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第一章 黒猫の恋
第11話 黒猫は翻弄される
しおりを挟む季節はあっという間に走りさり、漸く春になると新卒社員が沢山入社してきた。
今年も営業部には150名近く配属される予定だそうだ。
俺は春の人事異動で、第一営業部から第三営業部に部署を異動になり、役職もサブマネージャーからマネージャーへ昇進した。
入社5年目でマネージャーになるのは異例の昇進スピードらしく、是非とも新人研修で指導して欲しいと本部長に頼まれたが、部署異動をしたばかりだから、という建前全開のもっともらしい理由をつけて断った。
正直な話、研修担当なんて面倒くさくてやってられない。
ていうか、絶対にやりたくない。あんなのやりたいヤツにやらせておけばいい。押し付けられるのは御免蒙りたい。
これが本音だ。
新人といえば本部長が、今年は凄いのがいるぞ、お前以来の逸材だとか、何とかいってた気がする。
なんでも選考もほぼ終わっている所に、どうしてもうちに入社したいとエントリーしてきた熱意と、頼りなさげな見た目なのに営業力が抜群に素晴らしかったと、ギャップに本部長が惚れ込んで即採用を決めたらしい。
そう本部長には熱っぽく語られたが、申し訳ないことに全く興味を唆られなかった。
俺の興味はそれよりも仲原さんがどこに就職したか、ということに向いていた。
あれから何度かあの公園近くを通りかかったけれど一度も会えていない。
連絡先を聞けなかったわけだから、せめて名刺を渡しておけばよかったと何度後悔したことか……本当に自分の馬鹿さ加減に呆れる。
どうでもいい女の連絡先は腐る程知っているのに、気になる女の連絡を聞けなかったヘタレた自分に嘲笑するしかない。
徐にポケットからタバコを取り出して火を着けると深く一口吸い込んだ。ニコチンがガツンと来て一瞬頭がクラクラしたが、おかげで頭が少し冷静になる。
「らしくねぇなぁ…」
思わずポツリと呟くと、後はいつも通りタバコを適当にふかす。
冷静になっても考えるのはやっぱり彼女のこと。
仲原さんはちゃんと就職できたんだろうか。
どこに就職したのか。
取引先にいたらいいな。
どこかでまた会えるだろうか。
今どこでどうしてるんだろう……
心配、気になる、会いたい……
なんだこれ。俺はこんな気持ち知らない。
自分以外の他人なんて心底どうでもよかったのに、その他人が今自分の中の大半を占めている。
たった一度しか会ったことの無い女で、しかも相手は当時学生。なんでこんなに固執するのか自分でも理解出来ないけど、もう一度会えたらこのよく分からない気持ちの正体が分かるかもしれない。
そう思うと、どうしようもなく彼女に会いたかった。
折角今回の部署異動で新規開拓の部署に異動になったのだ。以前見せて貰ったエントリーシートの傾向から、これから時間かけて探すことだってできる。
どんなところでも、彼女が悲しい思いをしていなければいい。
能力がちゃんと生かされて、評価されていればいい。
そして、願わくば……うちに就職してたらいいんだけどな。
気がつけばそんなことを思っていた自分自身に、思わず苦笑いが零れた。
「あー……やっぱり、らしくねぇよなぁ……」
◇◇◇
俺の移動先の第三営業部は、3課で構成されていて、5課を抱える第一営業部よりも若干こじんまりしている印象だが、昨今の顧客の増加や業績アップに加え、新規開拓の需要が高まったことも相俟ってこの度2課から3課に拡張され、その新設の3課のマネージャーとして、俺が異動することになったのだ。
第一営業部は、クライアントの御用聞き営業が基本的な営業スタイルだが、第三営業部は、クライアントの状況を内外から把握してソリューションし、新しい提案をしていく提案営業が主になる。
もちろん、既存クライアントの営業も第一営業部と協力して行うが、新規のクライアントへのアプローチがメインの業務であるため、第一営業部とは仕事内容も手法も勝手が違う。
元々のクライアントは徐々に第一営業部に引き継ぎつつ、新たな新規開拓業務と管理職の業務も加わり、一気に仕事が目まぐるしく忙しくなり、異動早々に古巣が懐かしくなる。
まぁこうなった以上、俺も心機一転頑張るしかないのだが。
第三営業部に移動してからそろそろ3ヶ月経ち、漸く新しい部署や仕事にも慣れてきたかなと感じ始めた頃、気がつくと全体の新人研修が終了し、新卒社員達が配属になる時期となっていた。
もうそんな時期か…
流石に新たに配属になる社員の把握や、OJTなどそろそろ考えないといけない。
配属名簿確認をしようとデスクトップを探すが、後回しにしていてそもそも保存すらしていなかった事を思い出す。
さて、どこにやったかな…
各役職者達には事前に名簿がメールで送られて来ている事を思い出し、会議関連フォルダからメールを検索する。
今まではサブマネージャーとしてマネージャーの補佐をしてきたが、これからはマネージャーとして組織のトップとして、自分が先導し支えて行かなければならない。
正直デスクワークはあまり得意な方ではない。机でちまちま仕事をしているよりも、客先に営業に出る方が性にあっていた。
今まではメールも支給されているスマホで確認出来るため、ほとんどオフィスにいなくても問題なかったのだが、今後はそう言う訳にはいかないだろうから、改めて気持ちを引き締める。
こういった雑務もマネージャーの大事な仕事。苦手な営業以外の管理職の仕事も増えて行くんだなぁと深く嘆息する。
そうこうしているうちにメールフォルダから該当の名簿が見つかり、zipフォルダをデスクトップにダウンロードする。
名簿は上から管理本部、第一営業部、第二営業部、第三営業部と並んでいる。
確か第三営業部には30人配属になるはずだったなぁ、と思いながら150人分の名簿を上からスクロールしていると、古巣の第一営業部2課の所でスクロールしていた指がピタリと止まった。
「…えっ……嘘だろ…仲原…名月……」
仲原 名月
そこには、紛れもなく俺が会いたいと思っていた彼女の名前があり、一瞬頭がフリーズした。
まさか……そう思い、もう一度画面を凝視する。
そこには『仲原 名月』の文字があり、ゆるゆると歓喜の感情が押し寄せてきた。
仲原さんは、あの後、うちの会社を受けてくれたようだ。
しかも俺のアドバイス通りに営業で……
俺は嬉し過ぎて感情が爆発し、天井を見上げながら思わず快哉を叫んだ。
彼女には俺の思った通り営業に適正があって、俺が願った通りうちの会社を受けて入社して来てくれた。
もしかして俺を追いかけてきてくれたのでは?とありもしない期待をしてしまう自分が滑稽で、思わず苦笑が漏れる。
そして思った。これなら本部長の申し出を受けておけばよかったと。
少しばかり…いや、かなりの後悔はあるが同じ営業部であれば接点はあるだろうし、出会う機会はいくらでもある。
彼女の行方が分かったことと、それが案外近くにいるという事実に顔が紅潮し気持ちが昂った。
間違いではないか、自分の願望が見せる幻ではないか、もう一度名簿を確認した。
そこには紛れもなく『仲原 名月』の文字があり、幻ではなかったとホッと胸を撫で下ろす。
そして、仲原さんの配属予定先を確認した時、俺はあまりの驚きに瞠目し固まった。
『第一営業部2課 配属予定』
仲原さんの配属部署…そこは奇しくも俺の異動前の在籍部署だった。
先程までの昂揚した気持ちはなりを潜め、頭からサァッと血の気が引いていく。緊張で手が震え、口が乾いた。
偶然なのか?それとも何かに仕組まれているのか?
もしも……もしものことだが……
俺が部署を異動しなければ…
俺が昇進をしなければ…
即日、簡単に再会を果たすことが出来ただろう。
仲原さんの入社と同時に部署の移動があったという事実に心がザワついた。そして、こんなに近くにいるのに会うことが出来ないもどかしさにイラつきを感じる。
運命の神様はなんて残酷なんだろう。
それともこれは、今まで他人に適当なことをしてきた俺への罰なのだろうか。
何とも言いようのない気持ちの悪さに襲われ、頭がクラクラしてきた。
どこまでも噛み合わない歯車に翻弄される、そんな気分だった。
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