少女

ラスク

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悪[異世界]夢の少女

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 カビ臭い濃霧が覆う沼地に、まばらに生えた枯れ木。木陰に蠢く小さな影と、全身を覆うような殺意……というにはもっと楽観的な気配。
「またかぁ」
 後ろを向くと、ランタンが照らす丸太小屋があった。
「でもダメなんだよね」
 安全そうに見えるけど、あそこはすごく怖いところだ。あんまり覚えてないけど、なんとなく知っている。
「はぁ……」

 私は白いワンピースだけを着ている。それ以外は靴すら無い。
 だから、足には冷たくてぬちゃぬちゃとした泥の感触が直に伝わってしまう。
「気持ち悪いなぁ」
 そう、気持ち悪いのだ。とても気持ち悪いのだ。
「ん゛っ!」
 八重歯で舌を噛んで、穴を開ける。唾液と血液が口の中で混ざり、痛みに慣れてきたのでそれを地面に垂らす。
 体液に触れた地面は急速に硬くなり、杖の形になった。
「ハズレか」
 その杖を拾い上げ、その杖をついて歩き出す。杖の先端が触れた地面は、体液に触れたのと同じように硬くなる。だからちょっとだけ歩きやすくなる。

 北へ北へと歩いていると、無人のサーカスが現れた。
「今回は早かったなぁ」
 僕はその言葉を理解できる人のいない世界でそう呟くと、中に入っていく。
 中には黒猫がいた。だから殺した。
「ごめんね」
 猫の死体に手を合わせる。
 中にあったロープを拾って、ライオン用の不味いお肉を食べてからサーカスを後にする。

 昨日になった。明後日になるまで待って、明日になったのでまた歩く。
 歩き続けて9秒と6時間と30分が経つと、廃墟と化した遊園地が現れた。
 中には案山子がいるから、ハグをするために中に入る。
「案山子ー僕だよー来たよー抱っこしよー」
 そう言いながら遊園地を一周すると、入り口に案山子がいた。
「かくれんぼ嫌いなのに……」
 そう愚痴を吐きながら手を広げる。案山子は僕を抱きしめて、2分間抱き合い続けた。
 目的を果たしたので、遊園地からも去った。
 寂しいけど、ずっとあそこにはいられないから仕方ない。

 また歩いた。
 沢山の黒い手がやってきて髪の毛を引っ張られて、お腹を叩かれて、手をつねられて、首を絞められる。
 手達が満足したのかどっかに行くと、今度は僕の体と同じくらいの大きさの手がやってきて全身を握られる。
「んへっ……やだ……」
 掠れた息を吐きながらそう言ったけど、この黒い手達は絶対に許してくれない。
 痛くて泣いて、泣いてたらいつの間にかいなくなってた。
 鼻水を啜って、手で髪を整えてまた歩く。

 通りすがりに黒い手に頬や背中を叩かれながら、とても辛いけどまだ歩く。両手で縋るように杖を掴んで、ヨタヨタと歩く。
 辛い。
 でも歩かなきゃいけないから、僕はもう死にかけだけど歩き続ける。
「おっきい手、に……捕まらないと……」
 ボソボソと囁きながら、ボソボソと囁きながら、ボソボソと囁きながら、僕は足を進める。
 歩き続けていたら、霧と土がどんどん暗い色になっていった。どんどん土の粘度が上がって、どんどん霧も深くなっていった。
 足元さえ見えなくなった。

 ようやく、二つの白い手が現れた。白い手は僕の何倍も大きくて、その二つの手で僕を包んで、ちょっとずつ狭くなっていって、僕が押し潰されていって、血液が行き場を失って、体内という井戸から逃げ出して、大海に躍り出て
 僕はまた、最初の場所に戻った。

 カビ臭い濃霧が覆う沼地に、まばらに生えた枯れ木。木陰に蠢く小さな影と、全身を覆うような殺意……というにはもっと楽観的な気配。
「またかぁ」
 後ろを向くと、ランタンが照らす丸太小屋があった。
「行こうかな」
 行ってみたくなった。入ってみたくなった。僕はもう完全に忘れてしまったから、入ってしまった。

 たくさんの僕がいた。さっきの僕と目が合った。
「がんばれー」
 僕がそう言ったから、僕は軽く会釈をして扉を閉めた。
 僕はまた舌を噛み、垂らした血液と泥でできた傘を拾い、また北へ歩き出した。
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