た弦は大きく息を吐くと、次の瞬間に驚くべき発言をした。
「うん、その梶原。俺ね、実は…………その梶原の庶子なの。認知はされてるけど…ってもういい歳だし、認知もクソもないんだけどね。一応、生物学上の父親になる。」
なんと……弦の父親はあの大物政治家だと言うのか……
吃驚し過ぎて喉が詰まって言葉が出なかった。
かろうじて絞り出した一言は、「…そう…なんだ……」だった。、
もっと気の利いた言葉は出なかったのか、と若干後悔しつつ視線を上げ弦の顔を見ると、弦は眉を寄せ辛そうな顔をしていた。
握りしめた拳に更に力が入り、プルプルと震えているように見えた。
弦はそれを落ち着かせるように、ゆっくりと深呼吸をすると、話を続けた。
弦の母親と父親は幼馴染で相思相愛だったのだが、代議士の秘書をしていた父親が代議士の梶原の娘と政略結婚をする事になって……
それでも、お互い恋心を忘れられなくて、母親は代議士秘書にまでなって…暫くして弦が出来たが、本妻にバレて職場を追われて田舎に未婚で子供産んで……
実家にも勘当されて、女手一つで子育てしていた母親は、弦が10歳の時に亡くなったと……
その時駆けつけた病院で初めて死んだと聞かされていたはずの父親と対面して……
なんと想像を絶する話だろうか……
いや、でもこれはまだきっと序章に過ぎないだろう。
それだけでもかなりキツい話なのに、幼い弦はこれをひとりで耐えてきたのだ。
私も両親を12歳の時に、交通事故で亡くしている。
突然の親との別離は12歳の私でも相当辛かったのだから、片親でそれよりも幼い弦の辛さ、悲しさ、寂しさは想像するに難くなかった。
幼い弦の姿を想像すると当時の私の姿と重なり、酷く心が痛み、涙で視界が揺れた。
ふと、目の前を見ると弦の握られた拳は辛さに耐えるように震えていた。私はその弦の手を優しく撫でるときつく握られた指をひとつずつ開き、指を絡めてギュッと握りしめた。そこで私の手も震えていた事に気が付き、涙がこぼれた。
すると、弦が私の手を握り返してきたので、私は驚いてぱっと顔を上げると、絡んだ視線の先の弦の瞳には不安と恐れ、痛みとそれから少しの共感の色が滲んでいた。
「名月もだよな……俺ら結構境遇似てるのな。」
「そうだね……でも私なんて、弦の境遇程壮絶じゃないよ。続き、聞かせて?」
私は懸命に笑顔を作ろうとするが上手く表情が動いてくれなかった。
どんどん涙が滲み、零れそうになった時に、弦は私の眦に溜まった涙を唇で拭い、私の肩に弦は顎を載せて、ふぅと息を吐き頷くと話を続けた。
「その後は、一応母方の祖父母と父親で話し合いをして、俺は父親に引き取られたんだけど……」
父親は議員宿舎にいてほとんど家に帰らず、弦を本宅に預けっきりで世話は本妻家族と使用人に任せっぱなし。
父親は、弦がいびられている事には気が付かなかったのだろうか……
「…弦……凄く苦労…したんだね。」
「いや、名月程ではないよ。俺はいびられたりはしたけど、衣食住や経済的には苦労してないからさ。」
大変な苦労をしたのだろうが、そんな中でも、大学まで行かせて貰えた事に感謝しているという弦に、胸が締め付けられ、愛おしさが溢れる。
辛そうに嘲笑をする弦を私は抱きしめ、震える背中を何度も撫でると、少し落ち着きを取り戻した弦は短く息を吐き、先を続けた。
「結局、本妻との間には男児が出来なくて、男は俺だけだから、養子縁組して地盤を継いで欲しいともいわれたんだけど、今の時代何も男が継がなくても、優秀な姉さんがいるし、継ぐつもりは無いって断ったんだ。」
「弦にはお姉さんがいるの?」
「うん、5つ上の姉と6つ下の妹がいるよ。女の子の扱いはほとんどこのふたりに叩き込まれたようなものだよ。あの家で優しくしてくれたのは姉と妹だけだったから、俺にとっての家族はこのふたりだけ。」
姉妹がいたんだ、と思った時にふと弦のヘアスタイリングの事を思い出した。
「……あっ、もしかして、髪……」
「ふふっ、そう。妹のね。俺が高校進学と同時に家を出るまで毎日やってたから。安心した?」
なるほど、他の女性に触っていた訳ではなく、妹さんの髪をスタイリングしてたのだなと得心すると、安心すると同時に見当違いをしていた事がとても恥ずかしくなり、かあっと顔が熱くなる。
「これで不安、ひとつは解消出来たかな?」
弦は私が不安に思っていた事に気が付いていたようで、真っ赤になって俯いている私の顔を覗き込みながら、悪戯っぽく訊ねるので、私は素直にコクンと頷いた。
「…うん。出来た。」
「それはよかった。」
弦はふわりと笑うと私の頭を撫で、頭に顔を埋め私を抱きしめた。私は弦の背中に腕をまわし、弦の広い胸に頬を擦り寄せ、心臓の音に耳を傾けた。
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